デルタ最大の古代遺跡サーン・エル・ハガル(タニス)とプスセンネス1世 | エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベル

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エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベルですデレデレ

 

セルビス(乗り合いバス)を乗り継ぎ、片道、約5時間半ほど掛けて、

遥々、サーン・エル・ハガル(タニス)を訪れたのは、

お気に入りのアメンエムハト3世のスフィンクスが出土したのが、タニスだったから。

灰色花崗岩 中王国時代 第12王朝

考古学博物館の中で目を引いたアメンエムハト3世のスフィンクス目

 

このスフィンクスは後世のファラオたちの目に留まり、使いまわしされたそうで、

台座には、ヒクソス王朝のアポピ、ラムセス2世、メルエンプタハ、プスセンネス1世などの名前が

刻まれています。

アメンエムハト3世は誇らしかろうウインク

 

サーン・エル・ハガル(タニス)のにわか勉強をして、現地へ。

何があるかを読んで、広さなど気にも留めていなかったので、行って驚いた

その広大さポーン

写真では分かりづらい、その広大な遺跡を

ガイドブックに記されていた通り、あまり訪れるひとがいない遺跡を独り占め出来ましたデレデレ

途中までは!

 

ひとりでも十分、ウキウキしながら、歩き回っていたのです音譜

そこへやってきたエジプト人考古学者。

彼の説明によると、

こちらには、アメン神殿、ム-ト神殿、コンス神殿、東の神殿、ホルスの神殿の5つの神殿と

王様の7基のお墓があります。

 

サービス精神旺盛に、楽しそうに説明してくれていたのですが、

ヒエログリフが深く刻まれた倒れた柱に腰かけ説明する姿に、驚きポーン

ひとつの説明が終わるごとに、『チップ、チップ』と連呼され、うんざり真顔

『わたしには4人の子供がいて、生活が苦しいんだ』知らんがな!ムキー

途中で、ご遠慮しました!

 

アナタ、トッテモザンネン!

 

タニスは、第三中間期 第21王朝時代の首都だった場所で、

時のファラオ、プスセンネス1世は、偉大なる先王のアメンエムハト3世にあやかろうと、

像を自分の首都に移送したものらしい( ..)φメモメモ

 

プスセンネス1世の黄金のマスク

 

このファラオ、もっと有名になっても良さそうなものですが。。。

 

というのも、ウィキペディアで紹介されているのが、

『1940年、フランスのエジプト学者ピエール・モンテ(Pierre Montet)はタニス王家の墓を発見し、内部にプスセンネス1世のミイラと副葬品が手つかずのまま残されているのを確認した。 埋葬当時の状態を留めた王墓としては、ツタンカーメン王墓(KV62)に次ぐ史上2例目の発見だった。しかしKV62は過去に2度盗掘された形跡があるため、一度も封印を解かれず無傷のままで残された墓としてはプスセンネス1世のものが史上唯一のものとなる

 

湿地帯というタニスの地理的条件のため、木製品の多くは腐敗して崩れ、王のミイラも著しく損傷していたが、ミイラに被せられていた黄金のマスクは無傷で残されていた。マスクは金の板を打ち出して作られ、眉やアイラインはラピスラズリ、目はガラス細工で作られていた。 品質や技術はツタンカーメンのマスクより劣るものの、プスセンネス1世のマスクは「タニスの至宝の一つ」とされ、現在カイロ博物館の第2室に収容されている。 ミイラの指やつま先には指サックが被せられ、足には金のサンダルが履かされていた。指サックには爪が象られており、これは現在までに見つかった中で最も精巧なものである。また、各々の指にはラピスラズリやその他の貴石を嵌め込んだ金の指輪をしていた。

 

ミイラが入れられていた花崗岩製の石棺は本来、第19王朝のメルエンプタハの埋葬に使われたのを流用したもので、その内側の人形棺も第19王朝時代のものであった。これらの事実はタニスとテーベという南北二つの王権が親密な関係にあったこと、公的な権力によって王家の谷の王墓が開かれ、副葬品の流用が行われていたことを示している。 王のミイラ銀の人形棺に入れられていた。エジプトで銀は金よりも希少なため、国力が低下していた中で最大限の豪華な埋葬が執り行われた事が覗える。

ほぼ遺骨となっていたミイラを鑑定した結果、死亡時の王が極めて高齢(恐らく80歳近く)であったことが判明…』

 

面白いラブ

公的な権力で、王家の墓が開かれて、副葬品が流用ってポーン

先王たちを尊重する気持ちよりも、あやかりたい気持ちが勝ったのでしょうかはてなマーク

サーン・エル・ハガルはアメン神殿、ムーと神殿、コンス神殿があり、北のテーベと呼ばれているとか。

 

考古学博物館の花形ツタンカーメン合格

いつも人でごった返しているツタンカーメンの部屋に対して、

あまり、目立たないタニスの部屋はいつ入ってもガラガラです。

現在のルクソール(テーベ)とサーン・エル・ハガル(タニス)の象徴のようです得意げ

 

そのタニスの部屋にある印象に残るシェションク2世の棺

第三中間期 第22王朝 リビアの血を引くシェションク2世

プスセンネス1世のときと同様、シェションク2世の治世下では、銀は稀少だったそう。

これまで発見された棺の中では銀で出来たものは非常に珍しいそうです。

なぜ、ファラオの顔ではなく、ハヤブサの顔を持つホルス神をかたどっているのでしょう。

共同統治者の父?(兄?)、オソルコン1世が亡くなった息子?(兄弟?)をホルス神に託したのでしょうか。

 

シェションク2世の黄金のマスク

 

おおっと!こちらの墓の発見当時、未開封だったシェションク2世の棺は、

当時、国王だったファルーク立ち合いの下、開封されたそうです。

19歳のファルーク、昔から古代エジプトに興味を持っていたのですねデレデレ

 

あちこちそれましたが、

アメンエムハト3世から、タニスへ。

タニスの部屋をじっくり見てみたくなりました目