想稿:ユージの一日(緊急事態宣言中)
今日も仕事に出かける。
「緊急事態宣言」が出たけれど、僕のアルバイト先のハンバーグ屋は休みにならなかった。
何日も使って毛羽立ったマスクを耳に引っかけて、外に出る。
父の飼っている犬が、庭で今日も元気に吠えている。
朝の空気は澄んでいて、庭木や草花から少し湿った春の匂いがする。
本当にウィルスなんか、あるんだろうか。
不意に、下腹のあたりを触ってみる。
二ヶ月前、急におなかが痛くなって寝込んだことを思い出した。
お医者さんは原因がよくわからないといって、僕もわからないまま休んだら、いつの間にか治ってしまった。
あれもまた、何かのウィルスだったんだろう。だからウィルスというものは、あるんだろう。
「あるんだろうな」
そう口にしてみてから、息を吸った。
今日一日のことを思って、ここに漂う澄んだ空気をめいっぱい吸い、それからマスクをつけた。
家のそばを通っている関越道路を見上げると、相変わらず車はビュンビュン通っている。
みんな東京へ向かう車だ。少し減ったのかな、ここからじゃわからない。
僕もこれから東京へ行く。毎日、ハンバーグを作って売るために東京へ行く。
電車に乗るのは怖い。
埼玉の奥から乗るからいつも座れるけれど、徐々に混んでくると自分の前に誰かが立つだけで今は緊張する。
その人がマスクをしてなかったりすると、ますます緊張する。
今この人が咳をしたら、シャワーみたいにかぶるのかな、などと想像する。
向かいに立つのがおじさんだと、マスクしろよ、なんて心の中で毒づいてしまうのだけれど、きれいな女の人だと、買えなかったのかなあ、どこにも売ってないもんね、なんて思ってしまうんだからげんきんなものだな。
今日向かいに立った女の人のマスクは、てづくりの、花もようのガーゼハンカチだった。
政府が配るといっていたマスクよりこっちの方が全然よさそう。
だいたいあのマスク、僕の顔をちゃんと覆えるのだろうか。
ハンバーグ屋に客が来ない。
うちはチェーン店で、そこそこ安くてボリュームもあるから、
いつもなら昼は親子連れ、午後には学生が集い、長居してお喋りしていく客も多かった。
でも今は単独のお客さんがほとんどで、僕と同じようにこんな時も仕事に出なくちゃいけないサラリーマンや、せいぜい夫婦らしき二人連れが来るくらい。
素早く注文するとほとんど会話もせずに食事して、さっさと帰って行く。
ここでアルバイトして、初めて有線で流すBGMが聞こえたくらい、静か。
僕は客を待ちながら、うん、来ない方が良いよ、と矛盾したことを毎日思う。
いっそ閉めてくれないかなと思うけど、店長が決められることでもないんだろう。
店長より上の、もっと偉い人が決めないといけないんだろうし、
僕は来いと言われたら行くしかない。
お客さんを待つ。待つ。待つ。
このまえ「魔女の宅急便」がやっていたけど、
キキがショーウィンドーをぼんやり眺めてる姿、あれとそっくりだなと思う。
見た目は似ても似つかないけど・・・。
ガラス越しの人々を眺めて、みんな生きてるんだなと思う。
普段の僕は演劇をやっている。
演劇と命と、どっちが大事かと聞かれたら、こまってしまう。
ハンバーグと命と、どっちが大事なのかと聞かれたことは、ない。
特に何かした気もしないまま仕事を終えて、駅に向かう途中に思い出した。
今夜はうちに誰もいないのだった。
ハンバーグの残りをもらってくればよかった。
仕方ない、コンビニで済ますかと思ったけど、駅まで来たところでひきかえして、
ここから近い、友達のやっている居酒屋に向かう。
友達の店は今本当に大変らしい。
「緊急事態宣言」中だからでもあるけれど、もともと外国人観光客のお客さんが多く立ち寄る店だったから、もう二ヶ月近くお客さんが日ごとに減っていって、アルバイトの子は休ませ、今は店長と友人が二人で、昼間に弁当の販売もはじめてなんとかやりくりしているらしい。
応援したいしな。
友人の顔を見て挨拶だけしたら、さっと食べて、帰ろう。
それくらいなら。それくらいなら。
友人の店に近づくと、警官が二人立っているのが見えた。
ゆっくり、うろうろと歩きながら、厳しい目で周囲を見回している。
歩いてきた若い男女グループが何かを言われ、若者たちは反発するような、怯えるような目をして霧散していった。
途端に僕も胸がドキドキしてくる。
警官のひとりが、まるで犯罪者を見るように僕をにらんでいる。
食事するだけなのに。
僕はうつむいて、急いで警官の横を通り過ぎ、店に入ろうとした。そのとき、
「いいんですかねえ」
警官の、重く低く牽制する声が僕の背中に刺さった。
僕は店の戸に伸ばしかけた手を引っ込め、きびすを返して駅に戻った。
はや歩きで、ただ下を向いて歩いた。最後の方は走っていた。
満員電車とまではいかないけれど、揺れると肩がぶつかるくらいには混雑した車内で、おっかなびっくり吊革につかまりながら、家路に向かう。
さっきの。
店のガラス戸越しにこちらを見た友人の顔が、焼き付いて離れない。
僕を見てパッと顔を輝かせた友人。僕は、挨拶もできなかった。
悔しくて悔しくて涙が出そうになる。
誰に怒ればいいのかわからない。
涙を飛沫とは言わないのかな。
車両の遠くから見知らぬ誰かの咳払いが聞こえた。
たった一度の咳なのに、周りの客が敏感に身を縮めるのを感じた。
僕の体もきっと、そうなっているのだろう。
いつまでこうなっているのだろう。
しばらくして、誰かの舌打ちが聞こえた。
「地獄かよ」
僕はマスクの中で小さくつぶやいた。
カクタラボ『明後日の方へ』延期です
5月に上演を予定していましたKAKUTAの若手公演、カクタラボ『明後日の方へ』の延期になりました。
これは出演者をはじめKAKUTA劇団員、皆で話し合い、決めた結果です。
4月3日が顔合わせの予定でした。
でも、集まる予定だった稽古場、その後使用する予定の稽古場も、次々と閉鎖になっていました。
仮に5月に無事上演を行えたとしても、稽古ができないというのが目下の悩み。
そしてなりより、今本当に舞台を上演して良いのか?という問題。
上演が難しいんじゃないか…と考える一方で、皆の意欲は痛いほどわかっていたので、
私自身の迷う気持ちも正直に伝えたうえで皆の意見を聞いてみたいと思い、急遽集合することにしました。
ええ、集まりました。
でも安心してください、集まってません。
オンライン会議です。
それぞれの部屋で、宮崎や、東京、アルバイト帰りの駅などから。
ひとりひとり、いろいろな意見が出ましたが、一番大きかったのは「お客様に安心して楽しんでもらいたい」という声でした。
仮に劇場で万全の体制を取り、迎えたとして、お客様が劇場へ来るまでの道のりも不安なのではないか。
ほんの一週間前までは「稽古場がないなら公園で稽古してもいい」と話していた面々です。
集まって宣伝動画を作ろうという話も出ていました。
しかし、状況は日ごと変わっていくなか、燃えたぎる情熱をぐっとこらえて、自分以外の人のことを考えていました。
だからさ、「若者は状況を軽視して外を出歩いてる」みたいなことを言われるとマジであったま来ちゃうんですよね。
若者、めっちゃ、考えてっから!!!
ぼか!
作演出の西山君は、なぜかオンライン会議中ずっと音声が出なくなり、途中までひとりだけ筆談という面白い状況になっていました。
が、途中で声を出せるようになって、そのときに発した「残念です…」という声には、心底胸が締め付けられる思いがしました。
一年前、「らぶゆ」の稽古で福島弁の方言指導に来てくれていた西山君。
劇団員たちに丁寧な指導をしてくれ、皆と仲良くなった頃、若手メンバーのために書きたいといってくれました。
外部の劇団にそんなことを言ってくれる人いません。
それからプレ稽古をしたり、集会を開いたりして、カクタラボはもう、西山君を中心に据えたひとつの劇団みたいになっています。
だからこそ。
「西山さんの作品はコメディだから、私たちもお客さんも、心から楽しめる状況でやろう」
最終的に皆のなかでまとまったのは、そんな気持ちでした。
というわけで『明後日の方へ』は延期になります。
上演時期はまだ検討中です。楽しみにしてくださっていた方、本当に申し訳ありません。
しかし!!!
無事上演できるときまでに作品をブラッシュアップしまくる時間をもらったんだと、前向きファッキンポジティブに考えることにいたしました!!
つきましては以下の予定を立てています。
その① 4月から予定通り稽古を開始!!
リモート稽古です。
その様子をSNSやYouTube等を用いて随時公開していく予定です。
ワーク・イン・プログレス・オンライン!
その② ドサ回り宣伝します!
せっかく時間はあるので、状況を鑑み(いってみたかった)ながら、自粛中は様々なウェブ企画、動けるようになったらビラまき、街頭パフォーマンスに至るまで思案し、ASAYANのモー娘。デビュー時のごとく、草の根からの宣伝活動をして参ります。
その③ 動員目標は倍率ドンで更に倍!!!はらたいらさんに全部!!!(古い)
活動状況をしつこいくらいに配信&ヒップなヤングがパー券売るかのごとく(時代がわからなくなってきました)宣伝に奔走し、これでもかとみなさまにカクタラボをすり込み、観客動員1000人を目指します。
と私がいったら皆ヒーーッて顔になってました。いや元々、500人以下の小規模な公演のつもりでしたから…。
でも延期になるならただで転んでたまるかい。
テンションあげまくって高い山のぼってやろうやないかい!!!
《おまけの公約》
上演の暁には西山聡&桑原裕子でアフタートークの枠に二人芝居やらさせてもらいます!!!
アフタートークのくせに、若手に勝ちに行くつもりでやらさせていただきます!!
ええと、誰が見たいんだ?っていうニーズは置いておかせてください!気合いだ!!
というわけで、KAKUTA結成23年の歴史上初めての公演延期ですが、今は粛々と家にこもりつつ、内側には熱い野望をたぎらせ必ずや皆様のお目にかけますことをお約束いたします。
カクタラボ第一回「明後日の方へ」乞うご期待!!!
あと勢いついでにもう一個言わせて!
マスク二枚いらないから
郵送代の60億円医療費に回してくれや!!!
それではお聴きください、「スタートライン」。
往転、ありがとうを込めて上演しています。
休演日開けの「往転」後半戦に突入したなか、日本を取り巻く状況は大きく変化しています。
このブログも、書いては状況が変わって消し、書いては消しの繰り返しです。
「往転、大変ご好評をいただいております!皆様お待ちしています!」
もともとはこんな感じのブログを書きたいな、と思っていました。
もちろん新型ウィルスにかんして劇団でできる限りの対応をしながら、誠実に、慎重にお迎えする心づもりと共にです。
大変好評をいただいて・・・なんて自分たちで言うのは恥ずかしくて、いつもなら「誰か言ってくれないかしら」とモジモジしてしまうわけですが。でも今回は、本当に胸を張っておすすめできる作品ができたと思います。
それは、スタッフキャストのたゆまぬ努力の賜物です。ええ、自分も含めてそう思います。
誠心誠意込めて作った作品を楽しんでいただき、誰かの明日への小さな活力になれたとしたら、どれほどうれしいことか。
ご観劇いただいた皆様からの、SNSやアンケート、観劇サイトを通じてのご感想にとても力をもらっています。これまではそうした口コミでお客さんが増え、公演の、劇団の命をつないでもらってきました。
でも今回は、ご好評でも、胸を張っておすすめできる作品でも、声を大にして見に来てと言えない状況です。
それどころか、今日上演しても良いだろうか、明日上演しても良いだろうかと、毎日悩み、話し合っています。
正しいか正しくないかをどの視点で見るべきかも、毎日揺れながら考えています。
昨日からまた事態がいろいろと変わり、多くのエンターテインメントのイベント、ライブ、公演が中止や延期になっています。
各イベント主催者に与える経済的な打撃はもちろん、稽古や、装置作り、チケット作りなどなど、様々な準備を重ねてそのイベントに関わってきた人たちの思いを考えると、本当にやるせない思いがします。
私たちもとても難しい判断のなかにいますが、現時点では予定通り上演しようという気持ちでいます。
ただ、これもまた状況によって変更せざるを得ない可能性もあります。
もしも明日、違う結果をお知らせすることになりましたら、ごめんなさい。
でも「往転」は本日も19時より開演します!
お越しくださる皆様におかれましては、ご自身の体調と充分にご相談いただき、無理なさらずにいらしてくださいませ。
その際、こちら→『往転』ご観劇予定の皆様へをお読みいただいて、ご協力いただけますと幸いです。
こんな時でも、見に行こうと思ってくださる方、来てくださった方、行けないけど気にかけてくださっている方。
本当にありがとうございます。
たくさんのご感想にどれほど力をいただき、励まされているかわかりません。
劇場にいらっしゃる皆さんの顔を見るだけで、ありがたさに胸がいっぱいになります。
本当に本当に、ありがとうございます。
心配や不安を抱えればきりがないですが、今は皆様への感謝だけを胸に、劇場へ向かおうと思います。
それでは、劇場にてお待ちしています!
往転雑感#2 ある男の同じ夜のはなし
稽古も終盤。毎日それこそ横に縦に転がるように稽古が進んでいきました。
行く、戻る、また行く、三歩歩いて、二歩下がる、時々五歩分ジャンプする、往転マーチ。
そんな日々のなかでキャストが執筆時のイメージを超えていく瞬間はほんとうに面白いなあ、と思います。入江さんのなんともいえないおかしみと哀愁とまた哀愁を飛び越えるおかしみに笑い、峯村さんの表情にああ、私、私もそんな顔してる、などと勝手に自分を重ね、米村君と聖ちゃんに夏のにおいにひっそりと涙し、岡さんのひたむきな優しさに救われ、長村君の一瞬の声にハッとします。
KAKUTA劇団員たちも焦ったり惑ったりしながら、けれど確実にそんな瞬間を獲得してきています。多田の声に気持ちが震えたり、森崎健康の顔にぐっとくる瞬間まであってうれしい。思いっきし外したりすることもあるけどさ。
一人ずつ書くとやらしいから今はまだ書かないけれど、ほんとに全員、日々その役の肉が厚くなり、骨が太くなり、血が通っていく感じがしています。
「往転」は、本来出会うはずもなかった、そしてある意味では出会わないまま終わる、偶然同じバスに乗り合わせた人たちのお話です。
そしてネタバレというほどのことではないですが、この舞台にはほんの一瞬しか出てこない登場人物もいます。誰も気にとめない、いわゆるモブ、エキストラ、といえばそれまでですが、本当はそんな人この世に一人もいないのだよなあ、そこにいる人の数だけドラマがあるんだよなあ、なんつうつまらないキャッチコピーのような言葉を、この作品と向き合っていると改めて何度も思い浮かべます。
だから本当に、本当に身勝手な話だとわかって書きますが、演者にはそんな一瞬の登場人物のことも愛してほしいと思ったりします。や、自分だったらできるかと言われたら、難しいですけどもね。
なので、そんなことを思いながらパンフレット用に書いて途中でボツにした原稿を載せてみます。
これは「往転」にほんの一瞬、たった一瞬だけ通り過ぎる登場人物の、同じ夜の小さなお話です。
*****往転・・・ある男の同じ夜
その男は、深夜業務の清掃アルバイトをしている。東北自動車道の小さなパーンキングエリアを端から端まで掃除するのが彼の勤めだ。
朝方にかけて台風が訪れると予報されていたその夜。長距離移動者たちがせわしなく残していった吸い殻を集めながら、彼は昨日母親としたささやかな口論について考えていた。そろそろ実家を出ると申しでた彼に母が「急がなくても良いじゃないの」といったのだ。
32歳で独身。ちっとも急いでなかったから定職もないまま実家にいるのだが。厳密には数年前まで恋人と同棲していたのだけど、いろいろと急がなかったからまた出戻って実家にいるのだが。特別な計画があって言ったことじゃないし、急がなくても良いのかな…。昨日はそれなりに固い決意で言ったつもりが、もうあやふやになってきた。
ぼやぼや考えながら回収した灰皿を片手に歩いていたら、黒い塊にぶつかった。ぶつかった拍子にコーンと空の缶ビールが落ちる。黒い塊は喪服を着た女だった。缶ビールを一本もって、じっとしていた。もう一本がコロコロとこちらへ転がってくる。
すいません。男が小さく謝って缶を拾うと、女はぎくしゃくした動きで動き出した。こちらを見ずに頭を下げ、小走りに大型車の停車場のほうへ去って行った。
残していった空き缶をくずかごに捨て、ちょうど休憩時間になったので同じ缶ビールを買った。レストランの裏にある外付けの粗末な休憩所でベンチに座り、冷たい泡が喉を通っていくのを感じながら、塊になっていた女のことを思った。
がっかりよ。
そういってるような背中。男は以前自分が塊にしてしまった女のことを思った。
がっかりよ。いつになったらちゃんとしてくれるのよ。彼女は体全部でそう言って固まって、自分はその重苦しい塊から逃げたのだった。
首筋のうしろがひやっとして頭を上げると雨が降っていた。今夜は台風になるらしい。
唐突に、このまま仕事着を脱いで帰りたくなった。
「急がなくても良いじゃないの」
でも、本当に帰りたいのはどこだろう。
休憩を終えて掃除に戻ると、ツーリング途中のバイク集団がたむろしていた。
盗んだバイクで走り出すう~、好きでもない歌を頭に流して、男は雨粒で濡れた灰皿を交換する。
往転雑感#1 往転とかいてオウテンと読みます
今までお世話になってきたパソコンにもまだまだ頑張ってもらうつもり、なのだけど、新しいパソコンの書き心地があまりによくって、何か文字を打ちたい、という衝動に駆られる。執筆時期はパソコン机に座るのすらいやな私にとって、これはひじょうにいいことです。
だから、その気持ちが熱いうちに、久しぶりにブログを書いてみようと思う。
せっかくなので、この時期は「往転」にまつわるあれやこれやを書いていこうと思う。
一回きりで飽きるかもしれないけれど。
(真面目に演出してる風の私。真面目に聞いている風の置田)
『往転』という脚本を書いたのは2011年。
去年映画が公開された『ひとよ』と同じ年で、上演も同じ頃。
いわずもがな東日本震災の年だけれど、作品にその影響が出たのは『ひとよ』のほうで、『往転』はまだ震災前。
書き上げたのは忘れもしない、1月8日だった。
何で忘れもしないかというと、忘れないぞと思っただけなのだけど、描けないまま年を越した2010年の年の瀬がともかくつらかったのだと思う。
この作品は世田谷パブリックシアターのプロデュースで依頼を受けて書き下ろしたもの。
だけど、キャストが決まっていないなかで脚本を書くのはほぼ初めての体験で、当て書きばかりしてきた私にとってはすごくむつかしい作業だった。
演出は青木豪さん。尊敬する作家が演出ということもものすごいプレッシャーだった。
はじめは、全然違うはなしを描いていた。
アルコール中毒になった兄と、愛憎混じりながら介護する弟、彼らの母親を軸にした話で、『亀とスッポンは兄弟』とか、そんなタイトルだった。
けれどこの案はいろいろあってボツになり、まったく新しい話を考えなくてはならなくなった。
ちなみにこの兄弟の話は後に『彼の地』という舞台のなかで生まれ変わり、日の目を見ることになったからこれでよかったのだと思う。
けれど新しい話と言われてもちっとも思いつかなくて、バラバラに小さなあらすじを思い浮かべては消し、そんなことの繰り返しであるときついにプロデューサー陣から呼び出しを食らった。
私に依頼してくれたプロデューサーは辛抱強く私を待ち、何度も話し合いに付き合ってくれ、ずっと味方してくれてたのだけど、上司にあたる別のプロデューサーからは冷え冷えとした声で、最終締切日を言い渡された。そこまでに描けないなら降ろされるということだ。
そして、
「これで描けなかったならあなたはきっと、描けないんですよ」
そう言われた。
体が震えた。ものすごい脅しを受けたような気分になった。
これで描けなかったら私は脚本を描けない人になるのか。
そんなわけあるかい、と今なら図太く思うだろうし、そのときだってばっきゃろーお前に決められたくないや、くらいは思ったけれど、実際に描けてなかったから、恐ろしいやら情けないやら悔しいやらで、泣きに泣いた年越し。
こんな風に人に切り捨てられるのか、という怖さとか、自分は要らない人間なのかなというさみしさとか、つまづいて立ち上がれない感覚とか、そういうものを半分やけくそに、半分はそんな自分を救うつもりで描いたのが『往転』という作品だったのかもしれない。
稽古を通して『往転』を見ていると、なんと生きるのがへたくそな、つまずきじょうずな、あちこちに擦り傷や打ち身だらけの登場人物たちだろうかと改めて思う。
こっけいで無様で痛々しい。だけども俳優さんたちの体を通すと、そんな傷や痣も笑えたり、許せたり、時々すごくまぶしく見えたり、生きるあかしなんだと思えるから不思議だ。
(オレノ君の指導によりとっても難しいことをしている峯村リエさん)
(西山聡さんの指導によりある意味難しいことをしている米村君)
こうしてたしか、死刑宣告(締め切り)ぎりぎりの年明けに書き上げた本。
もうこれでダメならダメでいいやと思って翌日パチンコに行ってたら、脚本を読んだ青木豪さんから電話が来た。慌ててパチンコ屋から出て、漏れ聞こえるチーンジャラジャラの喧噪のなかで、面白かったよ、これで行こう、と豪さんが言ってくれたあのとき。
あれが脱稿した瞬間で、1月8日なのだった。
わたしが生きながらえた記念日なのだった。
震災があって、またしても『往転』は上演中止(というか演目変更)になりかけた。
物語の舞台が福島と仙台だったから。
そんなことで、と思われるかもしれないけれど、あの当時は「はいわかりました」と素直に言ってしまったくらい、皆が敏感にならざるをえない状況だった。それでも豪さんと私に声をかけてくれたプロデューサーが闘ってくれ、二転三転あり無事、上演できたのだった。
豪さんありがとう。私の本と、「描けない死」から救ってくれた人。
(そしてそのとき闘ってくれたプロデューサーが、現在の穂の国とよはし芸術劇場PLATのプロデューサー・矢作勝義さんなのでした。
2003年に明石スタジオの桟敷席でKAKUTAの公演を見てくれたときからずっと、矢作さんは私とKAKUTAの恩人なのです。
しみじみ頭が上がらない。実る穂となって頭を垂れ芸術文化アドバイザーとして恩返ししていこうと思います。)
(表情もポーズもイラッとくる多田先輩。しかしこれも重要な役作り)
そんな道行きをたどった『往転』。
震災後の初演時はやはり、いろいろな箇所を震災のことと絡めて解釈されたけれど、今はまた違うふうに見てもらえると思います。
それでは今日はこのへんで。
チケットまだまだあるのですよ。ぜひみにきてくださいね。