追い風向かい風、からまって荒れ野の竜巻
穂の国豊橋芸術劇場PLATプロデュース「荒れ野」、終了しました。
と書くにはまだ早いような、いまだ渦巻く私のなかの竜巻よ。
とよはしは竜巻の通り道だそうですよ(プチ情報)。
音楽をかけてみたけど、BARBEE BOYSなんて流れてきた日にゃ心の嵐は余計荒ぶる一方ですよね。
「♪露わになった背中にMOONLIGHT」
「♪あいつとだとバイブレイション」
「♪目を閉じて(略)」
おい・・・バービーの歌って何でこんなに全部エロいの・・・?
いまみちともたかってどんだけワルい男なの・・・?
「負けるもんか!(KONTA)」
てことで。
気が逸れたままツラツラ書いてみます、荒れ野の話。
相変わらず、駄文、超長文、失礼します。
いつ読むのやめてもいいからさ!
【7月、チラシ撮影時。ワークショップなども兼ねて】
なにひとつ構想が浮かんでなくて、ヘラヘラしつつも内心「皆さん私のせいで爆死したらごめんなさいね」と変な開き直りで向かったこの日。
しかしこの日にやったエチュードで小林勝也さんが演じた「やたら情報通の謎のお隣さん」というキャラはそのまま「荒れ野」の勝也さんの役の雛形になった。
***
「何がしたいんだよおまえ」
今まで私、何度この言葉を浴びたろう。
その度に私、なんて答えたろう。
多分まいどまいど、聞かれる度に呆然としていた。
なにがしたいんだか、なにやっちゃってんだか、どうしてこうなったんだか
いくつになっても同じ問いかけをされて、
いくつになってもうまく答えられないのは、
なにひとつ学習しないで生きてきてしまったのかもしれないし、
その回答がコンマ何秒の速さで変わってしまうからかもしれない。
「荒れ野」では、場は動かないのに、心ばかりが無自覚に、理不尽に、身勝手に、どこまでも暴走していく心のジェットコースターストーリィをやってみたかった。
【フライヤー候補写真選出時】
荒野で風に吹かれて・・・を狙っていたけど、この時点ではまだ
「頭痛・肩こり・首筋の痛みに効く芝居」という感じ。
「荒れ野」を書いているとき私が思い浮かべていたのは、かつて色々な場面で、尊敬する年上の女性たちが話してくれた恋バナ(?)だった。
「ある日、遅くに帰ってきたら夫が私をベッドまで運んで行って寝かせてくれたの。胸まで布団を掛けてくれて、優しい言葉をかけてくれて。優しいな、ありがとうって目を閉じたのに、何故か私その瞬間こう思ったの。「つまんない人生」って」
それで離婚したのよ、とその方は続けた。
【女優陣からも色々な恋バナを聞いたなあ】
またあるとき、別の方がこんなことを話してくれた。
「離婚して夫のいない部屋に戻るとね、部屋の中が少し寒くなっているの。気持ちがどうこうじゃないの。人がひとりいないことで、物理的に部屋の温度が下がるのよ。ああ、別れるって、ひとりぶんの温度が下がることだって思ったの」
【初顔合わせ、本読み】
「さあ、刺すなら刺せ!殺すならいっそひと思いにヤッテクレ」という気持ちの、悲壮感溢れる私の背中。誰の目もろくすっぽ見れず。皆の反応に生きながらえる。
30代の終わり、恋人と別れて疲弊していた私に、ある女優さんは笑って言った。
「もう一生恋愛できないかもって?あなた何歳?バカいわないで。まっだまだあるわよ、ものっすごい激しい恋愛だってするし、もう、ビックリするようなことが起こるんだから!」
【平田満さん誕生日!】
どれも取材なんて形じゃなく、公演中の楽屋や電車の中、他愛ないお喋りの間に聞いたこと。
彼女たちの話は全て、私には未知の領域。
だけど不思議と「わかる気がする」と思った。
こういう「わかる」は年齢や経験によるものではないのかも知れない。女ならば共通の、本能に近い「わかる」があるのかもしれない。
そんな感覚に勇気をもらって、「荒れ野」を書いた。私には未知の世代の、未知なる女性たちの話だけれど、「わかる気がする」をたぐり寄せるようにして、書いた。
【稽古序盤、ある日の稽古風景】
雑遊では袖中で演じられ見えなかったシーン。さてどこでしょう。
よく聞くとケンちゃん(中尾諭介)の鍋の運び方にだめ出ししている。
何日、何週間、あるいは何ヶ月も、この作品のことを思って描くわけだから、書き上がった後はある程度、舞台のビジュアルは見えているし、この作品に対する自分なりの答えみたいなものも見えている。たいていの場合は。
だけど今回はどこに着地するかもわからず書き始め、脱稿した後も、向かう先は曲がりくねっていて、何度も迷い、引き返した。
【豊橋入り】後に化けの皮が剥がれていく愉快なスタッフの皆さん
↑剥がれ後(千穐楽)
作品について、こんなに俳優さんたちと話しあったのも初めてだったかもしれない。
どう説明すれば良いか、と悩むこともたびたび。
結局のところ板の上で立ち上がってくるものが全てだから、やってみなくちゃわからないんだけれども、そうして一緒に悩むという課程そのものが宝物になった。
つくづく、演出家と俳優は対等でなくちゃいけないなと感じる。
作家や演出家が正解を持ってるわけじゃないよね。
俳優さんたちから教わったこともたくさん、たくさんあった。
【豊橋初日、武豊から来てくれた仲間たち】
最後の一週間は豊橋で稽古した。
もちろん、いつもより早く舞台装置の上で稽古することができ、照明や音響もしっかりある中で稽古できることの有り難みは言わずもがなだけど、正直なところ、わざわざ滞在して稽古することの意味というのが最初はよくわかっていなかった。
でも、私にとっては「逃げられない」ってことが良かったのかもしれない。
この芝居から、あの世界から、ずっと逃げられない。離れられない。
から、潜るしかない。ふかく。
【公演中日】
年上の友と飲む。あまりに月が綺麗でパシャリした、満月前夜。
このあと起きた波乱は月のせいということにしよう。
↑波乱後(泥酔。演出助手と女優にコインランドリーで捕獲され)
戯曲を離れた稽古もたびたび。心を消耗して行き止まることもしばしば。
でも、色々にそれた脇道で拾い集めたものが、後になってじわりと光り出す。
同じ場所で寝起きし、同じ町の朝と夜を過ごして、
行き詰まるときも前進するときも一緒にいる。
壁を越えたなっていうときがお互いにわかるのは嬉しかった。
【豊橋最後の日はやっぱりカレーうどん】
カレーうどんの下に麦飯が入ってるの、みんな知ってる?
豊橋の地からはじまり、北九州へ。
北九州に「帰ってきたなあ」と思ってしまうのは図々しいかしら。
だけど、逢いたい人がたくさんいる場所で、逢いたい人たちに会えたら、
間違いなく羽が5cmくらい伸びていた。
しかし、そんな「逢いたいひ、と」という副題をつけた来年2月の公演、
「彼の地Ⅱ」へのプレッシャーもしっかり受け取って帰りました。
【小倉からの帰り道】
三週間東京を離れ、
長い旅路が終わってあたしはやたらセンチメンタル
そして東京は「Space雑遊」へ。
徐々に客席との距離も近くなり、箱が変わるごとに密度が変わる。
とうぜん、芝居も変わる・・・と覚悟してたけど、
いったん今年で幕を閉じることになった雑遊での公演は、
ちょっとまた、特別な力みたいなものが、あったかもしれない。
【連日満員御礼!】
加奈子さんの色気を私もいつか獲得するときがくるだろうか。いや、ないであろう。(反語)
私にとっては初めましての雑遊。
平田&井上夫妻にとっては、こけら落としからずっとともに歩んだ雑遊。
雑遊に入って、サイズ感の変化に愕然としている私とは逆に、
二人の目には生き生きとしたなにかが宿るのを感じた。
それは多分、この場所を愛しているということ。
劇場は、愛せば魂が宿るのね。
【喫煙所お馴染みの面々】
と、マドンナ増子さん。
恋愛の名言(暴言)をクリティカルにぶち込むうつくしい人よ。
悩んで悩んで迷ってを最後までたたかって
でもずっと全部面白がっていて
日を重ねるごとに劇場が熱を持っていって
千穐楽まで新しい発見が尽きなかった。
こういう時間には感謝しかないです、本当に。
連日の満員御礼は、20代の私に見せてあげたかった。
もちろん、小屋が小さいからではあるけれど
この少ない客席を埋めるのにあの頃の私たちがどれほど苦労したか
本番前、楽屋から劇場前の通りに出て、あともう一人、せめてあと一人と
願いながらお客さんを待ったわたしに、見せてあげたい。
たとえばひとつの恋愛が終わって、次の恋愛に進んだとき。
昔は、しなびた草に水が注がれ、心の中の草っぱらに再び青々とした緑が萌ゆる様な思いがしたものだった。
恋愛に限らず、人生のあれこれというものは、時に枯れ、しなびることがあっても、やがてまた新しい芽が吹いて、花が咲き、そうして常に循環していくのだと思っていた。
でも、あるとき、自分の中に「ここだけ何も生えてこないな」というスペースがあることに気がついた。
他の場所が青々と茂っても、心の隅の、ある一角だけは禿げている。何度も掘り起こしたり、栄養を与えようとしたけれど、何も芽吹かず、その理由もわからず、何かを生み出すことを放置した場所。
なんじゃこれ、どうすんじゃこれ。
このままでええんかいこれ。
柵で囲って立ち入り禁止にしたまま、放置された、禿げっぱなしの荒野。
ま、いいや・・・
この年になりゃそういう場所もできるでしょうよと思って、漠々と放置していたけれど、あえて踏み込んでみたらどうなのかしら。
泣くの歩くの死んじゃうの
そんな作業が「荒れ野」という作品になった気がする。
書いてるときは自覚してなかったけど、形になったのち、そう思いました。
キャスト、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
アル☆カンパニーさん、とよはしプラットさん、プリエールさん、
ほんとうにありがとうございました。
このカンパニーのスタッフが大好きです。
キャストの皆さんについては、ちょっとまだ言葉にしたくないくらいに
とにかくほんとうに、ほんとうに
この年になって、初めての経験を、たくさんたくさんもらって。
この年だから知ることができたこともたくさん。
歳を取るのも悪くないやね。
大人は、もらいっぱなしではいけない。
なにか、どこかで、またお返しさせてください。
面倒くさい、傷つくのが怖い、損なうのが怖い、失うのが怖い
でも何かを見つけることもあるかも
またなにかが生まれるのかも ここから
覗き込んで、観測してはじめて結果が生まれる
「シュレディンガーの猫」の箱を開けに。
そしたらね
泣いたよ歩いたよ死ななかったよ
風が吹いていたよ水が流れていたよ
追い風に吹かれたよ 向かい風にもまれたよ
竜巻に巻かれたよ ぐちゃぐちゃしたよ
まだまだ道はなく荒れ果てていたよ でも
小さな花も咲いてたよ
だからあたしは そこに
小さな家でも建てようか
7月のこまごま。
若狭勝也クン(42さい)☆
こんにちは。
ブログをサボっていたら、遠くにいてなかなか逢えない友人から「どうかしたの?大丈夫?!」ととても心配されたので、生存証明として書いております。
お久しぶりです。皆さん、お元気ですか。
ワタクシ、今日も今日とて元気にしております。いや、ほんとは7月、風邪をひいたりやんだりまたぶりかえしたりでしたけど。
しかし俺節の賑やかな日々に比べると、だいぶ大人しく過ごしておりますゆえ、ブログに書こうと思うことはあれこれありつつも、ついつい流れていってしまいました。
というわけで今回は7月の備忘録をば。
7月某日
KAKUTAがお世話になっているせたがやFMさんのところへ団長の代わりにラジオ収録へ。
帰りはKAKUTA女史たちと久し振りに飲んであれこれ語らった。
ええ、KAKUTAは今、ちょっとお休みをいただいてるんです。
それぞれに外の活動をして修行中なのですが、私もほんとに久々に、いやもしかしたら演劇を始めてから初の「ひとり」を意識したこの半年は、思った以上に心細く、しかし思った以上に学ぶことも多く、改めて劇団のことについて考える良い時間になっていると思います。
上のぎゃるずもみんな頑張っておる。
何か新しいお知らせが決まったら皆さんにお伝えしますね。
某日。
いよいよ秋の公演、アルカンパニー「荒れ野」が始動しました。
ご一緒する心強い女優たち。
フライヤーも作成中、ちょっとしたワークショップをしたりして、個性の強いキャスト陣にわくわくしたりぶるぶるしたりしつつ、こっからはひたすら執筆の日々です。私、正直言って、執筆、ということを頭に浮かべるだけでビビってしまうくらい臆病者なんですけども、「俺節」をやってからというもの、端々で劇中の台詞たちに背中を押されるような想いがあるんですね。
今は、こんな気分。
「行く道行くしかねえべさ!」
さて。7月19日。
そんななか、41ちゃいになったりもし。
ぱっ!
ぱっ!じゃないよ。
おいおいおい、もういい年だよ・・・!!41だってさ!!!
私、30代の初めに視てもらった霊感透視できるお坊様に、「32才から収入が増え始める。あなた使っちゃうからなかなか貯まらないけど、本当に稼ぎ出すのは42才から」と言われて、ずっと信じてきたんですよ。
実際、32才くらいからちょっとずつ収入も増えた気がするし。
だから、この一年。しっかり種まいて、来るバラ・インフレに向けて頑張ります。
今年は舞台を挟んでないから静かな誕生日だったけれど、オットや親友たちがお祝いしてくれて、しみじみと嬉しかった。
そしてまた某日。
福岡に行ってきました。
なんとまあ、九州戯曲賞の、審査員なるものをしてきたのです。
戯曲賞大賞受賞のモリシンくん。(うちの若狭に似てると評判)
モリシンは「彼の地」で大変お世話になった劇団「イスと校舎」の座長です。
仲良しだし、私が参加する戯曲賞でモリシンが受賞したら、ひいき目だと思われるんじゃ・・と、多分私もモリシンも慎重になっていましたが、案外私は別の方を推したりして、とっても正当に、大賞に選ばれました。
おめでとうモリシン!!!
しかしアレ、まだまだ自分も批評される身であるのに、審査員なんてほんとにおこがましいなと思いましたが、戯曲を読む、という作業は純粋に面白いものでした。そういえば、出演や演出を前提にせず、自分以外の方の色々なジャンルの戯曲をただ読む、ということ、しばらくしていなかったかもしれない・・・。
審査会で他の審査員の方々の見解を聞くのも面白かったし、皆さんの意見を聞きながら、他人の戯曲をこんなに熱く応援したり、良いところを探したりしてくれるものなんだなあと、私が励まされました。
私自身勉強になって、とってもお得な会でございました。なかじまかずきさんと久々にゆっくり語らえたのも、嬉しかったな。
今月の観劇その1。
若狭君が出演してると言うことでやっと初・ボクラ団義。
親心みたいな気持ちで思わず買ってしまった若狭君のブロマイド。
順調に持てあましてます☆
それにしても劇団員にサインしてもらったの初めてで、なんか嬉しかった。
若狭君は40代と思えない若々しさでした。
若い。君は充分いけている。
だからツイッターに載せる写真にビューティー加工なんかするなああっ・・・!
タイムリープもの、だったわけですが、「BTTF」が好きな若狭君嬉しかったろうなあと思ったり。私も好きなので、この布石は最後にどこへ繋がるのか?とか、あの謎は回収されるのか?とあれこれ考えながら見ました。
おっ!なるほど!とうなる瞬間があると観てて楽しい。
しかしこういうSF(すこし・ふしぎ)のつじつまってどこまで説明すべきなのか難しいですよね。映像だと特殊効果で語らずとも見せちゃえる部分があるけど、舞台だと実際にその場で起きていることしか見せられないわけで、説明しすぎてもヤボだし、多少強引にでも持ってっちゃえばいいのかなと思いつつ、説明が足りないとツッコむお客さんもいるのだろうしな・・・とか。
いつかやってみたいなあ。
観劇その2。
すみだパークスタジオ倉で「怪談・牡丹灯籠」を見ました。
無茶苦茶シンプルながら想像を存分にかき立てられる舞台の仕掛けがすばらしい。
演出の森新太郎さんが「いつかこの作品を自分がやるなら、舞台に「闇」を作りたかった」というようなことをパンフレットに書いていらしたけれど、本当に、深い闇の中にポツポツと浮かぶ灯籠が恐ろしくて、されど情緒があり。
湿った暗闇、乾いた暗闇。色とりどりの闇。そこから見え隠れする俳優さんたちの凄味に加え、戯曲と演出の妙、その日突然の大雨に降られてびっちゃり濡れたまま劇場に入ったことも手伝い、もうブルブルしちゃって、すっかり身体が冷え切りました。
ということで・・・
納・涼・大・成・功
翌日ちょっと風邪を引きました。
完全に我が家のテラスに住み始めたご一家。
冷感シートを敷いたら早速寝てくれてシメシメ。
そんでそんで、某日。
約ひと月の間を置いて、「俺節」のみんなで集まれました。
大阪終了後はゆっくり飲むことも出来なかったしと、プロデューサーの暖かな心意気。今はそれぞれに別の現場で頑張ってて、その間に引っ越した人、太った人、痩せた人、みんなちょっとずつ変わってた。私はまともな格好をしていっただけでオキナワに「おっ、ついに女を出してきたか」といわれたけど、私・・・ずっと女出してたつもりだったよ・・・?一幕なんか、ほとんど下着姿だったのにな・・・?
コージはあまりに変わりすぎてたので、「誰だ!」「俺や!」というやりとりを10ぺんくらいした。みんなには「アルフィーの方ですか」といじられていた。しかしとにかく目の前でもりもり食べてるのを見て嬉しかったなあ。
しょうこさんは松本で本番中なので来られず、代わりに動画を送ってくれた。ピエロの格好で皿を回してた。
そのお礼とお誕生日のお祝いに、みんなで動画を撮ってしょうこさんに送ったのだけど、その動画、何度見かえしても嬉しくなる。
何だろうこの気持ち・・・。
その答えは、二次会に消えていった面々がドヤ街ラインに送ってくれた写真の中にありました。写真の中で、我らが酔いどれ天使のえみちゃんの酔いどれたほっぺにはマジックで「す・き」の二文字。
そうよ!それなのよ!
私の頬にも、見えないマジックペンで同じ言葉が書いてあったはずです。
SU・KI・!!!
ボンヤリしてるとアッという間に夏が過ぎていってしまう。
来月は今月以上に引きこもる日々になるだろうけど、また書くことが溜まったら、友人に心配されない程度に、書き込みに参りますね。
夏風邪にご注意!!!
1!2!3!俺節ブシブシブシャァァァ!!!
ツッパリのヨシコ❤
ガラッパチのバタコ❤
デッパリのカンコ❤
あたしたち、仲良し三人組☆
今日も、オシャレしてプラギャラのライブに行ってき・・・
えっ
終わっちゃったの?ライブ。
てか終わっちゃったの?俺節。
・
・
・
アイーン!!!
(それでもゴキゲン三人組)
アイーンしてるときではなかった。
ついについに、「俺節」の幕が下りてしまいました。
ご来場いただいた皆さん、本当に、本当にありがとうございました。
全34ステージ、どれをとっても同じ回などひとつとしてなく、毎日毎日、挑戦と発見の日々でございました。
1ステージ3時間半、2ステの日は7時間走り回ってるわけですから、そりゃ体力はめちゃめちゃ使いましたが、キャストのみんながお互いに「自分よりもっと疲れてるはず」と思っていたので、ねぎらいあって舞台に立っていました。
おかげさまで、大きな怪我もなく、みんな元気でやり抜けることが出来ました。
大千穐楽のカーテンコールは、金銀の花吹雪が舞って・・・綺麗だったなあ。
愉快な女楽屋のめんめん。この写真の中に実は、6人います。
左から、ヨウコ、のえみちゃん、しょうこさん、バタコ、深澤チーちゃん、そして、チーちゃんのお乳(←6にんめ)。
チーちゃんのお乳はあまりにも存在感がある感じで楽屋に君臨しておったので「おちち師匠」と呼ばれ別人格化されていた。
ほとんどのキャストが一人何役もやった今回。男子たちは一人10役くらいある人もいたな。
わたしは、四役。
ストリッパー・エドゥアルダと、
ワニに噛まれた女と、
現役不良女子高生ヨシコ(@プラギャラファン)と、
コージの歌唱指導・才原をやりました。←(誰)
才原・・・よく考えてみたら・・・パンフにクレジットされてる名字を劇中で一度も言ってなかった・・・。
(※後記※あっ、よく考えてみたらいくよちゃんやいぬいさんに何度か言われてたわ)
トレンディラブを夢見る女、才原ナホ(菜穂)先生。
ナホ先生はコージを指導しつつも、
1/これでいてシティ・ガール☆
2/いつだってMK5(マジで・恋する・5秒前)
3/よしんばコージにちょっと触っときたい(大人の下心)
この三原則でもって生きるときめきトゥナイト先生でしたけれども、夢中でおどけてるうちにいつのまにか恋を逃す、なんちゅうか、私の学生時代を彷彿とさせるセツナイ人でしたね。
(顔の大きさがテレサと違いすぎるよ、ナホ先生)
あるとき舞台を観に来てくれた友人が、「ナホ先生はきっと、安田君を好きな女の子たちみんなの代表だね!」といわれて、ふおお・・・!そうか!と。
ナホ先生への応援のお手紙もたくさんいただいて、ほんとに嬉しかったです。そして、ああ、みんな、同じ気持ちなのね、みたいな感じで、なんだか心強かったです。
コージ君好きのみんな・・・っ涙
なほちんと女子会、SIYO!!!
ギターの整備をしてくれていたカツモリちゃんが描いてくれたワタクシ。ストリッパーのエドゥアルダ。
え?
似てないって?
かわいすぎる?実物より美しすぎるって?
おい君。
そんな物事の事実を追って、
どうするのかね?涙
***
どの役も、ほんとに愛すべき役でした。
演出家がどんなに一瞬の役でも愛してくれたからですね。
ナホ先生の役作りの時、福原さんが「コージとは結果的に何も起きないけど、えっ、何か起きるんじゃないか?と思わせたい」と言ってくれてなかったら、才原は単に「若い男の子好きの先生」で終わってたかもしれない。
(公演中じょじょに肥えていった松本亮とエドゥアルダ)
公演中、座長が何度も何度も「最高のカンパニー」と言ってくれましたけれども。座長が信じてくれていると、カンパニーは自然とそうなっていくのでしょうかね。
仲がいい座組っていうのはそう珍しいことじゃないんですが、私が今回の俺節チームをほんとにいいなあっておもったのは、それぞれのキャストが、出番を待機する間も舞台袖でモニターを見ては、「今日も声でてるなあ!」「ここほんと面白いよね」「徳マックス先輩サイコー」などと言い合っていて、舞台上のキャストを応援してたことでした。
日替わりのギャグに舞台袖の一同が笑ったりずっこけたり。
舞台監督さんも思わず声出して笑ってた。
俳優って自分のことしか見えなくなっちゃう瞬間、いっぱいありますからね。
互いに興味を持つことを失わずにいられるって、実はそう簡単じゃ無いと思うんです。そこがとても素敵だと思った。
忘れられないのは、いつだったか東京公演の頃。
本番に限らずハードな日々をすごしているのに、毎回全部出し切って芝居をする座長の体力がもつのだろうかと勝手に心配していたある2ステ回の終わり。
無事にカーテンコールの幕がしまったあと、こりゃあどうしてもやりきった座長を労わずにいられねえという衝動で近づいたら、ほぼ同時に他の全員のキャストが座長のもとにわっと集まっていったことでした。
みんなして、なんでかわからないけどイエーイっていって座長の肩や頭や背中に触れて、手を叩いて。座長は皆にもみくちゃにされながら「みんな良いことあんでえ(ラッキーアイテムみたいに皆が触っていくから)」とかなんとか言ってましたが、あたしゃあその光景に思わずウルッときてしまいましたよ。
全員、祈るような気持ちで舞台のコージを見守っていたのだなあと。
演出の福ちゃんはもちろん、キャスト、スタッフさんたち、そしてプロデューサーの方々も。
その終演後、座長が珍しく私たちの楽屋の前をウロウロしているなあと思ったら、キャストの一人一人に「今日はありがとう」と伝えに来ていた。
私こそありがとう、という言葉が、自然にこぼれました。
***
「One for All, All for one」
ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために。
徳マックス先輩(皆に激愛される西岡徳馬さん)が、打ち上げのとき、私たちに言ってくれた。
ほんとうにそう。素晴らしい演劇は、そうでしか生まれないのかもしれません。
(荷ほどき中。大阪に行きたかった?猫)
「俺節」が終わり、テレビをつけたらば座長がいました。
「ドヤ街」と名付けられたライングループでは、みんながあちこちでテレビを見ているスクショと共に「座長!」「座長ーーっ!」と呼びかけて賑わっている。
ほんのりと寂しいけれど、これからは年末のジャニーズカウントダウンも今までとは違う想いで見ることになるのだろうなと思うと、愉しみでもあります。
俺節のみんなありがとう!
この世界に必死になってしがみついていれば、いつかきっとまた、その線がまじわるときが、くるさ。
大阪はいつのまにか第二の故郷なのだった。
大阪に来ておりますよ。言わずもがなですね。