33歳で肺がんになった関西サラリーマンの闘病記 -4ページ目

2006年12月~2007年3月の4ヶ月間の抗がん剤&副作用結果

2006年12月~2007年3月の4ヶ月間抗がん剤を投与した。
やはり、副作用があってつらかったもうやだ~(悲しい顔)
副作用は、個人差があるみたいです。
でも、完治したい一心で苦しみに耐えたんだ。


<僕の肺がんで使用した抗がん剤>
・パラプラチン
・パクリタキセル(タキソール)

1ヶ月の点滴内容は、こんな感じでこれが4回繰り返された。

    パラプラチン パクリタキセル    
1週目   ○       ○
2週目   -       ○
3週目   -       ○
4週目   -       -(休み) 

<僕の場合の副作用>
1.吐き気⇒点滴後2、3日後にダウン、嘔吐、グルメ番組が見れない

2.脱毛⇒点滴開始後、3週間後から髪が落ちてきた
     ⇒髪が抜けるまでに髪を短く切って、かつらも用意してOK

3.しびれ⇒両足の指先にしびれが発生
      ⇒半年後くらいから徐々に直ってきた


やはり、吐き気&嘔吐が一番いやだった。


今の医学でいい吐き気を抑える薬はないのか!!!

人生初の抗がん剤治療がはじまった

2006年12月14日、ついに抗がん剤治療が始まった。

午前中に血液の状態に問題ないことを確認。

問題なければ、午後から抗がん剤投与。

俺の場合、1回の肺がんの抗がん剤投与は約4時間程度かかる。

抗がん剤を点滴されたあとは、実家に帰ってぐったりしてしまう。

そんで翌日と翌々日は洗面器に吐いてしまう!!

吐くのも結構体力がいるのがよく分かる。

また、仕事をしてるので、一番気になる脱毛だが看護婦さんに

紹介してもらって、人生初のカツラ(ウィッグ)を買うことにした。


30万円かかったが、まあ数年は使えるだろうから安いもんだろう。

肺がんでも、前向きに頑張らないとね手(チョキ)

肺がん手術後の第1回抗がん剤は・・・

肺がん手術が2006年11月29日。退院は2006年12月10日。

がんの再発をさせないためにも早めに抗がん剤治療をしたほうが

いいと主治医がいう。

本当に抗がん剤って効果があるのか?と思いながらも

12月14日から月3回×4ヶ月間抗がん剤治療をすることにした。

俺の場合は、仕事もあってパラプラチン、タキソール

2種類の抗がん剤を投与することにした。

吐き気などの副作用があるらしく、不安だった。

それ以上に自分の髪が抜けてしまう現実は受け入れがたかったふらふら

肺がんでの抗がん剤治療はつらい

抗がん剤を点滴する日は仕事を休む。 徐々に有給がなくなってくる。

頭では「肺がん再発を防ぐためにがんばるぞーっ」て思うのだが、


翌日からの吐き気で嫌になる。しょぼん


でも4ヶ月の辛抱だから がまん、がまん と言い聞かせてた。


抗がん剤を使うと、赤血球や白血球が少なくなって、ウイルスにも弱くなるのでマスクがかかせない。


あと、抗がん剤を使い始めてから2週間後に髪の毛が抜けてくるのだった。


治療が終わったら、いっぱい旅行したり、親孝行しよう と考える日々だった。

つらい抗がん剤&嘔吐

5時間の手術は無事終わって、肺の中葉を失ってしまったしょぼん


それから、4ヶ月間の抗がん剤投与が始まった。


抗がん剤は1ヶ月のうち3回投与する。点滴と同じだ。


2種類の抗がん剤を、腕の静脈にさした針から注入する。


終わった後が大変なんだ!!


抗がん剤を投与した翌日から嘔吐してごはんをたべることも厳しかった。

ついに人生初手術完了!!

前回からの続き。


29日 9:00 右腕に筋肉注射を打たれ、全身麻酔を打たれてから手術終了までまったく意識がない。


麻酔が聞いたあと、尿道にチューブを挿入するため、T字帯っていうガーゼのふんどしをあそこに巻く。


手術時間は、5時間!!


予想より長かったらしい。


意識が戻ったのは病室の集中管理室だった。


ここで看護婦さんに1日24時間看護してもらうのだ。


両親、妹がベッドの周りから声をかける。泣きそうだった!!ううっ...


まさに病人になった気分だった。くやしかった!!泣


はやく元気になりたいって思ったけど、さすがに体力は


消耗していて力も入らない。



尿道にチューブ、酸素マスク、肺の近くに入れられた体内液排出チューブが体につけられ身動きが取れない。


ここから肺がん手術後のつらい1週間がはじまるのだった。。。。ガクリ


筑紫さん、肺がん克服してください!

ついに人生初の手術がはじまった!!!



前回からの続き。


ついに入院当日27日がやってきた。


もちろん上司には病名を告げ、1ヶ月程度会社を休むことをお願いした。


周りは高齢化社会を絵にしたように入院が長いおじいさん、おばあさんが多いようだ。


27日に入院すると、さっそく手術に耐えられる体力があるか検査が始まり、


肺の呼吸量検査や血圧測定とかをやって「正常」っていう結果をもらった。


それと、主治医から平行して手術内容の説明があった。


人間の肺は、右に3個、左に2個の葉っぱに分かれているらしい。


右は「上葉、中葉、下葉」 左は「上葉、下葉」と呼ぶらしい。


今回は、右の肺の「中葉」を全部切除して取ってしまうことになった。


自分の体から一部が切られて失ってしまうことは精神的にもすごくショックで泣いてしまった。泣


あと、手術の影響でしばらく声が出なくなるかもしれない!!ことが

分かって、さらにブルーになった。ううっ...


手術は29日の朝9:30~。


どうなるんだろう。すごい不安だ。


手術してるときに肺から出血して血圧が下がって

死んじゃうことだってありえるんだから。。。


つづく。

なんと人生初の入院と手術が・・・・



前回からのつづき。


がんには進行度があって、Ⅰ~Ⅳ段階があるらしい。


Ⅰが早期のがんで、Ⅳが一番がんが進行している状態なんだって。


主治医「あなたの進行度は、Ⅲになります。手術しましょう。」


(手術ー!入院も人生初だし、手術なんてもちろん初。


いやだーーーー!!)


主治医 「27日に入院してもらって29日に手術したいと思います。



主治医 「手術までに、これらの同意書を記入していただく必要があります。」


主治医から一通り、事務的に同意書に書かれた手術のリスク、つまり、”もちろん死ぬこともあるし


手術後副作用がでることもある”ことが説明された。


両親と相談して父に同意書へのサイン、印をお願いした。


そして、入院に必要な荷造りが始まったのだった。。。


(どうなるんだろう。すごい不安だ叫び


仕事は?結婚は?将来はーーー?)


つづく。



精密検査の結果は予想もしなかった結果だった。


前回からのつづき。


ついに、両親と一緒に精密検査の結果を聞く日が来た。


病院の別部屋に通されて両親と椅子に座る。


主治医が立ったまま、CT結果を横にならべて説明を始めた。


主治医 「これが心臓で、これが肺の血管です。・・・・」


主治医 「うーん、あまりよろしくないですなあ。」


主治医が結論を言う。

主治医 「若い方ではめずらしい”肺がん”です」泣


(えー、なんで。自分がそんな病気になっちゃうんだーーー!!


原因は何?いつまで生きられるんだ!!!


生まれて初めて「死」っていう言葉が現実となって


頭のなかにめぐりだして、もう頭が真っ白になった。


ほとんど何も耳に入らない。。。。)


がんには、外科療法(手術)、化学療法(抗がん剤)、放射線療法(放射線照射)があるらしく。。。。。。


どうなるんだーーーーー!


つづく。

主治医との問診「ご家族の方呼んでください」ってなんで!


前回からのつづき。

この話は全部ノンフィクションです。


肺の細胞を検査機関に送って、ついに結果が出た。


主治医との問診で「あんまりよろしくないですなあ、ご両親を呼んでください」


がーーーーーん! ムンクの叫び

(心の中で、「なんで両親呼ぶ必要があるんだ!?」)

(心の中で、「何も悪いことしてないよー」)


「両親は仕事してるので、次の土曜ってことでお願いします。」


頭真っ白。


その日に両親に電話して次の土曜のアポを取って


その夜は終わっていったのだった。。。。


つづく。