滝口悠生の芥川賞受賞作「死んでいない者」を読んだ! | とんとん・にっき

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滝口悠生の芥川賞受賞作「死んでいない者」を読みました。僕の場合、10日に本屋で芥川賞受賞作と選評が載っている「文芸春秋」を購入し、読むことが恒例になっています。同時に芥川賞を受賞した本谷有希子の「異類婚姻譚」(2016年1月20日第1刷発行)は、単行本を求めて一足早く読み終わりました。


僕の場合、最近では親類縁者のお通夜や葬儀に出ることが、ほとんどなくなっていることに気が付きます。たしかにお通夜などで大勢の人が出てくると、誰が誰だかわからないことに出くわします。またそういう席で、普段交流が途絶えている人のうわさ話が出ることもまたよくあることです。必ず事情通の人がいて、場を取り仕切ったりもします。子どもの話題になることも多く、いつの間にか大きくなっているのも関わらず、小さい頃のエピソードを持ち出されて困惑したりもします。死者そっちのけで、酒を酌み交わして盛り上がったりもします。


斎場で通夜の準備が進むころには、その人を故人と呼び、また他人からその人が故人と呼ばれることに、誰も彼も慣れていた。人は誰でも死ぬのだから自分もいつかは死ぬし、次の葬式はあの人か、それともこちらのこの人かと、まさか口にはしないけれども、そう考えるのをとめられない。むしろそうやってお互いにお互いの死をゆるやかに思い合っている連帯感が、今日この時の空気をわずかばかり穏やかなものにして、みんなちょっと気持ちが明るくなっているようにも思えるのだ。


「死んでいない者」は上のように始まります。選評で、村上龍は「死んでいない者」は、「作者の視点・語り手の所在」を曖昧にして、多くの登場人物の言動や記憶を、おそらく意図して、並列的に描くことで成立している、という。それにしても故人にかかわりのあるたくさんの人たちが次から次へと出てきます。


孫は全部で10人いる。いちばん年長が寛だ。死んでなければ36になるのか。その弟の崇志は葬儀に来ているが、末弟の正仁は鹿児島にいて今日は来ていない。崇志が32、正仁は30になったかならないかだ。春寿たちを乗せて風呂に行った紗重は28で、故人と同じ敷地で暮らしていたにもかかわらず葬式にきていない美之は27だ。美之の妹知花は17だから兄妹の間に10歳の差があり、ここがそのまま孫連中の世代をふたつにわける谷間ともなっている。即ち寛から美之までの5人が成人している年長組で、未成年の年少組は17歳の知花と英太を頭に、英太の妹陽子が15、森夜が14、海朝が13と続く。いちばん下の海朝は、寛の長男と同い年で、浩輝の弟の涼太は12歳で、紗重の息子の秀斗は3歳で、浩輝と涼太とははとこ同士ということになる。

誰が誰だか全然わかんねえよ、とはっちゃんに言われ、保雄は笑う。はっちゃんにわかるのは、故人の子どもまでで、孫は誰が誰だかわからない。で、年齢で分けるとそうやって上の世代、下の世代に分かれんだけどさ、もうひとつの分け方としてはまともな奴とまともでない奴というのがあるんだよ、と保雄は言った。はっちゃんはさ、親父と同い年なんだっけ。そうだよ。幼馴染だよ。じゃあ85ぉか。うん、今年6になる。


ホールの椅子に腰かけたままでいたはっちゃんは、いつかまだ若かった頃、故人とふたりで出かけた旅を思い出します。電車で、ふたり、あんなに遠くまで行くなんて、そんな旅行はあの時きりだったと思う。小川洋子は、「どんな出来事も、目に映ったままをただ見るばかりで、余計なことは何も付け加えない。こうした語り手の一貫した態度が、思い出せない、理由がない、説明できない、という否定の形でしか表現できない欠落に生々しい手ざわりを与えている」として、はっちゃんと故人が一緒に旅行した思い出をよみがえらせる場面を挙げています。「理由も経緯も忘れ去られたあと、幽霊のように歩いている二人の姿だけがあぶり出される。記憶していることより、忘れてしまったことの方がより鮮明な重みを持つ」と。


「死んでいない者」のなかには他にも、印象的なシーンがいくつかあります。例えば、美之と妹の知花の不思議な交流です。横浜の家で美之と知花が二人だけでいるとき。その目が合った一瞬、ふたりの呼吸がぴったりと同調したのか、奇妙な、しかし確信に満ちた兄と妹の一体感というか合一感に襲われます。美之は中学時代、学校には全く行っていません。難しい子ども、と周りから言われていました。美之が高校を出て、横浜の自宅から母の実家である埼玉の田舎の祖父の家に移り住みます。プレハブ小屋を寝起きができるように改造したもので、8年間祖父と暮らしていて、もっとも近くにいました。両親との関係をうまく結べない兄が、知花だけに愛着を感じる肉親であるという自負があります。


他にも、行方不明である浩輝と涼太の父親である寛のことや、紗重の夫であるダニエルの温泉行くなど、エピソード満載です。またハッとする描写やチャーミングなフレーズがいくつもあり、「地図を見ることは記憶を殺すこと」とか、ちびっこのおちんちんを「プリッと張った魚の心臓」にたとえたりとか、と山田詠美は選評で取り上げています。


奥泉光は、選評の中で以下のように述べています。「死んでいない者」は、かたりの作りに企みのある作品で、自在なかたりの構成が小説世界に時空間の広がりを与えることに成功している。・・・総じては手法はうまく生かされ、死者も生者も、老人も子供も、人間も事物も等しく存在の輪郭を与えられ、不思議な抒情性のなかで、それぞれが確固たる手ざわりを伝えてくる。傑作と呼んでよいと思います。

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