鹿島田真希の「冥土めぐり」を読んだ! | とんとん・にっき

鹿島田真希の「冥土めぐり」を読んだ!

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鹿島田真希の「冥土めぐり」を読みました。「冥土めぐり」(河出書房新社:2012年7月30日初版発行)は、表題作「冥土めぐり」と「99の接吻」の2作品からなっていますが、ここでは「冥土めぐり」だけを取り上げます。「冥土めぐり」はページ数で80ページほどの短編作品です。「冥土めぐり」 は、河出書房新社の発行する文芸誌「文藝」の2012年春季号に掲載され、先日発表された第147回芥川龍之介賞の候補作にも挙げられた作品です。7月7日に発売されると聞いたので、アマゾンで事前に予約しておいたものです。


鹿島田真希は、1976年東京生まれ、白百合女子大学卒業。大学ではフランス文学を学び、フランス文学の影響を受けた前衛的な作品を執筆しています。過去の受賞歴はそうそうたるもの、1999年「二匹」で第35回文藝賞、2005年「六〇〇〇度の愛」で第18回三島由紀夫賞、2007年「ピカルディーの三度」で第29回野間文芸新人賞を受賞。芥川賞も、「ナンバーワン・コンストラクション」(06年新潮1月号)が第135回芥川龍之介賞候補作、「女の庭」(08年文藝秋号)が第140回芥川龍之介賞候補作、「その暁のぬるさ」(10年すばる4月号)が第143回芥川龍之介賞候補作と、過去3回ノミネートされています。


僕は鹿島田真希の作品は、過去に「ナンバーワン・コンストラクション」と「女の庭」を読んでいました。もちろん最初は、建築家や建築史家の世界を描いた「ナンバーワン・コンストラクション」に興味をもったからですが、女性作家にしては珍しく硬質な文章を書く人だと思った記憶があります。「女の庭」は、今回の「冥土めぐり」と共通するテーマ、というか、女性の“思い込み”が主題でした。が、しかし、鹿島田真希の作品は、“妄想”が縦横無尽に駆け巡り、綿密に計算された込み入った作品で、なかなか一言で表すには適さない作品です。


「冥土めぐり」は、主人公の奈津子と夫である太一が、新幹線に乗り込んで一泊二日の小旅行に出かける所から始まります。結婚して太一が病にかかり、入退院を繰り返して3年、それから病名がはっきりして5年が経ちます。夫は車椅子の生活で、それを奈津子は区役所でのパートで支えています。その8年間は、奈津子の人生のなかではいくらかましな方で、それ以前の環境については思い出したくもなく、奈津子はその自分の過去についてを、「あんな生活」と呼んでいました。裕福だった過去に執着し、借金を重ねる母と弟。その不愉快なまでの傲慢さが精緻に描かれています。


「二月、平日に限り、区の保養所の宿泊割引一泊五千円」、たまたま目にした町内の掲示板に貼られていたポスターに、奈津子は非常な悦楽と耐えがたい苦痛の矛盾に引き裂かれて恍惚とします。この保養所は、なんと奈津子が幼い時に両親と弟と4人で出かけたことのある高級リゾートホテルでした。その時奈津子は8歳、弟は4歳年下でした。ホテルは母が幼い頃からある老舗のホテル。母親はホテルに着いたとき「ここが私の第二のふるさとなのよ!」と叫びました。母親はホテルがいかに素晴らしいかを話し続けます。奈津子はモノクロの8mmフィルムで、銀幕のスターよろしくタキシードを着た若い祖父と、当時は珍しいデコルテの見えるドレスを着た祖母がサロンで踊るシーンを何度も見せられていました。


そんな傲慢だったホテルにあんな安い値段で泊まれるとは! 旅立ちの日は二月の終わり、もっとも旅行客が少ない時期に決めます。10万円を引き出し、一人で区役所へ行き、保養所へ行く申請をして、新幹線の切符を買い、なにもかも奈津子が一人でやりました。36歳の太一は、脳の発作を繰り返したせいか、白髪だらけです。ある朝、太一はなんの前兆もなく、獣のような叫び声を上げて、体をこわばらせて、白目になり、泡を吹いて意識を失いました。それは別の人間が太一の肉体を乗っ取り、「お前はどんな男と一緒になっても幸せになれない」と言っているように奈津子には見えたが、単なる脳神経の発作でした。


元スチュワーデスの母親は、化粧がうまいことが自慢でした。「あなたもスチュワーデスになるでしょう?」と、奈津子が小さい頃から母親はまるで疑いの余地がないように繰り返しました。しかし奈津子はスチュワーデスのように選ばれた人間でなくても、もっと単純な手作業のような仕事に興味がありました。区役所でパートで働いていたときに区の職員の太一と知り合います。知り合って3ヶ月後、太一は結婚を申し込みます。奈津子は太一を自分の家に連れて行きます。母親は疑うような目つきで太一を見ます。弟は腕を組んで座っている太一を見下ろします。母親は太一に水一杯出しません。


太一はまず自己紹介を始めました。しばらくして話すべきことがなにもなくなります。「なにか食べましょう。今日は僕にご馳走させてください」と太一が切り出すと、母親と弟は始めて同意して、なにも聞かずに近所の韓国料理屋へ入ります。弟が勝手に注文し、太一には話しかけません。家に帰ると「あの男、給料はいくらもらっているの?」、「あいつどこの大学出てるんだよ」と追求が続きます。母親も弟も、父親が亡くなったときから奈津子が連れてくる男に期待していました。彼女たちは、自分たちはなにもしなくても与えられる側の人間だと思っています。奈津子と太一は、予定通り結婚しました。太一はこの家族のなににも気づいていないかのように、嫌悪さえしていないかのように。


弟はカードを作ってから2年ほどで多額の借金をつくります。弟は母親に泣きつきます。他に手がなく、母親はマンションを手放して返済しました。母親の爆発した不満を受け止める、その生け贄として、腹いせとして、急に呼び出されます。顔を合わせるや否や「あんたの旦那のせいよ!」と母親は絶叫します。「おじいさんは会員で、私たち家族はスイートルームに泊まったの。最高だったわ」と、母親はいつもより饒舌でした。祖父はさぞ夏休みを謳歌したに違いない。晩年は肺気腫になり、呆気なく死んでしまいます。母親に遺産も残さずに、消滅してしまいました。


食事の場所の説明を受けて、パンフレットを見ると15階にサロンがあります。あのサロンです。奈津子の頭のなかに8mmの映像が再現されます。太一と泊まる部屋は7階でした。スイートルームとは比べようもありません。「15階のサロンに行きたい」と言うと、太一は黙って頷きます。「ここ、なにもないね」と太一は奈津子を見上げて言います。そう、このサロンにはなにもない。あるのは喪失だけです。母親が持っていたあらゆる快楽の喪失。とにかくこのホテルは五千円の保養所に落ちぶれたのでした。


太一の発作は奈津子にとって、人生の痙攣といっていい出来事でした。まるで周到に狙っていたかのように訪れました。どうせ働いても家族にすべて奪われてしまうのだから、働けないほうがいい。奈津子はそう思っていました。太一の手術は、脳に電極を埋め込む、大掛かりなものでした。最初に裕福だった祖父が死に、次に父親が謎の脳の病で死にます。その辺りから疲労が家族を襲い、それが貧困になり、最後には波が押し寄せる速さで、家族の心の成長が止まりました。


母親はあんたは本当に可哀想に、夫の代わりに地味な職場で働いて、不憫でならないわ、と言います。しかし本当に辛いのは、死んだのに成仏できない幽霊たちと過ごすこと。もうとっくに希望も未来もないのに、そのことに気づかない人たちと長い時間を過ごすことなのです。そんなことを考えている時に、奈津子は太一と出会った。この母親の夢とは程遠い男と私が結婚したら、母親はどれだけ憤慨するだろう。魔がさしたのです。だけど、幸運に遭遇するのは、いつも太一でした。手術の順番がキャンセルで巡ってきたり、奈津子には目もくれない人間が、太一にはなぜか親切にします。


奈津子は自分が、なにに傷つけられているのか、自分でもわからなかった。言葉にできない不快な体験は、度々訪れました。そんな一連の出来事を奈津子は、「あんな生活」と呼ぶようになります。それでも奈津子は「あんな生活」の只中で、太一という男と出会い、結婚しました。冒涜の思い出はまったく無に消し去ることはできません。奈津子は、今までずっと不可解だと思っていたことについて考えてみます。太一は、自分の家族から受けた仕打ちについて、突然見舞われた脳の病について、どうしてなにも語らないのだろう。この一連の理不尽な矛盾について、彼はどう思っているのだろう?


だが今、旅の終わりに、奈津子はなんとなく分かるような気がします。彼はきっとなにも考えていないのだ、と。普通の人なら考える。もうたくさんだ。うんざりだ。この不公平は、と。だけど太一は考えない。太一の世界のなかに、不公平があるのは当たり前で、太一の世界は、不公平を呑み込んでしまいます。たとえそれがまずかろうが独であろうが。だけど自分は?と奈津子は考えます。自分はこの人生、あんな生活に対して、どう付き合っていけばいいのだろう。太一ではない自分は、どうすればいいのだろう。


この人は特別な人なんだ。奈津子は太一を見て思います。特別な人間。だけどそれは不思議な特別さでした。とても大切なものを拾ったことだけは分かります。それは一時のあすかりものであり、時が来ればまた返すものなのです。三代にわたって築きあげられた、傲慢と浪費の茨の蔦が奈津子に絡まり、奈津子の魂を奪おうとしていました。それは、ある平凡な男の発作により一掃されます。太一は、果たして哀れな男なのであろうか。彼は、発作を起こさなければ、奈津子の家族に身ぐるみ剥がされる運命にあって。この男は、それを誰も思いつかない形で回避しました。発作は絶妙なタイミングで起こったのです。


しばしの旅が終わりに近づいています。ねえ、あの子のどこが気に入ったの、と母親のいつもの声がします。母親は時々嫌みのように太一のことを、悪運の強い子ねえ、こんな病気になって、まだ生きてるなんて、働かないのに、妻に面倒をみてもらって、図々しく生きていられるなんて。そんなとき、奈津子はひそかに太一と結婚してよかった、と思います。自分の身に関しては、ある一つの季節が終わったのだ、そのことだけを奈津子は知ります。「今日の夜ご飯、なに?」と、太一は尋ねます。新幹線が東京駅に近づこうとしています。もうすぐ、奈津子の旅は終わろうとしています。


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