磯崎憲一郎の「終の住処」を読んだ! | とんとん・にっき

磯崎憲一郎の「終の住処」を読んだ!

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第141回芥川賞受賞作、磯崎憲一郎の「終の住処」を読みました。初出は「新潮2009年6月号」です。書き下ろしの僅か29ページの「ペナント」という作品と合わせて、2009年7月25日に単行本「終の住処」(新潮社、定価:本体1200円税別)として発売されました。さっそく購入して読んでみたというわけです。受賞作「終の住処」は106ページ、思ったより短い作品でした。「終の棲家」の前の作品、「世紀の発見」という作品は、2008年11月1日発行の「文藝冬号」の掲載されていました。柴崎友香の特集ということもあり、何よりも「第45回文藝賞発表」があり、受賞作の喜多ふありの「けちゃっぷ」や、安戸悠太の「おひるのたびにさようなら」を読むのに精一杯で、磯崎憲一郎の「世紀の発見」を読むには至りませんでした。


第141回芥川賞ということで言えば、候補作を2編、いずれも候補作になる前でしたが読みました。本谷有希子の「あの子の考えることは変」と、シリン・ネザマフィの「白い紙」でした。本谷は若いが自分の劇団をもつ劇作家で、

ネザマフィは非漢字文化圏女性ということで、ともに話題性抜群でした。それらについては過去の関連記事を参照していただくとして、磯崎憲一郎についてを。略歴によると、1965年、千葉県我孫子市生まれ。早稲田大学商学部卒業。2007年「肝心の子供」で文藝賞受賞。2008年「眼と太陽」が芥川賞候補になります。2009年「世紀の発見」刊行。同年「終の住処」で第141回芥川賞受賞。とあります。驚いたのは芥川賞受賞時の新聞の記事です。「三井物産に勤務しながらコンスタントに小説を執筆」とありました。いわば「二足のわらじ」です。その新聞の記事には、以下のようにあります。


受賞作は、ともに30歳を過ぎてなりゆきで結婚した感のある夫婦の上に流れた20年という時間を描いた。娘も生まれ家も建てたが、常に不機嫌な妻は夫にとり不可解な存在であり続け、夫も浮気を繰り返す。細やかな描写が、相愛の情を欠きながら長い時間を共有したのちに得た、夫婦の関係を浮き彫りにする。選考委員の山田詠美さんは「圧倒的な支持で決まった。言葉を深く考えて選び、時間軸を考えながらブロックを積み重ねるような実験的な方法で小説を描き出した。独自の世界を作った点が評価された。文学に対する確かな信頼と誠実な態度を感じさせた」と語った。


30過ぎで結婚した男が、仕事に明け暮れて50過ぎまでの、約20年間の物語です。その間、製薬会社の販売の仕事にも浮き沈みがあり、女の子も生まれ、妻が建築家に依頼して家を建てたりもします。そして男の「浮気」、「黒いストッキングの女」、「サングラスの女」、その他に妻と口をきかなかった11年の間に、彼は結局8人の女とつきあいます。上司の罵声や、取引先とのひと悶着や、米国の製薬会社との交渉ごとなど、サラリーマンの悲哀を物語る場面が、随所に織り込まれています。終生変わらないのは「妻」の遠くの一点を見る目でした。


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「結婚すれば世の中のすべてが違って見えるのかといえば、やはりそんなことはなかったのだ」と、男は結婚してすぐに述懐します。「自分で決めて、結婚した妻ではあるが、この女はどうしてこうも計り知れないのだろう。どうして彼の感情が追いついたときにはもうそこには彼女はいないのだろう」と嘆きます。こんな状況から抜け出すにはいま決断しなければと思ったりもしますが、「別れようと思えば、私たちはいつだって別れられるのよ」と、妻が挑発的な態度で言い、かれはたじろぎます。そんな妻は彼の母親とはなぜか仲が良く、決断がつかないままに時は過ぎます。浮気が高じて、もう妻とは一緒に住むことはできない、離婚するほかないだろうと決断するも、妻からは「妊娠したの」と告げられ、彼は「そういう結末が用意されていたのか」と笑うほかなかった。


少し早いと思いながら娘が2歳の時、家族3人でで郊外の遊園地に行きます。売店で弁当を買って食べ、ぶらぶらしていると、妻は突然「せっかく来たのだから、観覧車にだけは乗っておきましょう」とつぶやきます。帰宅し、その翌朝から11年、妻とは口をきかなかった、というから凄い。「週末をどう乗り切るか? それが11年間を通じて彼の最大の悩みだった。土曜日は出勤した。若いころは毎日上司の罵声を浴びて、あれほどつらい目に遭ったこの職場が、いまではいちばん気持ちが落ち着く場所になってしまっていた」。「妻はもう何年も前から知っていたのだ。おそらく妻は、俺と結婚する以前から結婚後に起こるすべてを知っていた。妻の不機嫌とは、予め仕組まれた復讐なのだ」とまで考えるようになります。


ある日突然家に帰るなり妻と娘に叫びます。「決めたぞ! 家を建てるぞ!」。妻は「そうね、もうそろそろ、そういう時期ね」と、11年間がなんだったのか、滑らかな話し方をします。車の入らない細い道の奥の、格安の敷地を購入し、妻が依頼した顎ひげを蓄えた70近い老建築家に家づくりのすべてを任せます。この建築家が面白い。「家というのは元々が人間よりはるかに寿命が長いものなのです。だから人間が家を建てようなどという傲慢を抱いてはいけない。家によって、ある定められた期間、そこに住む人間が生かされているのですから」などと言ったりします。彼も妻も、そして娘までもが、すっかりこの建築家に魅了されてしまいます。


転機はそれから2年後、突然やってきます。日本の製薬業界は欧米の市場に目を向け、彼の会社も生き残るために米国企業を買収するために画策します。大組織の中で結局は巡り合わせというか消去法で、彼が米国へ派遣されてその役割を与えられます。しかし3ヶ月ほど経ってもなんの進展もみられず、さらに1年と4ヶ月後に、最終的に彼の会社に米国製薬メーカーの敵対的買収と完全子会社化が成功します。正式な買収が完了した後、彼は帰国します。家は新築のまま丁寧に手入れされていました。しかしいるはずの娘がいません。


妻は「去年からアメリカへ行っているのよ」と平然と言います。「自分が昨日までいたのと同じ国に、俺の娘も住んでいたというのか」と、彼は愕然とします。妻の顔を正面から見ると、もう20年以上前にこの女と結婚することを決めたときに見た疲れたような、あきらめたような表情がありありと見えます。「その瞬間彼は、この家のこの部屋で、これから死に至るまでの年月を妻とふたりだけで過ごすことを知らされた。それはもはや長い時間ではなかった」。本の帯には「とうてい重要とは思えないようなもの、無いなら無いにこしたことはないものたちによって、かろうじて人生は存続しているのだった。それらいっさいが、懐かしかった」とあります。


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