伊藤たかみの「八月の路上に捨てる」を読む! | とんとん・にっき

伊藤たかみの「八月の路上に捨てる」を読む!

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とりあえず「選評」でも、と思って読んだら、さっそく、山田詠美、「相変わらず、いかすことを言う姐さんだなー、と感心してしまいました」とあり、そして「って、どなただか解っちゃいますよね」と、書いてたりもしています。 なにしろ、一気に読んでしまいましたよ、第135回芥川賞受賞作、伊藤たかみの「八月の路上に捨てる」を!


「文芸春秋」が10日に発売され、伊藤たかみの「八月の路上に捨てる」を読み、次の日、8月11日の記事の最後に、上のようなことを書きました。山田詠美の「選評」の個所の全文は以下の通りです。
「ひとつの作品について話し合っていた時に、私が、この作者、ねらいに入ってません?と生意気を申し上げましたところ、ある選考委員の方がねらって何が悪い、とおっしゃいました。はー、なるほど、と目から鱗が落ちました。そうだよなー、ねらわれてなんぼだよなーと思ったのでした。だって、小説に携わる誰もがねらいたくなる賞なんて、格好良いではないですか。相変わらず、いかすことを言う姐さんだなー、と感心してしまいました(って、どなただか解っちゃいますね)。」


ここで「姐さん」とは、同じ選考委員の河野多恵子のことでしょう。「以前の二作もかなりよかったが、今度の作品では確実な成長が感じられた。」と河野多恵子は「選評」に書いています。選考委員7人のうち、伊藤たかみの「八月の路上に捨てる」を積極的に推したのは2委員、河野多恵子と高樹のぶ子のようです。河野は、「たった4文字の『脱力した』で、心理や気分の深さを言い得ているのには感心する」とか、「『その表情で一日をまとめた』などとは、並みの才能と力量では書けるものではないだろう」と絶賛しています。一方、高樹のぶ子は、「言葉が、伏流水のように裏に流れる意識を感じさせるのは才能だろう」とか、「本気でも浮気心でもなく、よそ心という新表現には舌を巻いた」とか、そして「昨今の男女の実状を、見事に言い当てている」と、やはり絶賛しています。


他の選考委員は、全否定の評は入れなかったものの、ほとんどが△だったようです。たしかにこの作品、僕の読後感も全否定に近い△ですね。「え~っ、これが芥川賞なの?」って感じでした。河野多恵子や高樹のぶ子のように絶賛するほどの作品とは、どう考えても思われません。「八月の路上に捨てる」を黒井千次は、以下のように要約します。「八月の路上に捨てる」は、二筋の流れから成り立っている。一方は少し年上の女性社員と組んだ三十男の主人公が、自動販売機に飲料缶を補充して廻る仕事の流れであり、他方は彼の結婚から離婚に至らんとする男女関係の経緯である。一方が一日の肉体労働の時間であるのに対し、他方は主人公の結婚生活の破綻までの歳月である。並行する二つの話は章ごとに入れ替わって現れるが、先輩格の女性社員と作業を進めながらの対話が、彼の過去を自然に掘り起こしてゆく。



水城さんは、今日の仕事でトラックを降りて総務の仕事に移ります。一方の敦は、大学時代からの付き合いである知恵子との離婚届を明日提出します。並行する二つの話が章ごとに入れ替わる、この構成はありふれてはいるが、よくできていると思いたい。文章も巧いし読ませます。しかし「問題は、何を伝えようとしているのかわからないということに尽きる」と、村上龍も言います。描かれている三十男の、生活への向き合い方や仕事への姿勢全体が、いかにも軽い。離婚する知恵子についての感慨が、まったく伝わってきません。離婚した後、どう生きるのか?「おいこらバイト、そんなところで遊んでるんじゃねえ」と社員に言われると、敦は「俺は一時たりとも遊んでいなかったぞ。」と心の中で言い返します。「何もかも本気だったのだ」と本人は言うが、世間とはどこまでもずれています。


「今回の候補作品、内容を無視してシャッフルしてみると、登場するのは、心を病んだ人、物書き志望、あるいは売れない物書き、出版社勤務、がほとんどです。私はやだなー、こんな人々だけで構築されている世界なんてさー、とうんざりしました」と、山田詠美は言います。「前回も思ったが、なんでこんなにビョーキの話ばかりなのか?まるで日本全体がビョーキみたい。」と、池澤夏樹は言います。そして「『現代における生きにくさ』を描く小説はもううんざりだ。そんなことは小説が表現しなくても新聞の社会欄やテレビのドキュメンタリー番組で『自明のこと』として誰もが毎日目にしている」と、村上龍は言います。第134回の選評で石原慎太郎が言った、何か未曾有の新しいものの到来を予感させる作品であるとか、人間にとって不変で根元的なものの存在を、新しい手法の内であらためて歴然と知らせるような作品、と言うほどの期待を「芥川賞」に持っているわけではないですが。


山田詠美の選評の中で、「ナンバーワン・コンストラクション」について書かれた個所に僕は興味を持ちました。「これだけが映像化を断固拒否する活字でしか成り立たない小説作品であることにおいて評価しました」とあります。鹿島田真希という作家らしい。


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