モブ・ノリオの「介護入門」 | 三太・ケンチク・日記

モブ・ノリオの「介護入門」

今まで芥川賞の発表が掲載されている文芸春秋は年2回、ほとんど購入して読んでいましたが、第131回 芥川賞の発表のあった2004年9月号はなぜか気乗りがしなくて買わずに過ぎてしまいました。題名が「介護入門」ということもあったからなのか?もちろん、単行本が出ていることや、新聞等での批評を見て、どういう内容の本なのかは知っていたのですが、ずっと気になっていた本でした。

大晦日の日、しばらく忙しくて足を向けられなかった「ブックオフ」へ久しぶりに行ったら、モブ・ノリオ著「介護入門 」が105円コーナーにありました。買う方は安くていいかも知れませんが、著者としては自分の書いた本が105円コーナーに置かれているのは屈辱ものでしょう。まあ、それはそれとして、今回は105円で購入した「介護入門」について、って、本の値段は内容には関係ないですけど。題名が「介護入門」であっても、もちろん、介護のノウハウ本や実用書でないことは当然なんですが、題名としては確かに紛らわしいことには変わりはありません。本を抱えてレジへ持って行くと、カードはありますかと聞かれた。あれっ、そういえば、前に来たとき作ったよな、持ってないよ!それじゃあカードを作った意味がないよな。ま、いいか、大晦日だから。

さて「介護入門 」の主人公は、俺、29歳、無職の自称音楽家、僅か週3日、小学生相手のアルバイト。頭は金髪に染めていて、マリファナ常習者。どこから見ても、老人介護に携わっているという雰囲気はまったくない。そんな若者が、80歳過ぎの下半身不随で痴呆症の祖母を、病院から引き取り、母親と交代で自宅で介護している。昼間はヘルパーに任せても、夜は祖母のベットの横の折り畳みベットに寝て、深夜2回起きて、祖母の股を熱いタオルで拭き、新しいおむつに替える。午前8時、介護ヘルパーが出勤する前に起床し、ベットを折り畳む。ポータブルトイレや室内用車椅子をセットする。

マリファナ常習者であろうが、金髪であろうが、ラップ好きであろうが、全身全霊で祖母の世話をしている。なにしろ介護の描写は詳細を究める。マニュアルを読むような、正確かつ念入りな描写である。俺はいつも、「オバアチャン、オバアチャン、オバアチャン」で、この家にいて祖母と向き合う時にだけ、かろうじてこの世に存在しているみたいだ、と言う。たまに見舞いに来る親戚からは「アンタ、毎日お昼まで寝てんのか?」と白い目で見られ、金髪の穀潰しと思われている。

叔母に対しては、醒めた目で見ている。実の親が介護ベットで横たわる部屋の隣室で、「人間もこないなったら終わりやなあ、私やったら死んだ方がましやわ」と番茶を啜りながら嘆息している叔母。その叔母が、祖母の枕元で「お母ちゃん、辛いなあ」と無知特有の自己満悦にも等しい涙を流す。しかし、一度も襁褓を替えようともしたことがない。介護入門:「誠意ある介護の妨げとなる肉親には、いかなる厚意も期待するべからず。・・・」

ヘルパーや介護業界を「うちの子を喰いモノにするな」と切る。おばあちゃんにテレビを見てもらってますと称して、手の空いた介護士が介護ベットを背にし低俗なワイドシューに見入っていたりする。介護入門:「派遣介護士の質は、人間の質である。その質を見極め、我慢がならぬ時には、強く出てまともな人材を要求すべし。・・・」

病院から祖母が退院するときに、看護婦からお襁褓の替え方を習っている母と俺を、自分はできないと後ずさって病室の隅からそれを傍観し続けた叔母は、未だに傍観者のままだ。叔母は仕事の合間を縫って昼ご飯の用意はするが、食べさせるのはヘルパー任せ。「おばーちゃん、おいしいよぉ、しっかり食べようねぇ」と甘ったるい声色で呼びかける姿は、血のつながっていない他人だ。介護入門:「己が被介護者にとって何の血の繋がりもない赤の他人だと仮に思え。・・・」

とにかく饒舌、「YO、朋輩ニガー)」という言葉が随所に出てくる。「YO、朋輩ニガー)」、ラップ調でしゃべりまくる文体です。改行は少なく切れ目なく文章が続きます。章の切れ目ごとに「介護入門」が差しはさまれています。アイロニーでも逆説でもない、真面目な介護の「注意書き」、一呼吸の役割は果たしているのだが、どういう意図なのかは分からない。

高齢化社会」と言うのは簡単だが、その足がかりを見いだすのは困難です。僅か100ページの作品、著者モブ・ノリオの実体験が多く含まれているのでしょう。ちなみに著者の名前「モブ」は、「モバイル」の「モブ」かも?この作品を評して、「窮地の内にこそ、剥離解体しかけた言葉と、更に現実を回復する足がかりを見いだしつつあるとすれば、ここに今の世の、ひとつの、神話と言わず例話の、始まりがひそむ。」と、古井由吉は言う。