五島美術館で「秋の優品展―絵画・書跡と陶芸」を観た! | とんとん・にっき

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数日前の朝日新聞の記事、散在していた夏目漱石の「門」の原稿が、所在不明だった4枚を加えて、公開されていました。751枚のうちの4枚が、一昨年、所在が分かり、大東急記念文庫の747枚に4枚を加え、計751枚として五島美術館で公開した、というわけです。


朝日新聞:2014年8月28日の記事

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今回は五島美術館で開催される恒例のコレクション展「秋の優品展」です。「絵画・書跡と陶芸」となっています。「絵画・書跡」は平安時代の「古筆」、鎌倉・室町時代の「墨跡」、桃山・江戸時代の「絵画」「奈良絵本」「陶芸」です。なにしろ「絵画・書跡」はほとんどわかりません。「奈良絵」については、詳しいことは分かりません。かろうじて琳派の、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、そして尾形乾山の名が分かるのみです。


「書跡」は重要文化財が次々と出てきますが、まさに「猫に小判」状態です。展示室2の方は「陶芸」です。過去に観たものも幾つかありました。2010年に「陶芸の美―日本・中国・朝鮮」というタイトルの展覧会が開かれました。またその前に「茶の湯を彩る食の器 向付」も開かれていました。そのうち「日本陶磁」や「向付」が、今回出た「陶芸」と重なっていました。


以下の解説は、五島美術館のホームページや、小冊子「五島美術館コレクション・茶道具」からの引用です。

絵画・書跡


尾形光琳筆「紅葉流水図(竜田川図)」

絵師尾形光琳(1658~1716)が描いた団扇(うちわ)を、掛軸に改装した作品。もとの表(おもて)の面は「蕨図」(個人蔵)であり、春と秋の主題を表裏一対とした団扇であった。落款も印章も無いが、表面の「蕨図」の方に、「法橋光琳」の署名と「澗声」の白文方印を有し、その書風や表裏の画風から光琳の50歳代前半の作品であるという説がある。奈良県生駒郡を流れる竜田川が紅葉の名所として有名なことから、別に「竜田川図」という呼称がある。


本阿弥光悦筆・伝俵屋宗達下絵「色紙帖・薄に月図」
本阿弥光悦(1558~1637)が、『新古今和歌集』36首(巻第五「秋歌下」504~521番、巻第十「羇旅歌」954~967番、巻第十一「恋歌」1034~1037番)を1首ずつ書写した色紙36枚を、アルバム状に仕立てた作品。下絵は、俵屋宗達(?~1640頃)が描いたと伝え、36枚のうち34枚が2枚1組として同主題の四季草花図を描く。金銀泥を主体に文様化した花や草木、鳥、波等の一定のパターンを用いているところから、数人の職人絵師による工房制作だろうか。



「十二段草子」

源義経(1159~89)と浄瑠璃姫(じょうるりひめ)の恋物語を、十二の章段に分けて綴る。鞍馬を出て奥州へ向かう牛若は、東海道矢作(やはぎ)宿で長者の娘、浄瑠璃姫を見初め一夜の契りを結ぶ。その後姫と別れて旅を続け、蒲原(かんばら)宿で病に倒れるが、駆けつけた姫の看護で本復し再び奥州へと向かう、というあらすじ。文字も挿絵も素朴だが、上質な絵具を用いた叙情的な作品。室町時代の大型奈良絵本の作例として貴重である。



本阿弥光悦筆・俵屋宗達下絵「鹿下絵和歌巻断簡」

絵師俵屋宗達(?~1640頃)が描いたと伝える金銀泥の鹿の下絵に、『新古今和歌集』より選んだ28首の秋の和歌を本阿弥光悦(1558~1637)が書写した、もとは約22メートルに及ぶ一巻の巻物(益田鈍翁〈どんのう〉旧蔵)。現在は断簡となり、前半部は静岡・MOA美術館、東京・山種美術館他、諸家が分蔵、後半部分はアメリカ・シアトル美術館が所蔵する。本品は、雄鹿とそれを振り返る雌鹿を描いた料紙に、宮内卿の和歌(巻第四「秋歌上」365番)を書いた部分。



陶芸


「黄瀬戸平茶碗 銘柳かげ」
もと揃物の向付を茶碗に転用したもの。黄瀬戸釉の下に植物文様を描く。美濃焼(岐阜県)の優品。内箱蓋裏に小堀十左衛門(1639―1704)が、「道のべの清水ながるゝやなぎ影しばしとてこそ立ちどまりけり」と西行の和歌を歌銘として記す。


「鼠志野茶碗 銘峯紅葉」

美濃焼(岐阜県の陶器)の一種。形姿は逞しく、堂々としているが、成形が巧みなため、手に持つと意外に軽い。桃山時代の和物茶碗の代表作。銘は茶碗の景色からの連想。鉄釉を施した上に、亀甲文と桧垣文様を掻き落とした後、志野釉をかけて文様を白く浮き出させている。九鬼家伝来。



「瀬戸黒茶碗 銘武蔵坊」

美濃焼(岐阜県の陶器)の一種。見込(茶碗内部)の茶溜は広く浅い。銘は「平家物語」に登場する比叡山の僧で、源義経に仕えた剛勇武蔵坊弁慶のこと。形姿のたくましさからの連想であろう。


「鼠志野鉢」

美濃焼(岐阜県の陶器)は、食器にも多彩な製品を創造した。この鉢は、草花文様に鋭い刃物による掻き落としの技法を用い、亀甲文は、かけ残した素地の部分に鉄絵具で描いている。用途は懐石用の肴鉢。文禄・慶長の頃、土岐市泉町久尻にある元屋敷窯や隠居西窯で制作された。



「黄瀬戸立鼓花生 銘ひろい子」

「黄瀬戸」とは今の岐阜県の製品で、美濃焼の一種。立鼓とは、能楽などで用いる楽器の鼓のように、胴の両端が広く中央がくびれた形をいう。「ひろい子」とは、一度捨てて他人に拾ってもらい、それを貰い返して育てる子供のこと。口縁部が広いところからの連想であろうか。全面に淡緑色の灰釉(かいゆう)が掛かり、高台は脇を水平に削り、糸切り痕が残る底部の中央をわずかに押さえている。焼成の際に乗せた台の痕が焦げたように残る。千利休(1522~91)旧蔵と伝えるが、同種の花生として最も有名な「旅枕」(たびまくら 重要文化財 千利休旧蔵 大阪・和泉市久保惣記念美術館蔵)に比べると、本品は釉や形からやや時代が降る。


「古備前徳利」

今の岡山県の陶器。小型だが、茶懐石の際に亭主が水屋で相伴する時に、客に酒を預ける「預徳利」の一種。轆轤による成形と箆削りが調和した優品。共同窯での生産を示す窯印が底部にある。



「古伊賀耳付花生」

伊賀焼は、今の三重県伊賀市で焼かれた、釉薬を掛けない焼き締め陶器。本品は、大きく歪んだ口、波状の刻線が巡る肩の左右には小さな耳が付く。どっしりとした重量感のある腰部は黒く焦げ、上方の明るい褐色の火色(ひいろ)が表れ、緑色の自然釉が掛かったところと対照をなす。大胆な縦の箆目(へらめ)が、桃山時代後期の茶の湯の陶器の流行を如実に示す。表裏の二方に穿孔(せんこう)があり、今は埋められている。当初は床の間に掛けて花を入れる掛け花入として使用されたことがわかる。


「古備前耳付花生」
備前焼は現在の岡山県備前市一帯で生産した焼き締め陶器。由緒ある茶道具類の目録などでは、「土の物」と称する国産の花生として備前焼が最も人気があった。本品は口縁部が内側に大きく捻り返され、三角形に変形させた胴部の左右に耳が付き、箆による筋が縦と横につく。鉄分の多い備前焼特有の赤茶色の土に、黄色の胡麻状の自然釉が掛かる。表裏には今は塞がれているが穿孔(せんこう)があり、掛け花入として使用したことがわかる。内箱蓋裏には貼紙に「碧雲臺」(へきうんだい)とあり、近代の数寄者益田鈍翁(どんのう 孝 1848~1938)の旧蔵品と知れる。



「信楽一重口水指 銘若緑」

滋賀県の陶器。「鬼桶」と呼ぶ桶形の水指は、室町時代の茶人武野紹鴎(1502-55)の好み。本品は、通例の「紹鴎信楽」とは形姿が異なる。雲州(島根県)の大名茶人松平不昧(1751-1818)が銘をつけた。



「織部舟形手鉢」

織部焼(美濃焼の一種)の自由でのびのびとした特徴をよく示す優品。長方形の器形を舟に見立てたもの。美濃(岐阜県)の元屋敷窯の産と推定。型おこしの際の麻布の跡が、緑釉の部分に見える。赤土による太線と鉄釉の細線を使って、幾何学文・唐草文などを描く。




「秋の優品展―絵画・書跡と陶芸」

館蔵品の中から、平安時代の「古筆」、鎌倉・室町時代の「墨跡」、桃山・江戸時代の「絵画」「奈良絵本」「陶芸」など、名品約60点を展示(会期中一部展示替あり)。各時代を代表する日本美術の多彩な世界を展観します。国宝「紫式部日記絵巻」を10月11日[土]から10月19日[日]まで特別展示予定。


「五島美術館」ホームページ


とんとん・にっき-tya 「五島美術館コレクション 茶道具」

小冊子(95頁)

平成10年(1998)12月5日初版発行

平成18年(2006)12月12日第3刷発行

編集:五島美術館学芸部

発行:財団法人 五島美術館







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