このブログは、息子の不登校をきっかけに
自分の思考の癖に気づき、
新しい思考の経路をつくり、
自分らしく生きるために書いています。


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関わりで大切にしていること 

小学3年生から小学5年生(2019年5月)まで

小学5年生から小学6年生(2021年3月)まで 



中3息子の記録


高1息子の記録

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私は「人の主体性」や「いのちの包摂」を

大切にしている。

それに関して出来事がリンクしていたので

書き留めておこうと思います。


その日は、予想外の出来事が重なる

不思議な一日だった。

学生から私はそう思わないと怒りをぶつけられ、

家に帰れば夫から理不尽な逆ギレ。

どちらも突然で、心が激しく揺さぶられた。


一方で、息子の留学プランのための

エージェントとの打ち合わせでは

誠実で信頼できる方との出会いに

救われるような時間もあり

感情のジェットコースターのような日だった。


その夜、私はとても象徴的な夢を見た


夢の中で私は、10人ほどの仲間と

大自然の湿地を歩いていた。

その中の一人は足が悪く

杖のような道具を使いながら

遅れがちに進んでいる。

すると突然、その足の悪い人ともう一人が

別々の沼の上でズブズブと沈み始めた。

あっという間に頭まで沈み

「もう命がない」とパニックに陥る私。

慌てて携帯で留学エージェントに連絡するものの

返ってきたのは頼りない対応。


目が覚めたときも他者の命を見捨てたようで

嫌な感じがした。そして気づいた。


「あの夢、昨日の出来事すべてと繋がっている」と。


心理学では、湿地や沼は“感情の泥沼”の象徴。

足が悪く、杖を振り回しながら遅れていく人は

古い傷や痛みを抱え、怒りや正論の鎧で

自分を守ることで精一杯の人たちの象徴。


昼間に怒りをぶつけてきた学生も

逆ギレした夫も、みんなそれぞれの背景の中で

必死にサバイブしているだけ。


そして私は、幼い頃から「誰かの不機嫌を背負う」

役割を担ってきたため、

他人の怒りや混乱を見ると、

無意識に「私のせいだ」「私がどうにかしなきゃ」

と反応してしまう“古い防衛OS”が働いていた。


だから私は、彼らの泥沼に一緒に飛び込み

助けなければ、けど出来ない、

と思い苦しくなっていた。


夢の中で彼らが沈み

命がなくなったように見えたのは

不吉な予兆ではなかった。


それは、「他人の感情を全部引き受けて沈む」

という、私の古い生き方の終わり。

死と再生の象徴だった。


私はこの一連の出来事を通して境界線を再確認した。


怒っているのは相手の問題。

どう受け取るかも相手の問題。

その人の気分を変えられるのはその人だけ。


夢の中でエージェントが頼りなかったのは、

「もう外側に正解を求めるな。

自分の人生のハンドルは自分で握れ」

というメッセージ。


そして現実で信頼できるエージェントと

出会えたのは、私が“古い沼地”を卒業し

新しい世界へ旅立つための祝福だと思う。


人は存在するだけで素晴らしい

私は学生たちに

「人は存在するだけで素晴らしい」と伝えた。


この言葉は、学生だけでなく、

母の不機嫌を背負って震えていた小さな私へ、

怒りをぶつけてきた夫や学生へ、

そして今の私自身へ向けた究極の全肯定。


誰の荷物も、もう背負わなくていい。

私が自分の命を投げだして人を助けなくていい。

私はただ、自分の存在をそのまま認めればいい。

相手が怒っても、泣いても、休んでも

私の価値は1ミリも揺らがない。


自分を犠牲にしなくていい。

他者を救えなくていい。

私はただ自分を生きればいいと思えた。


ありがとうございます❤️


梅の実