このブログは、息子の不登校をきっかけに
自分の思考の癖に気づき、
新しい思考の経路をつくり、
自分らしく生きるために書いています。


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関わりで大切にしていること 

小学3年生から小学5年生(2019年5月)まで

小学5年生から小学6年生(2021年3月)まで 



中3息子の記録


高1息子の記録

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2026年4月5日、日曜の朝。

洗濯して、洗い物して、お風呂掃除して。

家事をひと通り終えて、

録画していたテレビをなんとなくつけた。


そこで流れていたのは、

聴こえないご夫婦のドキュメンタリー。

夫は写真家で、妻が支えていて、

子どもは聴こえる。

“違い”のある家族が、すれ違いながらも

一緒に生きようとしている姿だった。


写真展で、聴こえない・見えない人を

案内するとき、案内している側が

“見えないこと”を忘れて壁にぶつけてしまう

場面があって、思わず笑ってしまった。


ああ、違いってこういうものなんだ。


人はみんな、自分の“当たり前”の中で生きている。

だから、違いの大きい人と出会うと戸惑うのは当然。

失敗もするし、すれ違いも起こる。

でも、そのプロセスを経て、共存が生まれる。


家族もまた、違いの集まり


家族だって、みんな違う人間。

文句もいっぱいあるし、イラっとすることもある。


今朝もふと、

「なんで私ばっかり家事してるんだろう」

とイラっとした。


でもその時、夫は溝掃除に行ってくれていた。

“見えていないだけで、やってくれていること”

って、実はたくさんある。


 私は「ひとりで心地よい」も「一緒に心地よい」も選びたい


私は、掃除してひとりでスッキリする

こともるし

夫や息子と“共有”したいこともある。


洗濯も、食事をつくるのも、

「一緒に生きている」ことの一部。


思い通りの反応じゃなく、

気づかないことだったある。

それすらも共有。


共有できるのは、

そこに“存在してくれている”から。


夫や息子が存在してくれるだけで、

それだけで感謝だし、喜びだ。


「存在してるだけでいい」—それが尊厳


ふと、私の心が昔の方向に

向かいそうになる時がある。


「私も父母から、存在してるだけで

いいと思われたかった」

そんな気持ちが顔を出しそうになる瞬間。


でも今の私は、

息子に対して“存在してるだけでいい”

と思えるようになった。


大学に合格してもしなくても、

宿題をしてもしなくても、

息子が息子らしく生きていれば

それでオールOK。


それが“人への尊厳”であり、

同時に“自分への尊厳”でもある。


できる・できないを超えて、違いと共に生きる安心


人はみんな違う。

できることも違うし、感じ方も違う。


その違いの中で、

「一緒に生きられること」

「存在してくれていること」

に感謝と喜びを自分が感じられる時、

私はとても安心する。


違いを否定しないで、

できる・できないを超えて、

ただ“共に生きる”。


そのあたたかさを、

日曜の朝の家事とテレビのおかげで

感じられた。


ありがとうございます💓



チューリップが自然に増えた