小さな花のひとりごと -35ページ目

小さな花のひとりごと

乳がん再発の心の動きを綴っています。
現在、肺、縦隔、骨に転移していますが、治療のおかげで元気に過ごすことができています。
やれることをやれるうちに。

今日は、緩和ケアの診察日でした。
 
「こんなに元気になった様子を見られてうれしいですよ」
「最初に来た時は、緩和ケアで何をするんですか?と訊かれて困りましたよ」
と、必ず言われます。
(よほど変な質問で印象に残ってしまったのかな・・)
私も
「先生、診察のたびにいつもその話をしますよ」と笑ってしまいます。
 
当時は、乳腺外科の医師から(←主治医ではありません)
症状の説明やどんな治療があるかの説明もなく、やることはないと、
なぜ緩和ケアに行くのかの説明もなく
「〇月〇日にそこ(緩和ケア)に行くように」と突然言われたものでした。
 
そりゃあもう、緩和ケアは治療がない人が行く場所と思わざるを得ませんでした。
何をするのか?と思うのも不思議ではありません。
(というより実は、死の準備をする場所と勘違いしていました)

そんな様子を診てきた緩和ケアの先生とそのチームです。
これからの1年がどんな変化をしていくのか、
誰にも分からないし想像もできないけれど
昨年とは違う1年を創っていくところを見てもらおうと思っています。
 
1年前に初めて呼吸困難になった日が近づいてきました。
たくさんのブロガーさんの記事を読んでいると、
今日はガン宣告をされた日、など記念日を書いていらっしゃいますが、
私もそうです。忘れることはできません。
1~3月は、いろんな記念日がたくさんあります。
あれから1年経ったと思うと、信じられない気持ちとすべての必然と奇跡に感謝の気持ち。
無駄に過ごさないように大切に生きていきます。
 
乳がんになったのをきっかけに
アロマやハーブと出会い、講師になったことで
いろんな場所で出会いが少しづつ増えていきました。
この仕事をしていなかったら、このたくさんの出会いは無かったと思います。
 
たくさんの個々の出会いが、長い時間をかけていつの間にかつながっていることがあります。
Aという場所で教えていた人と、
Bという場所で教えていた人が、
いつの間にか(私の存在を介して)つながっていき、次には私の存在なしでつながりが広がっていきます。
点と点だったものが線でつながっていくのは不思議な喜びです。
 
やってきてよかったな~。

ハーブを教えると言う「小さな種」を蒔き続けていたら、

いつの間にか私の知らない場所で芽が出て広がっていた、という感覚です。

 

私がいなくなっても、人と人のつながりが続くんだと思うと凄くうれしい。

小さなことでも私にはとても大きな喜び。

小さな花がいつまでも咲き続いていくのを、その様子を見守っていける歓びや安心感を感じます。

 

 

今日は、いつもと同じ4週間毎の診察日でした。
年末と新年のイベントがあるとすごく久しぶりの通院に感じます。
 
ショックだったことがあり、
主治医が3月いっぱいで今の病院を完全に卒業すると聞きました。
主治医は、
「大丈夫、O医師でなく他の先生に頼むから」と。

「この病院の3倍は大きな病院から来るし、なんでも経験して、なんでもできる先生だから」と言います。

 
そういうことも含めて、漠然と不安になりました。
私は今の主治医に看取ってほしかった。
どんな先生に代わるのかな、相性が悪かったらイヤだな。
でも、1年だけでも今の主治医にお世話になれて良しとしよう。。など、
考えていたら胃が痛くなりました。
(意外とデリケートな私でした)

診察はいつも通り。

「本当に薬が合っているね。このまま5年クリアする人もたくさんいるから目指してね。」

と言われました。

私は、

そうじゃない方(生きない方)に向かって仕事もやめてしまったので暇すぎると言うと、

主治医はクスっと笑って

「まあ、いいじゃない。治療に専念しても。」

と、言われてしまいました。

治療に専念しても、それ以上に暇すぎます。

 

ところで、今年1年は

今までにない何かに夢中になり、何かを残したいと思っています。

そう決めているのですが、夢中になれる何かが見つからない状態です。

私は何をやりたいのかなぁ。。

アロマやハーブにばかり打ち込んできたから、他が見つかりません。

去年までと別の生き方をしたいと思うのは、今の私にはとても我儘で贅沢で冒険です。

万が一、短く途中で終わることがあっても、

そんな命の燃やし方をしたいと決めることができたのも

新しい年を迎えることができた治療のおかげです。

 

 
画像はぼんやりしていますが、
実際には、鮮やかな大きな虹を観ることができました。
二重になっているのも少し分かります。
 
虹って、感動しますね。
特に冬の虹は珍しいそうですが、空気の乾燥が大きな理由のようです。

雨が少なく乾燥している冬は虹も遠慮してしまう、それを昔は「隠れる」と表現したそうです。

虹は天と地の架け橋と信じられていた時代があったそうですが、

虹に出会う機会が減る冬は寂しかったのでしょうね。

 

私は俳句をやりませんが、俳句の季語にも「冬の虹」があります。
冬に虹が全く出ないことはない、希望がどこかに必ずある、と

意味を込めて俳句を詠むのだそうです。

 

難しいことはともかく、

夏であろうと冬であろうと、虹を観られるとテンションが上がります。

たくさんの人の希望の懸け橋になりますように。

 

 

冬の太陽の日差しは優しくて好きです。

カーテンを開けて眩しい朝日を見ると、会いたい人が浮かびます。

優しい夕日を見ると、みんなの1日が無事に終わったかなと思いを馳せます。

 

温かく染まったオレンジ色の空は、ずっと眺めても飽きません。少しずつ暗闇が迫ってくる夕焼け空も好き。大切な人達も眺めているのかなと想うと嬉しい。

夏の日差しでは、とてもこんな優しい気持ちになれません。
冬は寒くて苦手ですが、
太陽の光に関しては四季の中で一番好きです。

毎日のちょっとした事が嬉しくて、それが続くことに感謝の気持ちが湧くようになりました。
夕焼けのキレイな景色が観られて嬉しいと感じられるし、
生きているから観られる、明日も観られますようにと願えるのもほのぼの嬉しいです。