何も治療がないと言い放った医師 | 小さな花のひとりごと

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乳がん再発の心の動きを綴っています。
現在、肺、縦隔、骨に転移していますが、治療のおかげで元気に過ごすことができています。
やれることをやれるうちに。

20年前にお世話になった病院に行ったのは、

私が希望したのではなく紹介状を渡すから転院するように言われたからです。

紹介状とか、転院とかどんな流れでそうなるのか私には分かりません。

言われるがままにやることしか出来ません。

何か理由があるから転院を薦めるのだろう、と思うだけです。

 

転院先の病院は、地域の第三次救急を担っている大きな病院です。

1日でも早く予約を取りたかったのと、元の主治医はすでに独立して嘱託で週に一度しか来ていなかったため、

なかなか予約枠がなく、違う先生(O医師)に予約をしました。

 

元の主治医に会うのに気が引けたのもあります。

20年前、抗ガン剤治療に前向きに返事ができなかった時に、元主治医が

「せっかく治ったと思っても数年後に戻ってくることがあるんだよ、それが一番がっかりするんだよ」

と、つぶやきました。

そうか、先生も戻ってくる元患者に会うのは残念なことなんだ。それなら徹底的に治療しよう。もし再発したとしても、あの時、抗がん剤をやらなかったから…と後悔しないように。

抗がん剤治療を受け入れることを決心できた今でも忘れられない言葉なのです。

さて、

やっとO医師の診察室に呼ばれました。

 

開口一番に

「何でここに来たの?来られても困るんだけど」

「ここでやることはないんだけど」

まさか想像していなかった発言に返す言葉が見つかりませんでしたし、用意もしていません。

 

本当に言葉が出ませんでした。

(声も出ないし・・・)

 

じゃあ、私はどこに行けばいいんだろう。行けと言われたから来ただけなのに。

素人の目でもヤバいCT画像なのはわかっていましたが、抗ガン剤くらい使うだろうと考えていたのに、やることがない?もう治療がない?

 

言葉は出ないけれど、頭の中でグルグル考えは回ります。

 

それにしてもどういうわけでやることがないのか教えてくれてもいいんじゃない?

手の施しようがないのか?

頭では疑問が浮かんでも、言葉になりません。

O医師の言葉は思いやりのひとかけらもなく、傲慢で、自分が担当した患者以外は「来るな」とでも言いたそうでした。

 

O医師は<自分の範囲ではない>と決めつけて、循環器内科と緩和ケアに行くようにと看護師に指示を出していました。

循環器内科ということは、乳がんではないということか?それならそう説明してくれてもいいのではないか?疑問だらけの初日でした。

 

循環器内科では親切な先生と話ができました。

緩和ケアも親身になって話を聴いてくれるチームでした。

 

実際は、緩和ケア診察までは3週間あります。

それまでもちろん治療もなく、冷酷な医師の発言だけが心に残り、終末を待つしかないと思わざるを得ない期間でした。

 

かろうじて良かったことは、大好きな仕事が残っており、

なんとか最後までやり切って受講生さん達を送り出すことに集中できたことです。