大抵父は「特には変わりはないよ」と言い、
今でも毎日新聞を読んでいるので、
時々記事の紹介をしてくれることがあります。
今朝も「お母さんが生きていたら、この記事を読んだら
絶対懐かしがると思って、切り抜いたんだけどね」と
始まり。
朝日新聞の「歴史のダイヤグラム」(原武史著)の
連載から作家の吉村昭(あきら)氏の話をしてくれました。
『吉村昭に切符を渡した駅長』
昭和19年、吉村氏が17歳の時、高熱で結核性の肺炎に。
医師から栃木の那須の温泉への療養を勧められ、
旭温泉へ赴く。ところが、着いて3日目に父親から
すぐ帰るようにと電報を受け取り、
母親が亡くなったことを知る(子宮癌で療養中だった)。
早速、東京行きの切符を買うつもりで
黒崎駅へ木炭バスで向かい、着いたのが夕方。
翌日の切符を買う人達の長蛇の列に
切符を買うのは無理と思いながら駅長室を訪ねる。
駅長さんに父親からの電報を見せ、「母が亡くなり、
帰りたいので切符を売ってもらえませんか?」と聞くと
表情を全く変えることなく、駅員を呼び
「上野までの切符を渡しなさい」と告げる。
翌日の夜10時23分に上野駅に着き、
そこから東京の自宅へ戻ると
既に通夜も葬式も終わっていた。
あの日会った駅長さんの細長い顔に
メガネをかけていた顔は、
今でも鮮明に覚えている。
あの時、切符を売ってくれたおかげで
帰ることができたこと、とても感謝している。
詳細は間違っているかもしれませんが、
聞いた内容はこんな感じです。
※朝日新聞のサイトによると
「歴史のダイヤグラム」の連載記事は
“鉄学者〟の異名をもつ政治学者・原武史さんが
鉄道という切り口で歴史と社会を読み解きます。
作家の吉村昭氏についてはリンクを参照ください。
母の父親(私の祖父)は駅長でした。
戦時中は国内の鉄道は軍関連の輸送が最優先。
一般の旅客列車は減便、制限され、切符の枚数も
限られた数しか販売できなかったこと。
祖父が軍関連の乗客には特別に切符を渡すことが
度々あったと母が昔のことを振り返って話すのを
父は何度も聞いたことがあったそうです。
鉄道関連の記事を新聞で見つけると
母は当時を思い出して
懐かしそうに父に話をしていたので、
話し終わった父が再び「この記事を見たら、
お母さん、きっと懐かしがるよ」とにっこり。
母は戦時中の話は色々としてくれましたが、
この手の話はあまり聞いたことがありません。
父母の関係は昔型の夫婦。
父の家族がすぐ側に住んでいて
長男である父への期待が高かったり、
兄が障がいがあることでの難しさ、
忙しなく、緊張が漂っていることが多く、
関係性はそれほど楽なものではありませんでした。
でも母が「お父さんとは同じ世代で
本や映画の趣味が合うから、
そういう話ができるのはラッキーだと思う」と
時折、話していたことがありました。
同じ時代を共有した者同士
何の説明もなく、スッと通じること。
母が生存中には見えにくかった母と父の隠れた絆、
親密さをふっと感じた瞬間でした。







































