最愛の母が4月18日に旅立ちました。
義弟家族が届けてくれたチューリップ
2022年6月6日に入院した病院を11月28日に
退院。
タクシーの中で母の手をしっかり握って、
自宅に戻れたあの日がどれほど幸せだったか。
それから程なくして、
12月6日に再び救急車で入院となってからは
再度、母が自宅に帰れることを願いながら、
父と二人三脚。
入院後、食べ物を受け付けず、
鼻のチューブと点滴からの栄養で、
生き延びていた母。
血圧が低く、心臓の人工弁との兼ね合いもあり、
ベッドから車椅子への移動が難しくなり、
ベッドの角度を少し変えることも厳しくなって
きて、完全な寝たきりの入院生活に。
脳内出血での入院で、言葉が出なくなり、
オンラインの面会で久しぶりに母が「はーい」と
応答する声を聞き、感激したのは入院後、
1年ほど経ってから。
言葉での意思表示ができなくても、
私たち家族のことは最後までわかっていて、
母が何か伝えたいことも感じていました。
点滴の注射針を刺す箇所がなく、
皮下注射という状況で人工的に生きている母に
これ以上生きてもらうのは残酷。
昨年のある時からその思いが
私を苦しめていました。
義妹たちからもフリージアの花を
そして、2007年以来の日本行きのイギリス人の夫も伴って、母に会ったのがこの3月。
これがもしかしたら、会うのが最後になるかもの
覚悟をして。
母がある日私たちを見た瞬間
嬉しさに打ち震えるような満面の笑顔を
1人1人の顔をじっと見つめながら
見せてくれたことがありました。
夫は赤ちゃんのような純粋無垢な笑顔だったと
言い、私にはまるで蕾がパーっと花開くような
笑顔で、後にも先にもあんなに美しい母の笑顔を見たことはありません。
母は私たち家族(父、兄、私)のために
こんなに長く頑張ってくれたんだと思います。
これでようやく全ての痛みから解放された母。
LINEで亡くなる前に話ができ
(私と話した直後に亡くなり)、
亡くなった後も病室から父と
LINEで母の穏やかな顔を見れました。
側にはいれなかったけれども、
死に目には遭えたと感じています。
母が亡くなった日のロンドンは
ちょっと肌寒かったものの光溢れる美しい天気。
「晴れ女」と自称していた母は、
最期も晴れで締めてくれて、天晴れ!
ありがとう、お母さん、この世で出会ってくれて。
あなたの娘でいれたこと、最高に幸せでした。
本日4月22日は私たち夫婦18回目の結婚記念日。
結婚を決める時に母が「親よりも大切だと思えるような人だったらいい」
「親ほど、それ以上にあなたのことを愛して
くれるのは神様の他はいないから」と
それまでも何度も言ってくれた言葉を
思い出します。
お母さんとの約束を守るために
これからも彼と精進していきます。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。