
【映画評】ハケンアニメ!
ハケンアニメ!やっと観ました。
吉岡里穂がいい味出してます。地味メガネがホントに似合いますね~
斎藤瞳は地方自治体の職員として働いていたが、その昔、天才クリエイターである王子千晴によって作られたアニメに感動し、いつか王子に勝る作品を作りたいとの思いが忘れられずアニメスタジオに転職。以来7年。目下念願の初監督作品であるTVアニメシリーズ「サウンドバック 奏の石」の製作に没頭する日々だが、職人気質のメンバー達や売上至上主義の広報担当との軋轢が絶えない。そんな中、王子の新作「運命戦線リデルライト」が発表される。なんと「サウンドバック」と同じ、土曜日の午後5時半の放映であった。果たして覇権を取るのはサウンドバックか、リデルライトか。
特に前半、アニメ制作現場の緊張感、スタッフとの胃の痛くなるようなやり取りが続きます。いやもうホントに見てるのがツライほど。ここをキッチリやるから、吉岡演じる不器用な地味メガネがこれを乗り越える大変さと努力が強調され、スタッフが一丸となり困難を乗り越えるラストが実に爽やかに見えます。
爽やかに見えるんですが…
吉岡演じる瞳自身が「奇跡なんて起きない」と述べ、サウンドバックのラストをそんなふうに変えたい、と言うわけですが、そこから起きることはまさしく奇跡であり、どっちやねん、と突っ込みたくなります。しょっぱなのリアルさツラさがラストの大団円を強調した、と私も思いましたが、この少年ジャンプな展開、逆にちょっともったいないというか、途中から普通の映画になっちゃったなあ…と思えてきます。最後までリアル寄りで描いていれば、他に類を見ない傑作足りえたとも。
まあそこは狙ってないと言われればそれまでなんですが。
天才とおだてられつつ、実は苦悩していた王子、瞳の情熱に負けて無理を押して協力する外部スタッフ。嫌な奴に見えて実はいい人だった広報担当。この辺の描き方もなんだかどっかで見たようなのばっかしだし。
こういうのすなおに観られない。自分の方がスレた親父になっちゃったんですね。多分。悲しいなあ。
【映画評】TAR 映画を観るという体験の意味合いを根本から変える大傑作?問題作?
TAR でございます。
ベルリンフィル初の女性常任指揮者であるリディア・ターは、レズビアンであることをカミングアウトし、女性のパートナーであるシャロンと養子である娘の3人と生活していた。シャロンもまたベルリンフィルのコンマス(コンサートマスター)として活躍。リディアの助手であるフランチェスカも才能ある指揮者であり、リディアの元で副指揮者となれることを期待していた。
リディアは念願だったマーラー5番の録音に向けオーケストラの練習に余念が無い。また自伝の出版も控え順風満帆に見えたが、ほころびが生じたのは、かつての教え子クリスタが自殺したという知らせであった。リディアとクリスタの関係が取り沙汰され、ネットには悪意ももって編集された動画が出回り、リディアは窮地に陥ることになる…
というようにストーリーをなぞって説明しても、この映画の説明にはならんのです。
概ねにおいて不親切であり、分かりやすい説明などは無い。150分の長尺にして、60分を過ぎるあたりまで何も起こらない。情報多いしセリフも長い。意味不明のシーンやカットも多数。
んが。それと分かって見ていれば、あーあのシーンこのカット、そういう意味だったのね!と分かってくる。
当然ながらそこは狙いであります。
実は冒頭、延々と長いエンドロールがあります。は?冒頭にエンドロール?だってエンドロールにしか見えないんだもん。
これも、この映画の特殊な構造を象徴した演出なのかもしれません。
テネット然り。エブエブ然り。これもまた配信を抜きにして映画を語れない時代の映画であり、繰り返し観られ考察されることを前提とした映画と言えましょう。
ある意味、ネタバレ無しにこの映画を解説することは不可能で、まあとりあえず観てねーとしか言い様が無い。
その中でも一つだけ、映画の理解を促すためのネタをご提供するならば。
冒頭の舞台でのインタビューのシーン。赤毛の女性の後ろ姿が出てきます。こいつが途中で自殺するクリスタです。多分。クリスタは劇中では顔もはっきりせず、赤毛の女としか説明されていないので。
大体、映画の中盤で「クリスタ自殺した」ってなった時に、クリスタって誰だっけ?てなったもん。ホント不親切な映画だわww
映画の複雑な構造を反映してか、字幕にも混乱が見られ、劇場公開版とアマプラの字幕の違いが指摘されたりもしていますが、もはや字幕では限界があり、原語を理解出来ないと、この映画を完璧には理解出来ないのかもしれません。
なお映画全体の細かいネタ説明については、↓で非常に詳細かつ膨大な説明があります。これ完璧。
リディアは後半、フランチェスカの裏切りとクリスタの呪いで徐々に精神を病んでいきます。
言うまでも無く、ケイト・ブランシェットの鬼気迫る演技は見ものであります。
なおラストシーンをハッピーエンドと観るかデッドエンドと観るかも議論が分かれているようですが、たーさんは結局楽譜見ている時が一番幸せそうなので、居場所を得られたということで、めでたしめでたしで良かったんじゃないでしょうかね?
【読書記】『サピエンス全史(上、下)』
サピエンス全史でございます。
発売時には一世を風靡し、かのオバマ大統領も読んだという話題の本です。
いやーこのテの本は長くて字が小さくて読みにくいですわww
こないだ読んだ『銃・病原菌・鉄』と似たテーマというか方向性を感じました(本書の最後に『銃・病原菌・鉄』に対する謝辞があったので影響は少なからずあったと見え)。要は如何にして人類は今のごとくなったのか、という。
あーあの、ちょっと前に流行った、実は人類って理科の教科書に載ってるみたいにアウストラロピテクス、ネアンデルタール、クロマニヨン、現人類とまっすぐ進化してきたわけではなく、いろいろな人類みたいのが同時期に存在して現われては消え、あるいは後で現れた人類みたいのに古いのが淘汰されたり滅ぼされてきて、現人類が残った…というビックリな話もこの本が元ネタです。
イロイロと面白い話があるんですが印象に残ったポイントを挙げるとすれば、
・人は普通に暮らしていれば、他人を識別したり覚えたりできるのはせいぜい150人ぐらいで、かつてはこの程度の規模のコミュニティで暮らしていた。それが大人数で活動(企業とか国とか、なんなら戦争とか万人規模の)出来るようになったのは”虚構”を信じられるようになったから。宗教もそう。みんなが信じていると思えるから顔も知らない人と同じ目的や理念を持って行動できるようになった、これを本書では「認知革命」と呼ぶ
・狩猟採集から農耕へと変化したことで食料の安定供給が果たされ人類は平和になったかと思えばさにあらず。狩猟採集のころは獲物が取れなければ土地を移動すれば良かったのが、農耕ではそれが出来ず、不作の年はまるまる一年分の労働が無駄になった。人の労働量も狩猟採集の時代は午前中のみ勤務程度だったのが農耕の時代は終日働くようになり負荷が増えた。
↑これなんかは、Windowsのバージョンが上がり処理速度が高速化し続けているのにナゼか仕事は楽にならないとの似てるわー。
・産業革命以降、生産性は向上の一途と辿っているが、これだけ多くのモノを作って、果たして誰が買うのか?購買力を増やすために倹約は美徳ではないと刷り込まれ、個人主義が広められ、人生のあらゆる場面で世話を焼く家族や親戚に市場が取って変わった。例えば結婚は親や親戚が相手を見つけ紹介することが多かったが、今はカフェやらレストランやらが出会いと恋愛の場に変わった
それ以外でも、毎日食べてる卵やら畜肉を生産するために、動物たちが機械のように扱われている実態だとか…これでいいのか現代社会、と思えるネタが満載です。
まあそれを享受し日々の生活がなりたっている状況で、明日突然状況を変えるわけにもいかないというのが現実でしょうが。
出来るのは、目の前のことに対して、これは非常に便利だが長い目で見て果たして人類のシアワセにつながっているのだろうかと立ち止まり、つながってないことには他の手段が無いか考える、ということの積み重ねでしょうか。
文化文明には良い側面もあるということも一方では忘れず、考え続けていくに尽きるでしょうか。