【映画評】TAR 映画を観るという体験の意味合いを根本から変える大傑作?問題作?
TAR でございます。
ベルリンフィル初の女性常任指揮者であるリディア・ターは、レズビアンであることをカミングアウトし、女性のパートナーであるシャロンと養子である娘の3人と生活していた。シャロンもまたベルリンフィルのコンマス(コンサートマスター)として活躍。リディアの助手であるフランチェスカも才能ある指揮者であり、リディアの元で副指揮者となれることを期待していた。
リディアは念願だったマーラー5番の録音に向けオーケストラの練習に余念が無い。また自伝の出版も控え順風満帆に見えたが、ほころびが生じたのは、かつての教え子クリスタが自殺したという知らせであった。リディアとクリスタの関係が取り沙汰され、ネットには悪意ももって編集された動画が出回り、リディアは窮地に陥ることになる…
というようにストーリーをなぞって説明しても、この映画の説明にはならんのです。
概ねにおいて不親切であり、分かりやすい説明などは無い。150分の長尺にして、60分を過ぎるあたりまで何も起こらない。情報多いしセリフも長い。意味不明のシーンやカットも多数。
んが。それと分かって見ていれば、あーあのシーンこのカット、そういう意味だったのね!と分かってくる。
当然ながらそこは狙いであります。
実は冒頭、延々と長いエンドロールがあります。は?冒頭にエンドロール?だってエンドロールにしか見えないんだもん。
これも、この映画の特殊な構造を象徴した演出なのかもしれません。
テネット然り。エブエブ然り。これもまた配信を抜きにして映画を語れない時代の映画であり、繰り返し観られ考察されることを前提とした映画と言えましょう。
ある意味、ネタバレ無しにこの映画を解説することは不可能で、まあとりあえず観てねーとしか言い様が無い。
その中でも一つだけ、映画の理解を促すためのネタをご提供するならば。
冒頭の舞台でのインタビューのシーン。赤毛の女性の後ろ姿が出てきます。こいつが途中で自殺するクリスタです。多分。クリスタは劇中では顔もはっきりせず、赤毛の女としか説明されていないので。
大体、映画の中盤で「クリスタ自殺した」ってなった時に、クリスタって誰だっけ?てなったもん。ホント不親切な映画だわww
映画の複雑な構造を反映してか、字幕にも混乱が見られ、劇場公開版とアマプラの字幕の違いが指摘されたりもしていますが、もはや字幕では限界があり、原語を理解出来ないと、この映画を完璧には理解出来ないのかもしれません。
なお映画全体の細かいネタ説明については、↓で非常に詳細かつ膨大な説明があります。これ完璧。
リディアは後半、フランチェスカの裏切りとクリスタの呪いで徐々に精神を病んでいきます。
言うまでも無く、ケイト・ブランシェットの鬼気迫る演技は見ものであります。
なおラストシーンをハッピーエンドと観るかデッドエンドと観るかも議論が分かれているようですが、たーさんは結局楽譜見ている時が一番幸せそうなので、居場所を得られたということで、めでたしめでたしで良かったんじゃないでしょうかね?