タケノコが採れたよ。
今日は、ちぃがタケノコを掘って来ました。
たくさん採れたので、近所におすそ分け。
今朝は、久しぶりにストーブをつけるくらい寒かったけど、
明日の朝は、もっと冷え込みそうだよ。
転換以前
炭素循環農法は、自然の側(法則)に基準を置き科学的に説明したに過ぎず、マニュアルはありません。
何をやろうと自由。自然の法則に則っているか否かだけが問われます。
「炭素循環農法を取り入れて己独自の農法を」などと大それたことを考えている者や、土の外で資材を弄んでいる、自然に対し真の謙虚さがない者は「直ちに、ここから立ち去って下さい」時間の無駄です。
余所で勝手にやって下さい。
ウエスト何センチ?
畑の漏水が直ったよ。
昨日は、畑の灌水設備の修理をしていただきました。
水道管は2mぐらいの深さにあり、思いの外大掛かりに(ノ゚ο゚)ノ
いつから漏水していたのか判りませんが、
相当な量の水が流れていたのかもしれません。
なかなか見れない深いところの土も見ることが出来ました。
敷設して40年ぐらい経ち老朽化が進んでいるので、
配管の更新工事も始まっているそうです。
注文した耕運機のバッテリーも届き、今日は耕耘をしました。
安いバッテリーで半年もたなかったので、
ちょっとだけ高いバッテリーにしてみたよ。
先駆者
「自然農法」はルドルフ・シュタイナーや岡田茂吉が説きました。
また、高炭素資材の活用による高い生産性を証明したのは「躍進微生物農法」の創始者、島本覚也。最大の啓蒙者は福岡正信です。彼らの功績と先進性に敬意を表し、ここに明記しておきます。
しかし、理論的な解明が為されていず、仔細過ぎ呪術的、精神論に片寄り難解、施肥・施水・防除の呪縛から逃れられない、自然が解らず哲学に逃避など、矛盾や無駄もみられます。
重点の置き所は違っても、彼らは全く同じことを説いています。自然は一つ。当然、説くことも一つ。自然農法も一つ。にも拘わらず、彼らの説いたことから何故、多くの自称自然農法が派生したのでしょう。
シュタイナーや茂吉は一般の者には無い特殊な能力、いわゆる霊能力を持っていました。そのため、彼らの説いたものには一般の者には絶対に理解できない部分があります。
分かっている者(彼ら)の悪い癖で、往々にして「その(霊)世界の話」を織り交ぜて語ります。分かる者にとっては自明の理。しかし、「物の世界」しか知らない者に「こちらの言葉」だけで的確に説明するのは無理。そもそも、あちらの世界は「物の無い世界」「言葉の無い世界」だからです。
結果として、同じことでも説明者により表現が変わり、一般の者には別のものとして受け止められます。すると伝達を繰り返す内に、あたかもDNAのコピーミスで細胞が癌化するように、自然農法DNAが正確にコピーされず異常化、増殖します。茂吉の自然農法とシュタイナーのバイオダイナミック農法が別物と思われているのがその好例。
意識世界に「在る」のは、自然とその仕組みの元になるエネルギー、そして天の理(意識世界の法則)。
これは実際の栽培面では、直接使えない不要な知識。選り分けて捨てることができない限り実践面では障害になります。分かったつもりで勝手に解釈。
それに拘るため、生産性が低く、何時まで経っても漢方的防除を必要としているのが「過去の全ての自然農法=自然風慣行農法=自然猿真似農法」です。
これらの農法(癌化=自己免疫疾患=内部から崩壊)は、異常を警告している害虫、病原菌(外部からの崩壊)と同じ重要な役目。自然の持つ処分・浄化作用ではありますが、放置すれば食糧の絶対量不足、低品質(虫の餌、野生化)など、正常化させなければ命取り。対処法は害虫(菌)と同じ。意識の土壌改良(場の改善)により、これも無防除で消えてもらわなければならないものです。
炭素循環農法は、これらと関係なく(惑わされることなく)一百姓の実践の中から得られたもの。しかし、単に経験だけに頼らない、理論に裏打ちされた一連の技術体系です。結果的に、彼ら先駆者の理論(極々少数の者以外にとっては未知)の正しさを立証、再確認することになるのですが。
畑がちょっと陥没したよ。
昨日、今日と晴れが続いています。
畑を耕運しようとしたら、
耕運機のバッテリーが上がっていて出来ず、
管理機もエンジンがかからず断念。
そして、数日前から畑に2メートル弱の穴が(ノ゚ο゚)ノ
日々大きくなっているような気がして、
どうしようと考えていたら、シューと音がしていたので、
畑の灌水用のパイプが水漏れが原因と判明。
水を管理している土地改良区に連絡して直してもらえることになりました(ちぃはそうだと思っっていたと後から言ってたよ)。
なんだか思う通りに進みませんが、
そんな時は慌てないで、他のことをしたほうが良さそうです。
とりあえず、バッテリーを注文したよ。
炭素循環農法の概要
自然が生き物(“いのち”)を生かす仕組みを理解し、農耕地に於ける炭素循環を人為的に効率化。
「炭素循環量」を森林並か、それ以上にすることによる無施肥・無施水・無防除の自然農法です。
慣行農法や有機農法の全ての障害は施肥にあることを明らかにし、植物が土壌微生物との共生関係を保ちながら進化した環境、即ち「微生物の作り出す養分バランス」を土壌中に再現し保つことにより、作物にとって過不足のない養分供給を可能にします。
バランスは人が「とる」ものではなく、「とれる」もの(自然に均衡するもの)なのです。
環境汚染の原因にもなる化学肥料、堆肥(ボカシ)も無用。
逆に過剰施肥による汚染地を積極的に浄化。
無施肥であっても慣行農法以上の収量が得られます。
障害は施肥にある:
無施肥は、日々の利益での日当支給制。施肥は、働く前に1年+30%上積みの給料支給制や、発注前に工事費などを130%払うのと同じ。たとえ数回の分割払いでも前払い。過剰支払いに変わりない。何が起こるか考えるまでもない。
慣行農法以上の収量:
現時点では、植物体そのもの(野菜類やサトウキビなど)を利用するものは慣行の2~3倍。種実を利用するもの(穀類、果樹、果菜など)は1.5倍以上としか分かっていない。
自然農法や有機農法は難しいと言われますが、それは仕組み(理論)を知らないからです。
慣行と自然農法の実際面での相違は、施肥と防除の有無。
自然農法が成立する基因は、土の「清浄度=生物化度」と「肥沃度=進化度」の二大要因。
施肥農法では施肥量が増すほど清浄度が落ち(土壌バイオマスが減り)、バクテリアが主になり、二つの指標は相反。
無施肥なら相反しません。
方法は、いたって簡単。土壌中での有機物の分解は、C/N比40(炭素比=炭素量/窒素量)を境に、以下なら最も下等なバクテリア(真正細菌)、以上なら土壌微生物中では最も進化の上位にいる糸状菌(菌類)が主に分解を行うという特性を応用します。主に分解を行う
分子生物学的分類では生物を三つのドメインに分類している。真正細菌(大腸菌、放線菌、藍藻などの所謂バクテリア)、古細菌(好熱菌、好塩菌、メタン菌など)、真核生物(菌類、動・植物など)。主に細菌類による腐敗分解の結果生成される成分(メタン、水素、硫化水素、アンモニアなど、原初の地球環境中に充満していた)を利用するのが古細菌群。土壌環境次第で主役が入れ替わるため全て(3ドメイン)が必要。
自然と同じようにC/N比40以上の、難分解性・高炭素有機物(生の雑草・作物残滓・緑肥作物や、C/N比調整・醗酵処理=キノコ培地化した木材チップ等)を土壌中に入れるだけ(耕起・混ぜ込み=炭素循環の効率化)。
自然林野では落ち葉や朽木(C/N比40以上)を菌類が最初に分解し、細菌類は二次・三次分解者です。
自然林野での分解過程の再現。
高C/N比有機物は土壌中の糸状菌が一旦ガードしてから、ゆっくり発酵分解する(食べる)ため、急激な腐敗分解による窒素吸収阻害物質の生成・吸収活性低下(窒素飢餓)現象や、生の有機物による障害は起きません。
炭素の供給量に応じ微生物相は豊かに、バイオマスは増大。
豊かな微生物相が有機物の処理能力を更に高め、微生物から供給される養分だけで、施肥栽培以上の生育に必要な養分供給が可能になります。
もう、お気付きでしょう。従来より土壌改良と呼ばれている、よく知られた技術です。
化学肥料が登場する以前には、極当たり前に行われていた、里山の刈り柴を入れる技術と何ら変わりありません。
違いは、自然の理(仕組み)を熟知して、マイナス現象を発現させないか否かだけです。
糸状菌(菌類)は動物(植物・動物の二大分類)の仲間。
植物により一旦、生かされた有機物を餌として与え「飼う」のです。
堆肥化せず生で与えると従来の堆肥を使う農法の1/3~1/10程度の有機物資材で足り(基本はその圃場内で生産)、省力・省エネです。
堆肥化や化学肥料を止めれば、二酸化炭素の排出量を大幅に削減できます。
堆肥化に伴う放出分は二酸化炭素総排出量(日本)の約3.5%。放出分をバイオ燃料化すれば倍の7%。これに、工業的窒素固定(世界の全エネルギー消費の約2%)。
更に環境浄化、修復・保全に関わるエネルギー損失(耕作自体が環境保全)なども考えれば、二酸化炭素総排出量の10%前後?の削減は可能と推定されます(温暖化と二酸化炭素排出との因果関係には疑問もあるが)。
微生物は使える炭素(有機物)がある限り、遊離(無機化)し垂れ流し状態の、過剰な肥効成分(無機状態の窒素や燐など=使われていない)がなくなるまで増え続け、土壌を丸ごと醗酵、清浄化します。
作物に必要な成分を生きた状態に(有機化=生物化)しておけば、たとえ必要量以上あっても(実際の全窒素は慣行の半分以下)、土自体には植物が直ちに使える肥効成分がないため、硝酸の過剰吸収や有機物の腐敗が起きません。
実測値は施肥栽培における無機態窒素適濃度の1/40~1/180 。これは痩せた土手土と同程度(0.1~0.2mg/100g)の硝酸濃度です。この数倍以上だと虫に食われます。
更に、生きている養分(微生物、雑草等)は流出するどころか、大気中から常時、炭素や窒素を新たに固定。
循環量が増え外部から一切資材を持ち込まなくても施肥栽培以上に作物は育ち(実際例は1.5~3倍)、施肥による諸問題(有機物資源や化石資源の浪費、環境汚染・破壊、連作障害、作物の質の低下など)も起きません。
たとえ持ち込んでも、作物の窒素吸収量の1/10~1/3程度。つまり、作物が使う窒素は土壌中に常在していません。
他の無機成分(可吸態・不可吸態)も微生物が一旦取り込み(有機化=生物化)、土壌の清浄度と肥沃度(養分供給力)を保ち、バランスを整えてから作物に供給します。
植物に必要な成分は、微生物が使え(食べられ)さえすればよいのであって、植物にとって可吸態である必要はない(あってはならない)のです。
病虫害や連作障害等は、土壌中の有機成分の腐敗・分解の結果、産生された腐敗物質や無機化した窒素(アンモニア態+硝酸態)、肥料として投入された無機態窒素が直接の原因。
間接的には、腐敗による土壌の物理性の劣悪化(団粒構造の崩壊→緻密化→腐敗硬盤層形成等)や、それに伴う生物性、化学性の悪化等です(硬盤=耕盤=時には鋤床とも)。
生物性、化学性が良ければ機械的な踏み圧や降雨では土は硬化もしないし、すぐ戻ります。
有害成分の発生や、無機成分による養分バランスの崩れがなく、健康に育った作物は、虫や菌の活躍の場ではないため寄り付かず、無防除が可能。
そして、過剰な硝酸や腐敗物質を吸収しない作物は、味も日持ちも良く(菌が食わない)、人畜の健康に良い、本来の人の食物となります(炭素循環農法の野菜の硝酸イオン濃度)。
炭素循環を円滑に行えば、土壌は団粒化し、通気性、通水・保水性は改善。
農耕地となる以前の森林・原野が持っていた以上の、環境浄化力・保全力を取り戻すと同時に、安全で美味しい農産物の生産が可能になり、生産性も大幅に増加します。
雨の日は、奥さんの上にのってるよ。
バイトも終わり農作業に専念した途端、
雨や地区の行事で作業が思うように進んでいません。
暖かくなってハウスの中の野菜たちも、
大きくなり花も咲いています。
今日も一日雨だったので、働いてきた奥さんに楽健法をしてみたよ。
ルッコラの花
炭素循環は生命体の最も基本的な現象です。
生き物相手の百姓が基本を忘れては「命」ある作物を育て、人々の「命」を守ることはできません。
食物連鎖と呼ばれているのは生命連鎖であり、食とは命を食べ命を「循環」進化させることです。
鉱物(無機物) → 微生物 → 植物 → 動物 → 人、と命が循環、進化するわけです。
「人」は命の進化の最終形態であり、現時点で最も完成度の高い、自然の作品。
物理法則に「エネルギーの保存則」というのがありますが、物だけにそんな便利な?法則が働くわけではありません。
これは「無量」の世界の仕組み。「“いのち”」は初めから“いのち”そのものであり見かけが変わるだけ。
“いのち”がいきなりできたり、無くなったりするのではないのです。
生命現象とは“いのち”が見える“かたち”になった状態であり、見える部分は見えない部分の結果として現われるに過ぎません。
全てが“いのち”です。
「E=mc2」の E に相当するのが「“いのち”」であり、mc2 に相当するのが「生命(体)」。
見える“いのち”(生命体)にとって、水(酸素)を除けば炭素が第一の必須元素。
炭素の循環量に応じて他の元素(養分)も循環します。
炭素循環=生命。と言っても良いでしょう。
「必須アミノ酸の樽(一番短い樽板までしか水は貯まらない)」という考え方同様、短い樽板の所までしか他の養分も有効利用されず(最小養分律)、樽板の高さが揃わない場合、単に無駄になるのではなく邪魔になると言われます。
有機物は炭素骨格を持ち、水や炭素は樽の箍(たが)や底板のような物。
人の思いで必須養分をP,N,K,他、と勝手に限定し、土壌分析の結果だけで養分の過不足を判断しようとすることが間違いの元です。
土壌分析はスチール写真のようなもの。施肥農法では役立っても、常に循環している瞬間の状態は、循環農法では無意味です。
養分は常に微生物等により固定されたり可吸化されています。
土は生きています。
人は地球の自然、生態系の中で、地球は太陽系・銀河系・宇宙の中で生かされています。
更新してしまった大台設定
御嶽山の桜ロードの桜も見頃だよ。
長崎から帰ってきたら、桜が満開になっていました。
御嶽山の旧研修センター?の展望台も花見の人が来ていました。
炭素循環農法HPより
自然は人に何も要求しない
これまた、当たり前のことですが無施肥と言っても、植物が育つのに必要な養分や量に違いがあるわけではありません。
実際に無施肥・無農薬で作物を作っている者は多数います。
でも、詳しい養分供給の仕組みまでは、理解されていないのが実情でしょう。
理論的裏付けの欠如から手探り状態で多くの試行錯誤を繰り返し、安定した生産体制に至るまで遠回りをし、多くの労力と時間を費やしています。
そして、多種多様な農法が提唱され、また実践されています。
農法は農家の数だけあるとも言えますが植物が育つ基本的な仕組みは一つ。
その仕組みに沿わなかった時、作物は虫の餌となります。
虫の餌か人の食物かは、養分の供給の仕方(土壌環境や土壌生態系、養分バランスを保てるかどうか)で決まり、理論さえ分かれば無駄な苦労をすることはありません。
単純に考えて自然状態で虫に食われない植物があるのですから、それと同じ状態(仕組み)を再現すればよいわけです。
同じと言っても、何も全てを同じにする必要はありません。
時計の針は逆には回りません。
文明人が今更、サルや未開人の真似をしても始りません。
最も基本的、あまりにも当たり前過ぎて誰も気付かなかった「炭素」の循環の仕組みを同じにすればよいだけです。
要は自然の仕組みを知り、その仕組みを最大限に活かし作物を生かすこと。
仕組みさえ活かせれば資材を選びません。
反発を承知であえて言います。
化学合成、遺伝子組み替えか天然資材、非組み換えかは、本質的問題ではありません。
化学、天然に関わらず「肥」と「殺し」は御法度。
肥を与えた結果が殺し。
「肥」は人の勝手な思いであり、自然の要求ではありません。
いったい、「肥」という概念は何時の頃からあるのでしょう。
人が耕作を始めた千、万年?の昔からでしょうか。
現代農業の基礎となる「無機栄養説」を説いたのは「農芸化学の父」と呼ばれているリービッヒです。
彼はもっと重要な(凄い)こと(「窒素無用論」「腐食の栄養略奪論」)を説いているのですが現在に至るまで、それを誰一人理解・評価するどころか逆に誤りとしています。
自然は人に何も要求しません。
人が「肥やす」という傲慢な思いを捨て、真摯に自然と向き合ったとき、初めて自然の真(本来)の力(意志)が見えてきます。
そして「防疫」という概念から解き放たれたとき、自由を与えられます。
自然農法は「自由農法」でもあるのです。
自然の意思と人の思いが合致した時、自然は人に全てを与えます。
朝晩は、霧がすごくて遭難しそうになったよ。
長崎に行ったり来たりしています。
遠回りですが、大分市まで出てひたすら高速を走るのが
googleさんでは一番早いコース。
日田から高速に乗る場合は、少し時間がかかりますが、
距離は少し短め。
先日の帰りは、日田からのルートで帰ってみました。
日田は、焼きそばが有名。
ちょっと硬めで美味しかったよ。
日田からのルートは、朝晩は濃霧で先が見えないので、
危うく遭難するとこだったよ。
過去の農法は殺し農法
百姓は、太陽と土と空気と水さえあれば植物は育つということを、何時の間にか忘れてしまったようです。
そして「虫が虫の餌を、菌は菌の餌を食べるのは当たり前だ」ということを見落としています。
自然状態で虫が緑を食べ尽くすことはありません。
菌が人や動植物を食べ尽くすこともありません。
虫(菌)は「虫(菌)の餌」以外のものは食べない(られない)からです。
自然の仕組みを忘れ、人は害虫(菌)という幻に怯え、それらを殺し、つい数十年前までは人の口に入ることのなかった「虫の餌」を横取りして食べることが、異常であると気付かずに、平気で食べるようになってしまいました。
科学的との美名?のもとに、何時の間にか、当たり前のことを当たり前と思わなくなってしまったのです。
土に「有機物=有機炭素化合物」が不足すれば作物は生育不良になることをプロの農業者なら誰でも知っています。
でも、有機物を必要としているのは土壌中の微生物であり植物ではないということは、知っていても意識されていません。
その証拠に、有機物(炭素)を最も適した状態で土壌中の微生物に与えていません。
適した与え方をすれば、どのような仕組みで何が起こり、人々の健康や地球環境に、どんな影響を与えるか、原点に返って見つめなおしてみる必要があるのではないでしょうか。
何もいまさら、改めて「炭素循環」などと言わなくても、自然の野山や農業現場では、昔から当たり前に行われていることです。
しかし、意識されていませんから非常に無駄が多く、炭素不足のため養分循環が円滑に行われていません。
それを補おうと施肥に頼り、土壌(微生物成育)環境を破壊。
養分バランスを崩し「人の食物」を作る筈が、実は「虫の餌」を作っているのが、堆肥・天然農薬の有機農法や化学肥料・化学農薬の慣行農法であり、これは「施肥・殺し農法」です。
そして、過去の自然農法(自然の猿真似農法や一切の資材を否定した断食農法)も、旧概念(人の側から事象を捉える)から完全に脱却しているとは言えず、殺し(排除)が行われる限り、たとえ有機・自然農法と称していても施肥農法と同様な危険性をはらみます。
虫(菌)が「何のために」「どのような物を食べるか」理解すれば、虫に食べられない作物(人の食物)を作ることは、それほど難しいことではありません。
寧ろ非常に簡単で「何故こんな簡単なことに、今迄気付かなかったのだろう」というのが実践者の感想です。
















