百姓でいのちき -13ページ目

長崎は、昨日は少し雨だったよ。

昨日から、長崎の諫早に出張中。

 

長距離の運転は、腰に負担がかかりそうでしたが、

 

軽トラのキャリィさんは、アクティくんに比べて車内が広いので、

 

少し運転が楽になりました。

 

 

フェリーで怖いくらいのカモメが餌を食べに寄ってきていました。

 

 

 

餌をあげていた子供が指に怪我をしていたので、気をつけたほうがいいよ。




 

 

 

 

 

 

 

 

炭素循環農法HPより

農法以前

 環境問題や新しい農法(自然・有機・循環・持続型・微生物・無施肥など)に関心、あるいは疑問があるからこそ、ここを訪れたのだと思います。

 

先ず、他との違いを明らかにしておきます。

 

何事にも「やってはならないこと」、「やらなければならないこと」があります。

 

また「やっても良いこと」、「やらなくても良いこと」もあります。

 

ところが、施肥・防除の呪縛から逃れた「つもり?」の、最も先進的と思われている農法ですら「やらなければならないこと」が“ある”ということに気付いていません。

 

その「やらなければならないこと」をやれば、人々の健康や環境保全に、如何に甚大な影響を与えるかを明快に解き明かします。


農法云々という前に常日頃、皆さんが何気なく取っている行動から見直してみます。

 

そこには何とも不思議な現象が・・・(笑)。

 

「新しい農法を求め、一生懸命・努力・研究・苦労を重ね○十年」という、その道では知名度の高い立派な方々(指導者)がおられます。

 

そして、その技術を伝えようと頑張っておられます。また、それを見習おうと多くの方が日夜努力を重ねています。


でも、何処か変と思いませんか?。

 

彼らは「誰も真似のできないことを成し遂げた」からこそ有名なのです。

 

つまり凡人に彼らの真似はできません。見習うことは諦めましょう。

 

たとえ指導者(人)から答えを貰っても、それは「人の脳(悩)法」の答えです。


そして、自然が“いのち”を生かしている仕組みに逆らっている分「一生懸命・・・」しなければならず、反自然の分がマイナスの現象となって現れているだけのこと。

 

自然に対しての努力や苦労は理に沿っていない証です。

 

農業はスポーツじゃないんです。既に先輩がそれを証明しているのに今更、同じことを繰り返してみても徒労以外の何ものでもありません。


過去の全ての農法は人々の長年の経験を元に「人が組み立てた」知識・技術体系。

 

そのため全て、人の側に基準を置いた「人脳(悩)法」であり、自然の側に基準を置いた「自然農法」ではありません。

 

それ故に知らずゝの内に「自然の理」に反してしまっているのです。

 

「理」に従えば誰でも、何処でも、何時でも、無理なく、楽して目的を達成できます。


このサイトにある「基本(自然の法則)通り」にやれば、作物は勝手にできてしまいます(既に実践者により証明済み)。

 

ところが何時まで(3年以上)経ってもできない方がいます。「一生懸命・努力」の方です。

 

当人は「ここに書いてある通りに」やった“つもり”。


そして炭素循環農法より「上を目指して」と・・・。

 

しかし基本から逸脱。単に表面上の形だけを真似「やってはならないこと」に腐心しています。

 

その結果は皮肉なことに、自身では解決できず「研究・苦労」の末「各種の障害の見本市」状態。

 

当人は、この農法の実践者と思って(称して)いても“似て非なるもの”です。


「上を目指して」と思うことは、大いに結構。

 

でも、自然の側ではなく、己の思いに囚われ、サイト案内(心得)基点(視点)の意味が全く理解できず、眼前に現れる事象に翻弄されています。

 

大変ありがたい方(答えを貰える反面教師)ではありますが、本人の苦悩はいかばかりかと思うと・・・。


また、主に農業初心者や自然猿真似、有機堆肥農法の経験者に見られる「ごちゃ混ぜ」も同様。

 

本人は良いとこ取りのつもりなのでしょうが、勝手な組み合わせは本農法(自然が“いのち”を生かす仕組みの応用)とは無縁。

 

関心を持つのは結構ですが「生兵法は怪我の元」分かったつもりにならないことです。


自然は、それほど甘くもないし曖昧さもありません。

 

やったつもりになるな!。自然を嘗めるな!。」自然は法則でしか動きません。

 

そして、解り始めると「解っていない」ということが分かり始めます。


農業初心者で、右も左も分からない内は致し方ありませんが、何故か広い意味でのオーガニックに関心ある者のほど“自然に対する甘え”がみられます。

 

おそらく「解ったつもり」の傲慢さからでしょう。  

 

おかげさまで、腰が楽になったよ。

昨日の整体のおかげで、腰がだいぶ楽になりました。

 

また痛くならないように、体の使い方を見直そうと思います。

 

 

明日からしばらく出張になるので、

 

ハウスの残作業を切りの良いところまで終わらせました。

 

 

しばらく、畑のお世話をちぃと娘にお願いしたよ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炭素循環農法HPより

 

概要

 

 何も特別のことはしません。極当たり前に自然界で行われていることを、少しだけ無駄を省き効率化します。

 

すると自然状態では通常は見られない一見、不可解な現象が起きます。

 

地上からは、作物と僅かな雑草を残し他の全ての生き物が消えます(水田では雑草も全て消える)。

 

いわゆる単一・一様化(モノカルチャー化)です。


消えた生き物の中に害菌、害虫、害鳥・獣も含まれ防除は無用。

 

当然、それに拮抗したり依存関係にある益○○も消えます。

 

自然の法則上起こる一様化と無防除化は一つの現象の別々の側面。

 

地上の単一・一様化は地下の富栄養(バイオマス増大)・多様化の反映であり、逆に熱帯雨林などの地上の多様化は、地下の貧栄養・一様化の現れなのです。


農耕地では自然とは正反対に見かけは多様性があってはなりません。

 

トンボやツバメが飛び、これが自然なんだと単純に喜んでいては真の自然農法、有機農業を語ることはできません。

 

農耕地は如何に自然状態ではあり得ない「不自然にして反自然ではない」ことを起こすかです。


書籍やインターネットを幾ら調べてみても、こゝ「炭素循環農に書かれている基本的原理は見つかりません。

 

見つからないからこそ、このホームページを立ち上げたのですから。


人(書籍、先輩)ではなく、自然=仕組み=法則性が指導者。

 

詳細な仕組みは直接、作物や虫に教わっています。

 

また、自然農法を知らない者、新しい者(後輩)が実際に答えを教えてくれる先生です。

 

全てが逆。既存の知識は説明のためです。

 詳しく知りたい方は、ここは飛ばして 次へ(基本へ) → お進み下さい。概略だけ知りたい方は、以下だけお読み下さい。

なお、ここは純然たる「」のための「農」のサイト。全ての「農法」の本質を理解するためのサイトです。自然を過剰に美化や絶対視している、自然崇拝者・人為行為過敏症の場合、アレルギー症状が・・・^^; 。

初めての整体は、思っていたより痛かったよ。

今日は、ほとんど雨降りの寒い1日でした。

 

ハウスサイドの天井ビニールをパッカーで固定したので、

 

昨日からハウス両サイドのビニールを降ろしていました。

 

 

今朝ハウスに行くと、相変わらずサツマイモの食べ残しが(`×´)

 

 

隙間をなくしていたので、サイドのビニールを破り侵入した模様。

 

争奪戦は、まだまだ続く・・・




生まれて初めて整体をしてもらいました。

 

足の長さや肩の高さが左右で違っていました。

 

 

伸ばせなかった腰が、おかげさまで伸ばせるようになったよ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炭素循環農法HPより

 

不幸にして「自然風慣行農法」を学んでしまった方へ

 一生懸命勉強して知識が豊富なほど、実践経験が長ければ長いほど、救い難いほど重度の「自然農法症候群」に罹っています。

 

自己診断法は単純明快。

 

2年で虫も病気もつかず、成育速度、収量とも慣行並み。丸3年で全ての点で慣行を超える。


これ以下の進捗状態なら、間違いなく罹患しています。

 

畑を見れば、その人の頭の中の腐敗度、団粒化・浄化度がたちどころに分かります。

 

畑は、それを管理する人の脳の状態を正確に反映しているからです。


何も知らなければ、たった1年でできることを重症者は、人一倍熱心に努力したあげく、最低でも3~5年。

 

更にその後2~3年で、できることを数年~10年以上、無為な時間を費やしています。

 

それでも治れば儲けもの、転換半ばで止まってしまいます。


一般の慣行農法の場合、無意識であっても「他に方法がない。仕方がない。」という自戒、自責の念から自覚症状があります。

 

ところが自然風では、人の側(己の頭)の基準で「自分は正しい」ことをやっているという勝手な思い(独りよがりの偽善ゆえの奢り・慢心)があり、それに拘り(自縄自縛)自覚を妨げます。


己自身を誤魔化し自己正当化。正義面して他を非難。

 

自給自足だと自己満足、自慰・自己陶酔。

 

そして、得る前に感謝すれば確かに「ありがたく」はなりますが畑が良くなるわけではなく、我慢や自己犠牲(殺し行為)を他に押しつける。

 

これでは救われようがありません。


根底にあるのは自然に対する甘えと逃げ。

 

自他給・自他足=共生。善・悪(相対的なもの)、全てを生かす。これが自然の理。

 

残念ながら現時点(2010年)で、唯の一人も重症者の完治例を知りません(2012年初の完治例が)。

 

過去の自然農法=自然猿真似農法=自然風慣行農法の知識・経験はそれほど厄介なものなのです。


未来側から見れば「後の者が先になる」。

 

治療法は唯一「新しい(後の)者=答えを貰える先生=自分を映す鏡」に伝える(話す)。

 

先の者は後の者を追い越せません(後から生まれた者の方が、より先まで生きられるのと同じ)。

 

しかし、付いて行くことはできます。

 

自然に対しての努力は逆らっている証拠ですが、これだけは努力が必要。


転換後の年数に関係なく、これができれば「自然の側に基準をおくこと(意識の地動説化)」が容易にできるようになります。

 

実質的な転換は、意識の地動説化が始まった時から。地動説化さえすれば、1~2年で慣行農法を超えられます。

幸いにして余計な勉強をしていない、慣行農法や新規就農者などの場合は、慣行農法をしっかり学んで下さい。

 

それを正反対にするだけでよいのですから。

 

施肥や防除はしませんが、その知識は無駄にはなりません。何事も両面を知ることが大切です。


また、化学肥料(有機堆肥も肥料)、化学農薬(天然物でも農薬)、耕起、機械化、大規模化、単一栽培、工場化、遺伝子組み換えなど々、何であれ逃げていては話になりません。

 

実は、これら全てOK。但し自然を知り、その理に合わせることができた時の話。

 

「そんな馬鹿な」と思ったら、既に重度の自然農法症候群です。

明日は、イベントに参加するよ。

今日も寒い1日で、腰の痛さが一段と増して、

 

おじいさんのような歩き方になっています。

 

 

来週から出張するので、自力で治すのは諦めて、

 

他力を借りようと思います。

 

 

今日は、タラノメの細切りを追加して、

 

トロ箱に詰めて1cmほど水に入れました。





これで、芽が出るのかな?

 

昨日、ホームセンターでトマトの苗が売っていたので、

 

買ってきてハウスに植えてみました。

 

早く大きくなれば、脇芽をさして増やす予定。

 

 

 

明日は、ちぃがイベントでマフィンや野菜を出しているよ。















炭素循環農法HPより

 

サイト案内(心得)

 極々少数の例外を除き、殆どの方にとって当サイトの内容(捉え方)は初めてと思われます。

 

次項を留意の上、読み進んでください。

 

全てが逆転しているのは本来の時間の流れ(未来→過去)の関係上、同じものを見ても正反対になるためです。
 

ここ=たんじゅん(炭素循環)農法を複雑と感じたら、それは己の頭が複雑な証拠。

 

また、何やら宗教めいて、主義・思想・哲学的にどうも・・・と感じたら、それらに囚われて(毒されて)いる証拠。

 

要するに脳内汚染=腐敗(結果として)。

 

宗教・哲学、主義・思想等は人が作り出した人の基準=己の基準

 

人の幻想であり、自然の基準(理)ではありません。


また、他の農法などに対しての言及は、一個人の言葉(批判や非難)ではなく「自然から見たらこのように見えますよ」と、述べているに過ぎません。

 

何(殺し)をやるのも自由。

 

ただ食糧生産である以上、そのツケは消費者の命で払うということだけは肝に銘じておいて下さい。


理屈はどうあれ兎に角、良いもの、美味しい物を作りたい。

 

また、儲けたいという方は、迷わず(余計なことは考えず)忠実に書いてある通りにして下さい。

 

ただ現在のところ何も理解せず、それができるという保証は致しかねますが(^^)。

 

もし転換に失敗したら、それは炭素循環農法(自然の仕組み)の「つもり農法」です。

現在のところ: 最初の者には手本がない。実践者が増えれば手本通りにすればよい。その時、理屈も理念も感謝もいらない。単にそれを真似ねるだけでよい。

  • ここに貴方の求めている「答え」はありません(技術、理論を除く)。答えを探し回るのは愚かな行為です。ここ以上の知識・理解がない限り、ここにあるのは「問い」です。
  • 自然や、未来側の者=知らない者・幼い者・後輩(自然農法を伝える相手)から答えはもらえます。先輩や指導者、書籍・資料などからは、問いしかもらえないのが自然農法です。
  • そして、答えが先、問いが後から分かります。
  • 基本的技術や原理は説明できますが、農法自体はここでは教えられません。自然から学ぶものだからです。
  • 四の五の言わずに「何が何でも他人に伝える」これが自然農法の学び方。これなくして理解は無理。実践以上に学べます。
  • 自然の側からみての相手は己。「相手を生(活)かす=己を生かす」。故に「企業秘密=自殺行為」です。
  • ここは単なる「自然の代弁」。「自然の側」に立てば、誰にでも容易に分かること(自然の仕組み)の説明です。
  • 原理は非常に簡単。もし、難しいと感じたら「人(己)の側」に立っている「人脳(悩)法」になっていると思ってください。
  • 感動(感情)は一時。自然の法則は不変・不偏・普遍。そして永遠。それを知る=智性。制御=理性。委ねる=本能。この四つのバランスを大切に。
  • 人の言うことを安易に信用してはいけません。それなりに検証してはいますが、とんでもない陥穽があるやも・・・。おかしいと思ったら人(既成の知識)ではなく、虫に直接聞いてください。
  • EM菌(活性液)や米糠のことも、一通りの説明はしてあります。しかし、使えと言っているのではありません。また、使えば良くなるとの先入観念も捨ててください。そもそも「万能」などというものは存在しません。

 

 先ず最初に、どのような土を作り、その結果どのような生産物ができるのか。

 

そして本物(本来のもの=人畜の食物)と虫の餌の違いを知らなければ話になりません

 

農業のプロや多少なりとも、その知識のある方は200回、全く知識のない方は20回以上。

 

当サイトを熟読の後、質問・疑問、感想なりをお寄せ下さい。

 

読んでいないと判断した場合、上記が返信代わりです。

 

手抜きが基本のサイトなんですから、これも手抜きでまいります^^;。


もちろんメールは大歓迎です。

 

皆さんから教えていただく、答えや問いが当サイトの内容充実の原動力です。

 

返信しない場合でもサイトには、しっかり反映させていただきます。

 200回:
しかし、当サイトを丸暗記なんぞしても何の役にも立たない。それどころか知識の積み重ねは有害(肥毒)。頭は覚えるため(過去)ではなく、考えるため(未来)に使う。必要なとき必要な箇所を調べれば十分(辞書的活用)。では何故?。ご自身で確かめて下さい。

 


 

ブタが歩いていたよ。

今日は、ほとんど一日雨。

 

気温が上がらず寒かったので、

 

図書館で本を借りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炭素循環農法HPより

 

サイト管理者より(今、何が起きているのか)

 無施肥栽培(無肥料栽培、自然栽培、自然農、自然農法など)と聞くと「収穫物を持ち出せば土壌中の肥効成分がその分減るから持続不可能」と考えるのが一般的な反応でしょう。

 

しかし、それは杞憂というもの、無施肥栽培では土壌分析をしてみても、植え付け時、成育中、収穫後の土壌窒素濃度に殆ど変化がみられません。

 

始めから作物が使う窒素など土壌中には無いからです(無機態窒素は慣行の1/100前後、全窒素で半分以下)。


大量に施肥し更に、あれが足りないこれが足りないと、農業技師などに言われるままに微量成分など使っても、養分不足で苦労している農業者にとっては「そんな馬鹿な」と、にわかに信じられないでしょう。


しかし、無いからこそ使えるものがあり、単なる無農薬ではなく一切の防除が不要になるのが無施肥栽培なのです。

 

土壌中に無い窒素を使う仕組みと技術、防疫の意味と無防除でなければならない自然の非情なまでに厳格な仕組みを明らかにします。


農業における二つの手段(技術)「養分供給と防疫」このどちらが欠けても安定した食糧生産はできません。

 

そして現在、より自然へとの回帰現象が見られます。

 

でも、その多くは回帰ではなく逆行であり、発展の無い一時的現象。

 

歴史はらせん状、一回りしたら一段上がっていなければ発展でも進歩でもありません。
 

栽培法(農法)の発展過程

  栽培法 養分供給手段 防疫手段
1 原始的自然栽培 自然増殖の微生物由来 土壌の自然浄化による無防除
2 有機栽培 有機物堆肥による施肥 天然農薬による防除
3 慣行栽培 化学肥料による施肥 化学農薬による防除
4 第二の自然栽培 人為的増殖の微生物由来 土壌の積極的浄化による無防除

原始的自然栽培では両手段は自然状態のまま。これに堆肥による施肥と、天然農薬による防除を加え有機栽培。

さらに化学肥料による施肥と化学農薬による防除が加わり、現在の慣行栽培となり、これは過去の全ての栽培法を内包します。

 

注目点は「施肥防除はワンセット(一例:施肥量と農薬使用量)」であるということです。

  


現在の有機・自然栽培は、化学肥料・化学農薬以前への退行現象であり、実質は使用資材が天然というだけの施肥・施水・防除(殺し)栽培。

 

その理論と技術は肥と殺しを前提とした慣行農法と何ら変わらず、慣行農法の問題点を何一つ解決してはいません。


「施肥・施水・防除」を前提とする理論、技術体系は、その範囲内では有効であり正しいと言えます。

 

しかし、肥と殺しを否定する「無施肥・無施水・無防除」の真の自然農法は、全く別の自然の循環を活用した体系であり、施肥・施水・防除の理論・技術は役に立ちません

 

施肥・施水・防除の知識で真の自然農法を語ることは無意味です。

 その範囲内:
現在の「物理学=物の理の科学を主体とした科学」では、あちらの世界に属す「“いのち”=非物質」は扱えないため、生き物の「外面」しか分からず「内面」が無視されている。故に過去の文明は、極少数の例外を除き“いのち”の生(活)かし方が分からず「奪い合い殺し合いの文明」なのである。未来の「与え合い生かし合いの文明」には防衛・防除という概念は存在し得ない。

  
ゴミを捨てなくても拾わなくては綺麗になりません

 

巷で行われている全ての自然農法(自然風慣行農法=自然猿真似農法=自然箱庭農法)は浄化一辺倒(のつもり)の断食農法(防除に相当)。

 

ゴミ拾いの手段がないため浄化が不完全で、無防除(手で虫をとってもストチュウでも防除)にもならず天然(漢方的)農薬などに頼っています。


また、施肥に替わる人為的な養分供給手段を欠いたままの片輪走行では、自由度・適応度が低く低生産性に甘んじ、現在(施肥・施水・防除=慣行栽培)の生産性レベルを保ったまま移行することはできません。


現在の農法に替わる未来の農法は、如何なる理由があろうとも、現行の水準以下の生産性であってはなりません。

 

歴史をみれば明らかなように食糧の生産量が、その時代の人口(上限)を決めています。


自然回帰も結構ですが「生産性を落としても・・・」という発想は「おまえの分は無いから死ね」と言っているのと同じ。

 

趣味の家庭菜園ならいざ知らず、プロの農業者の言うことではありません。


自然林野では炭素や窒素固定による肥沃化現象が見られます。

 

このサイトは、無施肥であっても、自然の仕組み(肥沃化現象=土そのものは痩せ養分循環量の増大)の応用により、養分供給手段=無防除化手段さえ得れば、慣行・施肥農法でできることは一通り可能になること。

 

欲しいものを何一つ捨てることなく、望まないものはすべて捨て去ることが可能であること。

 

そして、真の自然農法が両輪で走り出したことを宣言します。

タラノメの切ってもらったよ。

今日は、雲はありましたが晴れて少し暖かい1日でした。

 

午後から娘に手伝ってもらい、

 

タラノメのふかし栽培をするために、

 

節ごとに切ってもらいました。

 

 

切ったタラノメをトロ箱に並べて、

 

水を入れて置いておきます。

 

 

タラノメの写真を撮り忘れたので、ローズマリーの花の写真だよ。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

炭素循環農法HPより

 

頭と体とフトコロ

 

 現実(就農人口の減少、老齢化)に即し、徹底的に機械・ロボット化、効率化。

 

分かってもいない未来を、分かったつもりにならない=自分を誤魔化さない。

 

処分に困っている物(タダ)を使う=処分から活用へ。

 

体にも心にも、そしてフトコロにも不要な負荷をかけないことです。


単純作業(餌やり)など機械に任せ、頭脳を持った人のやることではありません。

 

趣味ならいざ知らず、今時、我慢や努力、額に汗して、なんて流行りません。

 

旧態依然では若者は敬遠、老人には無理。

 

当然のこと、大規模化やグループ化、企業化、他業種からの参入も必要です。


脳の機能は情報処理、脳(ハード)に心(ソフト)はありません。

 

考える(思う)のは脳とは別、心(意識)です。

 

脳は、心(表面、潜在、両意識)が発信する情報や、自然(外界、肉体)からの情報処理をし、肉体をコントロールしたり、心に情報をフィードバックしています。


未来(心)で思い=因、今=果を、具現化(創造)。

 

嘗て無かった新しい今を創るために頭と体を使います。

 

言うまでもなく重要なのは「因」。

 

これが、自然農法症候群では「果」だけを掻き集め、処理不能(頭でっかちで自然の理と照合できない)。

 

あるいは、体だけを使い頭は空っぽ。

 

あげくは、精神世界症候群(瞑想=迷走など)。

 

これでは、使っていないのと同然です。

 脳の機能は情報処理:
心は二組の意識グループに対し、決まった配分比でエネルギー(
“数”と“色”、“方向性”は絶対的関係にある)を配分している。3肉体(下)・4本能(右)・5理性(後ろ)グループと、6智性(上)・7愛(左)・2感情(前)グループである。配分比は状況に応じ瞬時に変わり、前者345グループに、それぞれ30%配分すれば、後者672は各70%ずつ、90%なら10%。各グループ内は必ず等量ずつ。一方のグループが増えた分、他方が減る。これ以外の組み合わせ、配分法はない。また、例外も存在しない。
3体や4欲を働かせれば、6頭が働かない。つまり、一瞬でバカになるが本能で危険を回避する。その典型例が3肉と4欲が揃うセックス。更に、3肉体を使う労働やスポーツ。4欲望を満たすショッピング。更に、絵画や音楽演奏などの芸術行為。読経・写経・瞑想、ヨガ・座禅など各種の3肉体関連の修行。これらは全て、6頭が空になり本能的感覚やひらめきが鋭敏になり、エネルギー的に見て同質行為。芸術、修行と言えば聞こえは良いが、3肉4欲の圧力を抜く安全弁としての機能もある。この時、同時にブレーキ(5理性)が必要。4本能(右)という対応関係のためか、主に右脳が処理する。
逆の頭脳労働では、6智性・7愛・2感情が働き、この時 5ブレーキは要らない。7愛(左)で、主に左脳が処理。逆配分比の時々バカ(頭のリセット)が効果的なストレス解消法(ウツの運動療法なども同効果)。かように、自然(心)の仕組みには一厘の無駄も矛盾もみられない。


 

実際に転換すると、初めてのことばかり。

 

今まで想像もしなかったことが次々と起こります。

 

ここで原因探しではなく、犯人捜しをしないこと。

 

過去の結果(証拠)だけを頼りに、処理(犯人捜し)しても無意味。

 

基点が過去(意識が天動説)では、土は変わりません。

 

たとえ何をしようと、どれほど時間が経過していようと、実質的には転換していません。


ここで厄介なことは、意識のエネルギー配分の関係上、本質を見通す 9洞察力を働かせようとすると 6思考力が落ちます。

 

逆に、6思考力(サル知恵)を働かせ、2過去の結果だけを頼りに処理すると、9洞察力が落ち本質を見失います


思考力(知)も洞察力(智)も落とさないコツは時々、頭も体も働かせず、ボーとしていること(バランスをとる)。

 

一生懸命は最大の障害(どちらか一方に傾く)。

 

瞑想など論外(本能側に傾く)。

 

土と心は空(から)にしてはいけません。満たすのです。

 9洞察力:
9は仏教で「心眼」と呼ばれている。ものごとの本質を 4本能的に 9見通すエネルギー。4と9は補い合う関係にあり、ほぼ同じ働きをする。
 瞑想など論外:
むやみに自己流でやらない。危険=いわゆる禅病を伴うこともある。“光”(心のエネルギー)のことを知っている者以外、回避法、治療法を誰も知らない。不完全で、あまり効果は期待できないが唯一、白隠禅師の軟蘇の法がある。

 


天の智=未来(因)に基点を置けば、人の知=過去(果)に囚われず、栽培形態や栽培種の多様化も自由自在。

 

誰でも何処でもでき、資本経済下でも寡占化、種苗の独占(主要品目は既に終わっている?)、除草剤耐性作物、ターミネーター種子問題なども回避できます[ビル・ゲイツが進める現代版「ノアの方舟建設計画」とは]。


そもそも農産物は、食べる量が決まっています。

 

他の工業製品のように大量生産し、押しつけようとしても必要以上に消費されず、単に資本投下さえすれば何とかなるというものではありません。


本来の農業による農産物は、全ての段階(生産、流通、消費)で、最小限の経費で済みます。

 

ゴテゴテ余計な、付加価値や差別化も不要。

 

もし、必要とすれば何処かがおかしい。

 

内面的な単一、一様化が余計なものを必要としています。

 

生物に限らず、多様化は「生」。

 

一様化は「死」につながります。

 内面的な単一、一様化:
意識、物質世界の仕組みの関係上、心の世界と現実世界は、全てが裏返し(実像と虚像の関係)にある。例えば、心(非物質)の貧困化が経済(物質)的豊かさを求め。心の自由・個性の喪失により、現実面での自由、個我の剥き出し。心の孤立化は、経済や文化面のグローバル化として表出。これらを正、負などと表現しているが良し悪しではなく、何れの側が基点か理解しないと対処を間違える。
あちら(神さま)の世界は、驚くほど単純なのである。あちらとこちらは表裏一体、こちらを変えればあちらも変わる(フィードバック)。こちらの多様化は、あちら(心)の安定一様化=平安(調和)に繋がる。自然界の生物多様性は、見えない世界(地下)の単一・一様化の現れ。肥をなくせば、作物が肥えるのもこの原理。

 


本物は、素っぴんのまま「本来の質=“いのち”を生かすもの」小細工なし。

 

当然、安いのが当たり前。それじゃ儲からない?。心配ご無用。

 

食文化(自分)を大切にし他人の欲しがる物ではなく、それぞれ自分の欲しいもの、必要なものを作るだけで良いのです(結果的に多様化)。


発展途上国の食糧問題は、今まで無施肥の技術が確立されておらず、これができなかったことが主因です。

 

一人ひとりが自分自身を良くすることだけを考え、他人のことなんか放っておけば、皆が良くなる道理。

 

余計なことを、するから“おかしく”なるのです。


儲かります。但し、早い者勝ち。

 

現時点(資本経済下)では儲けなければ話になり(を聞いてくれ)ません。

 

農が変われば、それに付随する経済の仕組み=「場」自体も進化し、変わります。

 

人に多少なりとも智恵があるのなら、何時までも資本・貨幣経済(儲かる=善、儲からない=悪)でもないでしょう。


歴史が証明しているように、過去側を拠り所とした基準は、場の変化と共に変わります。

 

それは人の法。天の法(則)ではないからです。

 

儲かりさえすれば、という場から本来の場(基準)に変えれば(戻せば)良いだけの話。


ようするに、肥料(死物=カネ)を止め、腐らない資材(必要十分かつ過剰ではない物資、知識、技術など)を使い、ピラミッドの底辺の生き物(一人ひとり)を生かす土壌(社会)改良。

 

勿論、餌を撒いたら5cm混ぜます。

 

当然、機材や人材、時にはトラクター=機動力=軍隊(戦争に使ったのでは勿体ない)も必要。

 

無施肥(資本)になれば、結果的に無防除(戦争)です。

 人の法:
戦時、兵士(人)が戦場で敵(人)を殺せば勲章もの、平時、通常の社会で同じことをすれば殺人罪で死刑もの。刑罰は人の理(防除防疫=殺し行為)。「凶悪犯、皆で殺れば怖くない」=裁判員制度(これも
“らしい”の典型例)。
自然の理(生かす)に従い、マイナス作用をプラスに転換。栽(培、植)=育てる=生かす。裁判→栽判。衣→木=人→天。本来(天)は、活(生)かしてなんぼ。自然の理で捌(x裁)く(犯罪者に必要な生きる場を与えるための選り分け)。「害虫を活かす」と同じ。

久しぶりに娘が、手伝ってくれたよ。

春分の日の今日は、午後から雨。

 

入学式まで暇している娘に、種まきを手伝ってもらいました。

 

キャベツ、サニーレタス、ほうれん草など・・・

 

 

桃の蕾が膨らんできたけど、娘も膨らんできたよ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炭素循環農法HPより

 

復帰

 奪い合い、殺し合い(戦争)の基には、「生=食=農」があります。

 

生きる基となる農業は、食だけでなく生存環境をも保全しなければならない産業です。

 

環境面でも、食の質、量の面でも自己満足では済まされません。
 

その、農業には「太陽と大地と水とエネルギー」が必要。

 

大地の奪い合いは第二次世界大戦で終わり、今はエネルギー。

 

それもやがて、奪い合うものがなくなれば終わります。 


植物は効率よく、太陽エネルギーを使えるように進化しています。

 

それを育てる農業は、基本的に奪い合いとは無縁の筈。

 

ただ、地球が受けとる単位期間当たりのエネルギー量は一定で、現時点での生産性も決まっています。

 

そのため植物の特性を活かし、地球全体の太陽エネルギーの変換・利用効率を上げるしかないのです。

 現時点での生産性:
現代人の生活を維持するには、地球が1.5個分必要という試算を環境保護団体・世界自然保護基金(WWF)などが発表した。 作物や化石燃料など人間が消費した資源の量を地球の面積に換算する独自の指標を用いており、「地球1個以上」の消費は、将来の世代が使う資源まで食いつぶしていることを意味する。このまま消費が増え続けると、2030年には、地球2個分の資源が必要になるという。(2010年10月18日 読売新聞)
 独自の指標:
エコロジカル・フットプリント=不完全ではあるが、地球の環境容量を表す指標 = 人間活動が環境に与える負荷を、資源の再生産および廃棄物の浄化に必要な面積として示した数値。


効率化して先ずは、食糧の量の確保が先決。

 

今のところ全体量は辛うじて足りてはいますが、現実には偏り、質も伴わず、栄養過多・不足・失調。更に飢餓・餓死。

 

偏りは社会的、政治的要因に帰する問題とも言えますが、人口増から(2011年:推定70億人)、絶対量が不足するのは時間の問題。

 

それらも含めて、全ての人々に質も量も、そして生きる環境、機会も。同時に満たせる農業(社会・文化)形態でなければ本物ではありません。


具体的には、「無駄になっている物の持っているエネルギー」を、できるだけ放置・消耗させず、余計なエネルギーを使わず(非堆肥化など)、必要なところに的確に使います。

 

すると、作物は気候や土壌に対する適応力が高まり、栽培適期や適作地域の巾も広がり、栽培回数が増え生産性も高まります。


これは、資材と農耕地の効率的な活用。

 

環境に対しての負荷エネルギー分を、保全・修復エネルギーへ転換することを意味し、マイナスが大きいものほど、プラスも大きくなります。


要するに、その辺にある廃棄物扱いされている物を、そのまま畑に極浅く混ぜるだけ。

 

自然の循環の中で、有機物が土に還って行く過程を、人が少しだけ手を加え、円滑化することによって最小限の工程にする

 

ただそれだけで良いのです。


ただ、未利用資源は一見、無駄なように見えても保全に必要な部分もあり、何処までが未利用なのかを見極めて使わないと逆効果になります(稲ワラがその好例)。


そして、努力や無理はいけません。必要ありません。

 

このページの写真や動画のようになれば誰だって、「農業がこんなに楽で、楽しいものとは知らなかった。

 

面白くて寝ている時間が勿体ない」と言うでしょう

 

それが本来の農業、元(基本)に戻るだけなのです。

 努力や無理:
「苦」があるから「楽」があるわけではない。苦は楽の影。満遍なく光が当たれば影はできない。幸・不幸。善・悪。喜び・悲しみ。なども皆同じ原理。これを古くから6・4・2と呼んでいる。4単純・2明快・6矛盾なし=基準である。基準を守れば影(事故=不調和な現象)は消える。

ちょっと、腰が痛いのでヒモトレを試しているよ。

ここ数日、ハウスのビニール張りの残作業。

 

スプリングの下に引くビニールを用意したり、

 

巻き上げのパッカーの調整をしてり、

 

ハウスの谷の上に登っての作業をしていたら、

 

また、腰が痛くなりました(´_`。)

 

 

しばらく、ヒモトレなどをしながら様子を観てみます。

 

 

 

 

たまには、お店のパンの写真を撮ったよ。







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炭素循環農法HPより

 

社会的障害

 

 あれもダメ、これもイヤと畑は無肥料、無農薬、しかし作物は貧弱で虫の餌。

 

でも自分は、あれがイイ、これがイイと健康法や薬草、サプリメント漬け。

 

まあ、個人の自由。好きにやればイイでしょう。


はたまた、天然グッズやお祈りグッズに囲まれて、まやかしの精神的平安を得るのも、本人さえ満足なら、それもイイでしょう。

 

心の調和に不要なものですが・・・まあ、勝手にやって下さい。


と言いたいところなんですが・・・。間接的に環境破壊に加担していては話は別。

 

自然風慣行農法は、良いと「信じて」首つりの足を引っ張っるようなもの。

 

一般的な慣行農法より始末が悪いのです。


そもそも、農業は信仰の対象ではありません。信じても始まりません。

 

たとえ、趣味・道楽であっても環境破壊を助長するようでは反社会的行為であり、障害と言わざるを得ないのです。


今まで、ゴミとして貴重なエネルギーを使い、処分されていた物(未利用の有機物=生ゴミや木質系ゴミ、家畜糞尿など)や、大型機械の未使用、大面積単一栽培の不可能視などの無駄。

 

逆にエネルギー負荷の大きな、肥料、農薬の大量使用や希少・高価な資材使用の無駄。

 

有機(自然)、慣行栽培共に、使い方、やり方が不適切で環境破壊に繋がったり、生産性を犠牲にしたりして、多くの無駄があります。

 

遺伝子組み換えも同様です。

 機械:
自然はマクロ(宇宙)からミクロ(原子・分子レベル、化学反応など)まで、全てが機械仕掛け。物理法則で動くのがその証拠(反する時は「あちら」の仕組みが働いている)。人工的な機械は、その応用に過ぎない。人の作った機械など、本物(自然)の機械から比べれば、まだまだ幼稚。
 肥料、農薬の大量使用: 遺伝子組み換え:
バイオマスが大きい肥沃な土ほど肥料は効く。作物が健康なほど農薬も効く。環境が良いほど遺伝子組み換えの効果が発揮される。当然のこと必要度は落ちるが、使いこなす知識と技術があれば、使っても何の問題も起きない。

 


持続型農業=真の自然農法は、何かを否定することではなく、これらの無駄をなくすことです。

 

活用(逆用)できることを、やらないこと自体が「未然に防げる危機を傍観する行為」。

 

知らなければまだしも、知った上で「己の拘り」から拒否すれば、社会的(道義的)犯罪行為と言えるでしょう。

 

知った以上、喋らなければ犯罪者です(笑)。

 己の拘り:
究極が「正義=人の義」。殺し合いの「源」。これを捨てるだけで戦争はなくなるが、祈りや願いではなくならない。何かを求めても自然の仕組み=法則は変わりはしない。不変且つ普遍だからこそ法則。天然、人工、何れも無償の太陽エネルギーが元。人以外は、無償が当たり前。人も無償のものを、無償で使えるようにならない限り動物以下である。これを奪い合い権利を主張するのは「己の拘り=個の保全」の優先。「人」以外の動物は「種の保全」が優先する。正義を主張せず、祈りも願いもしない?彼らは、基本的に同族同士の殺し合いはしない。個から種(己から全)へ。人からヒトへ。脳から心(全意識=表面意識と潜在意識)へ。これは後退(退化)ではない。高度に分化した意識(人)であっても、基点は未分化な意識(ヒト)におく。これが意識の地動説化=
キリスト化(イエスの意識の象徴は魚)。本当の原点回帰(自然回帰)。
 犯罪行為:
遺棄罪(狭義)= 老年、幼年、身体障害者又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、一年以下の懲役に処する(217条)。

 

ハウスの妻の溝掘をしたよ。

ハウスの中に保管してあったサツマイモや米ぬかを、

 

何者かが食い散らかしているので調べたら

 

妻の裾のビニールの下から入った形跡がありました。

 

 

とりあえず、溝を掘って余っていた止水シートを入れることにしました。




 

溝掘道具、3兄弟。

 

小さめの2つは、刃を研いだら掘りやすくなりました。

 

道具の管理は大切ですね。

 

 

ハウスの入り口のところの土は、他より堅かったよ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炭素循環農法HPより

 

治療

 常に基点(自然側か人の側か)の確認と、最小限のやるべきことをやり、後は無為無策。

 

自然相手に、答えは出るもの。出すものではないのです。

 

これが本当の自然流。


己の頭で、無益な妄想(脳作業)をする暇があるくらいなら、このホームページを200回以上読む。


そして、新しい者(先生)に片っ端から話す。

 

ついでに、診断指標に照らし合わせ、他者の病態を知る。


他人のアラは、よく見える。だが、自分のことは分からないから、放っておけ。

 

後は神様(潜在意識=内の自分)に任せよう。

 

彼?(内の自分)が何とかしてくれます。

 

そのとき世の中、自分のために回り始めます(^^)。


日本中、世界中走り回り、アゴが痛くなるまで喋りまくる、という荒療治法もありますが・・・。

 

昔から言います。急がば回れと(笑)。

 

 

 

天井のビニールが張れたよ。

今日は、予定通りハウスの天井のビニール張り。

 

3人の方にお手伝いいただき、ちぃと息子の6人で作業しました。

 

 

昨日は、ほぼ1日雨が降っていたので、

 

パイプが濡れていたり、足元もぬかるんでいるので、

 

怪我をしないように気をつけて作業をするつもりが、

 

足を滑らせて自ら落ちるとこでした(゚_゚i)

 

 

風もそれほど強く吹くこともなく、

 

順調に進み午前中であらかた目処が立ちました。

 

 

あと少し残作業はありますが、無事終わって一安心。

 

 

みなさん、ありがとうございました\(^^)/

 

 

 

ネットで注文したビニールの折り方が解らなくて、ちょっと焦ったよ。

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炭素循環農法HPより

 

予防

 

 「さわらぬ神に祟りなし」従来(過去)の自然風農法に近づかないこと。とは言っても何も知らない内に、最初から運良くここに辿り着くことはないでしょう。

 

シュタイナー(基本)や岡田茂吉(理念・原理)、島本覚也(技術)なども理解できないでしょう(過去、誰もいない)。


また、中味は似非であっても、自然風が真の自然農法を広める重要な役割を果たしていることに変わりありません(広報:福岡正信)。

 

これらを否定するようでも、やはり重症です。


先ずは、このホームページを20回以上読む^-^。人は早く結論を出し、安心したがります。

 

しかし、簡単に納得したり信用しない(特に数値が危ない)。矛盾がないか徹底的に調べる。


とにかく何でも疑い、疑問を持ち、安易に答えを出さない。

 

自分で結論を出さず、虫や菌、作物(自然)に聞く

 

そして、分からなければ放置(保留)する。

 

何でも放置。ウツ同様、頑張っては逆効果。

 特に数値が危ない:
農業生産、流通現場で、かなり普及していると思われる、簡易な
硝酸イオンメーターで、低い数値が出たら低品質?なんてこともあり得る。深さ2~3m団粒化しても、「それだけではダメ」も同様。数値はある条件の下で、限られた情報を提供するに過ぎない。特に生きもの相手に数値を振り回すのは危険である。しかし、農業は人が生きるための食糧生産である以上、最終的な生産性(量)の数値に妥協は許されない。