ブタが歩いていたよ。
今日は、ほとんど一日雨。
気温が上がらず寒かったので、
図書館で本を借りました。
サイト管理者より(今、何が起きているのか)
無施肥栽培(無肥料栽培、自然栽培、自然農、自然農法など)と聞くと「収穫物を持ち出せば土壌中の肥効成分がその分減るから持続不可能」と考えるのが一般的な反応でしょう。
しかし、それは杞憂というもの、無施肥栽培では土壌分析をしてみても、植え付け時、成育中、収穫後の土壌窒素濃度に殆ど変化がみられません。
始めから作物が使う窒素など土壌中には無いからです(無機態窒素は慣行の1/100前後、全窒素で半分以下)。
大量に施肥し更に、あれが足りないこれが足りないと、農業技師などに言われるままに微量成分など使っても、養分不足で苦労している農業者にとっては「そんな馬鹿な」と、にわかに信じられないでしょう。
しかし、無いからこそ使えるものがあり、単なる無農薬ではなく一切の防除が不要になるのが無施肥栽培なのです。
土壌中に無い窒素を使う仕組みと技術、防疫の意味と無防除でなければならない自然の非情なまでに厳格な仕組みを明らかにします。
農業における二つの手段(技術)「養分供給と防疫」このどちらが欠けても安定した食糧生産はできません。
そして現在、より自然へとの回帰現象が見られます。
でも、その多くは回帰ではなく逆行であり、発展の無い一時的現象。
歴史はらせん状、一回りしたら一段上がっていなければ発展でも進歩でもありません。
栽培法(農法)の発展過程
栽培法 養分供給手段 防疫手段 1 原始的自然栽培 自然増殖の微生物由来 土壌の自然浄化による無防除 2 有機栽培 有機物堆肥による施肥 天然農薬による防除 3 慣行栽培 化学肥料による施肥 化学農薬による防除 4 第二の自然栽培 人為的増殖の微生物由来 土壌の積極的浄化による無防除 原始的自然栽培では両手段は自然状態のまま。これに堆肥による施肥と、天然農薬による防除を加え有機栽培。
さらに化学肥料による施肥と化学農薬による防除が加わり、現在の慣行栽培となり、これは過去の全ての栽培法を内包します。
注目点は「施肥と防除はワンセット(一例:施肥量と農薬使用量)」であるということです。
現在の有機・自然栽培は、化学肥料・化学農薬以前への退行現象であり、実質は使用資材が天然というだけの施肥・施水・防除(殺し)栽培。
その理論と技術は肥と殺しを前提とした慣行農法と何ら変わらず、慣行農法の問題点を何一つ解決してはいません。
「施肥・施水・防除」を前提とする理論、技術体系は、その範囲内では有効であり正しいと言えます。
しかし、肥と殺しを否定する「無施肥・無施水・無防除」の真の自然農法は、全く別の自然の循環を活用した体系であり、施肥・施水・防除の理論・技術は役に立ちません。
施肥・施水・防除の知識で真の自然農法を語ることは無意味です。
その範囲内:
現在の「物理学=物の理の科学を主体とした科学」では、あちらの世界に属す「“いのち”=非物質」は扱えないため、生き物の「外面」しか分からず「内面」が無視されている。故に過去の文明は、極少数の例外を除き“いのち”の生(活)かし方が分からず「奪い合い殺し合いの文明」なのである。未来の「与え合い生かし合いの文明」には防衛・防除という概念は存在し得ない。
巷で行われている全ての自然農法(自然風慣行農法=自然猿真似農法=自然箱庭農法)は浄化一辺倒(のつもり)の断食農法(防除に相当)。
ゴミ拾いの手段がないため浄化が不完全で、無防除(手で虫をとってもストチュウでも防除)にもならず天然(漢方的)農薬などに頼っています。
また、施肥に替わる人為的な養分供給手段を欠いたままの片輪走行では、自由度・適応度が低く低生産性に甘んじ、現在(施肥・施水・防除=慣行栽培)の生産性レベルを保ったまま移行することはできません。
現在の農法に替わる未来の農法は、如何なる理由があろうとも、現行の水準以下の生産性であってはなりません。
歴史をみれば明らかなように食糧の生産量が、その時代の人口(上限)を決めています。
自然回帰も結構ですが「生産性を落としても・・・」という発想は「おまえの分は無いから死ね」と言っているのと同じ。
趣味の家庭菜園ならいざ知らず、プロの農業者の言うことではありません。
自然林野では炭素や窒素固定による肥沃化現象が見られます。
このサイトは、無施肥であっても、自然の仕組み(肥沃化現象=土そのものは痩せ養分循環量の増大)の応用により、養分供給手段=無防除化手段さえ得れば、慣行・施肥農法でできることは一通り可能になること。
欲しいものを何一つ捨てることなく、望まないものはすべて捨て去ることが可能であること。
そして、真の自然農法が両輪で走り出したことを宣言します。


