タラノメの切ってもらったよ。
今日は、雲はありましたが晴れて少し暖かい1日でした。
午後から娘に手伝ってもらい、
タラノメのふかし栽培をするために、
節ごとに切ってもらいました。
切ったタラノメをトロ箱に並べて、
水を入れて置いておきます。
タラノメの写真を撮り忘れたので、ローズマリーの花の写真だよ。
現実(就農人口の減少、老齢化)に即し、徹底的に機械・ロボット化、効率化。
分かってもいない未来を、分かったつもりにならない=自分を誤魔化さない。
処分に困っている物(タダ)を使う=処分から活用へ。
体にも心にも、そしてフトコロにも不要な負荷をかけないことです。
単純作業(餌やり)など機械に任せ、頭脳を持った人のやることではありません。
趣味ならいざ知らず、今時、我慢や努力、額に汗して、なんて流行りません。
旧態依然では若者は敬遠、老人には無理。
当然のこと、大規模化やグループ化、企業化、他業種からの参入も必要です。
脳の機能は情報処理、脳(ハード)に心(ソフト)はありません。
考える(思う)のは脳とは別、心(意識)です。
脳は、心(表面、潜在、両意識)が発信する情報や、自然(外界、肉体)からの情報処理をし、肉体をコントロールしたり、心に情報をフィードバックしています。
未来(心)で思い=因、今=果を、具現化(創造)。
嘗て無かった新しい今を創るために頭と体を使います。
言うまでもなく重要なのは「因」。
これが、自然農法症候群では「果」だけを掻き集め、処理不能(頭でっかちで自然の理と照合できない)。
あるいは、体だけを使い頭は空っぽ。
あげくは、精神世界症候群(瞑想=迷走など)。
これでは、使っていないのと同然です。
脳の機能は情報処理:
心は二組の意識グループに対し、決まった配分比でエネルギー(“数”と“色”、“方向性”は絶対的関係にある)を配分している。3肉体(下)・4本能(右)・5理性(後ろ)グループと、6智性(上)・7愛(左)・2感情(前)グループである。配分比は状況に応じ瞬時に変わり、前者345グループに、それぞれ30%配分すれば、後者672は各70%ずつ、90%なら10%。各グループ内は必ず等量ずつ。一方のグループが増えた分、他方が減る。これ以外の組み合わせ、配分法はない。また、例外も存在しない。
3体や4欲を働かせれば、6頭が働かない。つまり、一瞬でバカになるが本能で危険を回避する。その典型例が3肉と4欲が揃うセックス。更に、3肉体を使う労働やスポーツ。4欲望を満たすショッピング。更に、絵画や音楽演奏などの芸術行為。読経・写経・瞑想、ヨガ・座禅など各種の3肉体関連の修行。これらは全て、6頭が空になり本能的感覚やひらめきが鋭敏になり、エネルギー的に見て同質行為。芸術、修行と言えば聞こえは良いが、3肉4欲の圧力を抜く安全弁としての機能もある。この時、同時にブレーキ(5理性)が必要。4本能(右)という対応関係のためか、主に右脳が処理する。
逆の頭脳労働では、6智性・7愛・2感情が働き、この時 5ブレーキは要らない。7愛(左)で、主に左脳が処理。逆配分比の時々バカ(頭のリセット)が効果的なストレス解消法(ウツの運動療法なども同効果)。かように、自然(心)の仕組みには一厘の無駄も矛盾もみられない。
実際に転換すると、初めてのことばかり。
今まで想像もしなかったことが次々と起こります。
ここで原因探しではなく、犯人捜しをしないこと。
過去の結果(証拠)だけを頼りに、処理(犯人捜し)しても無意味。
基点が過去(意識が天動説)では、土は変わりません。
たとえ何をしようと、どれほど時間が経過していようと、実質的には転換していません。
ここで厄介なことは、意識のエネルギー配分の関係上、本質を見通す 9洞察力を働かせようとすると 6思考力が落ちます。
逆に、6思考力(サル知恵)を働かせ、2過去の結果だけを頼りに処理すると、9洞察力が落ち本質を見失います。
思考力(知)も洞察力(智)も落とさないコツは時々、頭も体も働かせず、ボーとしていること(バランスをとる)。
一生懸命は最大の障害(どちらか一方に傾く)。
瞑想など論外(本能側に傾く)。
土と心は空(から)にしてはいけません。満たすのです。
9洞察力:
9は仏教で「心眼」と呼ばれている。ものごとの本質を 4本能的に 9見通すエネルギー。4と9は補い合う関係にあり、ほぼ同じ働きをする。
瞑想など論外:
むやみに自己流でやらない。危険=いわゆる禅病を伴うこともある。“光”(心のエネルギー)のことを知っている者以外、回避法、治療法を誰も知らない。不完全で、あまり効果は期待できないが唯一、白隠禅師の軟蘇の法がある。
天の智=未来(因)に基点を置けば、人の知=過去(果)に囚われず、栽培形態や栽培種の多様化も自由自在。
誰でも何処でもでき、資本経済下でも寡占化、種苗の独占(主要品目は既に終わっている?)、除草剤耐性作物、ターミネーター種子問題なども回避できます[ビル・ゲイツが進める現代版「ノアの方舟建設計画」とは]。
そもそも農産物は、食べる量が決まっています。
他の工業製品のように大量生産し、押しつけようとしても必要以上に消費されず、単に資本投下さえすれば何とかなるというものではありません。
本来の農業による農産物は、全ての段階(生産、流通、消費)で、最小限の経費で済みます。
ゴテゴテ余計な、付加価値や差別化も不要。
もし、必要とすれば何処かがおかしい。
内面的な単一、一様化が余計なものを必要としています。
生物に限らず、多様化は「生」。
一様化は「死」につながります。
内面的な単一、一様化:
意識、物質世界の仕組みの関係上、心の世界と現実世界は、全てが裏返し(実像と虚像の関係)にある。例えば、心(非物質)の貧困化が経済(物質)的豊かさを求め。心の自由・個性の喪失により、現実面での自由、個我の剥き出し。心の孤立化は、経済や文化面のグローバル化として表出。これらを正、負などと表現しているが良し悪しではなく、何れの側が基点か理解しないと対処を間違える。
あちら(神さま)の世界は、驚くほど単純なのである。あちらとこちらは表裏一体、こちらを変えればあちらも変わる(フィードバック)。こちらの多様化は、あちら(心)の安定一様化=平安(調和)に繋がる。自然界の生物多様性は、見えない世界(地下)の単一・一様化の現れ。肥をなくせば、作物が肥えるのもこの原理。
本物は、素っぴんのまま「本来の質=“いのち”を生かすもの」小細工なし。
当然、安いのが当たり前。それじゃ儲からない?。心配ご無用。
食文化(自分)を大切にし他人の欲しがる物ではなく、それぞれ自分の欲しいもの、必要なものを作るだけで良いのです(結果的に多様化)。
発展途上国の食糧問題は、今まで無施肥の技術が確立されておらず、これができなかったことが主因です。
一人ひとりが自分自身を良くすることだけを考え、他人のことなんか放っておけば、皆が良くなる道理。
余計なことを、するから“おかしく”なるのです。
儲かります。但し、早い者勝ち。
現時点(資本経済下)では儲けなければ話になり(を聞いてくれ)ません。
農が変われば、それに付随する経済の仕組み=「場」自体も進化し、変わります。
人に多少なりとも智恵があるのなら、何時までも資本・貨幣経済(儲かる=善、儲からない=悪)でもないでしょう。
歴史が証明しているように、過去側を拠り所とした基準は、場の変化と共に変わります。
それは人の法。天の法(則)ではないからです。
儲かりさえすれば、という場から本来の場(基準)に変えれば(戻せば)良いだけの話。
ようするに、肥料(死物=カネ)を止め、腐らない資材(必要十分かつ過剰ではない物資、知識、技術など)を使い、ピラミッドの底辺の生き物(一人ひとり)を生かす土壌(社会)改良。
勿論、餌を撒いたら5cm混ぜます。
当然、機材や人材、時にはトラクター=機動力=軍隊(戦争に使ったのでは勿体ない)も必要。
無施肥(資本)になれば、結果的に無防除(戦争)です。
人の法:
戦時、兵士(人)が戦場で敵(人)を殺せば勲章もの、平時、通常の社会で同じことをすれば殺人罪で死刑もの。刑罰は人の理(防除防疫=殺し行為)。「凶悪犯、皆で殺れば怖くない」=裁判員制度(これも“らしい”の典型例)。
自然の理(生かす)に従い、マイナス作用をプラスに転換。栽(培、植)=育てる=生かす。裁判→栽判。衣→木=人→天。本来(天)は、活(生)かしてなんぼ。自然の理で捌(x裁)く(犯罪者に必要な生きる場を与えるための選り分け)。「害虫を活かす」と同じ。
