戻れない日々
戻れない日々 その1教主はたった一人だった。ボロボロになってしまった行衣をまとい、人里離れた山の中で、何十日もの修行に打ち込んだ。ある時は滝を浴び、山また山を越え、御堂で座禅を組みながら、一夜を明かす。御主は、たった一つの望みを持っていた。それはあらゆる人が、神通の力を持って病を取り除いてもらえることだった。しかし、何年修行をしても神通の力は授からず、ただ己の心の迷いと、すべてのものと和解せよという御教えの中での、葛藤があるのみだった…。御主が15年余りの修行の後、ついに教えを受けられ、自らの運命を悟られる。それは、救世主としてこの世に生まれなければならなかった過酷な運命と、15年の修行のゆえに授けられた、あらゆる人の病を瞬時に治せる神通の力であった…。その2年を取った。もう何もやる気がしない。塾は相変わらず続けているが、年明けにsns等の発信が功を奏したのか、春休みの講習生や新規生が非常に好調であった。その頃、いくつかのセールスの話があって、一つはユーチューブで30秒の動画で広告を出さないかというものだった。セールスマンが来て、断るつもりだったのについ話を聞いてしまい、絶対に無理と言っていたのに、価格交渉に持ち込まれてしまい、120万のところを50万まで下げられて、OKをしてしまった。1万ずつ3年かけて返せばいいか、と思っていたら、いきなり3万5千円ずつの請求が来た。リボ払いに変更できるはずなのだが、未だにうまく行っていない。その他にも、ネットを使った教材、口コミを集めるソフトなどを売り込まれてしまい、毎月の払いが恐ろしいことになってしまった。(ネット教材は月1万強、口コミソフトは、無料と言われたのだが、実際は月に2万6千円程払い続け、1年後に返金するという。)(嘘ではないらしいのだが、毎月の払いができるかどうかがわからない。これは一応リボ払いは成功した。)そうして思ったほど春期明けの生徒が残留せず、バイトを2つしながら、払いができるかどうか、今のところぎりぎりで回っている…。その3信仰のグループがまた変わった。最近人が集まらず、御奉仕も月に3回程の当番日でも、最低必要人数の5人集めるのがやっとという日が多い。前の支所長さんが、会議の仕方、時間等を細かく決めた。これは本部からの指示に従ってのものだったが、一番役員さんが集まるグループの主要会議で、本部からの伝達事項だけで一時間が終わってしまい、自由な発言もグループの中での喜びの発表も、また時間の延長も許されなくなった…。それでいて、もっと参拝者を増やすように、奉仕に出て来る人間を増やすように名簿をもとにふれあいをせよと言う。でも集まっても、皆行くところが無いと言う。そもそも喜びが無いから、エネルギーが湧かない。エネルギーのない人達に、人を連れて来れる訳も無い…。だから私は、せっかくグループの役員が一番たくさん集まっている役員会で、喜びの発表をせよ。全員に一言ずつ、近況を話させよ。(自己紹介でもいい。)お互いが知り合い、信仰の喜びを語れる会にせよ、と言い続けて来たのだが、それはもっと少人数の会でせよ、と言われてしまった。もっともではあるのだが、少人数の会では、実は盛り上げるメンバーがあまりおらず、結局パワー不足になる。大人数の方が盛り上がるのである。その4新聞配達をしていたら、最近最後のあたりで、両杖をついて、ゆっくりゆっくり慎重に歩道を行ったり来たりしているおばあさんに出会った。朝の5時半頃、結構長い間歩いている。それが毎日で、最近少し歩くのが速くなったような気がする。きっと脳梗塞などからの復帰のリハビリをしているのではないのだろうかと思う。74、5歳だろうか。最初は、弱弱しくて頼りなかったが、最近は人と話している姿なども見られ、はっきりと回復している。人間いくつになっても、復活しようとする意思は大切なものだと思う…。その5経営コンサルタント小坂裕司さんの「ワクワク系」のユーチューブを見ている。最近見たものでは、昔の魚屋さんの話があった。その魚屋さんは、皆に声をかけ、「今日は小坂さんの奥さんには是非この魚を食べて欲しい。」などと、店主の独断で勧めて来る。そのうんちくと、親しみやすさと親切で、その魚屋が年で閉店する時、皆が惜しんで別れを惜しみに来たと言う。これが商売だ、お客さんと人間的なつながりがある。その店ならではの体験がある。そういう商売は、時代が移っても、いや今だからこそ貴ばれる。お客さんと絆のある商売をせよ、と言うのである。心を感じる商売は、滅びない、ということである。果たして、私の商売には心があるのだろうか?その6知り合いの子供で、中学1年生になったばかりの子が私の塾に通い始めた。小学校の時にほとんど勉強をしなかったということで、かなり遅れているとは聞いていた。テストをすると、漢字は書けないが読める。算数は分数がダメだった。国語の読解は一応理解力はありそうだった。最初に分数の足し算、通分をやりできるようになり、掛け算、割り算もクリアーした。後は正負の数だ。最初に、5-6,5-7,5-8とやり、できるので、-3-4、-3-5とやり、-5+8、-5+10 とかも最初から正解を出して行った。この子は、正負の数がわかっている。私はそう確信した。それで次に、5+(+3)、5+(-3)などの( )の外し方を教え、次に、引き算、5-(+3)、最後に5-(ー3)を教えた。すると、引き算で混乱した。もう、-5-3もできなくなっていた。この日はあきらめて、何せ1時間しか授業時間がなかった。その子の集中力が続くのは1時間が限度だと言われていたので、足し算と引き算の( )付きのパターン練習を宿題に出した。週に2回来る次の日、彼は宿題ができていなかった。わからないのだという。また正負の( )の外し方からやった。足し算はクリアー、引き算になったら完全に混乱。前がマイナスだったらそれに引きずられている。私は紙に 5+(+3)=5+3、5+(-3)=5-3、5-(+3)=5-3、5-(-3)=5+3と書いて、それを覚えよ、と言ってそのパターン練習をさせた。なぜわからないのか。私は他の子も見ないといけないので、ブチ切れてきた。大声でどなった。しかし、彼はますます固まるばかりで、ちっとも教材は進まなかった…。私は反省した。わからない子にしかったって、ますます頭がフリーズするだけなのだ。そんなこと、何十年もやっていてわかっているはずだった。ただこちらが待ち切れなかった。私は、もう怒るのをやめて、その子を呼び、紙に一つずつ書いて行った。-5+(+3)は、どうなる? 子供はー5+3=-2だと言った。そうだ。できるじゃないか。その場で、パターン練習を何問かやらせた。全部できたので、また、-5+(-3)は?と聞くと、ー5-3=ー8だと言う。できるじゃないか。-5-(+3)もできた。最後にー5-(-3)だけできないので、これは感覚で理解するのは無理だから、-(-3)=+3 だと覚えよ、と言った。そうしてまたパターン練習。英語はなんとか教科書が読めるので、教材をそのまま宿題にして、来たら間違い直しだけした。とにかく1時間では、数学だけで終わってしまうのだ。その子は、良く太った背の小さい子で、相撲を学校の外で習っていた。友達は多いか、と聞くと、元気に「多いです。」と答えた。外の礼拝所(信仰の仲間の孫だった)で会うと、僕にハイタッチしてくれた…。この子には、この子のスピードがある。パニック障害か何かのある子で、わからないとなったら、全然進まない。わかること、できることに自信を持たせて行かないと、いつまでたっても、(そう学校が進むからなおさらだ)わからない、僕にはできない、と思い込んでしまう。この子もうちの重要な生徒だ。こんな子に寄り添えてこそ、個別指導の看板を掲げている価値があるのだと、私は今日も塾の業務に戻るのだった…。