コンビニ人間を読んで

 

 Aは4人兄弟の末っ子に生まれた。父親は明治生まれで、貧しい中から努力で独学で高校卒業の資格を取り、中途採用で公務員試験に合格し、立身出世を遂げた人物だった。父親のことを人物と言うのもおかしなものだが、だがひとかどの人間だったと思う。終戦に当たり40歳にして価値観の変換に戸惑い、座禅の修行をした。子供の目から見ても我欲の少ない心の真っすぐな人だったと思う。

 そんな家族の遅く生まれた子であったAは、何事も親に聞いてからするような子だった。特に母親は過保護のように優しかった。物心付き、小学校に入ると、意外と学校の成績がいいことに気がついた。父親の立身出世主義(それはもう身についていた。とにかく負けるのが嫌いで、何事も一番になれ、というタイプだった。)の影響か、私立中学を受験し合格したが、親の転勤で普通の公立中学に変わり、さらに中3の時、3回目の転勤で転校をした。(1回目は小2で、2回目は中1だった。)

 中2の頃親父はその頃兄弟を皆それぞれの地に置いて行って、一人っ子になったAに、禅宗の理想を語った。それは、突き詰めると、「諸悪莫作、衆善奉行(しょあくまくさ、しゅぜんぶぎょう)(諸々の悪を為さず、諸々の善を為せ)」という言葉に尽きるのだ、と。(これは一休宗純の言葉だそうである。実は法句経という一番古いお経に書いてある。)

 

 その頃までずっと優等生だったAは、この言葉を信じ、実行しようとした。Aは級長でクラスのリーダーでもあった。その頃の高松の中学校では、「自主独立」が校訓で、生徒にいろんな事を自主性に任せてさせようとしていた。

 

 中3の二学期に転校した。それは愛媛の松山市で、そこの学校の校訓は「静かな学校、きれいな学校」とか何かだった。見た瞬間、何じゃこりゃと思った。

 

 生徒は静かなのがいい、反発しないのがいい、と言う。かつて荒れた学校であったからこういう校訓になったらしい。

 ともかく生徒はおとなしかった。そして学級会でも意見を言わなかった。そして何かを決めると、後でぐじゅぐじゅ文句を言うのであった。これは愛媛の、特に松山の県民性のようであった。はっきり物を言わないくせに、裏に回ったらぐじゅぐじゅ言う。言いたことがあったら、発言の場ではっきり言えよ、と思うのだが、そこは長いものに巻かれろで言わない。そのくせ裏ではよそ者を排除する。島国根性丸出しの県民性なのである。(愛媛でも宇和島や、今治、新居浜はちょっと違うようであるが、松山はそうだ。)

 ともかくもクラスのリーダーの延長でいろいろ発言しても、皆何も言わない。それでいて影ではいろいろ言っている。そのうちAは、自分を疑い出した。自分は自信過剰ではないのだろうか。それに始まって、ある事から「善は何か、悪は何か」でわからなくなった。それは一人の女の子が自分が転んだ時、制服のほこりを払ってくれたことによる。これは善だ。でも自分にはできない、と思った。それは女の子特有の優しさだった…。

 

 Aはどんどん自信を失って行き、ついに視線恐怖症になり、対人恐怖症になった。つまり、自分が人と話している時、どこを見たらいいのか、何を話したらいいのかわからなくなったのだ。

 

 半年後高校に進学した。松山で一番の公立校だったが、半年間ノイローゼで勉強をする習慣を無くしていたので、中間テストで495人中360番ぐらいの成績を取った。期末テストでも330番ぐらいだった。

 

 その時、親父がAを呼んで言った。「お前は、翼の折れた飛行機だ。飛べない鳥だ。」と。

 父親は、「お前はもう駄目だ。もう優等生でも、いい子でもない。」とAに対する評価を、最高から180度変えたのである…。

 

 このショックでAは3日間不登校になった。3日目に母親と添い寝をしてもらい、一晩ぼそぼそ話していたら、母親に受け止められた気がして、元気を回復した。

 

 しかし、自分は本当にこれでいいのだろうか、という自信は、何かことがある度に揺らいだ。そして親元を離れ、遠くの大学に通うためアパートで独り暮らしを始めてから、ますますこの不安と自信の無さが強くなった。

 再び対人恐怖になり始めた。大学も1カ月も行くといやになり、たびたび休むようになった。

 

 人間はいったいどうやって生きたらいいのだろう。父親は諸悪莫作、衆善奉行と言ったが、実際は立身出世主義の負けず嫌いではなかったか。その証拠に、成績が下がっただけでAに対する評価を180度変えたのである。成績が下がることが、悪であるわけではない。それは、将来性のある優秀な息子、であったはずが期待が裏切られたからなのである。

 善、悪より、将来性のある優秀な子であることの方が大切であったのである…。

 親父の立身出世主義を見抜いたAは勉強をする気をなくした。勉強しようとすると、しょせん立身出世のためか、と空しさを感じるようになったのである。

 

 親父はいろいろと落ち込むAを励まそうとしたが、一度伝わってしまった真意は打ち消せはしなかった…。

 

 自分がどう振る舞っていいのか分からない時、自信のない時、何か生きるためのマニュアルがあればいいのに、と思った。

 しかし、逆にマニュアルがあれば却ってそれに縛られて、不自由を感じるに違いがない。ある時、自分のしたくないことをやり、したいことをしないことにしようと思ったことがある。しかし、これはすぐに挫折した。

 そう、したくないことをやり、したいことをしないとすごくストレスがたまるのである。(それは、自然に反していた…。)

 

 コンビニ人間は、自分の本能を信じることができなかった。そう、本能が壊れている、あるいは他の人と少しだけずれている…。ただ、本当に本能のない人間はいないはずだと思う。

 

 だから私はこの小説はSFだと思う。完全なコンビニ人間(マニュアル人間)は存在しない。なぜなら、完璧に演じられるということは、すでにその能力を持っていることであり、それを本来の自分と感じるか、演じていると感じるかだけの違いで、実際は本能を働かせているのである。優しい人間を演じている人は、実際にも優しい気持ちを感じているのである。本能がなければ、演じることはできない。そうでないとただのロボットになってしまう。

 

 Aは、「ブッダの言葉」(法句経)、「論語」を読んだ。そこに生きる指針を見い出そうとした。森田療法についての本を読んだ。森田正篤博士は、対人恐怖症などのノイローゼを神経質と呼び、それはあるがままの自分を認め、それを生活の中で歩ませることで治る、と教えた。Aは「裸の猿」(デズモンド・モリス)を読んだ。そこには人間の行動の90%は、猿の行動と共通している。つまり人間はほとんど猿の本能で生きているのだ、ということが書いてあった…。

 

 人間はもともと善か悪かで、行動基準を作ることはできない。ましてマニュアルを頼って、マニュアル通り生きることも、おそらく不可能だ。何かの宗教に洗脳されて、自分で判断することをやめて、何か(宗教の指示)の判断に任せることは、ある意味楽かもしれない。しかし、無批判に信じることは自分の理性を否定することであり、それがいいとは思えない…。

 

 Aは行動の基準となるものは、自分の本能にしかないということに気がついた。善とか悪とかは後で出て来たものである。人間はそんなものでは生きてはいないし、生きられない。

 

 赤ちゃんはまず本能で生きて来た。そしてだんだんに知恵がついて、善悪を判断できるようになった。それでも、判断基準があるとすれば、先ずしたいことをする、したくないことはしないということである。

 その後で、できないとしたら、なぜということになり、そこに他人とかがかかわって来ると、そこに道徳が生まれる。

 まず道徳があるのではない。まずは本能があるのである。

 

 Aは自分のやりたいことをやる、ということを行動基準にすることにした。もちろん、ぶつかった時はその時考える。しかし、それからずっとこの方針で困ったことはない。そうして本来の自分、Aの場合ノイローゼになる前の自分に自信が持てた時、そうだこのままで行こうと思ったのである。それは23歳の夏の頃だった。それからは対人恐怖症、及びノイローゼになったことはない。

 

 なぜなら、それは、自分を信じるからである…。