ウミネコ

 

 

サイパンの戦いについては、すでに最後の突撃、米軍の占領宣言、そして戦後まで続くゲリラ戦まで書いており、一方で陸海中央は早くも別の方向を見ている。あと二回ほどサイパン関連の話題に触れて一区切りし、東條内閣総辞職、グアムとテニアンへと進む予定。いずれマリアナ諸島とダガルカナルには何時でも何度でも戻ってくる。

 

掲題は短編小説の題名で、棟田博著「サイパンから来た列車」。私はこの書名を池島新平著「歴史好き」で知った。池島さんは戦前に文藝春秋の編集者、戦後は文藝春秋新社の社長を務めたが、戦時中は二等水兵。横須賀で「土方」の仕事をしていたら戦争が終わった。

 

 

博識で饒舌なる池島氏のエッセイにしては、この小説の紹介は短く、「そこにはこの世ならぬ静かなざわめきがある」と評している。戦後になり新聞が写真入りで叙勲の大騒ぎを伝える中、「死者は何も言わぬ。何もいえない。」と感じたとのことだ。

 

この小説は昭和五十六年に刊行された短編集に含まれており、本編の時代設定は戦後十年すなわち昭和三十年(1955年)。私が生まれる数年前であり、初代ゴジラがまだ米国領だった小笠原に上陸し、乱暴狼藉を働いた翌年にあたる。

 

 

この本がまた古書市場で高価だったので、やむなく講談社から苦手の電子書籍を買った。昭和三十年八月十五日午前零時半、すでに最終列車の出入りが終わったはずの東京駅十四番ホームに列車が入って来た。私が子供のころは「終電」という言葉は聞かなかったように思う。最終列車と呼んでいた。故郷へ向かう最終。

 

薄暗い列車の中から降りて来たのは、「サイパンで全員玉砕して、その悲勇壮烈を伝えられた秋吉支隊」。三八式歩兵銃や十四式軽機を携えている者がいる。派遣されたのは歩兵三コ中隊らしい。軍服も背負袋も鉄帽も、破れ汚れてボロボロであった。

 

 

彼らの姿は、彼らにしか見えない。彼らの声も、彼らにしか聞こえない。しかし玉音放送から十年経った東京の夜の街も住民も、彼らの目には見え、耳に聞こえる。秋吉善鬼少将以下、支隊には任務があった。人員点呼後の少将の訓示に示されている。

 

爾来十年の星霜が流れ去ったわけである。われわれの祖国と、われわれの親愛なる者たちははたしてどうなっていることであろうか。それを目の当たりに見聞して、われらの戦友たる数多の苔むす屍に報告する任務を帯びて、われわれは、本日只今、祖国への第一歩を印したのである。

 

 

何だか嫌な予感がする任務ではないか。しかも第一歩というからには、事情によっては第二歩も来そうだ。訓示のあと解散。集合は数時間後の午前四時。東京の夏ならば夜明け前。この間、各自は自由行動により、十年後の日本を偵察する。

 

結果は人によりけりなのだが、その細部を書き並べるのは野暮なので、ここでは秋吉少将の行動を追うことにする。途中まで同行した従軍記者と別れ、彼は二重橋に赴いた。今も昔も一般参賀などで開放されることがある、市井と天上をつなぐ橋。

 

 

 

このあと秋吉支隊がサイパンに戻り、戦友に報告しなければならない理由とは、苔むす屍が海外の古戦場に残されている限り、臣らは帰りたくても帰れない。このため支隊長だけは斥候に赴かず、ひとり陛下に嘆願すべく皇居に向かったのだ。

 

臣らは、明日はまた南溟の地に舞い戻らなければならぬのであります。陛下! 臣らも陛下の在す地、この祖国の山河に眠りたいのであります。希わくば、大御心により臣らの遺骨を先祖墳墓の地にお移し賜るよう、一同にかわり草莽の臣秋吉善鬼、伏して嘆願を奉りまする!

 

 

作者の棟田博は支那事変のときに陸軍兵、大東亜戦争のときは従軍記者。戦後、小説家になった。現状、本人がサイパンに渡ったかどうか不明であり、サイパンをこの小説の「舞台」の一つに選んだ理由もわからない。

 

いま私が末席において関わっている遺骨収容の任務は、政府が公金で行う戦没者遺骨収集事業と、民間によるボランティア事業に大別できるが、いずれも何時まで、どのように続くのか分からない。臣秋吉善鬼の訴えに耳を塞ぐときが来るのか。

 

 

支隊の将兵の中には、靖国神社を訪れた将校もいる。そこで昔の部下や、別の戦場に向かった戦友ら、懐かしい者との再会を果たした。彼らも帰りたくても帰れない身の上なので、互いに会話ができるし目に映る。境内を清掃している者もいた。人それぞれの土産話を携えて、支隊は全員集結を終え、列車は東京駅を去った。

 

毎年ニュースで観てはウンザリしている8月15日の靖国神社の内外で繰り広げられる狂騒を、今年は当日現場で見た。熱中症等のため救護所に詰めていた方から伺った話によると、この騒ぎに巻き込まれたくない人たちは、朝早くに来て静かにお参りしてゆくらしい。

 

 

(おわり)

 

 

 

 

カルガモ  (2024年10月28日撮影)

 

 

 

上野公園 12月1日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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