山陰の旅 2024

山口県山口市 大内氏館跡 攻城251 (2024年5月中旬訪問)

続百名城No174 49/100

 

津和野から九州の新門司まで行く途中、山口県山口市にある大内氏館跡に立ち寄りました。

 

アクセス

 

全体図

 

発掘調査

 

概要説明

大内氏館跡は、山口県山口市にある室町時代の守護大名・大内氏の居館跡です。現在の龍福寺一帯にあたり、「西の京」と称された山口の中心的場所でした。

大内氏第24代当主の大内弘世が、正平15年(1360年)頃に築城したとされています。弘世は京の都に似た地形の山口を選び、京都の街並みを模して街づくりを行いました。館は堀と土塁に囲まれた広大な敷地を持ち、政庁として約200年間にわたり西日本の政治・経済の中心地となりました。

 

主な城主は、代々の大内氏当主です。築城した大内弘世から始まり、最盛期を築いた大内義興、そして最後の当主である大内義隆まで、大内氏滅亡まで居館として使用されました。義隆が家臣の陶晴賢の謀反によって自害し大内氏が滅亡した後、館は焼失しました。その後、この地には毛利氏によって大内氏の菩提を弔うための龍福寺が建立されました。

 

大内氏館は、城郭としての役割も持った居館(平城)であり、堀と土塁で囲まれた方形の敷地が特徴です。京都の将軍邸を模倣したと考えられています。

  • 庭園: 館跡からは複数の庭園遺構が発見されています。特に、水を使わずに石や砂で水の流れを表現する枯山水庭園や、池と島を配置した池泉庭園の跡が見つかっています。

  • 建築: 礎石建物や塼(せん)を敷き詰めた建物跡、門跡などが発掘調査で確認されています。大内氏館跡に関連する神社建築には、楼門と拝殿が一体となった「楼拝殿造(ろうはいでんづくり)」という独特な様式が見られます。これは大内氏が統治した時代に生まれたと考えられています。

 

館北側にある、史跡大内氏遺跡 見学者用無料駐車場に駐車して攻城開始です。駐車場から、反時計回りに歩を進めていきます。土塁と堀に囲まれています。枯山水跡、西門とあり、石組みの排水溝跡がありました。南側に、龍福寺寺山門があり、その奥に本堂がありました。南東に池泉庭園があり、一周して駐車場に戻りました。

 

散策マップ

 

史跡大内氏遺跡 見学者用無料駐車場

 

 

 

 

土塁、堀

 

枯山水庭園跡

 

西門

 

 

石組み排水溝

 

 

 

龍福寺山門、鐘楼、本堂

 

 

石泉庭園

 

石組井戸跡

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

山陰の旅 2024

島根県津和野町 津和野城 攻城250 その2(2024年5月中旬訪問)

百名城No66 71/100

 

出丸から分岐に戻ると、その先にあづま家があり、二の丸方面への登城路がありましたが、改修工事中ということで、連絡通路が仮設されていて、そこを登って行きます。熊本城の仮設連絡通路のような感じで、普段絶対見れない石垣を見ることができました。階段を上り終わると広場に出ました。三の丸跡とありました。ちょうど、城郭をぐるっと回る感じですね。広大な石垣、虎口と進んで、本丸跡に出ました。津和野城下の景色が最高でした。

 

あづまや

 

改修工事中の二の丸方面

 

 

 

仮設通路

 

 

普段見れない位置の石垣

 

 

三の丸

 

西櫓門跡

 

本丸石垣

 

南櫓門跡

 

本丸石垣

 

 

 

太鼓丸跡

 

 

石垣虎口

 

 

本丸、三十間台

 

津和野城下

 

津和野城は、見ごたえのある石垣の素晴らしい山城でした。改修工事中で、二の丸へは行けませんでしたが、仮設連絡通路により、普段見れない、高い目線の石垣を見ることができました。

 

次回は、新門司フェリー乗り場に行く途中、山口県に立ち寄ります。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

2024年5月中旬訪問 山陰の旅 7日目

津和野 その2 宿泊

 

街並み散策後、歴史ある街並みに佇む温泉旅館に宿泊しました。「美人の湯とも言われる自家源泉の炭酸水素塩泉と、保温・保湿効果の高い塩化物泉を併せ持つ良質な温泉が自慢の宿でした。

料理は、日本遺産センターの監修のもと、津和野に伝わる郷土料理を現代風にアレンジした創作会席料理で、美味しかったです。

 

外観

 

 

ロビー、ラウンジ

 

食堂

 

コイン式日本酒

 

 

 

客室、部屋付き半露天風呂

 

 

 

夕食

 

朝食

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

山陰の旅 2024

島根県津和野町 津和野城 攻城250 その1 (2024年5月中旬訪問)

百名城No66 71/100

 

浜田城を後にして、小京都「津和野」に着いたので、まずは、観光リフト乗り場の下部にある、無料駐車場に駐車して、階段上部のリフト乗り場から、リフトに乗って出丸近くまで行き、攻城開始です。

 

アクセス

 

再現天守三重櫓CG

 

 

観光リフト駐車場

 

 

観光リフト乗り場、リフト  

 

リフト券 表裏

 

城郭説明

津和野城は、標高約367メートルの霊亀山に築かれた山城で、鎌倉時代から江戸時代まで約550年にわたって存続しました。日本有数の山城跡であり、特に石垣の規模が壮大で知られています。

鎌倉時代に築城された中世の山城と、江戸時代初期に大規模改修された近世の山城、両方の特徴を併せ持っています。

  • 中世山城としての特徴:

    • 吉見氏の時代に築かれた、南北約2kmにわたる広大な縄張り。

    • 多数の堀切竪堀など、尾根や山肌の地形を活かした防御設備が残されています。

    • 特に、岩盤を掘り抜いて作られた三重の堀切は全国的にも珍しい遺構です。

  • 近世山城としての特徴:

    • 関ヶ原の戦いの後に城主となった坂崎直盛が、本丸周辺を総石垣の近世城郭に大改修しました。

    • 山頂の本丸や二の丸、三の丸、太鼓丸などを高石垣で固めています。

    • 城内一の高さを誇る約10mの人質曲輪の石垣や、天守台の算木積(さんぎづみ)など、当時の高度な石垣技術を見ることができます。

    • 現在は石垣のみが残っており、「天空の山城」としても知られています。

  • 吉見氏: 鎌倉時代、永仁3年(1295年)に吉見頼行によって築城が始まり、以降約300年にわたって城主を務めました。

  • 坂崎氏: 関ヶ原の戦い後、初代津和野藩主として坂崎直盛が入城。中世的な山城を近世的な城郭へと大規模改修しました。

  • 亀井氏: 元和3年(1617年)に亀井政矩が城主となり、明治の廃藩置県まで11代にわたって津和野を治めました。

縄張

 

リフト降り場に、杖とSL発着時間の看板ありました。SL走ってるんでしょうか。津ね。和野駅にSL展示してました。道なりに登城して行くと、堀切跡があり、出丸、本丸方面の案内表示があり、出丸方面に行きます。階段を上ると、石垣の虎口、があり、出丸跡の広場に出ました。奥に二重櫓台跡と礎石があありました。

 

リフト降り場

 

登場用杖とSL発着看板

 

リフト降り場からの景観

 

 

登城路

 

堀切跡

 

出丸、本丸の分岐

 

 

石垣の虎口

 

出丸

 

二重櫓台跡、礎石

 

出丸からの景観

 

次回は、出丸から分岐まで戻り、本丸方面に登場していきます。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

 

 

 

 

2024年5月中旬訪問 山陰の旅 7日目

津和野 その1 街並み散策

 

浜田城攻城後、国道9号を日本海沿いに西に走り、益田市から南西方向に内陸に入り、津和野に到着しました。まず、津和野城を攻城ですが、リフト代金に小銭が無かったので、太皷谷稲成神社の売店で、この地の名物の「源氏巻」を買いリフトに乗り攻城しました。その後、津和野町営有料駐車場(500円/日)に駐車して、道路向かいのガソリンスタンドで料金を支払い、津和野の街並みを散策しました。初陣酒造仕込蔵で地酒の、初陣 純米大吟醸を買いました。旅行後自宅で飲みましたが、辛口、芳醇、スッキリなおいいしいお酒でした。津和野駅には蒸気機関車が展示されてました。一通り散策して、駐車場に戻り、この日の宿泊宿に向かいました。

 

 

津和野散策マップ

 

津和野概要

津和野(つわの)は、島根県鹿足郡にある町で、「山陰の小京都」とも称される歴史的な城下町です。

津和野の歴史は古く、鎌倉時代に津和野城が築城されてから、江戸時代には亀井氏の城下町として栄えました。 幕末から明治にかけては、森鴎外や西周(にしあまね)など、多くの学者や文人を輩出しています。 また、明治初期には、長崎からキリスト教徒が移送され、過酷な拷問と弾圧を受けた「浦上四番崩れ」という悲劇的な歴史も残されています。

 

太皷谷稲成神社

 

源氏巻

 

町営有料駐車場

 

 

津和野駅と機関車

 

 

街並み

 

 

 

古蓮酒造 初陣酒造仕込蔵 純米吟醸酒

 

大岡家老門

 

弥栄神社

 

津和野カトリック教会

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

山陰の旅 2024

島根県浜田市 浜田城 攻城249 その2 (2024年5月中旬訪問)

続百名城No170 48/100

 

硝煙蔵曲輪の手前を南に下っていくと、中の門跡がありました。その先は住宅街でした。ここが、本来の大手道と考えられます。戻って神社の奥に県庁移築門がありくぐって登って行くと、石垣虎口の連続があり、二の門跡、出丸、一の門跡とあり、広大な本丸に出ました。本丸から日本海方面への眺望は最高でした。

 

 

 

中の門跡

 

 

 

旧県庁移築門

 

 

 

 

 

二の門跡

 

 

出丸

 

一の門跡

 

 

 

本丸、眺望

 

再現CG

 

浜田城は、長州藩の監視、北前船の寄港地として、江戸時代に築城された、石垣の堅固な素晴らしい城郭でした。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

山陰の旅 2024

島根県浜田市 浜田城 攻城249 その1 (2024年5月中旬訪問)

続百名城No170 48/100

 

世界遺産「石見銀山」を散策して、その日の宿泊地、島根県浜田市のホテルに宿泊した翌朝、浜田城を攻城しました。浜田は、北前船(江戸時代から明治時代にかけて日本海を航行し、各地で商品を売買しながら物資を運んだ商船)の西廻り航路における重要な寄港地で、米、塩、砂糖などが輸入され、逆に鉄や半紙などの浜田の特産品が輸出され、浜田の経済は大きく発展し、北前船は城下町の繁栄を支える重要な存在だったようです。

 

浜田城 アクセス

 

城郭説明

浜田城は、北側に松原湾、南と西に浜田川が流れ、自然の地形を天然の堀として利用した、標高約68メートルの亀山と呼ばれる独立丘陵に築かれた平山城です。長州藩に対する防衛拠点として、元和6年(1620年)に初代藩主の古田重治によって築城されました。その後、古田氏がお家騒動で改易された後、譜代大名や親藩の松平氏(松井・越智)が入れ替わりで城主を務めました。これは、長州藩の抑えとしての役割が重視されていたためです。

 

城郭形式

頂上に本丸、その下に二の丸、三の丸、出丸が配された梯郭式の構造で、本丸の北西隅に三重櫓の天守が建てられていましたが、天守台はなく、本丸に直接礎石を置いて築かれていたのが特徴です。

1866年の第二次長州征伐の際、長州藩の攻撃を受けて落城しました。このとき、城を明け渡した浜田藩兵によって自ら火が放たれ、城のほとんどが焼失したようです。

 

散策マップ

 

 

縄張図

 

再現CG

 

城郭南西側の浜田城山公園駐車場に駐車して攻城開始です。駐車場から北へ登って行きます。すぐに広いふれあい広場に出ました。手前を右に折れて、登城路を登ってい行きます。階段を上ると、浜田護国神社の広い境内、本殿にでました。

 

浜田城山公園駐車場

 

ふれあい広場

 

 

 

 

 

 

登城路

 

 

浜田護国神社

 

神社の北側奥が本丸方面ですが、西側に進み石段を下りると、井戸跡、硝煙蔵曲輪がありました。

 

 

 

 

井戸跡

 

硝煙蔵曲輪

 

次回、中の門、本丸方面を紹介します。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

 

 

 

2024年5月中旬訪問 山陰の旅 6日目

世界遺産 石見銀山 その3

 

龍源寺間歩を出て、来た道を引き返します。途中、清水谷精錬所後に立ち寄りました。石垣が、城跡のようでした。街並みを満喫しながら、バス停のある代官所跡まで下り、バスに乗って世界遺産センターに戻りました。  

 

清水谷精錬所は、石見銀山が衰退期にあった明治時代に、大阪の藤田組によって多額の資金を投じて建設されました。当時としては最先端の技術を駆使して作られた大規模な製錬所でしたが、金銀の含有率が高い鉱石に注目して建設されたものの、実際には予想以上に鉱石の質が悪く、わずか1年半(明治28年(1895年)に開設され、明治29年(1896年)に操業休止)で操業を停止しました。

現在は、山すその傾斜を利用して造られた当時の建物の基礎部分や石垣などが残されており、緑に覆われた自然の中に歴史の息吹を感じることができます。石積みがピラミッドのように見えるとも言われています。

清水谷精錬所跡は、石見銀山の近代化への試みとその挫折を物語る貴重な遺跡であり、当時の技術や産業の様子を今に伝える場所として訪れる人に感銘を与えています。

 

 

佐毘賣山神社

 

 

 

清水谷精錬所跡(現在)

 

 

清水谷精錬所跡(旧)

 

 

 

 

 

街並み

 

 

道の駅 ごいせ仁摩

 

石見銀山から、60キロ 1時間強の、この日の宿泊地、島根県浜田市に向かいました。途中、道の駅 ごいせ仁摩で、黒味噌ラーメン食べました。故郷札幌の味噌味はまた違う味でした。

 

明日、7日目は、浜田城、津和野城、津和野散策、宿泊となります。旅の終わりが近づいてきました。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

 

2024年5月中旬訪問 山陰の旅 6日目

世界遺産 石見銀山 その2

 

石見銀山公園から、散策開始して、龍源寺間歩 (入口)までどんどん登って行きます。約2.3キロ、45分の徒歩行程ですが、晴天の暑い日差しの中、ゆっくり、景色と匂いを感じながら1時間くらいかけて登りました。レンタサイクル利用の人もいましたが、徒歩で満喫できました。

 

石見銀山は、島根県大田市に位置する、かつて日本最大の銀山で、2007年に「石見銀山遺跡とその文化的景観」としてユネスコの世界遺産に登録されました。その歴史と特徴は以下の通りです。

 

歴史

  • 発見と初期の開発(14世紀〜16世紀初頭): 伝説では1309年(鎌倉時代末期)に大内弘幸によって発見されたとされていますが、本格的な採掘は1500年代に入ってからです。博多の商人、神屋寿禎が海上から光る山を見て採掘を始めたと伝えられています。

  • 灰吹法の導入と最盛期(16世紀中頃〜17世紀初頭): 1533年に朝鮮半島から「灰吹法」という画期的な銀の精錬技術が導入され、高純度の銀の大量生産が可能になりました。これにより石見銀山の産銀量は飛躍的に増加し、最盛期には世界の産銀量の約3分の1を日本が占め、そのかなりの部分が石見銀山で産出されたと考えられています。

  • 戦国大名による争奪戦: 産出される銀は莫大な富を生み出したため、戦国時代には大内氏、尼子氏、毛利氏といった有力な戦国大名の間で激しい争奪戦が繰り広げられました。特に毛利元就は石見銀山を巡る戦いを制し、その財源を確保しました。

  • 江戸幕府の直轄地化と鎖国: 豊臣秀吉の支配を経て、江戸時代になると徳川幕府の直轄地となり、重要な財源となりました。しかし、徳川家が鎖国政策を採用したため、石見銀山と世界経済とのつながりは途絶え、生産量も徐々に減少していきました。

  • 近代以降の閉山: 幕末には長州藩の支配に移り、明治維新以降は民間運営となります。銀の産出量は減少しましたが、銅なども産出され、明治以降は銅の採掘が主流となりました。しかし、第一次世界大戦後の銅価格の下落や水害などにより、1943年(昭和18年)に閉山に至りました。

特徴
  • 環境への配慮と共存: 石見銀山の最大の特徴は、**「自然環境と共存した産業遺跡」**である点です。銀を精錬するためには大量の薪炭用木材が必要でしたが、石見銀山では山を崩したり森林を伐採したりするのではなく、狭い坑道を掘り進む採掘方法や、消費と同時に計画的な植林も行われていたため、現在も豊かな森林が残されています。この環境に配慮した生産方式が、21世紀に求められる価値として世界遺産登録において高く評価されました。

  • 「銀の道」を通じた国際交流: 16世紀の大航海時代には、石見銀山で採掘された銀が、主にポルトガル人によって東アジアやヨーロッパへと輸出され、世界の経済・文化交流に大きな影響を与えました。ヨーロッパで作られた世界地図に「銀鉱山」と記されるほど、その存在は国際的に知られていました。

  • 銀生産の全体像を示す文化的景観: 鉱山遺跡だけでなく、銀の採掘から精錬、輸送、そしてそれに関わる人々の暮らしの痕跡が広範囲にわたって良好な状態で残されている点が特徴です。

    • 「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道: 大小合わせて700余りもの坑道が確認されており、手掘りのノミの跡などが当時の採掘技術を物語っています。現在、唯一常時公開されている「龍源寺間歩」では、当時の採掘の様子を垣間見ることができます。

    • 大森の町並み: 銀山を管理する代官所が置かれ、栄えた鉱山町の姿が今も色濃く残っています。

    • 港と港町: 銀を積み出した鞆ヶ浦や沖泊の港、そして温泉津温泉など、銀の輸送路や関連施設も世界遺産に含まれており、銀生産の全体像を示す文化的景観を形成しています。

  • 鉱害の少なさ: 他の多くの大規模鉱山とは異なり、石見銀山では大規模な鉱害問題がほとんど発生しなかったことも特筆すべき点です。

 

散策マップ

 

 

 

 

道中、案内板

 

下河原吹屋跡

 

福神山間歩

 

佐毘賣山神社、高橋家跡

 

間歩跡

 

木枠の自販機

 

龍源寺間歩入口

 

入坑券

 

良源治間歩入坑口

 

 

 

 

 

坑内

 

信長、秀吉、家康の三英傑がこぞって、手に入れた、石見銀山。当時、日本は銀の生産量世界一だったようです。採掘者の苦労と合わせて、歴史の重みに感慨に浸りました。

 

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

2024年5月中旬訪問 山陰の旅 6日目

世界遺産 石見銀山 その1

 

松江しんじ湖温泉に宿泊した翌朝、今回旅行のメインテーマである、世界遺産「石見銀山」に向かいました。途中、宍道湖SAで休憩して、島根県太田市方面へ、90キロ、80分程車を走らせました。石見銀山の駐車場は数か所ありましたが、規模が小さいので、最大規模の世界遺産センターの駐車場に車を止め、まず、館内で資料を入手しました。

 

石見銀山場所

 

宍道湖大橋

 

 

宍道湖SA

 

石見銀山近辺

 

 

世界遺産センター

 

施設案内

 

 

館内

 

世界遺産センターから、バスに乗り、大森バス停まで行き、銀山公園から散策開始です。10分前後の乗車で、200円/人でした。

 

バス

 

路線図、時刻表

 

大森バス停

 

 

 

銀山公園

 

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。