2024年5月中旬訪問 山陰の旅 5日目

松江しんじ湖温泉

 

月山富田城から、日本海方面へ北西に進み、この日の宿泊地、島根県松江市にある、宍道湖温泉を目指します。松江市内に入り、現存12天守の松江城の水堀横を通り抜け、宍道湖畔北岸にあある、宍道湖温泉の宿に到着しました。客室温泉露天風呂に入り、宍道湖を眺めるのが楽しみです。

 

宍道湖温泉(松江しんじ湖温泉)は、島根県松江市にある温泉地で、その名の通り宍道湖の北側に面した湖畔に位置しています。泉質は、ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉(無色透明微塩味、弱硫化水素臭)で、泉温は、約77℃と高温で、地下1250mから湧き出す豊富な湯量が特徴です。 保温効果が高く、「美肌の湯」としても知られています。硫酸イオン、メタケイ酸、カルシウムイオンが豊富で、肌の弾力やハリを高め、新陳代謝を促進し、つるつるの潤い肌にしてくれると言われています。その他、神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え性、慢性婦人病、慢性皮膚病、疲労回復、健康増進などにも効くとされています。

 

 

 

 

 

景観、施設

 

 

 

客室温泉露天風呂

 

 

 

夕食

 

朝食

 

夕食も、ほど良い質と量で楽しめました。温泉にも何回も入りました。満喫できました。過去旅行で、松江城、出雲大社を巡ったので、今回は、立ち寄りませんでした(出雲大社は、賽銭でお金がなくなる記憶)。

 

翌朝、今旅行の最大の目的である、世界遺産「石見銀山」に向かいます。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

 

山陰の旅 2024

山陰の旅 2024 島根県安来市 月山富田城 攻城248 その2 (2024年5月中旬訪問)

百名城No65 70/100

 

はるか遠方の天守台をを望みながら進んでいくと、花の壇がありました。さらに進むと、山中御殿平らに到着しました。こなり、広大で、石垣も垣間見えます。奥が本丸方面ですが、入口に月山軍用道とあり、うっそうと薄暗く、想像していた登城路と違い、他に登城人がいなかったので、今回はここまでとしました。

 

 

 

登城路、天守台

 

花の壇

 

奥の院

 

 

 

 

 

山中御殿平

 

 

本丸への月山軍用道

 

本丸

 

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

山陰の旅 2024

山陰の旅 2024 島根県安来市 月山富田城 攻城248 その1 (2024年5月中旬訪問)

百名城No65 70/100

 

米子城を後にして、海沿いから山間部へ南西に車で、20数キロ、30数分で、月山富田城があり、月山富田城跡無料駐車場に駐車して、攻城開始です。途中安来市の道の駅で、休憩がてら、お土産を物色しました。

 

アクセス

 

系譜

 

城郭案内図

 

城郭説明

月山富田城は、標高約190mの月山(吐月峰)の山上に本丸を置く典型的な山城です。

 南東以外の三方が急峻な斜面となっており、北側を正面として、山麓部から山頂部へ曲輪(くるわ:城や砦の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域)を連ねる連郭式の縄張となっています。

 

 戦国時代の中世においては土を用いた防御機能が多かったのに対し、安土桃山時代以降の近世になると石垣をはじめとする石の城づくりへと変化しました。月山富田城では、これらの異なる時代の城づくり技術が同居しており、遺構を通してその変遷を体感できるのが特徴です。吉川氏や堀尾氏が城主となった時代には、大規模な石垣が築かれました。

 

月山富田城の主な城主は下記です。                                    

  • 尼子氏(あまごし): 戦国時代に山陰の覇者と呼ばれた尼子氏の本拠地であり、約170年間にわたって尼子氏六代の盛衰の舞台となりました。特に尼子経久(あまごつねひさ)の時代には最盛期を迎えました。

  • 毛利氏(もうりし): 尼子氏が毛利氏の攻撃を受けて滅亡した後、毛利氏が手中に収め、山陰地方支配の拠点としました。毛利元秋(もうりもとあき)や毛利元康(もうりもとやす)が城主となっています。

  • 吉川氏(きっかわし): 毛利氏の一族である吉川広家(きっかわひろいえ)も城主となりました。この頃から石垣などの近世城郭の要素が加わったとされています。

  • 堀尾氏(ほりおし): 関ヶ原の戦いの後、堀尾吉晴(ほりおよしはる)とその子忠氏(ただうじ)が入城しました。堀尾氏は新たな居城として松江城を築城し、本拠を移すまで月山富田城が中枢として栄えました。

月山富田城の特徴は下記です。  

  • 難攻不落の要塞: 自然の地形を最大限に生かした堅固な造りで、「難攻不落の山城」と称されました。大内・毛利連合軍や毛利軍の侵攻を二度も撃退した実績を持ちます。

  • 広大な敷地と多数の曲輪: 山全体を活用した城の面積は約70万平方メートルにも及び、多数の曲輪が配置されています。主要な曲輪には、本丸、二の丸、三の丸、山中御殿平(さんちゅうごてんひら)、花の壇、千畳平などがあります。

  • 実戦的な防御拠点: 敵が攻め込むルートは「菅谷口(すがやぐち)」「御子守口(おこもりぐち)」「塩谷口(しおだにぐち)」の3ヵ所に限られており、急峻な地形を活かして各所に防御拠点が設置されていました。特に「七曲り」と呼ばれる険しい軍用道は難所として知られます。

  • 歴史的価値と遺構の保存: 昭和9年(1934年)に国の史跡に指定され、2006年には「日本100名城」にも選定されています。現在も石垣や堀切などの遺構が良好に残っており、一部の建物は発掘調査に基づいて復元されています。

  • 山中鹿介と尼子経久の像: 尼子氏に仕え「七難八苦」を乗り越え尼子氏再興に尽力した山中鹿介(やまなかしかのすけ)や、尼子氏を最盛期に導いた尼子経久の像が城跡周辺に建立されています。

 

駐車場から、北に向かって、登城路を登って行きます。やがて、右手に千畳平と呼ばれる広大な曲輪がありました。左手に進むと、太鼓壇がありました。さらに、山中鹿介像があり、休憩用東屋がありました。広い曲輪から、天守台が望めました。ここまでは、比較的楽に登れました。

 

道の駅 あらえっさ

 

道中

 

月山富田城跡無料駐車場

 

 

 

 

 

千畳平

 

太鼓壇

 

太鼓壇から駐車場を望む

 

山中鹿介像

 

春の紅葉

 

東屋

 

広い曲輪

 

道中、天守台を望む

 

次回は山中鹿介御殿跡を紹介しまます。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

山陰の旅 2024

鳥取県米子市 米子城 攻城247 その2 (2024年5月中旬訪問)

続百名城No160 47/100

 

二の丸から登城していくと、内膳丸、本丸の分岐があり、まず内膳丸に向かいました。出丸のような感じです。特徴は、本丸までの登り石垣ですが、肉眼でほぼ確認できませんでした。再現CG載せておきます。

 

 

 

 

 

内膳丸

 

登り石垣 再現CG

 

内膳丸から、分岐まで戻り、本丸へ登城していきます。途中番所跡があり、本丸天守台石垣が見えました。さらに登り、黒鉄門跡をくぐり、広大な本丸跡にでました。本丸には天守台があり、天守礎石がありました。礎石を見るとワクワクします。快晴の心地よい風があいまって、本丸からの眺望は最高でした。

 

 

登城路

 

 

番所跡、眺望

 

 

天守台、石垣

 

黒鉄門跡

 

 

本丸

 

天守礎石

 

 

本丸からの眺望

 

米子城は比較的登城しやすく、石垣も見事でした。整備のよくされた、見ごたえのある城郭でした。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

 

山陰の旅 2024

鳥取県米子市 米子城 攻城247 その1 (2024年5月中旬訪問)

続百名城No160 47/100

 

鳥取城を攻城後、日本海沿いを西に走り、中海東岸にある米子城を攻城しました。米子城 三の丸番所のある三の丸跡の駐車場に駐車して攻城開始です。駐車場から、三の丸、二の丸間の石垣、土塁が見えました。駐車場の奥に、枡形虎口の石垣門跡がありました。結構広いです。虎口の先の石垣を登ると、旧小原家長屋門がありました。石段を登って行くと、御殿御用井戸跡があり、二の丸、三の丸跡が眼下に広がりました。

 

アクセス

 

再現CG

 

天守台

 

歴史

 

散策図

 

城郭説明

米子城は、標高90mの湊山(みなとやま)に築かれた平山城で、山頂に本丸を配し、そこから階段状に郭が配置される梯郭式城郭で、本丸に四重五層の大天守と、四重櫓(小天守)の大小2つの天守が並び建つという双頭天守(非現存)が特徴でした。

本丸北西側の尾根には「内膳丸」と呼ばれる出丸があり、ここから本丸にかけて、尾根を登るように築かれた「登り石垣」が見られます。これは豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮半島の倭城で用いられた築城手法で、国内では数少ない貴重な遺構です。

 

米子城の主な城主と預かり城代は以下の通りです。

  • 吉川広家(きっかわひろいえ):戦国時代末期(天正19年/1591年頃)に本格的な築城を開始しました。

  • 中村一忠(なかむらかずただ):関ヶ原の戦いの後、伯耆国(ほうきのくに)の領主として入城し、米子城を完成させました。中村家はその後断絶します。

  • 荒尾成利(あらおなりとし)とその子孫(荒尾氏):中村家断絶後、米子城は鳥取藩(池田家)の家老である荒尾氏が代々預かり城代を務め、半独立領のような形で明治維新まで統治しました。

米子城 三の丸番所(新築9

 

二の丸、三の丸間の石垣

 

 

二の丸枡形虎口

 

 

旧小原家長屋門

 

二の丸(現在テニスコート)

 

御殿御用井戸跡

 

 

登城路から見る二の丸、三の丸跡

 

今回は、三の丸から二の丸跡まで紹介しました。次回は、内膳丸から本丸まで紹介します。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

 

 

 

山陰の旅 2024

鳥取県鳥取市 鳥取城 攻城246 その2 (2024年5月中旬訪問)

百名城No63 69/100

 

中仕切り門をくぐって、石垣を堪能しながら登って行くと、右膳ノ丸跡に出ました。結構広いです。登り石垣の先に広大な二の丸にでました。ここが城主の日常の居住地だったようです。三階櫓台、裏御門跡をすぎ、菱櫓跡の先に表御門あとがあり、その先が山の上丸と天球丸の分岐点です。今回は雨の直後ということで、道の状態は悪く回避しました。

 

 

 

 

右膳ノ丸跡

 

 

登り石垣

 

三階櫓台

 

裏御門

 

 

菱櫓台

 

表御門跡

 

山の上丸方面

 

山の上丸分岐点を右に折れると、巻き石垣のある天球丸に着きました。壮大な石垣郡と球体状の丸い石垣のコラボが何とも言えませんでした。天球丸の下部に楯蔵跡が見えました。

 

 

 

天球丸石垣

 

 

楯蔵跡

 

今回山の上丸は行けませんでしたが、鳥取城は期待より広大な石垣の城郭でした。来て良かったです。次回は、米子城を紹介します。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

 

山陰の旅 2024

鳥取県鳥取市 鳥取城 攻城246 その1 (2024年5月中旬訪問)

百名城No63 69/100

 

鳥取砂丘から、鳥取城に向かいました。車で数キロ、十数分で到着しました。城郭西側に県立博物館の無料駐車場がありましたが、前日の調査で混雑していたので、近隣の有料立体駐車場に駐車しました。鳥取城の知識と言えば、秀吉が信長の命による中国征伐時、軍師 竹中半兵衛の、「餓え殺し」という残酷な兵糧攻め作戦で落城させたことと、歴史番組で見た球体状の石垣です。どんなお城なんでしょうか。

 

アクセス

 

城郭縄張

 

 

散策ルート

 

鳥取城の様式と特徴

鳥取城は、山城と平山城の二つの顔を持つ点が大きな特徴です。久松山山頂に「山上の丸」と呼ばれる山城の構造を持ち、その麓に「山下の丸」と呼ばれる平山城の構造が広がっています。

 

建築様式・構造の特徴

 中世の山城から近世の平山城への移行過程を示す、歴史的に貴重な遺構が残されており、「城郭

  の博物館」と呼ばれています。

 特に見事なのは、姫路藩主池田光政によって整備・拡張された石垣群です。

 ・全国的にも珍しい、球状の石垣「巻石垣」があります。これは、江戸時代に川の堤防や港の突

  堤を築く際に使われた技術を応用したもので、石垣の崩落を防ぐための工夫のようです。

 ・中ノ御門大手門は、枡形虎口(石垣に囲まれた出入口)を持ち、高麗門を虎口の幅いっぱいに設

  け、両端を石垣に寄せ掛けた珍しい構造です。また、門の両脇の土塀を石垣上に配し、門の屋根

  と一体化させることで防御を固めています。(今回は改修工事中でした)

 ・天守は、当初は3層の天守が建てられましたが、関ヶ原の戦い後に池田長吉によって2層に改め

  られました。しかし、元禄5年(1692年)に落雷によって焼失し、以降再建されていません。そ

  のため、二の丸三階櫓が天守代用とされていました。

 ・二の丸三階櫓は、層塔型の3層3階建てで、下の階より上の階が一回り小さい構造でした。山陰 

  地方で初めて導入された層塔型の建物とされています。

 ・城跡内には、明治時代に鳥取池田家第14代当主池田仲博が宮内省匠頭の片山東熊に依頼して建

  てられたフレンチ・ルネッサンス様式の白亜の洋館「仁風閣」があります。こちらは国の重要文

  化財に指定されています。

 

鳥取城の歴史

鳥取城の歴史は古く、戦国時代から江戸時代にかけて、様々な歴史の舞台となりました。

  • 築城の始まり:天文14年(1545年)頃、因幡守護の山名誠通が、天神山城の出城として久松山山頂部に築城したのが始まりとされています。

  • 戦国時代の激動

    • 永禄7年(1564年)には、家臣の武田高信が鳥取城を拠点に主家山名氏に反逆。

    • 天正元年(1573年)には、山名豊国が本拠地を天神山城から鳥取城に移し、因幡国の拠点となります。

    • 「鳥取の飢え殺し」:天正8年(1580年)と天正9年(1581年)の2度にわたり、羽柴(豊臣)秀吉による鳥取城攻めが行われました。特に2度目の攻防では、毛利方の名将・吉川経家が城を守る中、秀吉が徹底した兵糧攻めを行い、「鳥取の渇え殺し(かつえごろし)」として歴史に名を残しました。籠城した城兵や民衆は餓死者の遺体を食らうほどの悲惨な状況となり、最終的に吉川経家が城内の命を救う条件として自刃し、鳥取城は開城しました。

  • 近世城郭への改修

    • 秀吉の城攻め後、宮部継潤が城主となり、石垣や天守を築くなど近世城郭としての整備が進められました。

    • 関ヶ原の戦い後、池田長吉が城主となり、山上の住居が不便なため、中腹に二の丸を築き、城池を広げ外濠を拡張しました。

    • 元和3年(1617年)には池田光政が城主となり、さらに大改修を行い、現在の市街地の原型が形成されました。

    • 寛永9年(1632年)には池田光仲が城主となり、明治維新まで鳥取池田家が城主を務めました。

  • 明治以降:明治維新後、鳥取城の建造物は全て取り壊されましたが、山上に天守台や石垣、西麓に二の丸・天球丸などの石塁や石垣が残り、国の史跡に指定されています。近年では、中ノ御門表門などが発掘調査に基づき復元され、当時の姿を偲ぶことができます。

さて、攻城開始です。城郭中央に水堀にかかる擬宝珠橋、その先に中ノ御門があり、改修中でした。西側の宝珠橋を渡り、北ノ御門跡を通り歩を進めます。中仕切り門の手前石垣がいいですね。

 

城郭遠景

 

 

擬宝珠橋、中ノ御門

 

 

水堀

 

 

宝珠橋

 

 

北ノ御門跡

 

 

仁風閣

 

 

中仕切り門、手前の石垣

 

次回は、中仕切り門をくぐり、二の丸、天球丸へと進みます。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

 

2024年5月中旬訪問 山陰の旅 5日目

鳥取砂丘

 

鳥取市内のホテルに宿泊した翌朝、前日行く予定だった、鳥取砂丘に行きました。鳥取砂丘は、以前仕事で、中国大連に行く際に飛行機の窓から見て以来です。ただ、天候は、相変わらず、曇天模様です。が、前日の雨で砂丘の砂が固まっていて、歩きやすかったことは確かです。

 

鳥取砂丘

鳥取砂丘は、鳥取県鳥取市に位置する日本を代表する広大な海岸砂丘で、静岡県の御前崎から浜松まで続く南遠大砂丘、鹿児島県の吹上浜と並び日本三大砂丘の一つで、国の天然記念物に指定されています(千葉県房総半島 九十九里浜を入れたりする説もあるようです)。

 

散策図

 

砂丘入口

 

 

 

 

 

 

 

砂丘

 

山陰海岸国立公園 鳥取砂丘ビジターセンター前に駐車して、砂丘入口階段を上り、砂丘に入って行きました。結構、足を取られました。つらい、馬の背を登りきると、日本海が見え素晴らしい景色でした。早朝なので、人影もまばらで、独り占した感じでした。施設はまだ開店しておらず、グルメは堪能できませんでした。

 

 

海鮮丼、砂プリン

 

行程変更により、この日の予定が押しているので、心残りながら、早急に、砂丘を後にして、鳥取城に向かいました。

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

 

2024年5月中旬訪問 山陰の旅 4日目

伊根の舟屋~余部鉄橋~鳥取

 

天橋立を早朝散歩した後、この日の宿泊地、鳥取を目指します。当初の計画では、鳥取砂丘を散策する予定でしたが、前日の晴天とはうって変わり、曇天雨模様です。急遽予定を変更し、タモリ倶楽部で放送されて、行きたかった、「伊根の舟屋」に行くことにしました。伊根町七面山駐車場(有料)に駐車して散策開始と言いたいところでしたが、断続的強雨のため、外環見学のみとなりました。

 

伊根の舟屋

伊根の舟屋は、京都府与謝郡伊根町の伊根湾沿いに立ち並ぶ、1階に船の収納庫、2階に住居を備えた独特の伝統的建造物です。現在でも約230棟の舟屋が伊根湾の海岸沿いに建ち並び、その歴史的景観から国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されています。

舟屋は海に面して建てられており、海から見るとまるで海に浮かんでいるかのように見えます。漁業と生活が一体となったこの珍しい町並みは、年間30万人以上の観光客が訪れる人気の観光地となっています。

 

 

 

 

 

 

伊根の舟屋

 

 

 

丹後半島の景観

 

相変わらずの、曇天雨模様の中、鳥取を目指して、西走していると、予定になかった、「余部鉄橋」を通過することになりまし。早速、道の駅「あまるべ」に駐車して、「あまるべ鉄橋 空の駅 」を散策することにしました(実際は、私は車で留守番、妻が散策)。 

 

余部鉄橋

余部鉄橋(あまるべてっきょう)は、兵庫県美方郡香美町にあるJR山陰本線の橋梁「余部橋梁」の旧称です。

初代の余部鉄橋は鋼製トレッスル橋で、1912年(明治45年)3月1日に開通し、約100年間使用されましたが、2010年(平成22年)7月16日に運用を終了しました。

現在の余部橋梁は2010年8月12日に供用が始まったエクストラドーズドPC橋で脚の高さは41.5メートルです。

旧余部鉄橋の一部は、現在「余部鉄橋『空の駅』」として展望施設になっており、日本海の絶景を楽しむことができます。また、展望施設へはエレベーター「余部クリスタルタワー」でアクセスできます。

 

 

 

 

 

 

 

鳥取までの道中、時折、日本海を堪能して、鳥取のホテルに到着しました。明日、山陰の旅5日目は、朝から、鳥取砂丘鳥取城米子城月山富田城を経由して、宿泊地の宍道湖温泉に行きます。

天候の関係上、過密行程となりました。

 

 

穴見海岸

 

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。

 

 

京都府宮津市 天橋立(日本三景)3日目

2024年5月中旬訪問 山陰の旅 宮津市宿泊

 

山陰の旅(2024年5月中旬)の3日目の宿は、天橋立が目の前の温泉旅館です。天橋立散策から帰った後、すぐに、温泉に入りました。女湯、男湯、どちらでも、鍵がかかってなければはいっていいということでした(入る場合、鍵をする)。夫婦2人にはちょうどいい大きさで、いい温泉でした。散策の疲れが癒されました。

夕食は、部屋出しで、カレイ、甘鯛と、京都風の品のいい薄味の味付けで、刺身は新鮮でした。とても美味しかったです。

 

 

温泉旅館

 

温泉

 

 

 

 

 

 

夕食

 

朝食

 

※2024年山陰の旅の旅行行程は、2024年の5月にブログアップしてます。