中村一義の歌詞から…

「人を哀しませるのが人なら、元気にするのも人じゃないの」(うろ覚えです…)

誰かに傷つけられ、哀しい思いをするときも、元気をもらうときもある。

生きることは、誰かと関わることで、まったく孤立すると、傷つくことが無くても元気も無くなってしまう。

孤立無縁の仙人のような暮らしでは、思い出が寂しすぎる。

信じれば、裏切られ、助けたのに恩を忘れられ、頑張っても報われず…

思うようにならない苦しみ。

それを抱えながら、喜ぶをくれるのもまた人だった。

少し高い麦茶にしてから、それが美味しくて、もう元の安い麦茶には戻れなくなった。

初めは美味しいと思って飲んでいたが、今、特別な感動もなく普通に飲んでいる。

でも、安いほうを飲んだら、いまいちだな、と思うだろう。

結婚当初、ボロ屋に住んでいて、シロアリやカビが発生して苦労した。

あの頃は、毎日、大変だった。

家は寒いし、妻がどれだけ掃除しても、家がきれいにならない。

毎日、疲れていた気がする。

それでも、当時のビデオ撮影を見ると、楽しそうに笑っていた。

どんな環境にも馴れがあり、幸せを感じることができる。

一軒家に引っ越した今、快適な環境にいるが、毎日、幸福感に満たされているだろうか?

快適なのが普通になり、特別な感動も無い。

人間が受け取れる幸せは、コップ1杯の水のようなものだ。

コップ1杯以上の幸せは、感じられないのかもしれない。

それは、快適なほうがいいに決まっているが…

今ある幸せに感謝するのが幸せの近道なのだろう。


職場では人間関係が重要。

それ次第で、続けられるか、ストレスなく仕事ができるかが決まる。

まったく関わらなくてもできることはできるが、楽しみが無くなってしまう。

それはそれでつらい。

できれば、和やかに、お互い助け、助けられ、働きたいものだ。

先輩に短気さんがいる。

すぐ怒り、今ではパワハラと言われることが度々あった。

短気さんのせいで、アルコール依存症、うつなどのメンタル疾患になった人もいる。

短気さんとの人間関係ができてないうちは、私も怒られてイヤな思いをした。

私は、短気さんを理解するようにした。

なぜ、この人はこうなのか?

この人の本質はなんだろうか?

あるとき、わかった気がした。

短気さんは、正しいことを正しく行って欲しいと思っている。

さぼらず、忘れず、教わったことをちゃんとやっていれば、怒らない。

それがわかってから、恐怖が薄れた。

10年以上、同じ職場で働き、お互いの理解も深まった。

「おい、これやってないぞ! 誰だ〜!」

短気さんに怒られそうなときなど

「いたらないところばかりですみません。ちゃんとやっていれば、短気さんをおこらせなくていいのに」

しおらしく言うと、短気さんは笑う。

「ちゃんとわかってるじゃないか! そういうことだぞ!」

人間関係でつまずくときは、相手を理解することが、肝心。

理解が深まるとき、ネガティブな思いが消えていく。

相手をニュートラル(中立)に見るとき、関係は変わっている。




月曜と金曜は、燃えるゴミの日。

前日の夜は、たまったゴミをまとめてゴミステーションへ早めに捨ててくる。

ゴミ袋をまとめて玄関へ向かうと、決まって娘が「娘も行く!」と走って来る。

夜風に当たりながら、娘をおんぶし、家3軒分のゴミステーションまでの距離を歩く。

「お月様が出てるね」

「寒くない?」

幼児期は、家で言えば土台になる基礎を作るとき。

どんなに立派な建物も、基礎が弱ければ倒壊の危険がある。

幼児の要求は、愛されること。

要求に応えることで、少しずつ基礎が丈夫になる。

娘をおんぶするとき、両手がゴミでふさがっていれば、首で娘の手を抑えるんだ。

すると、首がしまって、「グヒッ」となる。

娘が落ちないようにバランスをとって。

パパにおんぶしてもらった記憶。

娘の心の奥にきっと残る。

私も、娘をおんぶしてゴミステーションまで歩いたことは、一生、忘れない。

いつか「娘も行く!」とは言わなくなる日が来るのだろう。

どんなことにも期限があって。

すべてのことは変わりながら、消えていく。

それでも残るものを思い出という。

できた親では無い。

足りないところが多く、親という形をとっているだけの中年だ。

子供は、みんないい子だが、世間からは求められることが多い。

親が悪いから。

そう生まれてきたから。

それは、わからない。

ただ、できることはしようと思う。

私は人の目を見て話さない。

なんとなく目を向け、言葉の雰囲気で交流する。

家でも、妻や子供の目を見ないことが多い。

息子のときは、育児をがんばっていたが、娘が生まれてから、育児のクオリティが明らかに下がった。

親のやりたいことを優先し、娘はアニメを見せておけばいい。そんな手抜き子育てだった。

息子は、目を見て話す。娘は、目を見て話さない。

娘も雰囲気で会話する。

それが悲しくて、普通になって欲しい、目を見て、相手の反応を感じながら、適切なコミュニケーションができるようになってほしい。

努力して、娘の目を見るようになった。

じっと見ると、「パパ、あんまり見ないで」と棒読みされる。

たまに目があったとき、心が喜ぶのを感じる。

子供の問題は、親の問題でもある。

親の弱点をついてくるために生まれたようなもの。

いや、弱点があるからこそ、それが子供の問題となって現れるのかもしれない。

子供を変えることでは無い。親自身を変えること。

親の生き方を変えることが、子供を幸せにするのだと思って、今日も、私は娘の目を見る。

息子は叱られたとき、暗い顔をしてふさぎ込んだりしない。

「ママ〜大好き」とハグを求める。

ショックを受けた心のキズを愛情確認することで癒そうとする。

親から愛されている確信があるから、そうできるのだと思う。

強いのは信頼があるから。

息子にこれからつらいことがたくさんあっても、親から愛された記憶は息子の心をずっと守るだろう。

娘 「Switchやりた〜い」

「ママに聞いて」「ママ隠した」

Switch、Switchと泣き出した。

ここでSwitchを出したら負け。

「Switchやりたいの〜やりたいんだね」

気持ちを受け止める。

娘は顔をしかめて、Switchと訴える。

気持ちを受け止める作戦では気をそらせられない。

馬になり、娘を背負って歩く。

寝室まで歩いて、娘を落とす。

ちょっと笑った。でも、まだ泣く。

みかんを2つ持ち、目にくっつけたり、耳につけた。

娘、笑う。娘も真似する。

娘が息子のところへ行く。

ターミネーターの登場曲を口ずさみ、のっしのっしと娘に向かう。

娘がキャーキャー叫ぶ。息子にちょっと触れると、大げさに痛がって飛び退く。

娘&息子、大笑い。

娘が近くに来る。Switchとはもう言わない。

「アンパンマンとスポンジボブとおしり探偵とおしり探偵とおしり探偵どれにする?」

娘「スポンブ探偵」「アンパンボブ」

娘もふざけて来た。

ママが積み木を持ってきた。娘が積み木で遊ぶ。

今日のSwitch戦争は終結。

ステイホーム生活で、主にゲームをして過ごしてきた子供たち。

去年からそれが身についてしまい、親も楽なものだからついついSwitchに子育てをしてもらっている。

外へ連れ出し、公園へも行く。

夜になると、ゲーム、ゲーム。

娘が言う。

「Switchやりた〜い」

私はママに聞いて、と逃げた。

ママは、う〜ん? と、とぼける。

娘がニコニコして私のところに来る。「ママが聞いてくれな〜い」

そうなの? 娘の耳に口を寄せてささやく。「ママに聞いて…」

そうこうしているうちに飽きたようで、娘はぬり絵を始める。

新しいぬり絵、買ってきたんだ。

Switchに子育てさせちゃ悪いな〜と思いつつ、楽に流されがちな我が家。

日曜日は紅葉を見に行きたいな〜と思ったけど、天気が微妙。

妻は掃除に書類整理に、忙しそう。

息子は友達と外で遊んでいるし、もうお出かけは無しだ。

スマホ見てたり、昼寝したり。

ステイホームデイ。

娘がソファーで寝そべる。

その脇で寝ている私。

娘の足で頭を蹴られる。

娘のかわいい足をつかんで、手であたためる。

「この足な〜んだ」

こんなこと大きくなったらもうできない。

子供は知らないうちに大きくなって、過ぎ去った日々は二度と返らない。

土曜日は夜勤明け。

スマホで音楽を聴きながらウトウト。娘の相手をちょくちょくしている。

午後、息子の友達が来た。

「休日だから断って」

妻がそう言ったが、雨が降っているから外で遊べない、という理由でうちに来た。

テレビが1台しかない我が家。

リビングは子供たちに占拠される。

奥にある寝室に引っ込む私達。

妻は娘と買い物へ行った。

私は寝ようとしたが、なかなか寝れない。

2時間くらい遊んでいた。

マインクラフト、マリオカート、スマッシュブラザーズ

そのうちうるささも限界になったので、もうやめろ、と命令。

子供たちは、2階で騒いでいたが、なんと「コックリさんやろう〜」と言い出した。

まだ、そんなのあるのか!

10円、10円!

紙とえんぴつ貸して〜

え〜と、どうやって書くんだっけ。

パソコンで調べて〜

「コックリさん、コックリさん、どうぞお越しください。来られたときは、はいに動いてください」

動かない。

ちょっと力入れすぎ。

あ! 動いた!

自分で動かすと、呪われるよ!

息子…

「あんなの演技だ」

冷静だな〜