ベーオウルフ 其の説明と補助
Beowulf
ベーオウルフは日本ではまったく知名度が在りませんが、イギリスではアーサー王と並ぶほどの国民的英雄で、活躍した時代も紀元6世紀とほぼ同じ位と言われてます。
ベーオウルフはイェーアト(南スウェーデン)の王族としてこの世に生を受けた。活躍する場所もせいぜいデンマークやオランダ止まり、其れが何故イギリスの英雄なのかというと、其処しか伝説が残されていないからなんです。
イギリスに侵略、入植、色々ありますが北欧のヴァイキング達が伝説を持ち込んだのは良いのですが本国スウェーデンとかはでは彼の伝説はすっかり忘れ去られていました。
英語を母国語とした人と(アメリカ人、イギリス人)意見交換なんてした日には間違いなく乗ってきますので、機会在りましたらどうぞ(笑
概略
ベーオウルフの母親は、イェーアト(南スウェーデン)王国の王女だった。父親は、王の片腕たる大将だったが、ベーオウルフが生まれて直ぐ、老衰で死んでしまった。兄弟は居ない。祖父にあたる王は、自分の娘と孫を不憫に思い、ベーオウルフを養子として育てた。即ち自分息子同様に、王子として扱ったのだ。
少年時代は(英雄にあるまじく)いじめられっこだったらしい。性格が元来優しかったことと、王子でもないのに宮廷で育てられて居た事が、他者の嫉妬を買ったのであろう。言われもなく軽んじられていたと、ものの記録には書かれている。
彼自身それが悩みの種で、自分の武勇を示せる機会を探しては態と何度も危険に身を晒していたのだ。戦には常に先陣を切って戦ったし、冬の海に飛び込んで無謀とも思える遠泳をやってのけたりした。(その際、海魔を何頭か屠ふった)
(死と名誉を賭して盟友ブレカと七日七晩水の中を漂った)
しかしどんな事をしても、回りの人間達は彼の力を認めない。彼は王に可愛がられているので、どうせ七光りを使っているのだと思われたのだ。
そんな或る日、隣国のデーン(デンマーク)の王宮鹿角殿ヘオロットHeorotをグレンデルGrendelと言う名の魔物が荒らしまわっているというと言う噂が流れてくる。どうやら、人食いトロールの類らしい。
ベーオウルフはとうとう自分の力を世に知らしめるチャンスが来たと喜び腹心14人の部下と共に、海を渉った。
海を渡ると言う事は象徴的な意味あって魔界に足を踏み入れたということになります。
このての話としてはアーサー王のアヴァロンに渡ることやら、冥界に行く時三途の河スティックスの川守カロンにお金を支払い死者の国へわたるとか・・・
北欧神話では冥府ヘルに行くにはギヨッル(叫び)という河を越えた向こうにあります。
桃太郎も水を渡って鬼が島にいったりとか・・・
禊払い、水垢離とか、洗礼と言う儀式もキリスト教以前にも存在し北欧には新生児に水をかけるという習慣があります。
水にはものを清める、之までの世界の柵とか汚れとか落し別の世界に生まれ変わるの儀式だったりするわけです。
デーン王は、勿論彼を快く迎えます。ベーオウルフの父親は、かつてデーン王と親しい間柄に在ったからです。
鹿角殿には夜毎グレンデルが現れ、兵士達を引き千切っては、口に運ぶという。如何なる刃物も、如何なる勇士もこの怪物には文字通り刃が立たない。
しかもこの巨大な獣は魔法の掛かった龍革製の篭手を身につけており、其の御蔭で恐るべき膂力を誇っていた。
しかし対するベーオウルフも三十人力を誇る兵(つわもの)であった。
(この余りにも強すぎる剛力は後に彼は身を滅ぼす元となる)
居並ぶデーン廷臣を前にかれは誇らしく言い放った。
「王よ、グレンデルに刃物あが役に立たないというなら、私は素手で挑みかかりましょう。もとより武器の使い方を知らぬ魔物ゆえ、此方が剣を使っては、騎士の名折れというもの。勝って、彼奴めの首級を王の元へお届けします。よしんば負けたとしても、彼奴は私の身体を一片残さず喰らい尽くすでしょう。埋葬の心配はご無用です」
そして手勢と共に鹿角殿に潜み、怨敵グレンデルの来襲を待った。
ベーオウルフがこの魔物に恐れを成したどうかは伝わっていない。もしかしたら死を決意していたのかもしれない。
グレンデル退治に成功しなければ、国に錦を飾る事も出来ないうだつの上がらない一生から逃れえない。
それよりはまだ戦って死んだ方がまだ良いと・・・
夜は更け、あたりは動物の鳴き声も無く静まり返る。鹿角殿の扉が軋み、そして現れた怪物は、近くの衛兵に踊りかかった。若者の身体は引き千切られ、血と脳漿がベーオウルフに降り懸る。瞬く間に犠牲者はグレンデルの胃に収まる。
ベーオウルフは部下を失った怒りを胸に、間髪をいれず、グレンデルに掴み掛った。指と指、骨と骨とがガッチリ噛合い、二人は館中を転げ回って、組打ちをした。鹿角殿は震え上がりその様子はさながら地震の様であった。
勝敗は、肉の弾け飛ぶ不気味な音で決した。グレンデルの右腕は肩口からもぎ取られた。妖魔は黒い血を滴らせ乍ら、棲家の沼へ逃げ帰り、そこで自らの血に塗れて死を迎えた。
鹿角殿には、妖魔の腕が残され、ベーオウルフには誉が与えられた。王や騎士や淑女達は喜んだ。しかし悲劇はまだ終わりを告げていなかった・・・・
鹿角殿では久しぶりに宴が開かれた。ベーオウルフには王からも王妃からも莫大なる報償が賜れた。
皆、館の中央に鎮座したグレンデルの片腕を眺めつつ、酒を酌み交わし、之までの悪夢の日々を忘れ去ろうとしていた。
館の戦士達は眠りに落ちた。そして何人かは、永遠に目覚めなかった。
真夜中、断末魔の叫びと共に、鹿角殿は再び血に染まった。駆け寄った人々が見たものは、元人間の残骸だった。館の中央にあったはずのグレンデルの片腕は消えていた。
怪物は人質を盾に館を抜け出した。しかも其の姿は確かに女の形をしていたのだった。王は舌打ちした。
「しもうた。阿奴に母親がおったか」
情愛深いグレンデルの母親は、死んだ息子の腕を取りに来たのだ。勇者ベーオウルフは言った。
「御嘆きなさいますな、親愛なる我君。私めがグレンデル同様女怪めを討ち取っり鹿角を掲げる黄金の館に、平安を齎しましょう」
ベーオウルフ一行と武装したデーン人はグレンデルの沼に向かった。沼岸には、人質に取られた貴族の首が掲げられていた。
沼の水は熱き毒の血によって煮立ち、水蛇、海蛇の類がとぐろを巻いていた。
ベーオウルフは蛇達を射殺し、鎖帷子を着込むと、恐れを噛み殺しながら、沼に飛び込む。
濁った水の中で無数の水蛇が、彼を見ていた。あるものは恐れる様に、そしてあるものは嘲る様に
どの位もぐったのだろうか。突然恐るべき力が襟首に襲い掛かってきた。
グレンデルの母は其の侭ベーオウルフを引き摺って沼底の自分の館へ放り出した。
そこには空気に満たされた不思議な空間だった。ベーオウルフは、朦朧とした意識の中で床にグレンデルの死体が転がっているのを見出した。
鑑賞している暇も無く、女怪が、毒の爪で掴み掛って来た。
二者の間には何の会話も無かった。鹿角殿でのグレンデルの闘いと同じ様に只気合と雄叫びが木霊した。
ベーオウルフは跳ね起き、剣を叩き付ける然し、この女怪もグレンデル同様刃物は通用しなかった。
彼は剣を投げ捨て、掴み掛った。だが、子供を失った母親の膂力は想像を遥かに越え女怪は勇者を床に叩き付け馬乗りになりベーオウルフが捨てた剣をベーオウルフの首筋に突き立てる。
勇者は僅かに身体を交わす事によって辛うじて其の一撃を避ける事ができた。
その際に体勢が崩れ女怪から離れる事に成功した。
彼の視界の端に壁に掛かった大剣が映った。其の剣は当に巨人でなければ扱えぬ程の大きさで
刃には蛇紋状の波模様があり、魔力を秘めたルーン文字が刻まれていた。見た瞬間に名匠たるドワーフの作と知れた。
彼は壁の大剣を掴んで一気に振り下ろした。鈍い衝撃と共に袈裟懸けに女怪を切り倒した。
ベーオウルフは勝利したのだ。
腕を取り戻しに来る魔物の話は日本にも「羅生門の鬼」という伝説で残っている
ベーオウルフはグレンデルの首を鹿角殿に持ち帰った。デーン王はベーオウルフに甚く感謝して、莫大な財宝を取らせた。
彼は凱旋し、真に栄誉を讃えられ、居並ぶ英雄達に列せられた。
これが若い時の冒険譚です。
しかし祖国は間もなく、引き続く戦に荒れ果て、王も王子も次々と命を失ってゆく。然し、グレンデルに比べれば述べる事も無しとバッサリオミットされてます。
その後暫くは王の補佐官をし、其の王が殺されてから、ベーオウルフは自らが王となった。
そして五十年の歳月が流れ
齢70を越えたベーオウルフの前に最後の試練が訪れる。
一人の盗人が飛龍の元から宝を盗み取ったのだ。怒った龍は炎を吐き、町を襲い、宝を探しまくった。然し誰一人龍を退治しようとする勇者は現れなかったのである。
ベーオウルフは老骨に鞭打って、11人の部下と共に、龍の洞穴に飛び込んだ。然し牽制する筈の部下達は皆龍の姿を見た瞬間逃げ出してしまった。
唯独り忠実なるウィーイラーフのみが老王を助け戦った。
龍が紅蓮の炎を吐いたとき、ウィーイラーフは辛うじて盾で防いだが一瞬にして盾は燃え尽きる。ベーオウルフは燃えざる鉄の盾に彼を隠し、渾身の一撃を龍に見舞った。しかしこの時ばかりは彼の三十人力が災いして剣は真っ二つに折れてしまった。
次の瞬間龍は老王の肩口に牙を立てた。ベーオウルフの全身に毒が廻り意識が混濁した。ウィーイラーフは我を忘れ、炎で自分の手が焼ける事など構わず龍の腹に折れた剣を突き刺した。龍の力が一瞬弱まり、最後の気力を振り絞ったベーオウルフは腰に下げた予備の短剣を取り龍を真っ二つに掻き斬った。
ベーオウルフはウィーイラーフに支えられながら何とか龍の穴の外まで歩みでたがそこで力尽きへたり込んだ。そして死期を悟り、最後の言葉を紡ぎだそうとした。
「思えば色々な事があった。王となってより五十年の歳月が流れたが、誓ってただの一度も、我が身を恥じるような事はせなんだ。我人生に悔いは無い。ウィーイラーフよ洞穴に戻り龍の守るたる財宝を取り、其れを国の為、民の為生かすのだ、我一門で唯独りの生き残り、ウィーイラーフよ私はお前を誇りに思う・・・」
そう言うと其の侭満足気な表情で地に斃れ臥した。
「王よ・・・私が行くなと止めたのに、貴方はお聞きにならなかった。こうして龍と刺し違えてしまった。貴方を失ったこの国はこれからどうなってしまうのです。
噫呼、それにしても口惜しい。あの十人が命惜しさに逃げなければ、貴方は未だご存命であった筈。我君ベーオウルフ王よ・・
」
ウィーイラーフは王を荼毘に付し、遺言通り宝を持ち出す。見れば龍は自分自身の毒に溺れて、腐り果てていた。ウィーイラーフは大蛇の死骸を、崖から海に擲った。そして其の岬に大いなる塚が築かれた。
かくてベーオウルフの一代記は終わりとなる。非業の死ではあるが、英雄的な死であった。
後にイェーアトの国は北方より攻め寄せたるスウェーア(スウェーデン)族に滅ぼされる。ベーオウルフという豪勇を失ってはイェーアトは余りにも脆かった。ウィーイラーフも死に、かくてベーオウルフの血を継ぐ者は絶えた。龍の宝も何処か消えた。そして残るはベーオウルフの不滅の名声だけであった。
ベーオウルフ 9 イラスト描くための忘備録
これで最終回
9ベーオウルフの死
ベーオウルフが<鯨ヶ岬>の下の巨大な岩の集積の処に地被くと、其の中央にぽっかりと黒い口が開いていて、廻りに一際濃く煙が経ち込めているのが見えた。其の暗がりからせせらぎが流れ出でて、谷の斜面を下っているが。水は沸き立って、竜の発する濛々たる炎に煌いていた。ベーオウルフは楯を貌の横に掲げて、流れの傍らを登って行き、洞窟の前の踏み荒された地面まで辿り着いたが、其の先へは、山の腹の下の闇から出てくる煙に咽(む)せて、どうしても進めなかった。
そこで彼は足を止め、剣で楯を打ち、中の火竜に挑戦の声を上げた。数多の戦場で叫喚を貫いて響き、多くのセイン等が耳にしてきたその雄叫びは、嵐の様に轟き渡った。声は洞窟の奥まで突き通って、火竜は其れを聞いて目覚めた。洞窟の入り口からは炎の息が雲の様に噴出し、大きな翼の打ち合わせる音が聞えた。王が楯を上げて貌を覆う間も有らばこそ、大地が震え轟き、竜がズルズルと巣穴から出てきた。
炎が鱗の上の戯れ、さながら剣を熱して鍛える時の様に、緑、青、金と色を変え、大気は竜の廻りに震え、漣打った。翼は火を抱き、目から炎が迸った。翼を広げて、竜は半ば飛ぶ様にベーオウルフに躍り掛かったが、彼は一歩も引かずに是を迎え撃ち、一撃を加えんと剣を振り上げた。眩い刃が振り下ろされ、怪物の頭を傷つけたが、皮膚がパックリ裂け、臭い血が迸っても、頭蓋骨は刃を跳ね返したので、致命傷には至らなかった。吼え乍ら、竜は背中を丸めて後退り、又飛び掛って、ベーオウルフは頭の天辺から爪先まだ炎に包まれた。鎧の鉄の輪が焼けて熱は骨身に通り、貌を守ろうと、鍛冶が丹精込めた大楯を掲げると、それでも真っ赤に灼熱したが、彼は剣を振り上げてもう一撃加えた。
山の上から見守っていたセイン等は、王が旋転する炎に包まれる恐ろしい様を眼の辺りにし、戦いの場では無双の兵(つわもの)であったにもせよ、皆恐怖に慄(おのの)いて、どっと浮足だった。唯独りウェーイムンドの孫、最年少のウィーイラーフだけが、その場に踏み止まった。彼はこの絶体絶命の瞬間、逃げる皆の後ろ背へ、主君の忠節を忘れたのか、と叫んで呼び戻そうとした。「王の館で、王の蜜酒を飲み、賜り物を受けたときに我等は勇武の誓いを立てたではないか。死に至るまでの忠節を誓ったではないか―――なのに今、死が迫ると、其れを忘れ果てるとは!ぬくぬくと楯を抱えて戻れば、この日より未来永劫我等は恥を受けるぞ。私は断じて其れには与せん!」言い捨てて、楯を取り上げるや、彼も走り出したが、それは安全な森の方角ではなく、煙の充満した谷底へであった。
改
彼はこの絶体絶命の瞬間、逃げる皆の不甲斐無い後ろ背へ叫んだ。
「主君の忠節を忘れたのか」彼は激昂しつつ叫んで呼び戻そうとした。
「王の館で、王の蜜酒を飲み、賜り物を受けたときに我等は勇武の誓いを立てたではないか。死に至るまでの忠節を誓ったではないか―――なのに今、死が迫ると、其れを忘れ果てるとは!ぬくぬくと楯を抱えて戻れば、この日より未来永劫我等は恥を受けるぞ。私は断じて其れには与せん!」言い捨てて、楯を取り上げるや、彼は安全な森の方角へ逃げるセイン等とは逆に、煙の充満した火炎地獄の谷底へ走り出した。
頭を下げ、楯を掲げて、彼は炎閃く悪臭の中へ突き進みながら、叫んだ。「ベーオウルフ王、我君、参りましたぞ。お若き日の戦を忘れず、しかと踏み止まり給え―――私が参ります」
ベーオウルフ王は若い血族の声を聞き、肩に相手が触れるのを感じ、黄色のシナの木の楯が灼熱する鉄楯と並ぶのを見て、新たな力を奮い起した。だが、この声は竜の新たな憎悪を斯き立て、竜は凄まじい炎を次々と噴出し、大地をうめかせ、岩々を震わせた。ウィーイラーフの楯は黒ずんで松明の様に燃え出し、彼は其の残骸を投げ捨て、ベーオウルフが叫んでよこす通りに、身を躍らせた。「此処へ!我楯の後ろに―――二人でも入れる!」そうして、二人は真っ赤に焼けた鉄楯の後ろに身を隠しつつ、心堅く怯む事無く戦い続けたのである。
だがとうとう、唸りを立てて振り下ろされたベーオウルフの剣、百物戦いを勝ち抜いてきた剣が、竜の頭に当って粉々に砕けた。
王は凄まじい叫びを上げて、無用の柄を投げ捨てたが、剣帯から斧を引き抜く間も無く、火竜は闇に翼をばたつかせながら伸び上がり、毒ある鈎爪で、黄金の首飾りの上の彼の喉を襲った。
其の刹那、王の深傷から生命が赤い波を成して迸る一方、ウィーイラーフは鉄の楯の後ろから走り出、火竜の下に飛び込んで、短くなった剣を、鱗の無い下腹に一気に突き上げた。
恐ろしい痙攣が竜のとぐろ全体に走り、たちどころに炎が弱まり始めると、其れを見て取ったベーオウルフは最後の力を振り絞って、剣帯から斧を抜き出し、躰を前に叩き付け、怪物の胴中を殆ど二つに断ち切った。
竜は息絶え、其の躰の上で炎の輝かしさも薄れていった。だが、ベーオウルフも致命傷を負い、巨大な死骸の前によろめき乍ら立ちはだかるうちに傷は疼き、膨れ上がって、海獣の鈎爪の毒が胸に沸き立ち、全身が炎に包まれた様な心地になった。洞窟の傍らに岩が天然の腰掛を成している処に、ふらふらと辿り着くと、喘ぎながら其処に崩れ落ちた。
ウィーイラーフも火傷に苦しみながら、主君の上に身を屈め、兜の紐を緩め、兜を脱がせて、涼しい海風が額に触れる様にした。それから自分の兜に、今は澄んで冷たく流れるせせらぎの水を汲んできて、ベーオウルフの貌と傷を洗いながら、絶え間なく呼びかけ、遥か彼方から呼び戻そうとした。やがてベーオウルフの頭は僅かに冴えてきて、熱の潮も暫し退く様に思われて、老王は力を集めて口を開いた。今にもう口が利けなくなる事が解っていた。「天の父のお恵みによって、我物の具を引継ぐ息子を得たいと望んできたが、それもどうやら適わぬ。そなたこそ息子、我兜と斧を摂ってくれ。私が死んだら鎖帷子を取ってそなたの身に着けてくれ。」
ウィーイラーフの涙が貌に落ちるのを感じて、彼は再び力を揮い起した。「いやいや、泣く事は無い。私は老いた。充分に生涯を生き、戦った。五十度の冬、民を治め、国を強くし、如何なる族長も国境を侵して来なかった。悪戯に復讐の恨みを買う事もせず、軽はずみに多くの誓いを立てて破る事も無かった。この躰から生命が失せる刻も、天の父に身内殺しの罪や不正は統治を恥じる事も無い」
彼は肩肘を付いて身を起し、あたりを見回したが、やがてその視線は、洞窟の入り口に斃れ横たわっている火竜の死骸の上に落ちた。「民を滅ぼしかねなかった之を倒す為に、我命を支払ったが、今、彼奴は死んで我前に斃れている。だが、かの盗人の話が真なら、私はこの戦いで、民に幾らかの財宝を勝ち得たことになる。目から光が失せる前に、其れを見ておきたい。ウィーイラーフよ、中に入って、持てる限りの物を持ってきてくれ」
主君の傍らに跪いていたウィーイラーフは立ち上がった、よろめきつつ、未だびくついている竜のとぐろの脇を通り過ぎ、洞窟の中に入った。
中に踏み込んで、彼ははたと足を止め、堆(うずたか)く積み上げられた火竜の宝の山に茫然と眼を見張った。黄金の杯に水差し、宝石尽くめの王の首飾り、古の鎖帷子に、猪の頭を象った兜、錆びた剣。また昔々に失われた魔法で珍らかに織られた黄金の旗は、自ずから輝き、淡い光を投げて辺りのものを照らし出していた。だが、驚いている暇も心の余裕も無かった。狂おしく彼は杯や腕輪、武器、そして最後に旗を抱え上げ、日光の中に運び出し、老人の足元へ音高く投出した。
ベーオウルフは眼を閉じて横たわり、傷から尚も血が流れ出していた。だが、ウィーイラーフがせせらぎから又水を汲んできて、貌を拭うと、再び正気づいて、眼を開き、岩の間に燦然と煌く財宝を見遣った。「見事な黄金の輝きが、我往く手を照らす様じゃ。愈々逝かねば成らぬ刻が来た今、民の為に如何程の宝を残していけるのが幸いだ」そうして彼の視線は、竜の宝の輝きを離れ、遠くさ迷って、<鯨ヶ岬>の険しく切立った大いなる額が天に聳えている方へ向けられた。「火葬の炎が消えた後、あの<鯨ヶ岬>に我為に塚を築いてくれ。岸壁の端に高い塚を。若い時の私の様に、海を放浪する者の為の目印と成ろう。
航海を行く時、遠くからも其れが見え『在れこそはベーオウルフの塚よ』と世の語り草に残るように」
最後に彼は若いウィーイラーフに目を戻し、両手を傷付いた喉にあてて覚束無(おぼつか)ぬ手で王の印(しるし)の黄金の首飾りを外した。「物の具と、それからこれも受け取ってくれ」其の声は最早囁く様だった。「之に恥じぬ様用いて欲しい。そなたが我身内の最後の者だ。運命を織り成す女神ウィルドは其の定めの刻に一人一人を取り去った。今度は私が彼等の許に逝く時だ」
言いも終わらぬ内に、彼は大きな息を吐いて、若い戦士の腕の中に崩れ落ちた。ウィーイラーフは其の躰をそっと下ろした。
影が二人の上に降りてきた時も、ウィーイラーフは未だ死せる主君の肩の処に座っていたが、ゆっくりと貌を上げると、何時の間にか王の炉辺の戦士達が、隠れていた高地の森から忍び出て来て、彼等を取り巻いて立ち、恥じ入った面持ちで、死せる勇士と死せる怪物を見下ろしていた。ウィーイラーフは立とうとはせず、物憂く其処に据わったきりで、石の様な眼をしたまま、心にある限りの痛罵を彼等に浴びせ掛けた。「火が消えた今、やっと御主達は来たのか。ベーオウルフ王から賜った鎧に傷一つ無く、無事でいる御主等を見て、人は言うであろう。あの者達は贈り物を汚したと。尤も御主達の力が要るときに、我君に御仕えする戦士は居なかった。諸国の王侯がこの日の事を聞いたとき、イェーアトの総ての武士(もののふ)は恥を蒙るであろう!噫呼、御主等は眩い鎖帷子の下に一つの傷も負わなんだが、戦士にとっては、恥を蒙って、生きるより、死の方が益しであろう」
セイン等は皆口を噤んで、死せる主君を取り囲み、ウィーイラーフの痛烈な言葉に耐えていた。返す言葉も無かった。
やがて、後から着いて来た族長等の送った斥候が、茂った尾根を越えて来て、谷を見下ろした。一目見れば十分であった。彼等は馬を回すや、注進に馳せ参じた。「戦いは終わり、陛下は火竜の死体の傍らに、息絶えて居られます。陛下より賜った喜びも名誉も、この国から去りました。五十年の間、侵略を控えていた族長達も攻めて参りましょう。其の戦いに我等を率いてゆかれるべきベーオウルフ王が今はないのです」
この言葉に一同のうめきが走り抜け、彼等は更に速度を上げて竜の巣穴に向かった。
改
やがて、後から着いて来た族長等の送った斥候が、茂った尾根を越えて来て、谷を見下ろした。一目見れば十分であった。彼等は馬を回すや、族長達の許へと注進に馳せ参じた。
「戦いは終わり、陛下は火竜の死体の傍らに、息絶えて居られます。陛下より賜った喜びも名誉も、この国から去りました。ベーオウルフ王が御崩御された今より、五十年の間侵略を控えていた族長達も攻めて参りましょう。王亡き今誰が、如何に其の戦いに我等を導き率いてゆかれるべきか・・・」
この言葉に一同のうめきが走り抜けた。そして族長達一行は急ぎ早に竜の巣穴に向かった。
黒ずんだ谷に下りてみると、総ては使者の告げた通り、灰色の髪の王は折れた剣を傍らに横たわり、焼け焦げて血に染まった芝生には、火竜の死骸が在った。恥じ入ったセイン達が其れを遠巻きにし、ウィーイラーフが主君の肩の処に座して、頭を垂れていた。岩の間には、竜の宝が黄金色に輝き、其の上には大いな黄金の旗が、たわわな船の帆さながらに、海風に翻っていた。
戦士達は心痛ませて王の周りに集い、最後にウィーイラーフは、自らも老いた者の様に、強張った動きでつと立ち上がった。彼は、死せる勇士の血に沁みた王の印の黄金の首飾りを取り上げ、悲しみ沈む戦士等の前で、其れを自らの首に着けた。
こうして彼は王となったのである。
「ベーオウルフ王は亡くなられた。その最期(いまわ)の様は眼に明かであろう。王は<夜陰の飛行者>より民を救うため進んで生命を投出された。そして、死の真際に、私に仰せられた。
葬送の炎が消えた暁に、憩いの場所に相応しい塚を<鯨ヶ岬>の頂に築いて欲しい、そうすれば今より後、海を往く者総てにとっての目印となろう、と。
さあ、葬送の薪を集め、棺台を造ろうではないか。王自ら選ばれた場所にお連れするのだ。七人は私と一緒に洞窟に入って、火竜の宝の残りを天が下に運び出そう」
こうしてウィーイラーフと七人の者が暗闇から、千年間、太陽を見た事のない財宝を運び出す間に、残りの者は材木を集め、<鯨ヶ岬>の頂に薪を積み上げ、王の葬送の薪に相応しい兜や見事な武器、鎖帷子等を廻りに並べた。更に他の者は火竜の死骸を崖の縁に引き摺っていって、下に白く泡立つ波頭に投げ落とした。更に農家から牡牛の引く車を持ってきて、其の両側に船縁さながらに楯を懸け並べた。用意が総て整うと、皆は死せる王を車に横たえ、周りに竜の宝であった黄金細工や見事な武器を積み重ねた。ウィーイラーフはこう言ったからである。「ベーオウルフ王御独りが之を勝ちら獲たのだ。王と共に、宝は其れの来た暗闇に帰るべきであろう」
改
更に他の者は火竜の死骸を崖の縁に引き摺っていって、下に白く泡立つ波頭に投げ落とした。
彼等は使いを出し近くある農家から牡牛の引く荷車を配した。持ってきた荷車に其の両側に船縁さながらに楯を懸け並べた。用意が総て整うと、皆は死せる王を車に横たえ、周りに竜の宝であった黄金細工や見事な武器を積み重ねた。何故ならば、ウィーイラーフはこう言ったからである。「ベーオウルフ王御独りが之を勝ちら獲たのだ。王と共に、宝は其れの来た暗闇に帰るべきであろう」
それから四頭の牡牛に車を緩々と引かせ、険しい坂道を登って岬の頂に達すると、そこには早や薪が天に向かって積み上げられていた。皆はベーオウルフの亡骸を、積まれた枝の上に横たえ、松明を差し込んだ。暫くの間、遥か遠くからも<鯨ヶ岬>に燃える真っ赤な炎が見え、万人はベーオウルフが一族の許に赴いた事を知った。
夜を徹して炎は燃え、夜明けに火勢が衰えた辰、彼等は灰の周りに竜の貴重な宝を積み上げ、総ての上に彼(か)の黄金の旗を翻した。それから王の言葉通り、塚を築く仕事に懸かった。十日の間、彼等は王に対する敬愛の気持から、懸命に働き、塚を高く立派に築いた。十日目には巨大な石積みが完成し、断崖が切立って海に落ち込む<鯨ヶ岬>の上、目も眩む高さに空を切り裂いた。
それから身近く仕えた十二人は、太陽の廻ると同じ方向に塚の周りを廻りながら、竪琴弾きの創った死の歌を謡った。歌が終わり、人々が去ると、残るはベーオウルフの塚と、海風、そうして輪を描くカモメと、遠い航路を往く船ばかりとなった。
改
十日目には巨大な石積みが完成した。其の姿は、断崖が切立って海に落ち込む<鯨ヶ岬>の上、目も眩む高さに空を切り裂いていた。
それから王の身近く仕えた十二人は、太陽の廻ると同じ方向に塚の周りを廻りながら、竪琴弾きの創った死の歌を謡った。歌が終わり、人々が去ると、残されたのはベーオウルフの塚、海風、海の空、輪を描くカモメ、遠い航路を往く船ばかりとなった。
ベーオウルフ 8 イラスト描くための忘備録
前半は終了今回は後半です・・・
8火竜の宝
歳月が過ぎて行き、二つの王国にも大いなる変化を齎した。
デンマークではフロースガール王が亡くなって谷間に埋葬され、息子のフレースリーチが跡を襲った。ヒイェラークはフリジア遠征に倒れ、相変らずセインの長であったベーオウルフが其の仇を討ち、自らも深手を負いながら、海岸へ逃げ戻り、其処に待ち受ける戦船に飛び乗ってこの地を逃れ、王妃ヒュイドに悲報を伝えた。
王子へアルドレードは未だ子供で、戦の指揮を執るにも、国を平かに治めるにも幼すぎたので、王妃は顧問や国の主だった族長達を集め、彼らの同意を得て王の首飾りをベーオウルフに伝えようとした。だが、王に忠実であったベーオウルフは是に肯んじなかったので、幼い乍らもへアルドレードが王座に挙げられ、頼もしい従兄が常に側にいて助言者また保護者として後見する事になった。
やんぬるかな、それも空しくなった。やっと少年期を脱した頃、へアルドレードは父と同じく戦いに倒れた。再び王位を勧められた時、今度はベーオウルフも不承不承それを受けた。血筋から言って、彼こそ正統な次代の国王であったからだ。
彼の治世は長く真に輝かしく、彼は大剣を握るその掌の中に確りと民を守り、保った。五十度、野生の雁が秋に南へ渡り、五十度、ブナの芽が春に芽吹き、若者達は船を小屋から出した。其の間長く、イェーアトの国は嘗て無い繁栄を続けた。たが五十年が過ぎる頃、国に災厄が降り懸った。
〇この辺のバランスが
彼の治世は長く真に輝かしく、彼は大剣を握るその掌の中に確りと民を守り、保った。五十度、野生の雁が秋に南へ渡り、五十度、ブナの芽が春に芽吹き、五十度、若者達は船を小屋から出した。其の間長く、イェーアトの国は嘗て無い繁栄を続けた。たが五十年が過ぎる頃、国に災厄が降り懸った。
それは次の様な次第である。
何百年も昔の事、ある強大な戦士の家系が、代々受け継いだ品物に、さらに新たな戦利品を増し加える事に由って、黄金の杯、前立ての付いた兜、戦士の腕輪、王妃の首飾り、ドワーフらが大昔、魔力で鍛えた古代の剣や甲冑などの、莫大な財宝を集め、貯えた。
この辺も弄った方が通りが良いともう
何百年も昔の事、ある強大な戦士の家系が、代々受け継いだ品物があった。黄金の杯、前立ての付いた兜、戦士の腕輪、王妃の首飾り、ドワーフらが大昔、魔力で鍛えた古代の剣や甲冑などである。それらに加え、其の一族は更に新たな戦利品を勝ち得る事に由って莫大な財宝を集め、貯えるに至った。
だが、多くの戦いを含む大戦がこの一族を根こそぎにし、生き残ったのは唯独りとなり、其の男もまた、自らが愈々<暗き道>に赴かんとする時には、一族が営々として集めた財宝の運命はいかならんと思い、密かに人が<鯨ヶ岬>と呼ぶ岬の下の洞窟を見繕っておいた。そこへ少しずつ財宝を運び込み、潮騒の中へ隠し、武士の死に対してすると同じ様に悼みの歌を手向け、この黄金の杯から最早、飲む事も無く、大剣を奮う事も無いセインらを嘆いた。炉は既に冷たくなり、竪琴は口を噤み、館は野狐と鳥の跳梁する所となっていたからである。
ここも書き直したほうが・・・・
だが、多くの戦いを含む大戦がこの一族を根こそぎにし、生き残ったのは唯独りとなった。其の男もまた、自らが愈々<暗き道>に赴かんとする時には既に一族の館の炉は冷たくなり、竪琴は口を噤み、館は野狐と鳥の跳梁する所となっていたからである。
男は一族が営々として集めた財宝の運命はいかならんと思い、密かに人が<鯨ヶ岬>と呼ぶ岬の下の洞窟を見繕っておいた。そこへ少しずつ財宝を運び込み、潮騒の中へ隠し、一族の凋落の際に対し嘗の落日の想い馳せた。男は宝を看てこの黄金の杯から飲む事も無く、大剣を奮う事も無いセインらを嘆いた。武士の死に対してすると同じ様に悼みの歌を手向けたのであった。
この男が死ぬと、財宝は忘れられた侭山の中に埋もれ、何百年もの時が経っていたが、やがて岩場に巣穴を求めていたある火竜が、洞窟の秘密の入り口を見つけて、宝を見出した。火竜は自分が見つけたもの故、宝を我が物と思い、重い腕輪や宝石作りの短剣、黄金造りの杯などを愛し、其の周りにぬらぬらのとぐろを巻いて三百年の間其れを守り続けた。
だが、そのうち、族長の機嫌を損じ、其の怒りを恐れて逃げたある男が、岩の中に秘密の入り口を見つけ、黄金の宝と眠る竜を発見した。
三百年という歳月に、竜は少しずつ大きくなり、とうとう鼻面から尻尾の先までの長さが、人の身丈の十倍に達した。だがそれでも宝の山を一巡するほどではなく、眠っている竜の鼻面の尾の間には人一人通れるだけの隙間があった。
逃亡者は、宝の黄金の煌きを目の辺りにし、くらくらとしながらも、此処に苦境から逃れる道が有るかも知れないと思った。眠る竜と鼻面と尾の間に潜り込んで、族長の怒りを鎮めてくれるかも知れぬ黄金の杯、太陽の様に輝く杯を一つ取り、胸に抱きしめて、元来た道を逃げ帰った。
やがて火竜は目を覚まし、即座に財宝が奪われたのを知った。悲嘆と憤怒に心も暗くなって、火竜は愛する財宝を嗅ぎ回り、匂いから、人間が忍び込んだ事を悟った。竜は外に這い出し、洞窟の入り口や岩の間を探って、男の足跡を見つけた。そして夕闇が下りてきた頃、巨大な翼を広げ、盗人を捜しに出かけた。
それから毎晩、竜は憎しみに駆られて飛び出したが、盗人を捜すのみならず、其の腹いせ怒りをありとあらゆる人間にぶつけた。何といっても宝を盗んだのは人間だったからだ。竜は広く又遠くまで飛び、イェーアトの海岸から海岸までを、炎の息で蔽い、火の霧に包んだ。
此処も変
竜は広く又遠くまで飛び、イェーアトの海岸という海岸を炎の息で蔽いつくさんとし、それらは火の霧に包まれた。
人家、人、木々、家畜、そして王の館までもが、竜の恐ろしい息吹きに遭って萎び、日の出と共に竜が巣穴に戻った後は、黒く燻った惨禍の傷跡がくっきりと大地に残されていた。
人家、人、木々、家畜、そして王の館までもが、竜の恐ろしい息吹きに遭って萎び、陽の出と共に竜が巣穴に戻った後には、黒く燻った惨禍の傷跡がくっきりと大地に刻まれていた。
ベーオウルフは老い、嘗ては黄金色であった髪も灰色になっていたが、今でも戦士であった。又王でもあった。彼にとって最後の心の慰めとは、民の為に死ぬ義務と特権であった。そこで今までに幾度もそうして来た様に、戦いの準備を整えた。若かりし日、<夜の徘徊者>グレンデルを獲り拉いだように、竜を獲り拉ぐ事は最早出来ぬと解ってはいた。今度の相手は力のみならず、火を持っていたからで、通常の物の具もそれには役に立たぬからである。シナの木の楯がどの位長く火に耐えられよう。
改
炎に対しシナの木の楯がどれ程凌ぐ事が出来ようか(いや、できはしない)
所謂(いわゆる)反語を使っての強調
そこで彼は刀鍛冶を己が寝室に呼び寄せ―――広間は既に黒焦げの残骸と化していたので―――こう言った。「炎にも耐えられる鉄の楯を作ってくれ。大至急だ。これ以上、恐ろしい夜が続いては、民の破滅だ」それから、護衛に十二人のセインを選んだが、其の中には五十度の放浪の季節の前、共にデネに船出したウェーイムンドの孫に当るウィーイラーフも混じっていた。そして彼らにも出陣の仕度を命じた。
そこに十三番目の男も加わった。かの杯の盗難の元となった族長が、事件の引き起こした災厄を見て、盗人をベーオウルフに引き渡したのだが、其の男に向かってベーオウルフは、静かな恐ろしい口調で告げた。「生ける者の中で、お前一人が、<夜陰の飛行者>の巣穴の在り処を知っている。其の場所へ我等を案内すれは、お前も尚且つ命を繋ぐ事が出切るかも知れぬ。其の場合、助かる確率は、私と共に来る戦士等と同じだ。だがもし案内をしくじれば、お前は火竜からは逃げ遂(おお)せても、私から逃げ果(おお)せぬと知れ」
こうして翌朝、王は灰色の鎖帷子をまとい、フロースガールより賜ってこのかた、数多の歳月、彼の友であった古代の大剣を佩いた。それから未だ鉄床の熱の冷め遣らぬ重い鉄の楯を取り、他の族長らに後から来るように命じると、選び出した十二人のセインを連れ、最後の冒険に出立した。
<鯨(いさな)ヶ岬>の下の洞窟は、王の住まいから馬で二日程の行程に有ったが、一行は昼夜を問わず全速力で飛ばして、翌朝には疲れた馬を木立に残して、木の多い尾根を越え、嘗ては美しい長閑な谷であった所を見下ろした。谷の一方は低い海際の崖に接し、もう一方の端は、蜂がヒースの花の中を飛び回る高地に続いていた。谷は黒ずみ、荒れ果てて見る影も無く、((谷は荒れ果て、黒ずんで見る影も無く)所々に焦げた木の幹が牙の如くに突き出ていた。谷の奥には短い芝の斜面が盛り上がって<岬>に続き、<岬>は海に向かって大いなる頭を突き出していた。<鯨ヶ岬>に接しる土地は起伏に富んで、所々に小さな崖を生し、又岩頭が露出して、其処から微かに煙がかかっていた。
盗人は木立の外れで足を止め、震えながら指差した。「あそこの煙が岩に纏わっている所です。あそこが火竜の住処で、財宝を守っています。ご命令通り案内役を務めましたし、この先、私如き者に用はありますまい。誇り高きベーオウルフ王よ、お力と同じ大いなる慈悲を持って、私を解放して下さい」
ベーオウルフは男に軽蔑の眼をくれた。「言うまでも無く、最早、お前に用は無い。何処へなと行け。お前の役目は済んだ」男は木立の奥に逃げ込むと、彼は倒れた幹に腰を下ろし、膝に肘を着いて、休息して力を貯え、谷を見下ろし、また<鯨ヶ岬>の緑の斜面の下の岩場にまで目を走らせた。
改
ベーオウルフは男に軽蔑の眼をくれた。「言うまでも無く、最早、お前に用は無い。何処へなりと行け。お前の役目は済んだ」男は木立の奥に逃げ消え去った。
彼は倒れた幹に腰を下ろし、膝に肘を着いて、休息して力を貯え、谷を見下ろし、また<鯨ヶ岬>の緑の斜面の下の岩場にまで目を走らせた。
座っていると、宛ら太陽を過(よ)ぎる雲の様に、運命の女神ウィルドの手が己に触れるのが解った。グレンデルと戦った時、彼は若く血気に逸り、自らの力を誇っていたが、年老いた今は、此れが最後の戦いになるであろう。不意に頭を擡げると彼は野生の白鳥が歌うとされる、あの死の歌を自ら歌い始めた。
「思えば長い生涯であった。たが遠い昔、私は七つの夏しか知らなかった」そして、ベーアンスターンの子ブレカとの腕比べの事、主君ヒイェラーク王の事、戦船仲間と共にデネへ赴いた事、グレンデル及び其の母と戦ったことを謡った、それから、ヒイェラークの死、へアルドレードの死を謡い、自ら王位に就いた事を謡った。
「我王ヒイェラークを殺したかのフランクの戦士を、私は素手で、恰も彼(か)の<夜の徘徊者>グレンデルを倒したと同じ様に仕留めたのだ」こう言って彼は突然、歌の終わりが近づいたかの様に、長い溜息をついた。
「然し(しか)この度の戦いは違う。私は老いた。だが、我膂力は今だ失せず、私は未だに王である。」彼は森外れに集う廻りの戦士等を見渡し、ゆっくりと立ち上がって、大きな鉄の楯に手を伸ばした。
ウィーイラーフが楯を取って渡し、夢中になって口篭りながら言った。「陛下―――どうぞご一緒させて下さい。」
ベーオウルフは首を振ったが、若い戦士を見遣る眼は温かであった。
「成らぬ、成らぬ。私は未だ王だと言ったばかりではないか。これは軍勢の為の戦いではなく、一人の為の戦いだ。グレンデルとの戦いが、そうで在った様に。だが、皆の者、武器を構えて此処で待て、彼方での戦いの行方を見守ってくれ」
改
ウィーイラーフは王の仕草を見て取って傍らにある王の鉄(くろがね)の楯を渡した。そして、夢中になって口篭りながら言った。「陛下―――どうぞご一緒させて下さい。」
「成らぬ、成らぬ」
ベーオウルフは首を振ったが、若い戦士を見遣る眼は温かであった。
「私は未だ王だと言ったばかりではないか。これは軍勢の為の戦いではなく、一人の為の戦いだ。グレンデルとの戦いが、そうで在った様に。だが、皆の者、武器を構えて此処で待て、彼方での戦いの行方を見守ってくれ」
そうして彼は重い楯を取り上げると、彼等の屯する黒焦げの木立の中から歩み出て、抜き身を手に、荒れ果てた谷へ下りていった。
ベーオウルフ 7 イラスト描くための忘備録
文章の通りが悪いので弄ってます。。。
7故郷へ
耕作地を抜けてヘオロットへ向かう内、太陽は釣瓶落としに沈んで行き、彼らの影は育ち盛りの大麦の畑の上に横様に長く伸び、王の館の高い破風の端に飾られた牡鹿の黄金の角が夕日を捉えて、無数に枝分かれした炎よろしく、燦然と煌いた。一行が通って行くと、人々が戸口に走り出たが、戦士達は真っ直ぐに王の館に向かい、広間の奥へ進んで、フロースガール王が嘆きつつ座っている王座の足元に、かの灰色の首を置いた。
「いざ、お心を晴らし、喜び賜え、デネの王フロースガール殿」ベーオウルフは叫んだ。「我等の持ってきた海の汚物を御覧あれ」
だがフロースガールは既に、掛けた侭、前方に身を乗り出し、恰もこの世にそれ以外のものは存在せぬかのように、足元のイグサの中に転がったグレンデルの首を眺めていた。それから自らの頭(こうべ)を上げ、ベーオウルフと其の背後の勝ち誇るイェーアト人等に眼をやった。
「エッジセーオウの子ベーオウルフよ。そちがこの広間に立つ様を再び眼にできようとは思わなかったぞ」まずゆっくりそう言った。
「この母親も死んだのか」
「死にましたが、戦利品として持ち帰ることが出来たのはこの首だけです。この首と、是を切り落とした剣です。しかし、御覧下さい。残るは柄ばかり。怪物の血が刀身を融かしてしまいました」ベーオウルフは王に、のたうつ黄金の蛇の細工に覆われた大剣の柄を差し出した。
フロースガールは受け取って其れを打ち眺めた。それから再び貌を上げて言った。「では大いなる戦いがあり、多くの不思議が在ったのじゃな。そちが<夜の徘徊者>の住処のある水に飛び込んだところからの話をどうか聞かせてくれい」
それで、古の剣の柄を手に座している老王の前に誇らしく立った侭、ベーオウルフは海の女怪との戦いを、イェーアトの民が勝利を物語る時の常として、歌物語に仕立てながら語って聞かせた。
歌が終わると、フロースガールは立ち上がって、若い戦士の肩に両腕を回し、一言も出せずにいた。天晴れアッシュヘレの仇は討たれ、これからは<鹿のヘオロット>に安らかな眠りが訪れると思われたからである。
其の夜も、イェーアト人、デネ人は昨夜同様に宴を催し、ベーオウルフと其の剣の同胞には更に贈物が振舞われ、角杯は手から手へ回され、火は明々と燃え上がり、王の吟遊詩人は竪琴から歌を紡ぎだした。夜も更け、酒と竪琴の時間が尽きると、イェーアト人、デネ人は共に、曙光が荒地を訪れ、鶏が時を告げるまで、仲良くヘオロットで眠りについた。
朝日が昇り、集落が活気付いてくると、ベーオウルフは王の許を訪れた。「わらわの参った目的は達されました。ヘオロットは是より安らかな眠りの場所と成りましょう。そろそろ我王にして主君たるヒイェラークの許に戻る時と存じます」
「そちを失うのは真に悲しい。じゃがそちも主君と民の許に帰らねばなるまい」フロースガールは、座っていた狼皮を敷いた腰掛から立ち上がって、伸ばした腕をベーオウルフに懸け、じっと相手の貌に見入った。
「この後長く、そちはそちの民にとって、危急の時の大いなる剣となり楯となるであろう」
「それは運命の女神ウィルドの胸一つです。」ベーオウルフは答えて、我肩に懸けられた老人の手に己が手を重ねた。「しかし是だけは確かです。陛下は私を息子と呼んで下さりました故、いつか又、私がお役に立てる事が在れば、戦であれ、何であれ、お知らせ下されば、私は千の兵を率いて馳せ参じましょう」
フロースガールはベーオウルフの肩に頭を乗せて涙を流し、二人はイェーアトとデネの間に末永い友誼が結ばれん事を誓い、唾を吐き、両手を合わせて、誓約の記しとした。
やがてベーオウルフは戦士等を呼び集め、一同は揃って別れを告げ、再び敷石の道を海岸へ向かった。フロースガールより賜った馬に乗る者もあり、歩く者も在ったが、何れも財宝と見事な武器を担い、其の灰色の鎖鎧は彼らの歩みに合わせて音高く鳴った。
多くのデネ人に囲まれて荒地の尾根を越え、フィヨルドの先、戦船が潮の及ばない処の砂利の上に安全に舫われている所に到着したのは、未だ早い時刻であった。沿岸警備の長は一時も其処から去った事が無いかの様に、船の傍らに馬上の姿を留めていた。
ベーオウルフは彼に、柄の黄金の蔓を巻いた剣、ウンフェルスに与えた剣と同じ窯より作られた業物を与えてから、デネ人等の手を借りて竜骨の下に丸太を置き、拍手喝采の中、船を海中に押し出した。船は波に乗り、忽ち命を得て軽やかに揺れ始めた。人々は馬を船上に乗せて、後に自らも飛び乗り、丸いしなの木の楯を船縁に並べて、櫂を操り始めた。ベーオウルフが舵の上に身を屈め、皆は一斉に漕ぎ出して、船を回し、竜を象った舳先を沖の方に向けた。デネ人等の別れの挨拶は、ともの方に遠ざかり、やがて微かになって海鳥の鳴き声に紛れていった。程無くフィヨルドの出口の高い岬の出ると、目の前には洋々たる海が広がり、風が縞の帆を孕ませて、船を一路故郷に向けて推し進めた。
二日後、ヒイェラークの沿岸警備の長が、イェーアトの国の高い岸壁に馬を打たせていると、フロースガールの沿岸警備の長と同じ様に、細長い戦船が入ってくるのが見えた。だがそれは見慣れぬ船ではなく、長い事待ち侘びていた船であった。船を見るなり、彼は喜びの声を上げ、繰り返し馬腹を蹴って、大声でこの知らせを叫びながら、ヒイェラークの館の下の船着場を指して、一目散に飛ばして行った。
ベーオウルフと剣の同胞が船を浜に着けた時には、潮の満ちる高さまで喜びの群集が犇めいて歓呼の声を上げ、共に手を貸して船を岩棚に押し上げ、また財宝をヒイェラークの館に運ぶのを手伝った。
其の夜は、イェーアトの国の大広間で盛大な喜びの宴が催され、王妃ヒュイドが戻ってきた戦士の為に酒を注いで廻り、それからデネへの出帆以来の出来事を聞きたいとの人々の声に応じて、ベーオウルフが立ち上がり、昂然と貌を反らし、グレンデルと其の母親を殺した次第を、勝利の歌として語り聞かせた。物語が終わると、彼は勝ち得た財宝を持って来させ、其れを自らの王と王妃、又朋友や身内の者に総て振る舞い与えた。唯、フロースガールから最初に与えられた贈物の剣と、フロースガールの鞍を置いた馬だけは、自らに取って置いた。
それから、馴染んだ普段着に着替える者の様に、彼は再び、ヒイェラークの家中の一の戦士の座に直ったのである。