萬日記 ガラクタ部屋とも云う -9ページ目

ダナエ解決編 誰も指摘しないある絵描きの欲望


これはティツィアーノの晩年の作品のダナエで最後のバージョンになります。

彼は黄金の雨という発想から、

黄金水に辿り着き、黄金水イコール小便というところに目が行ったと・・・・



乳房から胸、臍、下腹部、女陰までの一体を小便で汚してみたいという欲望を秘めつつ描くに到ったと思われます。

最終的にティツィアーノのが描きたかったのは







是ではないかと







でも男の本心としては健気に精液を飲んでくれるなんて嬉しい限りだと・・・・

ましてや小便なんて思ったら愛い奴と思います。正直。




男性の射精というものは排泄感に近い感じなので

女性の場合はこの気持が知りたくば


(羞恥心をかなぐり捨てる必要がありますが・・・

「飲まなくていいから私のおしっこを直に受け止めて~」


といっておねだりして、実際彼のお顔に跨りそのままの状態でしてみましょう。


面白いものが垣間見えると思います。




モーリス・ベジャールのニーベルングの指環 4

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★NBS「ベルリン国立バレエ・ニーベルングの指環(全幕)」を見る~1990年来日公演プログラムより~
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ニーベルングの指環 指環をめぐるスペクタクル
RING UM DEN RING --Un Spectacle autour du "Ring"


台本、使用曲、キャスト詳細。


リヒャルトー・ワーグナー
”ニーベルングの指環”にもとづく変容の物語

台本      :フィリップ・ゴドフロワ、モーリス・ベジャール
演出・振付   :モーリス・ベジャール
音楽構成    :エリザベス・クーパー、フィリップ・ゴドフロワ
編曲・ピアノソロ:エリザベス・クーパー
美術・衣裳   : ペーター・シコーラ
美術・衣装助写 :ビル・クロッグ
装置・衣裳製作 ベルリン・ドイツ・オペラ・アトリエ
演出助手    :ベルトラン・ダット
照明      :ジャン・クロード・アスキ
ベルリン・ドイツ・オペラならびにモーリス・ベジャール・バレエ団による共同制作
音楽は、カラヤン、ショルティ、フルトヴェングラー、テンシュテットなどの指揮による録音から抜粋。

字幕スーパー
(監修)
杉 理一
(操作)
有限会社 ニュー・オペラ・プロダクション


(登場順出演者)

弁者       :ミカエル・ドナール
さすらい人   :オリビエ・シャヌ
エルダ      : キーラ・カルケヴィッチ
ローゲ      : ジル・ロマン
[神族]
ヴォータン    :パトリック・ドゥーバナ
フリッカ     : ジャニア・パティスタ/ロンダ・ニシカ
ドンナー     :アレクサンドル・ステプキン/マルタン・ソメルラット
フロー      :小林十市/レイモン・フラワーズ
フライア     : キャスリン・ブラッドネイ
[巨人族]
ファーフナー   : マニュエル・フェルナンデス
ファーゾルト  :エドゥアルド・ド・フレイタス
[ニーベルング族]
アルベリヒ    :ケヴィン・ヘイゲン
ミーメ       : ミッシェル・ガスカール
ラインの乙女   :ファビアン・モロー
ニコレッタ・サントロ
ヴァレリー慾アジュニス
ブリュンヒルデ  :カタジェーナ・グダニェック
ワルキューレ   :ジャニア・バティスタ/アン・セシル・モレル
シシリア・モネ=ルイス
ファビアンヌ・モロー
ニコレッタ・サントロ
リュシ・ナイチンゲール
アン・ブラッツェリュス
マグダレン・パルンガオ
カトリーヌ・ハバスク
ヴォータン    :パトリック・ドーバナ
その女      : ジュディス・イーガー

ジークムント      : マーティン・フレミング
ジークリンデ      : シルヴィ・ドマンドル
フンディング      : アーテュー・クラジェフスキー
フンディングの家臣   :ロザリオ・カーディティーノ
マルコ・デバティ
エドゥアルド・ド・フレイタス
ヴァンサン・セフェー
サシャ・ラモ
ディディエ・シャープ
マルタン・ソメルラット
バッカス神の祭司    :シシリア・モネ・ルイス
ドンナ・ダンマイアー
エマニエル・ベラール
タリスティーヌ・ブラン
タマラ・バッキ
フローレンス・ゲラール
マグタレン・パルンガオ
アン・プラッツェリュス
リュシ・ナイチンゲール
ジークフリートの子供時代:クサヴィエ・フェルラ
ジークフリートの青年時代:ヨーラン・スヴォルベリ
ニ羽のカラス       :マルコ・デバティ
三原英二

[ギービッヒ族]
グリムヒルデ       :ジャニア・バティスタ / アン=セシル・モレル
ハーゲン         : ロド・ドヴォ
グンター         : アウグステュス・ダミアン
グートルーネ      : シシリア・モネ・ルイス

臣下          :男性全員
ほか、総出演
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■モーリス・ベジャール・バレエ団の構成メンバー(?)+日本側スタッフ
(1990年「ニーベルングの指環」来日公演当時)

■財団理事会

・理事長
フィリップ・ブロンシュワイグ

・副理事長
ポール=ルネ・マルタン

ルネ・オーファン
モーリス・ベジャール
ジャン=ヴィリ・ベツマン
フランツ・ビアンカート
ピエール・セヴェ
レオナール・ジャナーダ
イヴェッ卜・ヤギ
マリ=クロード・ジェキイエ
ロラン・ロシャ
ブレーズ・ロスタン
ジャン=ジャック・シルト
ブルーノ・ヴォカ

・事務局
ジョエル・クルタ


■日本側スタッフ

・制作
広渡勲

・照明
高沢立生

・舞台監督
増田啓路

・芸術監督
モーリス・ベジャール

・事務局長
ジョス・ランボ

・メートル・ド・バレエ
ジャン=マリ・リモン

・プロダクション・ディレクター
ジャン=クロード・アスキ

・芸術監督秘書
アニック・ポージェ

・事務局
ダニエル・ポシャール
ニコル・ポシャール

・広報
ミッシェル・ボアン

・メートル・ド・バレエ助手
ベルトラン・ダット

・レジスール
トーマス・ベルマン

・ダンス教師
ケヴイン・へイゲン

・レペティトゥール
マルコ・デパディ
ミッシエル・ガスカール

・ピアニスト
リュイ・アルブ

・物理療法士
ヴァレリー・フォン・ブルドー

・技術監督
ジャミン=ピビエール・ポトヴリエージェ

・照明主任
クレマン・ケロル

・音響
ベルナール・シュール
ヴィレム・ホフマン

・大道具
オリヴィエ・ジャモ
チャン・イム

・技術監督助手
ドミニック・ロマン

・衣裳
アンナ・ド・ジョルジィ

・ドレッサー
ファビエンヌ・ディック
マルティーヌ・ラリベール

・女性舞踊手
ヴァレリー・アジュニス
タマラ・バッキ
ジャニア・バティスタ
エマニエル・ベラール
クリスティーヌ・ブラン
キャスリン・ブラョドネイ
アン・ブラッツェリュス
シルヴィ・ドマンドル
パトリシア・デュガスト
ドンナ・ダンマイアー
ジュディッツ・エガー
フローレンス・ゲラール
カタジェーナ・グダニェック
カトリーヌ・ハバスク
キーラ・力ルケヴィッチ
シリア・モネ=ルイス
ファビアン・モロ
アン=セシルマ・モレル
リュシ・ナイチンゲール
ロンダ・ニシカ
マダグダレン・パルン
ヴァレリー・ルノー
二コレッタ・サントロ
フィオナ・サンマルタン
スザンナ・サストロ
ヴァレリー・ユイタース

・男性舞踊手
アントニオ・カルヴェッティ
グジンベン・カオ
ロザリオ・カーディティーノ
オリヴィエ・ツャヌ
ディディエ・シャープ
アウグステュス・ダミアン
マルコ・デバティ
エドゥアルド・ド=フイタス
ロド・ドヴォ
エルナーニ・ドスサントス
クサヴィエ・フェルラ
マニュエル・フェルナンデス
マーティン・フレミング
レイモン・フラワーズ
ミッシェル・ガスカール
ダリウス・グランディッソン
パトリック・ドバナ
ケヴィン・ヘイゲン
小林十市
アーテュー・クラジェフスキー
ティボー・マーキュス
三原英二
マーク・ペイス
エルヴェ・パリト
カシオ・ピレズ=ド・オリヴェイラ
サシャ・ラモ
ジル・口マン
ヴァンサン・セフェー
ファブリセ・セラフィノ
マルタン・ソメルラット
アレクサンドル・ステプキン
ジョセフ・スタディ
ヨーラン・スヴォルベリ
ジョゼ・ヴィダル

モーリス・ベジャールのニーベルングの指環 3

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★NBS「ベルリン国立バレエ・ニーベルングの指環(全幕)」を見る ~1990年来日公演プログラムより~
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パリ公演を観て
竹原正三氏(音楽ジャーナリスト)

 3月13日~22日(1990年?)、パリ・オペラ座で、ベジャール・バレエ団の新作「ニーベルングの指環をめぐるスペクタクル Ring um den Ring」が上演された。

去る3月4日ベルリン・オペラで世界初演されたばかりだが、ベジャールのワーグナーヘの崇拝と頃倒ぶりを示す、第1部「ラインの黄金」 「ワルキューレ」第2部「ジークフリート」「神々の黄昏」から4時間40分の大作。
 これは楽劇「指環」4連作のダイジェストでもなく、また単なるバレエでもドラマでもなく、ベジャール本人の言葉を借りれば「形而上学的、心理学的、かつ社会的音楽的なアプローチ、エテュード欄外の注釈とでも言うべきもの」なのだそうだ。

ともかく、観客が「指環」を周知していることが前提の上で、ベジャールの、並み外れた感受性によるランゲージの面白さを味わうことになる。
 まず、上手花道の位置にテープレコーダーを置いた机があり、ミカエル・ドナールが、ここで語りかける(ドイツ語。後に彼はナレー夕ーに止まらず劇中に介入する)。ついでピアノのエリザベス・クーパーが自身の「指環」からの編曲を演奏、これらと織りなすように、楽劇の録音(数種類)が再生される。

舞台は大きなバレエ・スタジオの感じ。

作品は大体原作通りに進行していくが、「黄金」冒頭に、神々と巨人の契約シーンが実現されたのはアイディアで、同じ終り近くに
は早くもブリュンヒルデが「ホヨトホー」でワルキューレ達と登場、彼女達の戦場での任務を演じてみせる。

赤毛のローゲは、原作では「黄金」だけにしか姿を見せぬところ、ブリュンヒルデをとりまく炎のテーマ、ノートゥングの鍛冶、ブリ
ュンヒルデの焼身自殺の時などに常に登場、ヴォータンのメフィストフェレ的なドッペルゲンガーとして扱ったのはうまい。

なお、「ワルキューレ」のヴォータンの述懐は全面的にカット、「黄昏」では、ワルトラウテは出現せず、ブリュンヒルデが愛するジークフリートの裏切りを知るくだりなど、あっさりと通過すると思えば、ジークムントがノートゥングを抜くところ、炎のテーマから「ワルキューレ」 終曲までほとんど原曲通り、「黄昏」のドンナーが雷を呼ぶところ、フリッカとヴォータンのくだりは逆に原曲より長い。
 まず、「黄金」では神々の性格描写が巧みで、巨人は二本足の案山子のように長い棒の上に立ち、アルベリヒ(K・ヘイゲン)は悪役のイメージはない。

ヴォータン(P・ドゥ・バナ)と禿頭のマネキン人形のようなエルダ(K・カルケヴィッチ)あるいは虹のテーマの後のフリッカ(F・フォール)とのデュオ、黒革服のブリュンヒルデ(K・グダニェック)のソロが大変美しい。
「ワルキューレ」冒頭、狼に引っ張られてローラー板に乗って登場する抱き合ったジークムント(M・フレミング)とジークリンデ(G・ガランテ)はアダムとイヴのようで、マフィアのフンディング(A・クラゼウスキー)との決闘が、その手下やワルキューレ達の見ている前で行われるのは構図的に面白い。

ヴォータンとブリュンヒルデのパ・ド・ドゥは父娘相姦に近い愛情溢れるもので、やはり稽古着姿の男女が床に座って見ているの
がよい。
「ジークフリート」ではヒーローは幼年(X・フェルラ)と表年(G・スヴォルベリ)に分身し、箪笥のような棚を開帳したミーメ(M・ガスカール)は、シェロー演出のツェドニックにそっくり。

ピアノの上に寝ているブリュンヒルデの「ハイル・ディール」から後のジークフリートとのアダジオは、ベジャールのオリジナリティに富んだもので、音楽も録音と交互に使い、変化があった。


「黄昏」では、まず原作にないギービシの女王グリムヒルデ(J ・バティスタ)が登場する。

ジークフリートの出発における、その幼年と青年のデュオは見もので、グートルーネ(C・モネ=ルイス)の誘惑は大ラヴ・シーン。ハーゲン(M・ウォン)とアルベリヒのデュオは肉体合撃つ激しさだ。

「ハイホー」で鉄兜に棒を持った群集は軍隊のよう。

ラスト、ブリュンヒルデの自殺の場面ではローゲとパ・ド・ドゥも絶妙。

とにかく随所所で優れた発想がみられる。


 終曲になると「苦痛は私の目を開かせた。

私は世界の終りを見たのだ」というナレーションと共に出演者全員が床に座って凝視するうちに、その悲しみを救済するように「パルジファル」冒頭のメロディーが発せられて幕となる。

ワグナーに沈溺し、ベジャールの個性を生かして、新たな美を具現した、重厚な傑作と認められた。

モーリス・ベジャールのニーベルングの指環

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★NBS「ベルリン国立バレエ・ニーベルングの指環(全幕)」を見る~1990年来日公演プログラムより~
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進行のためのメモ

モーリス・ベジャール

「指環」の主要問題:法と自由、実をもたらさない規則、無秩序とその解消、

ヴォータンの槍は世界における秩序の保証、

この槍はしかしその持ち主を奴隷にする。


芸術的な、かつまた政治的な主要問題:
生命を滅ぼす独裁制あるいは生活の妨げになる無秩序、

アカデミズムあるいはディレッタンティズム、因襲的で堅苦しい芸術あるいは見せかけの自由の快適さである。


調和とは、もしかして権力の放棄、所有の放棄、間違った理想像の放棄によって得られるのかもしれない。


民主主義的人間とは、法と永続的な革命の間を綱渡りする者。

ローゲ、火、生活にとって重要、しかし破壊的。

有益でしかも否定的な力。

メフィスト。

ヴォータンとローゲ。

私はゲーテの「ファウスト」の二人の主要人物を思い出す。

老博士と、むしろ悪を欲して、時として善を成す力。

ヴォータンの槍ダンサーのバックボーンのバー。


ヴォータンの槍。


法。


ぜひ必要なもの、しかし破棄されなければならない。


ジークフリート。


ダンサーのバー、無しに済まされない。


しかし、人々はそのバーを忘れさらなければならない。

輪。


圏。


その圏内に閉じこめられている自我。


愛はこの自我を解放し、輪を突破する力。


自我は、黄金や神々の装束のように死の象徴。

しかし、すべての人間的な関係にとっては腐敗。


「指環」とは、臆病な男性の不条理の存在の前では女性の力。


女性の力は、絶対的な秩序(フリッカ) であると同時に永続的な革命(ブリュンヒルデ)、

叡智(エルダ)、無条件なる愛(ジークリンデ)として示される。


女性たちは輪を包囲し、運命の糸の結び目を解く。


ブリュンヒルデは、終焉が新たなる始まりとなることを示すキーになる人物であり、


最後に次のように言う。

私がどこへ行くか、あなた達は知っていて?


希望の家を離れ、狂気の家を永久に捨てます。


永遠の変化のために開かれていた扉に、

私は鍵をかけ、

世界遍歴の目的の地の、

自ら選んだ、

平安で、

最も神聖な国へ、
生まれ変わることで救われて、

今、

すべてを知った私は、

移って行くのです。
永遠なものものすべての至福なる終焉

いかにして私がそれを知ったか、

ご存じですか?

悲しい愛を体験した深い苦しみが、

私の眼を開いてくれたのです。


そう、


私は世界が終わるのを見たのです。



モーリス・ベジャールのニーベルングの指環 1

★NBS「ベルリン国立バレエ・ニーベルングの指環(全幕)」を見る ~1990年来日公演プログラムより~
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モーリス・ベジャール
    「ニーベルングの指環」について語る


 私にとって重要なのは、「指環」をテーマにバレエを作ることであり、「指環」の筋をバレエの形で再現することには、さほど関心がない。
「ニーベルングの指環」は、形而上学的な内容、主役たちの心理社会的なコンテキスト、そして音楽を理解するために、ワーグナーの作品に近づこうとする試みである。

すなわち、最も代表的な楽劇の一つの注釈を試みようとしたものであると言えよう。

もし私が作家であれば、ワーグナーについて一冊の本を書くことであろう。

(すでにその種の本は三万冊を越えている)

しかし、私の言葉はダンス(舞踊)であり、

それが、私が用いて書く(描く)手段である。


「指環」は、オペラ史上唯一無二の作品であり、

たえず、注釈者や解釈学者たちに着想と刺激を与えてきた。

しかし、「指環」に関する私の仕事には言葉がないが、私のダンサーの動きがそれを象徴的に表している。

 ワーグナーが「指環」の仕事にたずさわっていた年月の間、

彼はしばしば友人たちを訪れ、そのサロンで彼特有のしわがれ声でこの四部作のテキストを朗読した。


それはその時すでにオペラの台本というにとどまらず、まさしく一つのまとまった新しいドラマの試みであった。
 かぎられた選りすぐりの聴衆は、ピアノスコアーの着いたこの作品を知っていた。

時として、このような公演に女性歌手や男性歌手が加わった。

四部作が完成し、バイロイトで初演された後でも、

「指環」の上演はまれであり、その状況が続いた。


特権を与えられた少数の人々は、ワーグナーの「指環」をコンサートを通じて知っていた。


そのコンサートには、この作品のかなりの部分がプログラムとして載っていたからであった。


 私のダンス研究は、「指環」の成立過程のいろいろな段階にかかわっていた。

ときとして物語の筋はただ ワーグナー自身が行ったように、役を演じ分けられる朗読者によって朗読された。

ほかの場合は、多くのパートが踊られたが、それにはピアノの伴奏だけがついた。


 ついにオーケストラ音楽が、テープレコーダーから舞台に流れた。


テープレコーダーは現代世界において磁気収録器として重要な意味を持つものであり、そして、それは舞台稽古
を思いおこさせる。


 舞台装置は、あらゆる可能なファンタジーの道具としての鏡がわれわれに自己の姿を映し返してくれる、大きなバレエの稽古場を想起させる。


そして、それはワーグナーが言った意味ですばらしく濃縮される像である。

一つの巨大な壁、それは刑務所あるいは行き止まりの小路の壁なのかも知れないが、

その巨大な壁はひび割れ、ますます崩れ落ちていく。


そして、処女の世界が新しい循環の始まりとなることができるのである。