モーリス・ベジャールのニーベルングの指環 3
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★NBS「ベルリン国立バレエ・ニーベルングの指環(全幕)」を見る ~1990年来日公演プログラムより~
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パリ公演を観て
竹原正三氏(音楽ジャーナリスト)
3月13日~22日(1990年?)、パリ・オペラ座で、ベジャール・バレエ団の新作「ニーベルングの指環をめぐるスペクタクル Ring um den Ring」が上演された。
去る3月4日ベルリン・オペラで世界初演されたばかりだが、ベジャールのワーグナーヘの崇拝と頃倒ぶりを示す、第1部「ラインの黄金」 「ワルキューレ」第2部「ジークフリート」「神々の黄昏」から4時間40分の大作。
これは楽劇「指環」4連作のダイジェストでもなく、また単なるバレエでもドラマでもなく、ベジャール本人の言葉を借りれば「形而上学的、心理学的、かつ社会的音楽的なアプローチ、エテュード欄外の注釈とでも言うべきもの」なのだそうだ。
ともかく、観客が「指環」を周知していることが前提の上で、ベジャールの、並み外れた感受性によるランゲージの面白さを味わうことになる。
まず、上手花道の位置にテープレコーダーを置いた机があり、ミカエル・ドナールが、ここで語りかける(ドイツ語。後に彼はナレー夕ーに止まらず劇中に介入する)。ついでピアノのエリザベス・クーパーが自身の「指環」からの編曲を演奏、これらと織りなすように、楽劇の録音(数種類)が再生される。
舞台は大きなバレエ・スタジオの感じ。
作品は大体原作通りに進行していくが、「黄金」冒頭に、神々と巨人の契約シーンが実現されたのはアイディアで、同じ終り近くに
は早くもブリュンヒルデが「ホヨトホー」でワルキューレ達と登場、彼女達の戦場での任務を演じてみせる。
赤毛のローゲは、原作では「黄金」だけにしか姿を見せぬところ、ブリュンヒルデをとりまく炎のテーマ、ノートゥングの鍛冶、ブリ
ュンヒルデの焼身自殺の時などに常に登場、ヴォータンのメフィストフェレ的なドッペルゲンガーとして扱ったのはうまい。
なお、「ワルキューレ」のヴォータンの述懐は全面的にカット、「黄昏」では、ワルトラウテは出現せず、ブリュンヒルデが愛するジークフリートの裏切りを知るくだりなど、あっさりと通過すると思えば、ジークムントがノートゥングを抜くところ、炎のテーマから「ワルキューレ」 終曲までほとんど原曲通り、「黄昏」のドンナーが雷を呼ぶところ、フリッカとヴォータンのくだりは逆に原曲より長い。
まず、「黄金」では神々の性格描写が巧みで、巨人は二本足の案山子のように長い棒の上に立ち、アルベリヒ(K・ヘイゲン)は悪役のイメージはない。
ヴォータン(P・ドゥ・バナ)と禿頭のマネキン人形のようなエルダ(K・カルケヴィッチ)あるいは虹のテーマの後のフリッカ(F・フォール)とのデュオ、黒革服のブリュンヒルデ(K・グダニェック)のソロが大変美しい。
「ワルキューレ」冒頭、狼に引っ張られてローラー板に乗って登場する抱き合ったジークムント(M・フレミング)とジークリンデ(G・ガランテ)はアダムとイヴのようで、マフィアのフンディング(A・クラゼウスキー)との決闘が、その手下やワルキューレ達の見ている前で行われるのは構図的に面白い。
ヴォータンとブリュンヒルデのパ・ド・ドゥは父娘相姦に近い愛情溢れるもので、やはり稽古着姿の男女が床に座って見ているの
がよい。
「ジークフリート」ではヒーローは幼年(X・フェルラ)と表年(G・スヴォルベリ)に分身し、箪笥のような棚を開帳したミーメ(M・ガスカール)は、シェロー演出のツェドニックにそっくり。
ピアノの上に寝ているブリュンヒルデの「ハイル・ディール」から後のジークフリートとのアダジオは、ベジャールのオリジナリティに富んだもので、音楽も録音と交互に使い、変化があった。
「黄昏」では、まず原作にないギービシの女王グリムヒルデ(J ・バティスタ)が登場する。
ジークフリートの出発における、その幼年と青年のデュオは見もので、グートルーネ(C・モネ=ルイス)の誘惑は大ラヴ・シーン。ハーゲン(M・ウォン)とアルベリヒのデュオは肉体合撃つ激しさだ。
「ハイホー」で鉄兜に棒を持った群集は軍隊のよう。
ラスト、ブリュンヒルデの自殺の場面ではローゲとパ・ド・ドゥも絶妙。
とにかく随所所で優れた発想がみられる。
終曲になると「苦痛は私の目を開かせた。
私は世界の終りを見たのだ」というナレーションと共に出演者全員が床に座って凝視するうちに、その悲しみを救済するように「パルジファル」冒頭のメロディーが発せられて幕となる。
ワグナーに沈溺し、ベジャールの個性を生かして、新たな美を具現した、重厚な傑作と認められた。