モーリス・ベジャールのニーベルングの指環 1 | 萬日記 ガラクタ部屋とも云う

モーリス・ベジャールのニーベルングの指環 1

★NBS「ベルリン国立バレエ・ニーベルングの指環(全幕)」を見る ~1990年来日公演プログラムより~
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モーリス・ベジャール
    「ニーベルングの指環」について語る


 私にとって重要なのは、「指環」をテーマにバレエを作ることであり、「指環」の筋をバレエの形で再現することには、さほど関心がない。
「ニーベルングの指環」は、形而上学的な内容、主役たちの心理社会的なコンテキスト、そして音楽を理解するために、ワーグナーの作品に近づこうとする試みである。

すなわち、最も代表的な楽劇の一つの注釈を試みようとしたものであると言えよう。

もし私が作家であれば、ワーグナーについて一冊の本を書くことであろう。

(すでにその種の本は三万冊を越えている)

しかし、私の言葉はダンス(舞踊)であり、

それが、私が用いて書く(描く)手段である。


「指環」は、オペラ史上唯一無二の作品であり、

たえず、注釈者や解釈学者たちに着想と刺激を与えてきた。

しかし、「指環」に関する私の仕事には言葉がないが、私のダンサーの動きがそれを象徴的に表している。

 ワーグナーが「指環」の仕事にたずさわっていた年月の間、

彼はしばしば友人たちを訪れ、そのサロンで彼特有のしわがれ声でこの四部作のテキストを朗読した。


それはその時すでにオペラの台本というにとどまらず、まさしく一つのまとまった新しいドラマの試みであった。
 かぎられた選りすぐりの聴衆は、ピアノスコアーの着いたこの作品を知っていた。

時として、このような公演に女性歌手や男性歌手が加わった。

四部作が完成し、バイロイトで初演された後でも、

「指環」の上演はまれであり、その状況が続いた。


特権を与えられた少数の人々は、ワーグナーの「指環」をコンサートを通じて知っていた。


そのコンサートには、この作品のかなりの部分がプログラムとして載っていたからであった。


 私のダンス研究は、「指環」の成立過程のいろいろな段階にかかわっていた。

ときとして物語の筋はただ ワーグナー自身が行ったように、役を演じ分けられる朗読者によって朗読された。

ほかの場合は、多くのパートが踊られたが、それにはピアノの伴奏だけがついた。


 ついにオーケストラ音楽が、テープレコーダーから舞台に流れた。


テープレコーダーは現代世界において磁気収録器として重要な意味を持つものであり、そして、それは舞台稽古
を思いおこさせる。


 舞台装置は、あらゆる可能なファンタジーの道具としての鏡がわれわれに自己の姿を映し返してくれる、大きなバレエの稽古場を想起させる。


そして、それはワーグナーが言った意味ですばらしく濃縮される像である。

一つの巨大な壁、それは刑務所あるいは行き止まりの小路の壁なのかも知れないが、

その巨大な壁はひび割れ、ますます崩れ落ちていく。


そして、処女の世界が新しい循環の始まりとなることができるのである。