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固定観念の存在の気付き



こんにちは!タロット起業に必要な知識を発信している隼人です^_^ 

まずは、タロットそのものの知識は必要なので共有したい内容になります。

今日はタロットの「吊された男」のカードのフィルターから、「人の思い込み」について話します^_^ 

タロット初見の方も読んでみて下さい。

  吊された男の図像



タロットとか占いが好きな方は、ウエイト版タロットカードの「吊された男」は、よくご存知だと思いますが、「吊された男」は、22枚の大アルカナの12番。

「吊された男」のカードは、人の思考の固定観念と、それへの気付きを象徴するカードです。

「吊されれた男」のカードは、T字の木に男が逆さまに吊されている絵です。

男の手は後ろに組まれていますが、縛られているのかどうかは分かりません。

そして男の頭には後光がさしています。

この図像も古くからあり、マルセイユ版タロットでも、ほぼ同じ図像になっています。

ただマルセイユ版は後光がありません。

古いカードでは「裏切り者」というタイトルでした。

タロット以前にも同じような図像があり、そして袋を手にした図像もあります。

これはキリストを裏切ったユダを示しているという事です。即ち、ウエイト版では、「生命の木」と結び付けられ意味あいが、だいぶ変更されています。

  全知全能は思考停止の人



この「吊された男」は、けっこう解釈が難しいカードで、どうも納得できる解説が見当たらないと勉強し始めた頃、思っていましたが、これも伊泉龍一先生の解説や、愛月先生の動画を拝見して、なるほど!と思ったカードです。

「吊された男」が「生命の木」で配置されているのは「意志」を表すセフィラ「ゲプラー」と、「思考」を表すセフィラ「ホド」の間に配置されています。

人の「思考」というのは、基本「偏見」が無いという事は、あり得ません。

何らか自分のいる立場や、よく情報を得る先とか、感情的な好き嫌いとか、そういう事に捉われている考え方をしています。

そして、この「思考」は何のためにするのか?という事が「吊された男」のテーマの理解について重要です。

人が「思考」をするのは、何らか「正解」が欲しいからです。

しかし、必ず「正解が存在する」と思っているという事は、どこかの時点で「思考が停止する」という事に繋がります。これは、どういう事か?

つまり、行き着く先に「万全の正解が存在する」ので、その「正解を得た」と思った時点で、「考える必要が無くなる」という事になります。

それが、多数派だからとか、有名なタレントが言ってる事だからとか、テレビで言っていたからとか、そんな理由でも一旦「正解を得た」と思ったら、その事について、もう「思考」せず、即ち「固定観念」となってしまいます。

当然、本人は「固定観念が無い」と思っています。「完全な正解を持っている」わけですから。

  自分の固定観念への気付き



一方で「完全な正解は無い」と思っていると、その時、その状況、いろんな立場、そういう事に対処できるように「考え続ける事」が必要になります。

「完全な正解は無い」のだから、その時、自分が選択している「思考」にも何らかは「固定観念が入っている事」を「気付いている」という事です。

「考え続ける」のだから「思考停止にならない」ので、いつまでも「新しい情報」が入って来ます。

いつまでも学んで行けます。「固定観念がある事を分かっている」から相手の意見も聞いてみる気になります。

そして相手が「思考停止」していないかも、よく見えます。

つまり、「吊された男」の吊されて身動き出来ない姿は、自分には「縛られて固定された観念」が存在すると「気付いている姿」を象徴し、頭の後光は、その気付きにより「精神的に解放されている姿」を表しているという事です。


「意志」の「ゲプラー」は「戦車のカード」で「形の母」の「ビナー」と繋がり、「力のカード」でエネルギーの「拡大」の「ケセド」、「正義のカード」で「個の自覚」の「ティファレト」とも繋がっています。





「思考」の「ホド」は「個の自覚」の「ティファレト」との間に「悪魔のカード」、「感情」の「ネツァク」との間に「塔のカード」、「無意識/現象」の「イエソド」との間に「太陽のカード」、「物質世界/結果」の「マルクト」との間に「審判のカード」が対応しています。







  「意志」と「思考」の関係


「生命の木」の、「ホド」は「思考」を表し、占星術の「水星」が配置されています。「水星」は「知性•思考•コミュニケーション能力」を表しています。

そして「意志」を表す「ゲプラー」には、占星術の「火星」が配置されており、「火星」は古典占星術で「戦い」「切り離す性質」を意味します。

「思考•知性•コミュニケーション能力」の「水星」の性質が、適切な方向に向くためには「意志」の力が必要で、これは自分の中の「戦い」でもあります。

そして「切り離す」性質も「思考の整理」つまり、「区分する」「切り離す」行為になります。

  「意志」と「思考」の媒体と変容



また「思考」の「ホド」と、「意志」の「ゲプラー」の間の「吊された男」が配置されるパス(経路)は「メム」で、「メム」はヘブライ文字で「水」を意味します。

「メム」は、力が具体化する通路を形成すると言われ、知性が限界を克服し、意志の力の媒体となるとされています。

ここでも「意志」の力で「思考」をコントロールする事が示唆されています。「メム」の意味である「水」は形が無く、器により形を変える「感受性•感性」「変容•形成」の象徴です。

「水」は図像学や錬金術で下向きの三角形で表されます。

「吊された男」の絵を見ると、組まれた手と後光がさす頭で下向きの三角形を表しているように見えます。

  「吊されたら男」とオーディン



これらの事からウエイト版「吊された男」のモデルとなっているのが、北欧神話の主神オーディンであるという説も、部分的には符号する所もあります。

この神話、少し、ややこしいんですが(~_~;)…

オーディンは、ユグドラシルという世界樹の根元にあるミーミルの泉の水を飲んで知恵を身に付け魔術を会得したと言われており、この時に代償で片目を失いました。

またオーディンは、ルーン文字の秘密を知るためにユグドラシルの木で自分の首を吊り、グングニルという槍に突き刺されたまま、9日9夜、自分を「創造神オーディン」に捧げた…?

…オーディンがオーディンに身を捧げた?…となるんですが、どうやら最高神オーディンは、その功績から、創造神オーディンと同じ名前を与えられた、という事です。

「吊された男」が吊されている木は「タウ十字」と言われており、キリストが貼り付けられた十字とも言われています。

オーディンの話しも、このタウ十字も、自己犠牲による力を表していて、オーディンは知識を得る事に非常に貪欲な神と言われています。

古代の儀式では、身を委ねるという事は単に儀式を眺めるのではなく参加する事を意味していました。

タウ十字に身を委ねる「吊された男」もオーディンも、受動的に待つのではなく、自分で一つの段階に踏み出している事で共通しています。

また「吊された男」はタウ十字に吊されていますが、物質界の「マルクト」に繋がるパス(経路)も「タウ」です。

そして12番「吊された男」と、21番「世界」は、カードの数が反転して共通しています。

「吊された男」の「自分の固定観念の存在に気付く」テーマは、現実世界「マルクト」への影響として、かなり重要なテーマと思います。

「世界」のカードが配置されるパス「タウ」のヘブライ文字の意味は「印」です。

「吊された男」と「世界」のカードは絵も逆向きにすると足の形が同じです。

  「吊された男」と仏教



ウエイト/スミス•タロットの監修者、ウエイトは、この「吊された男」の足の形は「卍」であると語ったと言われています。

「卍」はインドの吉祥のある人物の象徴。仏教でも仏陀(一般的には釈迦と同一視されていますが、仏教では悟りを得た事の意味です)の胸、手足、頭髪に現れた吉祥の印とされています。

釈迦(紀元前624年〜595年)は、全ての現象は原因や条件が相互に関係して成立しており「独立自存のものは無い」、原因が無くなれば結果も無くなるという原理を「縁起」として説明しました。

ナーガルジュナ(紀元150〜250年頃)は、釈迦が「縁起」を説いた事を賛嘆して、「因果関係において現象が現れている」という事は「独立した普遍の実体は存在しない」、「無自性」であり「空」であると説きました。

これは、例えば「自動車」は、どこの部分を取り「自動車」と言うのか?

車輪が無くなっても自動車か?エンジンが無くても自動車か?

一方で展示会ならエンジンが無くて走らなくても、自動車の役割を果たしているとも言えます。

つまり「様々なパーツの集合体」の「一時的な姿」に「自動車」という名前を付けているだけで「自動車」という「普遍的なものは存在しない」という事で、その時の「因」と「縁」が結び付いて、一時的に現れている姿という事です。

ウエイトが何を想定して「卍」を示唆したのかは分かりませんが、「吊された男」の「自分に固定観念がある事に気付き」それにより「思考停止に陥らない」というテーマは、新たな「因」と「縁」により自分が刷新されるという事にも通じると思います^_^



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