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心に開いた穴の認識




こんにちは!タロット起業に必要な知識を発信している隼人です^_^ 

まずは、タロットそのものの知識は必要なので共有したい内容になります。

  「悪魔」が象徴する欠けた心


今日はタロットの「悪魔」のカードのフィルターから、「人が自分の心に開いた穴を見つける事」について話します^_^ 

タロット初見の方も読んでみて下さい。

タロットとか占いが好きな方は、ウエイト版タロットカードの「悪魔」は、よくご存知だと思いますが、「悪魔」は22枚の大アルカナの15番。

「悪魔」のカードは、人の依存や囚われを象徴するカードです。

「悪魔」のカードの絵を見ると「悪魔」が「長方形」の箱に乗り、左右には鎖で繋がれた男女がいますね。

まず「悪魔」が乗っている「長方形」の箱は、欠けた心を表しています。図像学で正方形は完全な形、「長方形」は、その半分しかない欠けた心です。

  目に見えるものしか信じない心



また、これは精神面が欠けた「物質主義」を表します。

「悪魔」というのは神の対極にあるものとして、信じるものが無い姿、目に見えるものしか信じない事の象徴でもあります。

そして、繋がれた男女には角が生え、半分、人間ではなくなっているように見えます。

女性の方の尻尾には物欲の実が成り、男性の尻尾には「悪魔」が松明で欲望の火をつけています。

ただ、よく見ると、この男女が繋がれている首は鎖が緩く、いつでも逃げ出せます。

つまり自ら繋がれている事を示しています。

二人の男女は、「道徳的だが心が向かない事」、「非道徳だが心が向く事」、そして「合理的だが気持ちが向かない事」、「非合理だが気持ちが向く事」を象徴しています。

しかし、人には誰でも、こんな部分がありますよね。問題なのは、「そんな側面が自分の中にもある」事を認める事です。

完全に背徳に取り憑かれた人は、その行為を、様々な言い訳を用いて悪いとも思っていないか、もしくは誰でも、そうなんだからと都合よく全ての人と自分を同一化する傾向もあると思います。

自分は、より欲望を満たさないと損ぐらいに考えている事が多いでしょう。

  二元論による制限



また、人間が取り憑かれやすい考えに「二元論」の悪用があります。

これは「物質主義」と結び付き、何でも「勝ち負け」で考える事、自分のために他者を踏み付けにしていいという考えに結び付きます。

「悪魔」自体の絵を見ると、右手を上げて手を開いています。

この手のひらには「土星」のマークが書かれています。

「土星」は占星術で「制限」を表し、ここでも「物質主義」に囚われた「制限」された心を象徴しています。

また「土星」は「境界線」も表します。

「悪魔」のカードにおいては、この「境界線」は異常を来たした精神との「境界線」かもしれません。

でも、自分の中に「悪魔」に象徴される部分があると分かっている人なら、逆に、その影響を「制限」して使う事が出来、これ以上は、いけないという「境界線」を引く事も出来ます。

つまり、一つの象徴は、どちらにも同じ原理から、作用が反転するという事です。

この「反転」を考えたら「悪魔」のカードは、さらに深い所を見せてくれます。

  悪魔の姿の元型



「悪魔」のカードにある、一般的に広く認知されている「悪魔」の姿は何が元型なのか?という事です。

「角と蹄を持ち獣と人間が合わさった姿」。しかし元来は、この姿は「悪」とは関係がありません。

キリスト教の「悪魔」の姿は、それより遥か昔の「神」の姿と類似するんです。

紀元前700年頃から信仰された古代ギリシャのパン神は、「角と蹄を持つ獣人の姿」で、現在、認知されている「悪魔」の姿と極似しています。

パン神は「最初に生まれた者•顕現する者•全て」を意味する神です。

「獣人」の姿は古代の神の多くが牧神だからです。

そして「土星」の第18衛星は「パン」です。

その人が見ている「悪魔」は本当に「悪魔」なのか?

その人が見ている「神」は本当に「神」なのか?

  見た目の姿は必ずしも真実ではない



人々が普段、何げなく受け入れているものが「善」だとは限りません。

いや、むしろ欺瞞だらけなのが真実です。

例えば、メディアが垂れ流している情報は、特定の人達の利益を最大化する事に集中している事は、気付いて調べれば疑いの余地が無い事ですが、そんな真実を言う人は頭のおかしい人として扱われます。

「悪魔は天使の姿をしてやって来る」これは真理です。

とりあえず、あなたの親しい人の中で「あなたが辛く悲しい状況」であったり、「あなたが取り組んでいる何かが上手く行かない時」、そんな時には優しく寄り添い話しを聞いてくれるけど、「あなたが何か良い事があった時」や、「あなたの取り組みが成功した時」には、なぜか冷たく感じるような人には気を付けて下さい。

  夢占いでの悪魔



夢占いの観点での「悪魔」の夢は、自己の内面で感じている恐ろしいものを表します。

自分の中の強い欲望、誘惑、自力では、どうしようもないと思っているもの、自分を縛り付ける相手などが悪魔の姿として夢に現れて来ます。

また悪魔から何かを伝えられるような夢は、現実に迫る危機に対して重要な内容が隠されているとされています。

少し逸れますが、夢っていうのは凄い機能だと思いませんか?^_^ 

自分の頭、で意図的に作ったわけではないのに、リアル日常みたいなストーリーを見せたり、奇想天外なストーリーを見せたり、しかも映像化されてるわけですから!

これを自分の無意識が勝手に組み立てているわけですよね(・_・; 

無意識、潜在意識の力を垣間見る瞬間が夢ですね。

ところで、僕(隼人)は明晰夢を見れるんです!かなり中途半端な明晰夢ですが(^_^;)

これが中途半端なだけに、けっこう笑えます^_^ 話しが逸れ過ぎるので、また別の機会にお話しします^_^

  思考と個の自覚の関係



「悪魔」のカードは「生命の木」の「思考」を表すセフィラ「ホド」と、「個の自覚/自分の中心」を表すセフィラ「ティファレト」の間に配置されています。

「ホド」は「言語•知性•論理的思考」のための領域です。

言葉は真実を語るためにも使われますが、嘘をつくためにも使われます。

また「論理的思考」も論理的だから正しいわけではありません。

誤った仮説から始まる思考は、その過程が、どれだけ論理的でも誤った結論に行き着きます。

一方で、どれだけ世間的に疎んじられた仮説でも、その本質が正しければ正しい結論に行き着きます。

「個の自覚」の「ティファレト」は「女司祭のカード」で「第一動因」の「ケテル」と繋がり、、「皇帝のカード」でエネルギーの「流出」の「コクマー」、「恋人のカード」で「形の母」の「ビナー」、「隠者のカード」でエネルギーの「拡大」の「ケセド」、「正義のカード」で「意志」の「ゲプラー」「死のカード」で「感情」の「ネツァク」、「節制のカード」で「無意識/現象」の「イエソド」とも繋がっています。









「ホド」の「思考」は「ネツァク」の「感情」と「塔のカード」で繋がり、「イエソド」の「無意識」との間で「太陽のカード」、「マルクト」の「結果」との間で「審判のカード」と近辺で関連しています。





  宇宙と自己との繋がり


セフィラ「ティファレト」は「生命の木」の中枢です。

小宇宙としての人間の中心、根本的な調和と均衡を取る役割があります。

「ティファレト」は人間には顕在的には認知できない宇宙的な原理のセフィラ「ケテル」と、現実/物質界のセフィラ「マルクト」の中間に位置します。

無限のエネルギーと個としての自覚が交わり統合される接点になります。

この「ティファレト」の箇所で「様々な否定的な諸力」を乗り越えて、人間としての個性を確立して行く姿を、人は象徴的に見て行きます。

  自分と自分の議論



この「個の自覚」を表す「ティファレト」での「否定的な諸力」には「議論する者たち」という表題があります。

これは、まさに「悪魔」のカードのテーマと重なりますね。

自分の心の中での様々な葛藤、物質性と精神性の狭間、理想と現実の葛藤。

それらの「諸力」の中で「何らかの依存」を起こしてしまう事も稀ではないです。

また、「ティファレト」には占星術の「太陽」が配置されています。

「太陽」は現代占星術では「心理的、精神的な自分の中心」「アイデンティティ」の意味があり、古典占星術では「権威性」の象徴。

日本では「お天道様が見ている」と言うように、「白日の元に晒す」存在です。

この、現代占星術と古典占星術の違いの中にも自分の中での、自分を律する力が、どのように働いているかが鍵である事が考察できます。

  思考と無意識の往来



セフィラ「ホド」には「水星」が配置されており、「水星」は「知性•思考•コミュニケーション」を表します。

そして「水星」は公転周期が速く、「水星」の意図的なものを他の天体に運ぶと言われています。

物質世界の「マルクト」から、「無意識/現象」を表す「イエソド」の体験や感情を、「個の自覚」の「ティファレト」に送っていると考えられます。

この「水星」の意図とは、自分が無意識的に形成した意図です。

勿論、「個の自覚」の「ティファレト」から物質世界、感覚世界の「マルクト」への顕在化の流れでも同様です。

人は時には数秒、数分の間に、時には何十年ものスパンのテーマで、「生命の木」で象徴される箇所を行き来しています。

  何を、どう見ているか


そして、「悪魔」のカードは「思考」と「個の自覚」のセフィラの間のパス(経路)「アイン」に位置しています。

「アイン」はヘブライ文字で「開かれた目」を意味します。

「目」は物質を見る器官であり欲に繋がります。

一方で善きものを見る「目」、比喩的には真実を見抜く「目」でもあります。

「悪魔」のカードを通じて自分自身や外界を見る時、どのような観点で「悪魔」を見ているかが重要という事です。

「悪魔」のカードに象徴される事は、本当は怖がり避けるべきものではなく、自分の、そんな部分を許して向き合えば、しっかり「制限」できるし、心の余裕、遊びとして「境界線」を引いて使えるものです^_^



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