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死への意識が生の活力


こんにちは!タロット起業に必要な知識を発信している隼人です^_^ 

まずは、タロットそのものの知識は必要なので共有したい内容になります。

今日はタロットの「死」のカードのフィルターから、「人が生きる事の大切さ」について話します^_^ タロット初見の方も読んでみて下さい。

  不孝を告げるカードではない



タロットとか占いが好きな方は、ウエイト版タロットカードの「死」は、よくご存知だと思いますが、「死」は22枚の大アルカナの13番。

「死」のカードは、人が生きている事の素晴らしさを表すカードです。

まず、タロットの「死」のカードは、誰かが生物的に死ぬ事を予言するような、不幸を知らせるカードではありません!

また、タロットカードは全て、何かの未来を言い当てる道具では無いし、良いカード、悪いカードという区分もありません。

その上で、相談者の状況やカードが持つテーマから現状を読み解き、未来を「予見」する事が出来ます。

  終わりを受け入れる姿勢



「死」のカードは、象徴としての一つの物事の終わりを表しています。

一つの物事の終わりは次の始まりの段階です。しかし人は、それを受け入れられない事が多いですね。

「死」のカードの絵を見ると、白馬に乗った骸骨を三人の人物が迎えています。

司祭のような人物は手を合わせて骸骨を見ていますが、目からは血の涙が流れているように見えます。

この司祭は現世で常日頃から人の生や死について説いている権威的な存在のはずですが、実際の死を目前にすると、それを受け入れる事は苦渋なのでしょうか?

「死」🟰物事の終焉の力は、現世の一時の権威よりも優位である事の象徴とも考えられます。

女性は完全に目を背けて、物事の終わりを全く受け入れられない状態に見えます。

そして、子供だけが花束を持ち骸骨を直視しています。

そして、もう一人、王と思われる人物は既に王冠が脱げて地面に倒れ、死んでいるか意識が無いように見えます。

少なくとも、ここには、死や物事の終わりに対しての受け入れ方の違いの、大まかな種類が描かれています。

  死への意識が生への活力



死から連想できる「一つの物事の終わり」に対する受け入れ方は、人それぞれの、その時が来る前の「準備」や「それに対する姿勢」により変わって来ます。

日本のタロット研究の巨匠、伊泉龍一先生は、この「死」のカードに対して、まずマルセイユ版タロット以前から当時のヨーロッパで、この「死」の象徴としての図像は、一般的にあった図像である事を指摘されています。

この「死」のカードのテーマは「死を忘れるなかれ」という事であると言われています。

そして「死」を意識し、その時までに「楽しい事」そして、それを高次元に結び付けた「自己実現」に向かう事を示唆するのが「死」のカードであると教えられています。

つまり、どんな事にも終わりの時は来るので「今、現在、命があり生きていて、あらゆる関係性もあり、その事を大切にすべき」という事です。

「死」を意識するからこそ「生」が大切だと実感できるという事ですね。

  「葉隠」との共通点



これは日本の佐賀鍋島藩士、山本常朝が記した武士の心得「葉隠」にも通じる考え方です。

「葉隠」は「武士道とは死ぬ事と見つけたり」という言葉や、政治的、意図的な曲解から、極端な軍事書のようにされている面がありますが、そういう書物ではなく、「死」を意識するからこその「充分に生き抜く事」を表している書物です。

「葉隠」には「いざ」と「今」を分けては、いけないと記されています。

いつか「いざ」が来ると思っている人は実際には「いざ」に対応できない、常に「死」を意識し、常に「いざ」の姿勢であるからこそ、存分に生きられるという事です。

この伊泉龍一先生や、「葉隠」の考え方により、僕(隼人)も共感し、いい勉強をさせて頂いていると感じています。

まぁ、僕が、そこまで自分を律する事が出来るかどうかは別として(^^;;…

でも、「塔」の記事で書いたように、病気で死にかけた時には「葉隠」の教えを思い出して、自分で自立してやって行こうと決意しました。

そして、これから始める人や、何かが障害で止まっている人が居たら、少なくとも自分が居る所までは来れるようにサポートする事をやりたい、と決めて動き出す事は出来ましたから^_^

  「個の自覚」と「感情」の狭間



「死」のカードは「生命の木」の中枢、「個の自覚」を表すセフィラ「ティファレト」と「感情」を表すセフィラ「ネツァク」の間に配置されています。

「死」を意識する、物事の終わりを意識するというのは、自分の中の中心的なテーマであるし、その事は、やはり「感情」を揺さぶられる事なのは間違いない事です。

また「感情」を表す「ネツァク」には占星術の「金星」が配置されていて「金星」は引き付ける力、自分にとって良い事を集める、楽しみと繋がる意味があります。

これだけだと、いつか死は来るから刹那的に享楽にふける、という事にも繋がりますが、「個の自覚」の「ティファレト」には「太陽」が配置されているので、良い方向で結び付けば、人の役にも立つ自己実現に向かうと考えられます。

「個の自覚」の「ティファレト」は「女司祭のカード」で「第一動因」の「ケテル」と繋がり、「皇帝のカード」でエネルギーの「流出」の「コクマー」、「恋人のカードで「形の母」の「ビナー」、「正義のカード」で「意志」の「ゲプラー」、「節制のカード」で「無意識」の「イエソド」、「悪魔のカード」で「思考」の「ホド」とも繋がっています。








「感情」の「ネツァク」は「思考」の「ホド」と「塔のカード」で繋がり、「無意識/現象」の「イエソド」とは「星のカード」、「現実世界/結果」の「マルクト」とは「月」のカードで繋がっています。





「原初の水」に配置された「死のカード」

また、この「感情」の「ネツァク」と「個の自覚」の「ティファレト」を結ぶパス(経路)、「死」のカードが配置される「ヌン」は「魚」の意味で、これは古代エジプトで「根源的な生命力」の象徴とされていました。

そして「ヌン」は原初の水、あらゆる存在の起源でもあり「ヌン」の中から意志の力で「創造神アトゥム」が生まれたとされています。

このように「死」のカードが配置される「生命の木」の位置には、「生命」「生きる事」を象徴とするテーマが多く見られます。

そして、「死」のカードの骸骨が持つ旗は「神秘の薔薇」と呼ばれるもので、ウエイト/スミス•タロットの監修者、ウエイト自身が、これを「人の生命そのもの」と語っています。

  光と闇の混在



「死」のカードには「月」のカードや「女司祭」のカードにも登場する「二つの塔」がありますが、これは「生命の木」の図の左右の柱、「峻厳(形)の柱」と「慈悲(力)の柱」です。

そして「生命の木」には中央に左右のバランスを取る「均衡の柱」があります。

「死」のカードの中の、この左右の柱は、白い塔に黒い窓で表現されていますが、これは「光の中の闇」「闇の中の光」であり、真逆に思える事の中の同一性を表しています。

また背景の「川」も、川の水は流動するが川そのものは永続的という二元性の混在を象徴します。

絵の川にはファラオの埋葬船を思わせる船があり、
「死」を通過した真の自己に、新たな生命が芽生える事を表すとも言われています。

  完全性を超えて行く創造性


「死」のカードと関連する、「13」という数が不吉とされる理由については、まず最後の晩餐で、キリストを裏切ったユダが13番目の人物であった事から不吉な数のイメージとなったという説もあります。

また「12」という数が完全な数とされ、数の元型である1と2が含まれ、「13」は、この完全な数を越えて行くから不吉であるとする説もあります。

しかし、「12」が完全な数であるなら、その完全を越える事により破壊するからこそ「13」は新たな創造を象徴する数と言えます。

  自我の死の受け入れ



「擬似的な死と再生」は古来から宗教の中で行われて来ていますが、これは自我の死と新たな生の受け入れとも重なります。

一つの物事の終わり(擬似的な死)を受け入れたら、より自由になれる事がありますが、自我が、それを許さないという事があります。

それによりエネルギーは閉じ込められる事になり、結果として、新しいエネルギーが入って来る余地が無くなります。

よく似た現象は、パニック障害に陥った人が、息を吐き出す事が出来なくなる事です。内に力を溜めたいという無意識的な欲求から、吸い込む空気だけを求めるようになり、結果として呼吸困難になります。

パニック障害は意図的に、その人が、そうしているわけではないですが、人間は「死」を連想させるものに対して恐れの反応を起こして、こうして結果、逆に「死」や不益に近付いてしまう事があるという事です。

しかし、人が本当に「死」に対して恐れているのは肉体の崩壊ではなく人格の崩壊だと言われています。

  本当に恐れているのは肉体の死てはない



生命から引き離されるものとして自分自身を見ているのは「自我」であり、「自我」は今の状態の維持なので、「死」を拒んで、世界や自然より「自我」が優位に立つ事を求めるという事です。

こういう原理から現代は肉体を冷凍保存して未来に生き返るのが、お金持ちのステイタスのような、いつまでも20代なのが、いい事みたな情報拡散もあるんですかね?(~_~;) 

まぁ、人それぞれの考え方ですが、なんか巨大商人が、こうした性質を利用して、ますます庶民は洗脳されてる気もするし…

自然と共に生きた昔の方が、今より遥かに優れていたと思えます。

いずれにしても人は本能的に「死」への恐怖から「死」を連想させる、一つの物事の終わりや、安定からの離脱、時には自分を縛るものの「死」さえ拒絶してしまう事があります。

「死」のカードは、こうした事からの解放を考えさせてくれるカードです^_^



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