こんにちは!タロット起業に必要な知識を発信している隼人です^_^
まずは、タロットそのものの知識は必要なので共有したい内容になります。
今日はタロットの「正義」のカードのフィルターから、「人が判断する事」について話します^_^
タロット初見の方も読んでみて下さい。
「正義のカード」の図像
タロットとか占いが好きな方は、ウエイト版タロットカードの「正義」は、よくご存知だと思いますが、「正義」は、22枚の大アルカナの11番。
「正義」のカードは、人の正義感と判断する心を象徴するカードです。
「正義」のカードのモデルは、ギリシャ神話の「法•掟の女神テミス」だと言われています。
秤を持った姿の女神ですが、この図像もタロット誕生以前からある図像です。
この「正義」のカードには二本の柱がありますが、「皇帝」のカードや、「女司祭」のカードにも二本の柱があります。
これは共通して神聖な場所を表しています。「正義」の場合、「自分の内なる正義に対する神聖さ」を意味しています。
なので、自分自身の内面の事です。タロットは全て、それを見る本人の心を表すものです。
ウエイト版の「正義のカード」の順番
「正義」のカードは、ウエイト版タロットの場合、マルセイユ版タロットの8番「正義」が11番へ。
11番「力」が8番へ入れ替えられています。「生命の木」の対応上、この順番にしたようです。
正義の剣と秤
この「正義」のカードの絵の人物は、垂直に立てられた剣を持っていますが、この剣は偏らない心、信念を表しています。
または、場合により、その偏らない心や信念が足らない事を示唆しているかもしれません。
そして、この剣は両刃になっています。
これは、その正義が、どのように取り扱われのかを問うものです。
もし誤った正義で振り翳す剣であれば、自分自身も切りつける、それを暗示する両刃の剣です。
左手に持つ秤は水平になっており、これも偏らない心、または、偏らない心が足りない事の示唆です。
そして、この秤は理解と行動の間の均衡であり、過去と未来の間の均衡も表しています。
そして、この人物の足は一歩、踏み出しています。
内なる正義に基づいて、いつでも一歩を踏み出せる状態です。
または、その確信が足らない状態を示唆しているかもしれません。
「意志」と「個の自覚」の間
「生命の木」で「正義」のカードが配置されているのは「意志」を表すセフィラ「ゲプラー」と、「個の自覚/自己の中心」の「ティファレト」の間です。
セフィラ「ゲプラー」は、「不和•破壊•戦い」のセフィラと言われ、その作用は「火」による浄化•純化だとされています。
「苦悩•痛み•恐怖•暴力•貧困•病気•死への恐れ」などは「ゲプラー」に由来すると言われ、これらの事から目を背け、逃げて、個人の利益のために目を瞑る危険性を示唆しています。
痛みの体験は、人の内なる成長に関する背後の動機です。
「ゲプラー」の「パスのテクスト」は「根本的知性」で、「根本」という言葉は「根」、ルーツに由来します。
これは問題を根本的に解決する「ゲプラー」の性質を象徴しています。
解放は戦いによって勝ち取られるものという事を表しています。
自分の内面での議論
「個の自覚/自己の中枢」のセフィラ「ティファレト」は、自分の中で根本的な調和と均衡を取る役割です。
この「ティファレト」の「否定的な諸力」は、「議論する者たち」で、これは自分の中での葛藤、「ゲプラー」の表す事との間で考える時、これは自分の中での「正義」に深く関係すると考えられます。
自分の中での議論って、やらずにスルーする傾向がありまよね。気をつけないといけない事です。
人の心の中での、「正義」に関して、「二元論」という事が、いつも関係して来ます。
この習慣は、例えば、ある「固定観念」から、実際には何ら確認されていない事を疑わしく感じたり、逆に特に理由なく潔白に思えたりします。
また、善と悪は両極端な二つと感じたりしますが、実際には、その二つの間のいくつもの状態があります。
勿論これは「正義」のテーマだけでなく、「個の自覚/自己の中心」の根本的なテーマとしては、謙虚🟰美徳、傲慢🟰自尊心、のような感じ方です。
しかし、実際には自尊心は傲慢そのものではありません。
これらの関連から、11番「正義」のカードの次が、12番「吊された男」の「自分の固定観念への気付き」に繋がっているのも頷けます。
必要性上の対立と均衡
「意志」を表す「ゲプラー」と、「個の自覚/自己の中心」の「ティファレト」の間のパス(経路)「ラメド」に「正義」のカードは配置されています。
「ラメド」は「牛追い棒」の意味で、古代では牛を牛追い棒で統制していました。
「牛追い棒」は人間と牛の必要性上の対立、そして両者の間の均衡を象徴します。
だいたい人は自分の立場からの「正義」を主に考えますから、この立場による「均衡」を意識していないと傲慢な人間になるし、必要な関係性を崩してしまうかもですね(~_~;)
パス(経路)「ラメド」には占星術の「天秤座」が配置されています。
古典占星術では星座(サイン)を心理的に見る事は、あまり無いですが、現代占星術では「天秤座」は人間関係の中で自己が作られて行く感性があり、バランス感覚を表す「風の元素」の星座です。
情報は風/空気により伝わるもの、伝わる情報により感情は、変わる性質があります。こういう事は人の「正義」の感情に影響を与えますよね。
「意志」の「ゲプラー」は「戦車のカード」で「形の母」の「ビナー」、「力のカード」で、エネルギーの「拡大」の「ケセド」にも繋っています。
「個の自覚」の「ティファレト」は、エネルギーの「拡大」の「ケセド」と「隠者のカード」で繋がり、「感情」の「ネツァク」と『死のカード」、「無意識/現象」の「イエソド」と「節制のカード」、「思考」の「ホド」と「悪魔のカード」とも繋がっています。
自分の内面の戦い
「正義」のカードに関連するセフィラ、パス、星座は全て「問題の根本的解決」と「物事の間の均衡」を示しています。
そして「ゲプラー」に配置されている占星術の「火星」は戦いの惑星です。
ここでは自分の心との戦いを連想させます。
「切り離す性質」があり「思考の整理•区分」に繋がります。この場合、これが自己の中の「正義」に関して作用して「ティファレト」の「個の自覚/自己の中心」を形成して行きます。
自己中心の正義
「正義」の感覚とか判断は、普段、意識してないけど、なかなか難しいですよね。
僕(隼人)も、いつも後で考えたら自分勝手な考え方をしてしまってるな(~_~;)…と、よく思います。
例えば車とか運転してたら、歩行者の事を「周りも見ずに歩いて邪魔になるし、危ない!どういう感覚してるのかな!」とか思うけど…
自分が歩いてる時には逆に「車が優先じゃないのに危ない運転をする人だな!道は歩行者優先と知らないのかな!」とか思ったり…
立場によって簡単に逆になってしまって(^_^;)…まぁ人間、自分勝手な所があると、よく自覚しとく必要がありますね。
たわいない事なら、さして問題はないけど、ネットとかの匿名の誹謗中傷とかまで認知の歪みが出ると、被害者には勿論、やってる方も病んで行く一方だと思いますね。
正義中毒と自己肯定感の低さ
これは、何か対象を見つけて、自分の中の恐れとか不安、自己肯定感の低さを埋めようとしている心理だと言われています。
つまり、外部に自分の正義感を求めているという事で、これは「自分の正義感を外部に委ねている」のと同じです。
正義感だけでなく、自分の自己肯定感は、「必ず自分の中の内省により培われないといけない」という事です。
タロットやカバラも、そういうテーマを見て行く助けになるし、また、他の何であれ、スポーツでも、ビジネスを通じてでも、何かの趣味とかの中にも、それを培える要素はあります。
問題は自分が、どう思って向き合っているかです。
また「正義」のカードのモデルは「法•掟の神テミス」、そしてカードの絵からも裁判が関連します。
つまり、自分の中での何かの「判断」を「秤」にかける事も示唆しているので、より日常的な事柄についても、よく考えて「判断」しないと後悔するのは当然です。
「魔術師」「女司祭」と「正義」の関係性
1番「魔術師」と2番「女司祭」は大アルカナの世界の全ての「元型」になるカードの二枚ですが、11番「正義」は、この二枚を結び付けます。
1は11の、より高次元の数です。そして1➕1🟰2は「女司祭」の番号です。
「魔術師」は「形にする事のエネルギーが満ちた」元型、「女司祭」は「言語化できないレベルの自分の本質」の元型、この二枚はDNAの螺旋構造のように結び付いています。
人は「女司祭」の「内なる自分の声」を受け取り、「魔術師」の「エネルギーの受給と行為の準備」をします(魔術師のカードは、まだ行動はしていません、スタート地点に立っている状態です)。
この二枚の原初的な性質の間に立ち、均衡を保つのが「正義」のカードの一つの役割です。
「正義」のカードは、「正義感」そのものでなくても、何かの「判断」、自分の中で、しっかり納得して決める事の重要性、自分の中の「秤」をしっかり機能させる事を示唆しています。
僕も、ここから先「正義」のカードを思い出して後悔が無いようにしたいと思ってます^_^
今回の僕の、あなたと共有させてもらった記事が、何かの役に立てたなら嬉しいです^_^
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