Peaceful Love -2ページ目

愛か怖れか

すべてを選んでいるのは自分自身であること、
その選択肢は、愛か怖れかどちらかでしかないことを、どんなときも思い出すことができますように。

以下、湊 真帆子さんのメルマガの転載です↓


「選択肢」

私たちは、日常的に、多くの選択をしなければならないように思えます。

仕事に行くか、休むか、
何を食べるか、
誰と何をするか、

どのような職業に就くか、
告白するか、
引っ越すか、

小さなものから大きなものまで、あらゆることを選択しています。

自分の目指したい道や、今目の前の選択が、正しいかどうか、
うまく行くかどうかを気にしながら選択するには、多くの場合重圧を伴います。

だから、私たちは、天使たちに答を求めます。

この世界には、無数の選択肢があるように見えますが、本当は、
私たちの選択には、たったひとつしかありません。

愛に戻る道か、そうでないか。

「愛に戻る」を、「本質的に幸せになる」と、言い換えることもできます。

自分の未来が明るく感じられる方に行く道かそうでないか、と、言うこともできるでしょう。

もし、癒されたいとか、幸せに向かう意図がなければ、この世界のどのような選択も結局は同じです。

例えば・・・・

仕事を休むかどうか悩んだ結果、休んだとしても、休んだ自分を責めるなら、あまり意味はありません。

嫌な職場を辞めて仕事を変えたとしても、退職するに至る原因が癒されてなければ、
同じ悩みを抱えることになります。

聖なる愛は、私たちに、戻って来るようにと、常に呼びかけています。

私たちが、天使たちに助けを求めるとき、彼らは、私たちが癒しや、幸せを受け入れるように、
愛の本質に気づけるように導きます。

でも、私たちは、ついつい、自分でなんとかしようとし、委ね、頼れる多くのことを、
自分自身で選択しています。

その理由のひとつは、私たちが、聖なる導きの先にあるものが、本当に幸せかどうか、
疑っているからです。

私たちは、聖なる無条件の愛のことを忘れてしまっていて、
それが、犠牲を求めたり、試練を与えたり、罰を与えたりする、と、思い込んでいます。

愛(神)をそのような恐ろしいものと認識していながら、頼ったり、委ねたりすることなど不可能です。

だから、聖なる存在たちは、私たちに無理に信頼するように言うことはなく、
優しい道を用意してくれています。

私たちは恐れを間違いだと認識し、安心して委ねられるように、
天使たちに些細なお願いを繰り返しながら、
愛が愛でしかないことを思い出して行くことができるのです。

この世界は、自分の力では、どうしようもないことばかりに見えます。

だから、私たちが幸せになり、安心しているためには、
私たちの力の及ぶ範囲を超えたところからの助けが必要です。

私たちの本当の安心は、無条件の愛が、ただ幸せをもたらそうとし、
常にサポートしてくれるのだと知ることでのみもたらされるのです。

Happy birthday Josefina♪

先日ひさしぶりに インスタでジョセフィーナの名前を検索。

見たことのない写真がひとつありました♪

Escape to light /Josefina de Vasconcellos

jbxhtさんよりお借りしています)


写真がいつのものかはわかりませんが、

投稿は5日前になっていて、

ちょうど検索した日あたりに新たにアップされていたものだと、今日知りました。

 

今日はジョセフィーナのお誕生日です。

生誕114年。

 

計算ちがいでなければ、22年前に

彼女に会いに行ったころの写真がこちら↓

前に載せたかもしれません。

こちらも画像はお借りしました。

 

当時この作品の制作中で、手前がジョセフィーナ。

奥は、この時すごくお世話になったRose。

宿の手配など、何から何までお世話になりました。

一緒に私も掘ってと言われたけれど、

恐れ多くてほんの気持ちしか削れなかったことは残念ですが、

それもいい想い出です。

大切なものは、すべて自分の中にちゃんとあるので、

形が残らなかったことが、そんなに大きな事じゃないと、今は思える。

 

ジョセフィーナ

心からおめでとう。

彼女と出逢えたことは、

これからもずっと、この世界で受け取れた

特別なプレゼントです。

大きな感謝と、心からの祝福を込めて。

 

自分を尊敬する

「ありのままの自分でいる」ことが、
「自分をあきらめている」ように見える度に、
どうか自分を大切に扱ってほしい、と願わずにはいられません。

まずは自分自身を責めることを一切やめてみること。
大切な誰かを想うのと同じように、自分を想ってみる。
それが難しいなら、少しの時間でも、
自分を丁寧に扱う時間を作ることから始めるのがお勧めです。
例えば、コーヒー1杯を、 
自分の為に、心を込めて淹れてあげる。
そんなことからでいいと思うのです。

神様は、空の彼方、遠いところにいるんじゃない。
宇宙と一体である自分自身を
あなたも感じることができますように。

大いなる力を信頼することと、
自分自身を信頼することが、
全く同じ意味であると、
知ることができますように。

湊 真帆子さんのメルマガを転載させていただきます。(タイトルもお借りしました)
☆以下転載です↓



☆1… 自分を尊敬する ……………………………………………………………☆


自分を愛することの大切さは、何度伝えても、過ぎるということはありません。

言葉とは、象徴的なものであり、愛の定義が様々であるために、
「自分を愛すること」の解釈が様々になり、自分にとって、
本当に幸せに繋がることを選択し続けるのは、容易ではありません。

また、成長の段階によって、自分に何をするのが愛することなのかも、変化していきます。

ですから、スピリチュアルな成長のゴールは、誰に取っても同じですが、
どのような言葉が、本質的な理解となり、前に進むための一歩になるかは、人それぞれです。


「ありのままの自分でいる」というのも、自分を愛することの一つの表現です。

ただ、ありのままの自分がどういうものなのか、誰も理解できておらず、
そのために、ありのままでいることを、エゴのままでいることと混同してしまうこともあります。


「私たち誰もが、純粋な光であり、愛である」

これは、真実です。

私たちは、本当は、そのことを知っていますが、エゴに惑わされて、
自分は「悪い」「罪を犯した」「汚れた」存在だと思い込んでいます。

それでも、それらの根拠は、私たちの真実の光と愛には、何の影響も与えません。

私たちは、真実を知ることで、自分を誤って認識していることを知り、
本来の姿に戻っていかなくてはいけないのです。


「自分を愛すること」は、そのために、最初に着手すべき、必須の要件です。

愛は、感謝であり、豊かさであり、慈悲であり、尊敬でもあります。

言い換えれば、私たちが本来の姿に戻ったときには、感謝に溢れ、豊かであり、
慈悲深く、尊敬の念を持っているということになります。

それは、無条件であるので、相手の状態にかかわりません。

このように聞くと私たちは、「自分以外の誰かに対して」感謝したり、
尊敬したりしようとします。

それはもちろん、間違いではありませんが、すべては自分自身から始める必要があるのです。

だから、自分に感謝し、尊敬の気持ちを向けることが大切です。

そう聞くと、あなたは、自分を尊敬するなんて難しい、と思うかもしれません。

または、自分が立派だと思うことをしているときだけ、つまり、
根拠があるときだけ、尊敬しようと思うかもしれません。

一般的な尊敬とは、誰かを自分より上位に置き、敬う気持ちであり、
基本的に、尊敬する誰かと自分を別物として扱っています。

そうではなく・・・・

自分を尊重し、そっと側にいるようなイメージです。

大切なのは、自分に尊敬する誰かにするように触れることです。

例えば、尊敬する人が怒っていたら、その怒りを否定するのではなく、
きっとその怒りには正当な理由があるのだろう、と、
その人の感情を尊重する思考になるものです。

「この人が怒るのだから・・・・」というような。

それと同じように、自分の感情や欲望に対しても、
大切な人の大切なものとして、尊重してみてください。

だからといって、怒りを周囲に好きなようにぶちまけるというのではなく、
実際にどのように行動するかは別にして、自分自身に対して、
尊敬の気持ちを持って、受け止めようとしてみるのです。

やろうとすると難しく、自分に、いやいや、しぶしぶ、
付き合っているということがわかるかもしれません。

でも、それに気づくことも、大切な一歩です。

そんなにあなたに嫌われるほど、あなた自身があなたに何をしたというのでしょう。

あなたが、自分に対して、素直に尊敬の気持ちを持てるとき、
自分にそっと寄り添いながら、自分でいることを楽しめるようになるでしょう。

あなたもおそらく既に知っている通り、宇宙は、あなたをとても大切に尊重し、
守り、多くを与え、導いています。

その大切なあなたを、あなた自身も、大切に思ってください。


Reconciliation


数年ぶりに、ジョセフィーナの「彼ら」に会いに行けました。
いつもの通り、埃を払いたかったのに、
お手を触れないでください、のプレートが設置してあった…
目の前に受付があって人が見てるし、
ブロンズなので、少々では壊れたりはしないだろうに。
ジョセフィーナは、そのプレート、嬉しくない気がします。。

外から見るとこんな感じ。

外に向いたらこんな感じ。

逆光なので、反対から撮りました。



昔、載せてある写真と、ほとんど変わりませんが、あらためて。

出逢いから、23年なんですね。
確か、この2年あとくらいに会いに行きました。

次回行ったら、お掃除させてもらえるか頼んでみよう。
すごく汚れていたわけではないけれど、
あのプレートの話は、ちょっとしてみたい。
作品の上に乗せてあったので、やっぱりかなり気になっています。

次回も立ち寄れますように。

23年経った今も、
変わらない平安を ありがとう。


ロボット・イン・ザ・ガーデン

大好きな酒井駒子さんの絵に惹かれて読みました。
タングという名前のロボットと、ベンの物語。
タング・ロスという言葉まで生まれているのも頷ける^^

この作品、デボラ・インストールさんのデビュー作なんですね。
あたたかい時間をありがとうm(_ _)m