妄想トレイン -13ページ目

妄想トレイン

科学では説明しきれない人間の無限の欲望を惜しみなくさらけ出す赤裸々ブログを、こっそり始めました。

ここ数日、よくグラスが割れる。

先日は私が立て続けに二個。

昨日と今日、長男が一個ずつ床に落として割れた。

下の階の人に申し訳ない。

毎日ドでかい破壊音が響いているだろうからなあ。


この話を姉にしたら、

「きっとグラスが身代わりになってくれたんよ」

と言った。

これから起きるかもしれない何か縁起の悪い事が、

グラスが割れた事で帳消しになったらしい。


そう言われると、

なんだか有り難い気がして来た。


でも、昨日は散々掃除をしたのにも関わらず、

足の裏にすっごい小さなガラスが刺さった。

これが意外と痛い。

小さい欠片だからなかなか取れないし。


これって十分身に起きた悪い事だよなあ。


だけどもっと悪い事が起きていたかもしれないし。

なんて事を考え始めたら、

一体私に何が起きようとしていたのか怖くなる。



人生において、

不運は突然降り掛かる。

時には幸運も突然降り掛かることもあるけど。


この5分後に車が電柱にぶつかるなんて思ってもみなかったのに、

ぶつかる。

たまたま久しぶりに今日この服を選んだら、

友達とかぶる。

この道を選んでなければ、

あいつに会う事もなかったのに。


こういった未来の不運は、

どんなに誠実で堅実な生活を送ったとしても、

どうやったって逃れられない気もする。


グラスが身代わりになって、

何から私は逃れられたのか、

一生知ることはできない。


でも、

姉のように物事を考えてみれば、

グラスが割れたという不運も、

幸運にかえる事が出来る。

そうすれば、

グラスの破片を掃除する時にイライラして、

息子に八つ当たりすることもなくて、

八つ当たりされてムカついた息子が非行に走る可能性もなくなる。


不運を幸運に切り替える事ができたら、

人生は随分と楽しい物になるだろう。

「あ~!生きてて良かった!」

って、

毎日思う事が出来るだろうな。


そんな毎日って、

楽しいのかな。

幸福感ばかりの毎日って、

成長できるのかな。

そもそも、

成長することは人生において必要なのかも分からない。


すっごく楽しくて充実した毎日でも、

80才くらいの時に、

なんか知らん人に刺されて死んだりしたら、

やっぱ納得いかない気もする。

散々やらかして借金まみれになって、

ホームレス生活を続けて家族にも見放されて、

80才くらいの時に、

通りすがりのすっごいイケメンに

「大丈夫ですか?!」

とか言われながら死んだら、

まあいっか!

ってなる気もする。


人生って、

どの辺りが重要なんだろうか。








今日は久しぶりの歯医者。

ようやくいい歯医者に出会えた気がした。


治療の最後に、

丁寧に歯を磨いてくれて、

歯茎のマッサージをしてくれて、

フッ素のうがいをさせてくれる。


お金を取られるにしたって、

ここまで丁寧に扱ってくれる所は初めてだ。


なによりも、

歯科医が歯科助手に敬語で丁寧に接する。


こういう歯科医は意外といない。


歯科医と歯科助手が小さい声でゴニョゴニョ言ってる時、

歯科医の性格が垣間見える。

命令的だったり、

舌打ちしたり、

明らかに怒りをぶつけているのが分かると、

やっぱ引く。

コイツ、イライラしてる時は雑な治療しそうだな

とか思っちゃう。


今通っている先生は、

本当に穏やか。

時々、それもう3回聞きましたけど?ってくらい

説明してくれる。

こちらが不安そうだったら、

この先の経過予想もきちんと教えてくれる。


いやあ

歯科医と言うよりは、

良い人に出会った喜びが大きい。


先生、どうか元気で長生きしてください。




親は子供の事が心配なものだ。

なかなか歩かないとか、

言葉が遅いとか、

オムツが取れないとか。


私自身、その全てに心配した覚えがある。

けれど今のところその全てが杞憂におわっている。


なんとなく気になり始めて、

それが心配に変わった時、

もう公平な目で子供を見れなくなる。

なんでもかんでもが、

なんかおかしい気がしてならなくなる。


でも今言えることは、

結局それは何一つおかしなことではなかったってことだ。



親友が、

自分の息子の言葉が遅い事を医者に指摘されて、

ひどくショックを受けている。

私も彼女の子供は他人とは思えない。

だから、

そう言われるとなんか気になるような気もしてくる。

彼が何もない場所に向かってボゲボゲ言っているのは、

ちょっとおかしいのかな?なんて

ついつられて思ってしまう。

今まで何にも気にならなかったのに。


親友の心配は相当なものだろうと思う。

私ですら動揺しているんだから。

「大丈夫だよ」

って言いながら、

気のせいである事が判明するのを真剣に祈っている。


三才の発育なんて、

必ずしも平均のそれと比例して進んで行くわけではないと思う。

いつからこんな風に、

医者のガイドラインが確立して、

それにそぐわなければ異常だという事になったんだろう。


ほんのちょっと前までは、

頭が良いとか悪いとかそんなの関係なく、

貧富の加減でその人間がジャッジされてきただろうに、

国が豊になった途端、

なんともいらん世話なジャッジをされる。


親はその一つ一つに敏感に反応して、

大きな心で育児なんて出来なくなる。


これで結局

「なんでもありませんでしたねぇ」

ってなるなら、

彼女は無駄に心痛め損だ。


でも、今となってはそうなってほしいんだけど。





ドラマの綺麗事を並べた臭いセリフに反吐が出そうになる。


そんな時っていうのは、

大抵自分の気持ちが濁っている時。

世の中そんなスウィーティーじゃねえぜ!

って思ってる。

ってことは、何かしら人間の嫌な面に遭遇している時。


ドラマに出ている役者さんは、

自分の気持ちが濁っている時にこんなセリフ言っていて、

気分が悪くはならないのだろうか。

「誰もこんなこと思っちゃいねえぜ」

とか思わないのだろうか。

たくさんお金を貰っているんだから、

何でも言えるか・・・。


『おしん』を観て、

伊東四朗が視聴者から

「おしんをいじめるな!」

とか散々言われ、

おしんの女優のところには

大量の米が送られてきたと言っていた。


テレビってそういうところが怖い。

あんなの作り話で嘘っぱちなのに、

想像以上に感情移入してしまう人も実際にいる。

貧乏な少女役を演じても、

「カット!」がかかった後は、

何万もする服を着て高級マンションに帰っているのに、

そう思えないまま彼女を見つめてしまう。

俳優が言った人情溢れ心に染みる言葉も、

彼が頭で考えて発した訳じゃない。

彼が困難を必死に乗り越え悟った訳じゃない。

それなのに、

そういう演技が平然と人前で良く出来るもんだなあと思う。


それが仕事だからと言われれば、

そりゃそうなんだけど。


自分の気持ちが濁ってない時は、

ドラマや映画を観てワンワン泣く。

今は多分、どんなのを観ても泣かないと思う。

相当濁ってる感じがする。


何があったわけじゃないけど、

たぶんホルモンのせい。


私のせいじゃないもん。







息子たちを連れて大きな公園へ行く。

自転車と三輪車で走り回る息子たちを眺めながら、

公園に来ているいろんな人たちをチラチラと人間観察する。


30分くらい、ずっと座ってボーーーーーーっとしているジイさん。

やたらに太った年齢不詳の女性は、何やら木の根っこを真剣に見ている。

小学生くらいの兄弟は蝉取りのフライング状態なのか

虫かごとアミを持って暗い顔でウロウロしている。


ひたすら噴水の周りをグルグル延々と回り続ける我が息子達もナニだけど、

公園ってすっごい変な人が多い。


公園に居る人の第一条件はヒマな人。

ヒマな人って見ていて面白い。

真剣に歩いている人もいるけど、

そのルートの選択もそれぞれまた面白い。

自分の中で決まっているルートだから、本人は自信満々で歩いている。

でも、こっちから見ていると、なぜそのコースにしたのか疑問だったり。


子供が居るからこそ、こんな楽しみを味わえる。

一人で公園へ来るなんて、今の私にはまだ無いから。


今後私が一人で公園に行き出したら、

私はきっとものすごくヒマなんだろうなぁと思う。

そしてほぼ意味のない行動を取って、

今の私みたいな人間の暇つぶしにされるんだろう。


公園に来ているヒマな人って、

結構堂々としている。

人の目とか気にしてない。

その人生に納得しているということなのか。

納得していない人は、公園でゆったりなんて出来ない気がする。


すごく羨ましい。




明日は土曜日。

今のところ仕事も入ってないし、

朝ゆっくり寝れると思うと嬉しくて眠れない。

だから結局いつもと同じ睡眠時間になるわけだけど、

心情的には全く異なる。


平日は、ビクビク起きる。

起きた瞬間に時計を見てホッとする。

あと30分あるからと二度寝するも、

ビクビクしたままの地獄の30分。

潔く起きればいいものの、それもできない。


「ああ・・・これから起きたらまたしばらく寝られないのか」

と思うと、

今からやらなきゃいけない無数の仕事を経た自分が

全く想像できないくらい遠く感じる。

最終的には毎日夜の10時くらいには経ているんだけど、

またすぐ朝が来る。


こんなことを、

思い起こせば小学校高学年に頃からずっと思ってた。

「朝が来なけりゃいいのに」

と思いながら布団に入っていた。


私はあの頃から生きる気力を既に失っていたんだなと思う。

できればずっと寝ていたいといつも思っていた。


なんでそんなにもいろいろが面倒くさいんだろうか。

みんな、そうなのかな?


一度、

「毎日ずっと寝てていいよ」

って言われて、

何日間そうできるのか試してみたい。

なんかしたいよー!

って、心の底から思ってみれば、

私は変われるのかもしれない。


東南アジアに放浪の旅に出た時、

昼は暑いからずっと部屋で寝てて、

「せっかく旅行してるんだし・・・」

と思って夜ブラブラと出掛けた。

そのままタイに一カ月以上いたけど、

何をしたかと問われると、

何もしていない。


やっぱ変われない気がして来た。







今日は保育園に通う次男の家庭訪問。

朝から掃除、片付け、目につくものを押入れに放り込む、

と、バタバタやった。


昼過ぎに先生がやって来る、

と思うと、

一時間ほど前から落ち着かない。

次の瞬間にも

ピンポ~ン!

と鳴ると思うと、トイレにも行けない自分。

かなり気が小さい。


という風になるのは分かってた。

だから今日は、

ソワソワしない

っていう目標を掲げ、

余裕で待って見た。


だが、

結局ソワソワしたし、

先生が帰った後にワキ汗がびっしょり。

なんにも悪い事していないのに、

パトカーが後ろに居る時と同じ感じ。


これってなんなんだ。

私は何に怯えて、何にプレッシャーを感じているのだろうか。


人は人に自分を良い人に見てほしいという欲求が多少あると思う。

私はそれが強いんだろうな。

先生に良いお母さんだと思ってもらえるだろうか

片づけ上手の良い主婦だと思ってもらえるだろうか

それが心配で緊張するのだろう。


私は今までの人生、

結構明るくていい人でやってきた。

お人好し

と言われた事もある。

でも、それも私の計画の内だ。

お人好し であると思われることで、

周りは私をさらに良い人だと思い込むと読んでの事。

そうやってきたから、

私のハードルは上がり続ける。

いつしかそれが上がり過ぎて、

もうついていけなくなってきてるのかもしれない。

ちょっとでもそのハードルを飛び損ねないようにするために、

ワキ汗をかいて必死になっているのかもしれない。


まさに自分で自分の首を絞めているわけだな。

自殺と一緒だ。


ここからが厄介だ。

私はそう思っている事を悟られない様にする為に、

”人の目なんか気にしな~い”

っていう行動を突発的にする。

急に人ごみで鼻歌を歌ったり、

変な服を着たり、

知らない人に話し掛けたり。

「ほんと自由奔放でマイペースだよね~」

と言われると、

全身に快感が走る。


屈折しとるな。






「いつもダメ男と付き合ってしまう」

と言う女は、


プライドが高くて、

気が小さくて、

自己中心的で、

外面ばかりよくて、

最悪な女の場合が多いと思う。


全くもってダメ女じゃないか。



ということは、

ダメ男とダメ女はセットになるってわけか。

目も当てられない。


お互いに尊敬できなくて、

不満ばかりがつのって、

そんな親を見て、

子供に馬鹿にされて、

家庭崩壊。




ぎゃああああああ!!!!!!!!!!!!!





もうすぐ夏が来る。

そのあとまた冬が来ると思ったら凹む。


でもまあいいや。

生きてないかもしれないし。


酒とたばこの飲み過ぎで死んだ叔父さんの葬儀に

息子を連れて行って以来、

息子が『死』について知りたがる。

まだ5才の息子にどう説明すりゃいいのか困った。

「ママ、おじちゃん死んだん?」

「うん。」

「なんで?」

「たばこいっぱい吸ってお酒いっぱい飲んだから。」

「ママお酒のむやん、死ぬん?」

「たぶんまだ死なない。」

「今度だれが死ぬ?」

「うーん、どっかのおじいさん・・・?」

「おじちゃんはおじいさんやったん?」

「うーん、そこまでないか・・・。」

「じゃあなんで死んだん?」

「たばことお酒を・・・・・・・。次誰が死ぬんかな?」

「パパじゃない?」

「うーん、ママが先かも。」

「じゃあ次ママが死ぬ?オレが死ぬ?」

「死なないよ!・・・・・・でも順番は分からんしなぁ・・・。」

「なんで死ぬん?」

「いろいろ。」

「え?たばことお酒やろ?」

「うーん、いろいろあるんよ。」


こんな感じの会話を三日に一回する。

私の答え方は毎回ちょっと違って、

息子はだんだん私に不信感を覚えている様子。


死ぬことは、悪い事じゃない。

でも嫌な事ではある。

嫌だけど、いつかみんな死ななくちゃいけない。

人生の最後が嫌な事だなんて思いながら

息子に生きて行って欲しくはないから、

死に対してネガティブな事も言いたくない。

かと言って、明るく

「いつかママも死ぬしパパも死ぬけどそういうもんよ、大丈夫!」

なんて気軽に言っといて、

死ぬ=いなくなる

ってことに繋がった時に、

きっととんでもなく苦しくなると思う。

私がそうだったから。


思い出せばあの時辛かったなあ。

自分なりに死を理解する最近までは

考えたくないワードだった。

息子はどうやって受け入れていくだろうか。






体調が悪い。

生理も始まってお腹も痛い。


体調が悪くなるとブログを書きたくなる。

自分の体調の悪さは、

まぎれもなく自分のせいだから、

誰にも文句を言えない。

だからこうやって気持ちをぶちまけると

少しスッキリする。

極めて単純な思考回路にゲンナリする。


ブログを書いていない時は、

調子のイイ時。

楽しくてブログの事なんて忘れてる時。

充実している時。


充実している事こそ記録に残せばいいのに、

とも思うけど、

案外マイナスな自分を後々省みる方が

やっぱり面白い。


人の幸せな話を聞いて、

よかったね とは思うけど、

全然面白くない。

だからきっと自分の幸せな話を思い出しても、

面白くないんだと思う。


これって、

悪い事なのかな。

人の不幸話が面白いなんて

酷い人間のような気もする。

でもそれを、

「今となっては笑えるんだ」

と思えることに意義があるのか?


知り合いのブログを読んでると、

幸せが零れ落ちているのが分かる。

こんなに毎日幸せなのかー

とか思う。

あんまりにも幸せそうだと、

だんだんイラっとしてくる。

たぶんこれは悪い事。

でもイラッとしてしまう。

だからもう見ないぞ!

って思う。

けどまた見ちゃう。

「また今日も幸せそうじゃーん・・・」

とか思う。

もう絶対見ない!

って決める。

けどまた見る。


そのうち本人に会う日が来て話していると、

意外とちらほら不幸な事もあったんだと知る。

あのブログをまるっと信じてヤキモキしてた自分が

バカバカしくなる。


ブログってなんなんだ。

こんなの嘘っぱちやん。


と、時々思う。