妄想トレイン -14ページ目

妄想トレイン

科学では説明しきれない人間の無限の欲望を惜しみなくさらけ出す赤裸々ブログを、こっそり始めました。

次男発熱。

久しぶりに保育園から呼び出しがあった。

珍しくハアハアとしんどそうにしている息子が可哀想で、

ホッペにスリスリ。

今朝、若干喉がイタイ・・・。

そういえば私の方が免疫弱かったのよね。

養命酒、たっぷり飲むとしよう。



今日は溜まっていた子供達の成長日記を仕上げた。

去年の年末分から手を付けていなかったから、

結構大変だった。

2人分だし。

家計簿も溜まってる。お金は貯まらないのに・・・。


私にとって家計簿って、

意味あるのだろうか。

だいたい毎月必要で使う額はほぼ決まっている。

物欲もそんなにないから派手な浪費はしない。

予定を狂わせるものは、

冠婚葬祭、

車検、

税金、

病院代、

旦那の残業が著しく少ない

そういったもの。

でもこれってやっぱり必要経費であって

どうにもならない。


どんなに頑張って家計簿をつけても、

結局いつも毎月若干の赤字。

貯まる喜びもないし、

「ああ、お金が無い・・・」

という現実だけを思い知らされる。


この年になると、

全然余裕ないのに、

冠婚葬祭に見栄を張らなきゃいけないし。

四十過ぎてコレ?

ってことになっちゃうからなぁ。

年をとればとる程、

身の丈ランクなんて関係なくなっちゃう。

年を取るって大変だわ。


見栄と欲望と本能と常識と反抗心と疲労で、

脳みそが沸騰しそうだ。

いや、その熱エネルギーすら湧いてこない。












今夜は息子たちが姉の家にお泊まり。

さっきスカイプしたら、

ものごっつ楽しそうな様子ムンムン。


いい。

それでいい。

それでいいのだ。

私が求めているのはこういう事。


「全然寂しそうじゃないや~ん」

と嘆くフリをして、

ちっとも悲しくない。

彼らが、

無条件に親の傍に居る事を求める人間でない事が、

親に執着している人間にはなっていないという事が、

ひじょーーーに嬉しい。

親の私と居るよりも、

優しい伯母さんの元に居る事の方が楽しいと、

ハッキリと認識している事はとても大切なことだと思う。


親は子供にとって悪者でいいと思う。

うるさくて、鬱陶しくて、面倒くさい存在でありたいと思う。

「あー、こんな家出て早く自由になりてぇー!」

とエロ本をベッドの下に突っ込む息子になって欲しい。




それにしても旦那と全く分かり合えない。

話が全くかみ合わない。

向こうもそう思ってるんだろうけど。

あと17年、我慢するしかないな。

車検があと八回来る頃には、

私も自由になれてるかな。

途中で新車買ったら七回目くらいか。


なげぇな。



昨日、お酒を飲んで良い気分になって、

ネット上のチャットの部屋に行ってみた。


時々、こういうことをしたくなる。


昨日は宇宙について会話をする部屋に入った。

けど、誰も宇宙の話をしてはいなかった。

宇宙の事についてコメントしたら、

トンチンカンな反応が帰って来る。

それはすごく短縮された言葉なのか、

はたまたネット上の言語かは分からないけど、

私の言葉に対しての返答になっていないのは確か。


そして突然訳の分からない文章を連ねる人が居たり。

けど、だれもそれについては触れない。

私が、「どういう意味ですか?」と反応すると。

「無視でおけー」

とか

(笑)

とか

そんな感じで会話が進む。


パソコンの向こう側にはきっと、

実際にはごく普通に生活している普通の人達が居る筈だ。

知り合いに出会ったら「おはよう」とか言って、

お腹がすいたらレストランで「Bランチください。」とか

多分言っている筈だ。

私がそのレストランの店員だとして、

「コーヒーは食後でよろしいですか?」

と聞けば、

「あ、先にください」

などと答えてくれると思う。


なのに、ネット上で出会ってしまうと、

彼らとの会話が成り立っている気がしない。

日々の生活で「無視でおけー」なんて言って来る人を見た事はない。

でもネット上ではほとんどの人が批判的な言葉を発し、

当り前のように他人を見下す。


十年ぶりくらいに久しぶりにチャットなんてしたけれど、

同じ印象だった。

「あ~、やっぱりこういう世界なんだなあ」

と実感して身震いするのが、

実は少し気持ちイイ。


昔、秋元康が言っていた。

「時々、嫌いな人に会いたくなるんです。

久しぶりに会ってみて、

『あー、やっぱりコイツ嫌いだなあ』

って思うのが好きなんです。」


そんな感じ。





また歯医者を替えた。


初めはなんとか誤魔化していた不信感が

抑えられなくなってしまった。

その後は吹き零れて行くように不満が溢れだし、

「なんでこんな歯医者がいいと思ってたんだろう!」

と自分にまでも不信感をつのらせる。


今度の歯医者はいいと思う。


・・・と先週までは思っていた。

けど・・・・・・・。


私の人生って、結局こういうことなのだ。

何にしたって、結局こういう道を辿りながら生きている。

だから二回も結婚するんだよな。

我ながら情けない。


何か一つをずーーーっと好きだったことは一度も無い。

何かしらの理由をつけてこれが好きだと信じ込み、

何かしらの理由を捏ねて嫌いになったのは自分のせいじゃないと結論付ける。


それを時には時代のせいにして、年齢のせいにして、老化のせいにして、

己の成長のせいにする。


改めて思うが、我と言う人間はなんとも愚かだ。

こんな人間が育児をしていいのか。

のうのうと生きていていいのか。


そうやって死にたい理由をも何かしら理屈をこねる辺り、

ホントしょーもない。





自分の考えようで、

この世は天国にも地獄にもなる。


旦那と友達に戻って、それを実感した。


だから、

それ以外の事もきっと同じだと思う。


仕事が暇で落ち込む事もできるが、

今のうちにのんびりしようと思う事も出来る。

子供が気が弱くて将来を案じる事も出来るが、

今将来の事考えてどうなる?と思う事も出来る。

持病を抱えている事が辛くても、

そのうち死んだら解放されると思う事も出来る。


結局、

楽しく生きようと思えば、

簡単にできる。


でも、

いじめられている子供は、

明日を期待することは出来ないかもしれない。


私も多少のいじめは経験がある。

あの時は確かに辛かったような気もする。

親に言うとか先生に言うとか、

そんな風にまでは考え付かなかったけれど、

「学校であの子に会いたくない」

とは常に思ってた。


私は大人になったから、

もうないかもしれないけど、

息子達には在り得る話。

やっぱり心配になる。

今から心配しても仕方ないけど、

常に気を付けていてやりたい。


ただ、

今の私に出来ることは、

いじめられて、

「死んでしまおう」

という思考回路に進まない子に育てることくらいだろう。


明日はきっとある

この先にきっと違う未来がある


そういう事を教え続けることくらいしかない。


そうするにはどうすればいいか。


”物事は解決出来る”

という姿を彼らに見せるしかない。

私が問題にぶつかった時、

あらゆる手段で回避する姿を生々しく見せる。

大人の手口を包み隠さず見せて行くことかなあ、

とか思う。


これから家族に降りかかる問題を、

子供に秘密にすることなく、

共に生きる。

そして共に学ぶ。


これからの社会は、

大人の世界がますます筒抜けになってしまうだろう。

下手に子供を騙したりすると、

余計にややこしくなる気がする。


尊敬される親になりたいとか、

威厳のある親になりたいとか、

そんなものは通用しない。


それならもういっそ正直に、

親も人間なんだと、

不器用ながら必死に戦っている姿を見てもらうしかない。


とんだ世の中になってしまった。


柔道の選手が監督を訴えるなんて、

悲し過ぎる。

そこに愛があったのかなんて私には分からないけど、

あの無数のフラッシュの中で、

瞬きもせず謝罪をする彼のつぶらな瞳に、

私は愛があったと思えてならない。


暴力


聞こえは悪いけど、

私は幼い頃に姉にはつられて、

我に返った覚えがある。

叩かれなければ気がつかない時もある。

時として、

人間の感情はとどまる事を知らない。

そんな時、

言葉じゃ止められないことも多々ある。

殴られて、叩かれて、

やっと目が覚める瞬間ってあると思う。

弱気になっている時、

怒りが治まらない時、

恐怖に怯えている時、

体に衝撃を与えられてやっと元の自分を取り戻せる時ってある。


たぶん医学的に研究したら、

そういうのが証明されるんじゃないかと思うんだけど、

絶対あると思う。


ただ、

これには叩く側と叩かれる側の、

暗黙の絶妙なタイミングがあると思う。

信頼関係であり、価値観であり、

世代における常識的なモノもあり、

ものすごくグレーゾーンが広い。

食い違うと、たちまち厄介なことになる。


生きにくい世の中になった。

私はどっちかっていうと古いしきたり寄りの考え。

だから、

この先ますます反感を買いながら生きるしかないだろう。

スマホも使いたくないし、

合格発表をネットでなんか見たくない。


でも考えようによっては、

楽しくなるはずだ。

今はまだ思い付かないけど、

辛くなったら考えてみよう。

楽しくなる方法を。

子供と一緒に。









またまた歯医者。

今日は辛かった。

久しぶりに麻酔とかした。


でも、目を瞑ってたから良く分からなかったけど、

私の知っている麻酔とちょっと違う気がした。

「ウィ~~ン・・・・」

って機械音がする気がした。

どうなってたんだろう?


すごい気になったけど、

ずっと瞑っている目を今更開けたら、

痛いと思われても何だし、

先生と目が合っても何だし、

勇気を振り絞って開けた割に見えなかったら何だし、

で、

結局見なかった。


その後の治療も、ずっと気になる機械音がいろいろした。

私の聞いたこと無い機械音。


しばらく行かないうちに、

歯医者も進化しとるな。


二時間半くらいかかって、

肩が凝った。


やっぱり歯医者は嫌だなあ。


しかも、歯周病の特殊な治療することになった。

私って、なんでこうも持病が多いのか。

普通のそれとは違うらしい。


自負治療になるから良く考えてって言われても、

やるしかないだろう。


歯をゴリゴリ削られながら考えた。

ちょっと高いけど、

金って回さないと、回ってこないもんなってことで、

気持ちが決まった。

全然お金無いけど、

ローンも組めるっていうし、

やってみるか。


先生、ちょっとタイプだし。


っていうか、

タイプじゃないけど、

先生だからカッコいく見えるだけだけど。


松田聖子みたいに高級歯科医と結婚したら、

タダでやってもらえるのかな?


用が済んだら、サヨウナラ。


怖い怖い。




まだ60半ばの母の弟。

退職後から、急激に年を取った。

今じゃ母よりも断然お爺ちゃんになってしまった。


これからは好きなように生きると言って

毎日昼間から酒を飲み、タバコをふかし、

「三年で死ぬ。」

と断言していた。


結局、無事に三年は過ぎたけれど、

今にも死にそうに見える。


母が心配するので、

私が時々弟の家に連れて行く。

やせ細って顔はやつれ、

やっぱり今にも倒れそうな・・・折れてしまいそうな雰囲気。


「おおー、いらっしゃい。」

の声に、

「まだ生きてたね、よかったね。」

と母と安堵する。


「ここ数日調子が悪くてなぁ。外にも随分行ってないよ。」

と言いながら、ウィスキーを飲む。

水も入れず、氷も入れず、

なんか湯呑みたいなやつで飲む。

「タバコも調子が悪いと美味くないなぁ。」

と言いながら、次々に火を付ける。

何日間ここでこうやって座っているんだろう。


「食欲も無いから、今はコレが一番いい。」

と見せてくれたのは、

栄養補強のドリンク。

「これで生きてるようなもんだ。」

と三種類のそれをテーブルに並べた。


帰り道、母と話した。

「まだ生きる意思はあるみたいね。」

「よかったね。」


母の弟は、どこに向かっているんだろう。




目がかゆい。

ただでさえ、小じわの多い目の周り、

余計しょぼしょぼになって嫌になる。


目の中から糸みたいなのがズルズル出る。

取っても取っても出て来る。

ビローンとなって、

それが取れるとちょっとスッキリする。

でもまたゴロゴロしだす。

そんでまた目の中に指を入れてズルっと取る。


ああ、気持ち悪い文章。

気持ち悪い私の目。



閃いた事があったので書いてみる。


子供を産んでしばらくすると、

少しずつ躾を始める親は多いと思う。

「ちゃんと座って食べなさい」

とか

「おもちゃを投げてはいけません」

とか。

子供が成長するごとにそれは増えていく。


そもそも子供に躾をするのは、

世の中で人様に迷惑をかけず生きて行って欲しいから。

道を外すこと無く、平和に幸せに生きて行って欲しいから。


私の場合はこういった根拠の元にある。


それでも多少道を外しながら成長する子供は少なくない。

多少なら、のちに笑い話にすることもできる。

しかし、シャレにならない外し方をする子供もいる。


どうしてだろう?


車を運転しながら思い付いた。


子供達は、人間的にダメな親に育てられたとしても、

たぶんグレない。

ダメな人間のくせに偉そうに説教してくる親に育てられると、

グレるんじゃないだろうか。


こないだドキュメンタリーな番組をテレビで観ていて思った。

そこに映し出されるのは100%ダメな母親。

しかし子供達はそんな母を支えながら傍から離れないのだ。

カメラに向かって

「お母さんは頑張っているんだ。」

と涙ながらに語るのだ。


一体どういうことなのか?とすごく疑問だった。


でもそう言われてみれば時々、

こういったダメ親の傍で悟りを開いたかの如く、

献身的に生きる子供達を見たり聞いたりしたことがある。


場末のホステスの子供として生まれ、

母親は酒に溺れ、父親は浮気ばかり、

貧乏で学費さえ払えない状況でも道を外さない子もいれば、

反対に、

医者や弁護士の子供として生まれ、

お金もあり地位と名誉のある親元で育っても道を外す子はいる。


環境っていうものは、ほとんど関係ないんじゃないか。


パブロフの犬の如く理屈抜きで親に従っていた子供が、

成長するとともに、親の言葉に矛盾を感じ始める。

いつしか、「この人は親だけど間違っている」と気付く。

そんな人間から、今までと同じように上からモノを言われると、

反抗心が生まれる。

「お金は大事にしなさい」と言いながら、

狂ったようにバッグを買い漁る母親。

「差別をしてはいけない」と言いながら、

「あの友達とは関わりを持つな」という父親。

そういう矛盾が重なって許せなくなった時、

子供は反抗心から道を外すのではないかと思う。


酒に溺れ、女に狂い、働きもしない親だとしても、

「もうこんな毎日嫌だ。死にたい!」

と叫ぶ母だったり、

「バカヤロー!二度と帰ってこねーぞ!」

と暴れる父であれば、

子供からそれを見た時、

彼らの言っている事とやっている事に矛盾を感じない。

こんな親たちは多分、

「お金を大事にしなさい」とか「差別をしてはいけない」とか、

絶対言わないと思う。

子供はこんな親を見ながら、

「お金を大事にしよう」とか「人には優しくしよう」とか、

自ら学んで行くことになるからこそ、

彼らは道を外さないんじゃないかと。


ということはつまり、躾などしても意味がないということか。

子供にグレて欲しくなければ、

親が必死に子供の歩く道を作るのではなく、

自分の歩く道を自分で作って、

ひたすらそこを歩いていればいいのだ。

そこには絶対に矛盾が生まれない。

親に矛盾を感じなければ、

子供に反抗心は芽生えない。

ゆえに、道を外す事もなくなるというわけだ。


マイ方程式の出来あがり!








歯医者通いは続く。

毎回少しずつの治療、

しかも患者が多くて次の予約は大抵三週間後。

銀歯も取れたままで、調子が悪いままだ。


先生の治療方針に任せるつもりだけど、

こうも食事がとりにくいと支障が出る。


まず、食事が苦痛になる。

一日三度も苦痛だと、機嫌も悪くなる。

機嫌が悪いと子供達に優しくなれない。

そういう自分が嫌になる。

そんな事を考えているとお腹がすく。

食事を摂るが食べにくい。

食事が苦痛になる。


これをもう二ヶ月ほど続けている。

ストレスで胃の調子も悪い。


早くどうにかならないものか。

と願っても、三週間後は三週間後にしか来ない。


完治を目指して歯の治療を続けて、

完治した次の日に死んだら、

私は正直笑えない。


いや遺体が歯抜けじゃないだけいいのかもしれない。

でも遺体を燃やしたら、

銀歯とか差し歯がいっぱい出て来るのかな。

ペースメーカーとか、

頭蓋骨を止めたボルトとか、

人工関節とか、

医療が進み時代が進化するほどに

遺体からいろいろなものが出て来る様になるだろうな。


「すみません、こちらは”燃えない遺体”の方に持って行ってください。」

とか言われたりして。