妄想トレイン -10ページ目

妄想トレイン

科学では説明しきれない人間の無限の欲望を惜しみなくさらけ出す赤裸々ブログを、こっそり始めました。

中指に大きな血豆ができた。

昨日、ベランダへの窓を開ける時に

思いっきり挟んだら、

みるみる血が滲んで来て、

数時間後には小豆くらいの大きさの

赤黒い血豆になった。


っていうかこれはまさに小豆。



まだできたてホヤホヤだから、

何かするごとに

この血豆が目の端に入り、


「あ、なんか付いた!」


って、

しょう油とかチョコが付いちゃった!みたいに

指をこすり、


「・・・そっか血豆だ」


って気付く。



こするとちょっと鈍痛がして、

気分が下がる。


潰さない方がいいらしいから、

潰れないように気を付けるけど

つい忘れて、

何か触れた時にまた軽い鈍痛がして、

気分が下がる。

指を挟んだドジな自分を思い出して

気分が下がる。



事故ってのは、

悪意もないのに起きる。


数秒前まで全く予想もしてないから、

すっごい驚くし、ショックだし、

痛みが伴うこともあるし、

その後の処置も厄介だし、

諸々含めて、

この上なく気分が下がる。



でもきっと

誰も悪くない。

だから、不意に悪い事がふりかかってくると、


”神様のイタズラ”


とかいって、

とりあえず

自分にはどうにもならないモノのせいにしたり


”きっと何か意味があるのよ”


ってポジティブに変換したりして

何も悪いことしてないのに不運の降りかかった自分を

なんとか納得させようとしてみる。



それでもやっぱり

気分は下がらなくとも

上がらない。



血豆くらいならいいけど、

立ち直れないくらい不運が降りかかるのが怖い。


どんなにボランティアに貢献しても、

美しい心で過ごしていても、

やっぱり不運は降りかかるんだろうなあ。


そんな理不尽にも思える不運を時々浴びながら

生きて行くのはなんだかなァ。

長生きすればするほど、

そうやって自分を誤魔化していかなきゃならない。


”長生きすることは良い事だ”

みたいに世間では考えられているけど、

長生きする事って

そんなに良い事なのかな。


長生きしたら

そんなに幸せなのかな。


「そのお年でお元気ですねぇ!すごいわ!」


って褒められて

ちょと嬉しいってことくらいしか

メリットがない気がする。

みんなに気を遣われて、

時には邪魔もの扱いされて、


「あれはなかなか死なないわよ」


とか陰で言われたりするのを

聴こえないふりしてる老人も多いんじゃないかな。


そんな長生きは、

悲し過ぎるし、辛すぎる。



けど、

健康に気を遣うのは、

元気で生きていたいからって気持ちだから

最近分かり始めた。


中途半端に病気でも

生きて行かなくてはならない。

税金払って

保険料払って

住む家を確保し続けて

そんで生きてるからお腹もすくし

なんか食べなきゃならない。


だから元気に働かなきゃいけない。

働かなくてもいいとしても、

すーっと具合悪くてベッドで寝ているだけの人生も嫌だし。




生きることの大変さって、

死ぬまで生きなきゃいけないってことかもしれない。


見えないゴールに向かい続けるのは、

結構しんどい。

だから死ぬまで

この血豆のようなサプライズが

私に刺激を与えてくれているのか?



よく考えたら、

この血豆がぽろっと取れたりしたとき、

私はちょっと嬉しいかもしれない。

そんでちょっとその血豆を

爪で挟んだりしてながら弄んで、

楽しむかもしれない。

血豆ができてなかったら、

そんな喜びもなかったかも。



ってことは、このくらいの不運なら、

ま、いいか。










長男の連絡帳に

先生からメッセージがあった。


『ピンポンダッシュをして遊んだようです』


その文字を見て、


「う!う!う!うちの子に限って!!!」



って言葉が浮かばなかったと言ったら

ウソになる。



真相は今も分からぬままだけど、

どうやら公園で一緒になる上級生が

一年生の一人に

「ボタンを押せ」

と言って押させたところで、

「逃げろ!」

ってなったらしいとかそんな感じらしい。




まだ一年生になったばかりの子たちは、

”ピンポンダッシュ”

という行為の意味すら分かっていなかったとは思う。


現に息子に尋ねてみたら、

そういう事実は確かにあったようだったけど

悪びれた様子もない。




しかしまあ、

さっそくこういう日が来たのか!


と謎の高揚感が襲ってくることには

気づかないふりをして、


「どうしてそういうことしたの?!

いけないことだってわかるよね?!」


とドラマの母親役を演じるかのごとく

言ってみた。



言ってはみたけど、

妙な違和感がある。


本人は

「バレた!」

って顔をするわけでもなく、

どっちかっていうと

キョトン・・・

としている。



でもめげずに私は続けた。



「ピンポンってなったのに、

玄関を開けたらみんなが逃げて行ったら

どんな気持ちになる?

嫌だよね?悲しいよね?」



何かわからんが怒られてることは感じたらしく、

顔を歪めとりあえず頷く息子。


「そんなこと絶対にもうしちゃダメだよ?

他の子がしようとしたら『ダメだよ』って止めないといけないよ?

わかるでしょ?」



何かわからんが結構怒られていることに気付き

泣きながらとりあえず頷く息子。



勢いづいて次に思わず出そうになった言葉は、



『これからはもうそんなお友達と遊んじゃダメ!』




さすがに誤魔化し続けていた違和感が

誤魔化しきれなくなった。


ちょっと違うなぁ・・・



とさすがに思った。




ちょっとこの事は一旦保留にして、

とりあえず連絡カードに



『大変申し訳ありません。

本人には「いけないことだ」としっかりと伝えました。

相手の方にもくれぐれもそのようにお伝えください。

大変ご迷惑をおかけしました。』



とネットから引っ張り上げてきたような謝罪文を書いた。




なんで怒られたのか、

ただ逃げろと言われて逃げた自分が

どのくらい悪いことをしたのか、

今も息子はあんまり分かっていないと思う。

むしろもう忘れているだろう。


けれど親として

同じことが繰り返されるのは困る。



だって私がまた先生に怒られちゃうし、

その人に謝らなくちゃいけないし。


でも、今の時点で、

息子に悪気はなかったわけで、

言ってみれば巻き込まれた感じだし、

反省しているわけでもないし、


これ以上説明するのも難しい。



じゃあアタシャどうすりゃいいの?


息子に悪気があれば、

きっとその理由があるだろうし、

何か原因があるだろうし、

じっくり話を聞いてみるとか、

謝らなくてならないと思っているのなら

一緒に謝りに行ったり

何かしらできるけど、


今の時点では”キョトンボーイ”である彼に

何を言っても

この問題の問題だった点は理解できない。



だから結構悩んだ。


いろんな人に言ってみたけど、

言われた人も

「難しいよねぇ・・・」

って言うしかない。




しばらくたって

忘れかけたころに

ネタ話的に

親友に話してみた。



「これからの対処法が

まだ私の中で確立してしないんだよね。

伝え方が分からないっていうか、

どう説明して”これは悪い事だよ”って教えたらいいのか

全然分からない。

当の本人は悪いと思ってないし。

この先また同じことが起きたら

今度はどうしようかなぁ。」




なんて言ってみると、

彼女はしばらく黙り込んだあと私にこう言った。



「小さい時ってさ、

親が嫌なことはしちゃいけないって思ってなかった?

高学年くらいになれば、わざと反発したりするけど、

小さい時は、とにかく親が喜ぶと嬉しくなかった?

親に褒められたくなかった?」



確かにそうだった。



「小学校低学年くらいまでは

事の善悪の判別とか、空気読むとか

まだできないでしょ。

だから理由は分からないけど、

とにかく親から言われた通りにするでしょ?

しなきゃ怒られるしお母さんが嫌がるから。

でもその親が、実は間違ってる場合もあるよね。

そこに気付き始めるのが高学年くらいかなあ。」



確かに高学年頃になると、

親の言うことが信用できなかったり、

納得できなかったりし始めた。



「だから、今はまだ

世の中の常識的な考えを説明するとか、

人に迷惑をかけることだってことを

ちゃんとした言葉で教えるとかじゃなくて、


『お母さん、そういうことする人キライだな』


って言えば、


『え?お母さんが嫌ならやめとこう』


って素直に思うとおもう。


たとえ自分の感覚が正しいのかどうか分からなくても、

親として困っているんだとしたら、

子どもに親の価値観を押し付けていいんじゃない?」



なるほど・・・・・・




「まあ、もう少し大きくなって、

本人個人の意思や意見がはっきりとしてきたら、

それでは絶対にダメだけどね。」




なるほど・・・・・・






なるほど!!!!!


ありがとう!友よ!









フィファフィファフィファフィファうるさいよ。


毎日イライラする。



テレビをつけるのが嫌になる。



みんなこの上なく楽しそうだけど、

あれは

現代版の世界戦争みたいなもんだ。


誰も死なないからいいけど、

国と国の戦争を、

みんなで盛り上がってテレビ観戦しているのと

同じだ。



世界平和とか言ってるくせに、

戦争はいけないことだとか言ってるくせに、


人間の魂の奥底には、

あの国に負けたくないとか

あの国をギャフンと言わせたいとか

世界一の国になりたいとか

そういう気持ちが

無意識のうちに

結局根強くあるんだろうな。



オリンピックとかそういうのも

国旗を背中にしょって戦っているけど、

サッカーほどエグイ感じはない。

「日本人なので、日本代表で出ます」

って感じがする。

だから、選手個人個人を尊重するし、

それがたとえ他の国の選手であっても、

素直に心から応援できる状況にある。



けど、

サッカーのあの国民の熱狂ぶりには

毎回背筋がぞっとする。


まさに国と国の戦い。

もし他の国を応援しようものなら、

非国民と言わんばかりの脅迫感がある。



スケートの真央ちゃんが

大失敗したとして、

その後のインタビューに答えなかったら

誰が文句を言うだろうか。

きっと誰もが、

そっと見守ってあげようって思う。



なのに

サッカーとなると、

『なんで負けたんだ!理由を言え!』

とばかりに責め立てる。


普段は彼らをそう気にもせず眺めているだけのくせに

こういう時にだけ知ったかぶりをして

偉そうに憤慨している。


勝てば選手以上に天下をとったかの如く騒ぎ、

負ければこの国の終わりの如く選手以上に落胆する。



もう訳が分からない。



勝ってどうなる?

負けてどうなる?



スポーツ観戦は、

「楽しかったね」

で終われば十分だと思う。


選手は明日からの自分と向き合わなくてはならないけど、

観ているアンタたちは


「楽しませてくれてありがとう」



それだけでいいじゃないか。

それだけであるべきだ。


いや、私たちには

それしかやる権利はない。



普段何の関係もない、

何の努力もしていない、

何の苦しみも味わっていない

ただその日にテレビで観ているだけの観戦者が、

選手たちにどうこう言う権利なんか

あるわけない。




よくスポーツ選手が


「応援してくださっているみなさまのおかげです」


って言うけど、

アレ本当にそう思っているんだろうか。


絶対思ってないよね?

思ってたら本当に気の毒だ。



もっと固定して言うべきだ。


「いつも応援してくださっている60名くらいのみなさまのお陰です」


って言わなきゃ、

バカが勘違いする。







今日のブログ、


すっごいたくさん書いてたのに、




一瞬で消えた。




思わず息が止まった。



ブログなんて、

書いても書かなくても

どうでもいいものなのに、


なんだこの脱力感と喪失感。


限りなく無駄な行為に思えるけど、

私のとってのブログの存在について

ふと立ち止まることができたからいいとしよう。




相変わらずの排卵痛な感じ。

今ならもれなくいつでも妊娠出来る気がする。



昔から、

自分はすごく妊娠しやすいと感じていた。

何の根拠もないが

いろんなオジサンたちから

「お前のケツは安産のケツだ」

とよく言われていた。


それに洗脳されたわけではないけど、

自分でもやっぱり安産な気がしていた。




結婚する気も子どもを産む気も全くなかったころは、

妊娠するのが異常に怖かった。

だから

絶対に絶対に絶対に避妊していた。

それがたとえ酔っていても、

その時のムードに押された勢いであっても、

せっかくのムードが台無しになっても、

それでも絶対だった。



絶対大丈夫なのに、

何度も想像妊娠して、妊娠検査薬も何度も使った。



なんであんなに妊娠するのが怖かったのか、

今もよく分からない。



けど、

結婚して、

子どもをつくることになって

二か月後には妊娠していた。

そして見事なまでの安産だった。



若い頃のあの恐怖感は、

やっぱり当たっていた。

動物的な勘なのか。




そもそも、できちゃった結婚する人って

どういうつもりなんだろう。


できちゃってもたいして困らないから

出来ちゃうようなことするのだろうか。


それとも

できちゃってスゲーびっくりしてるけど

とりあえず結婚して出産するんだろうか?



私はできない。

できちゃった結婚は絶対できない。


相手だって

「本当にオレの子?」

とか思ってるかもしれないとか思っちゃうし、

浮気されたときに問い詰めたら、

「お前なんか愛してねーよ!

できちゃったから仕方なく結婚したんだよ!」

って言われたら

もう何も答えられない。


そんなことを想像したら、

安らかな妊婦じゃいられない。

安らかな母ではいられない。

安らかな妻ではいられない。


出来ちゃったのは

女だけの責任じゃないけど、

『責任』はやっぱり女の方にズンと重くのしかかる。

自分のお腹の中に確実に存在するのだから。


それと引き換えに、

女が自分に向かって

「できちゃった」

って言って来たら、

男はそれに応えるしかない。

男はその子が自分の子なのか、

100パーセント信じる事は出来ないかもしれないのに。



だから結婚する時点では、平等でいたい。

二人で家庭を築き上げていくと

約束した後がいい。

たとえその後に生まれた子が

旦那の子でないとしても、

そんなことをする妻を選んだ責任も

既に男は抱えているのだ。





ずっとそう思っていた。




けど、

最近思う事がある。




結婚してから、

さあ子どもをつくるぞと二人で決め、

自分の排卵日を調べて

「えー、今月はここの三日間よろしくお願いします。」

と、夫に伝え、


「では始めます。」

的に五分くらいで行為を済ませて、

「私、しばらく腰上げときますので、お先にシャワーどうぞ。」

という三日間を過ごした自分を思い返すと、


何も間違ってはいないけど、

何かが違う気がする。


そこに二人の愛があったのかと問われれば、



「・・・・・・・・」


ってな気持ちになる。



できちゃった結婚の人は、


もうなんか二人が盛り上がって愛し合って絡み合って、

そんで

『ウオーーっ!!!』

って互いに絶頂を迎えたその時に

新しい命が芽生えているはずだ。

そこには愛し合った記憶がきっとある。





どっちがいいんだろう。



まあ、動物的なのは前者かな。

万年発情期のはずの人間が、

発情の時期に合わせて子孫を繁栄しているし。




できちゃった結婚の人の方が

人間らしいって、

何か納得いかないけど。




まあいいか。













排卵痛で、ここ数日右下腹が痛い。

旦那のiPadで、


『排卵痛』

『生理』

『妊娠に気づかない』


とか意味深な言葉もおまけに付けて検索してやった。


まあ、妊娠してたとしたら

100パーセント旦那ではないことは

本人が百も承知だ。

ひゃっひゃっひゃ。



下腹が重いと、

気分も重い。

子宮が痛いのか、

腸が痛いのか、

膀胱が痛いのかも

よく分からないけど。



自分のなんとなく体調が悪い時、

原因究明することは

絶対にしない。


中途半端に病院にいけば、

きっとそうどうでもないのに、

薬を出される。

だって医者は、

薬を出さなくてはならない。


あとから大事が起きた時、

「あの医者はヤブだ。何の処置もしなかった。」

なんて言われたら困るから。


ちょっと自分の症状について質問しただけで、

また一つ、また一つと、

どんどん薬が増えていく。



医者と患者は、

まるでイタチごっこだ。

近年のその関係は、

むしろ敵同士にも思える。



後々にもめ事が起きないように患者の様子を伺い、

その頭脳をふんだんに利用して完璧な根回しをする医者。


医者の腕や態度の粗を捜しながら、

医者の発した言葉を一語一句聞き逃さず、

結果が出なければ、

「先生があの時そう言ったではないか!」と

脅迫とも思える勢いで責め立てる。


そうならないように、

医者は言葉を上手く濁す。


濁せば患者は家に帰ってインターネットで調べまくる。

調べまくって医者からのはっきりとした病名を要求する。


医者はそれにのらず、

医療機器に頼り、その機械に責任を押し付けるがごとく、

十分な診察はしたのだという証拠を残す。




お互いの腹を探り合いながら、

そんなことを繰り返す。


そこに信頼が生まれることはない。





だから私はなるべく病院に行かない。

冷や汗が出てくるほど状態が悪くなるまで、行かない。



診察室で、何かこちらが発すれば発するほどに、

医者がその頭の中で、

この病院の評判が下がらぬよう、問題が起きぬよう、

そして利益が上がるよう、

作戦を練っている気がしてならないから。


私と向き合い、

私を助けようと思ってくれているとは、

到底思えない。


パソコンの電子カルテだけを見つめ、

私に触れようともしない内科医に中途半端に診てもらうより、

究極に悪くなって、外科医に処置してもらう方が

絶対にいい。




親戚に医者がいれば一番いい。


そういえば昔、

この辺りでは有名な学園の理事長さんが病気になり、

その人ならどんな有名な大きな病院にでも入れるくらいのはずなのに、

結局は自分の遠い親戚の小さな病院で最期を迎えた。


あの時は、

どうしてそう評判もいい訳でもない

ごく普通の小さな病院に移ったのだろうかと疑問だった。


でも今思えば、

もう人生残り少ない死にかけの自分から、

高額の医療を提供し続けて吸い取れるだけ金を吸い取るような大病院で過ごすよりも、

血のつながった信頼できる医者のいる場所で、

安らかな気持ちで最期を過ごしたかったのかもしれない。



発展しすぎたこの時代、

全てがこんな風になってきている気がする。


けど、これも進化だ。

結局は人類が通るべき道。


最近、

「家で死にたい」

って言う老人の気持ちが少しわかる。


病院にいると、

誰のために何のために生きているのか分からなくなりそうだ。

咳をすれば看護師が飛んで来て、

鼻から管をズルズル入れて痰を取られる。

心臓が止まりかければ医者が飛んで来て胸をガシガシ押し始める。


もう何もせんでくれよ・・・


そう思っても、

言葉にする力もない。






誰も悪くない。


でも、何かが間違ってる。












パソコンってーやつは、

突然変な動きになるから困る。


昨日までなんの問題もなかったのに、

突然思った通りに動かなくなる。



ネットで検索して、

あれやこれややってみて、

解決したときの達成感も

実はそんなに悪くないが、

よくよく考えてみると

その問題は

私の生活に特に支障のない事だったりして、

出来なきゃ出来ないでどうでもいい事だったりして、

そんなんに必死こいて時間と労力を使っていたと思うと、

結局、腹が立ってくる。


かと言って、

私にとって私の時間は、

そんなに大事なものなのかと問われれば、

どうせテレビを観るか居眠りするか、

もしくは旦那の悪口をブログに書くか、

そんなことに使われる。


それなら頭の勉強だと思って、

難問を解くつもりで必死にパソコンと格闘するっていうのは

無駄ともいえない。



けれど何のために頭の勉強をするのかと考えてみれば、

脳の老化を少しでも回復させるためにするのだろうか?

認知症にならないように?





人生とは限りなく無駄の連続だ。



『健康に生きる為なら死んでもいい』



そんな感じで生きている人って多い気がする。






もうすぐ嫌な時期に突入する。


私は旦那が睡眠もそこそこに夜中に起きて

テレビでスポーツ観戦するのが嫌いだ。


点が入っただの、入れられただので

一喜一憂して

「よっしゃー!」とか

「くそー!」とか

声を上げている。

勝てば歓喜して興奮し、

負ければ憤慨して興奮する。


あれは、

一種のオナニーなんじゃないか。

旦那は寝る間も惜しんで、

とにかく興奮したいのだ。


純粋にこのチームが好きとか、

この選手が好きだから応援するんじゃなくて、

自分を興奮させてくれるチームや選手を選んでいるんじゃないかと思う。


だってチームの監督が替わろうが、

選手が替わろうが、

それでも応援するのだから。

地元愛のある人なら

地元のチームが勝つのが一番興奮するだろう。


人はみな、

身内を自慢したい欲求を持っている。

血っていうのはそういうもんだ。血は汚い。

同じ日本人という血が流れている彼らが勝てば、

より興奮できる。

興奮したいのだ。



人には理性が備わっているから、

人目も気にせず思いのままに興奮することはなかなか恥ずかしくて出来ない。

だから堂々と興奮できる理由が欲しいのだ。


そう考えれば、

スポーツ観戦は

なんとも健全で丁度いい。

ひどく都合がいい。



人間というやつは

本当に厄介な動物だな。



またまた海へ行った。

あまり天気もよくなくて

ちょっと肌寒いというのに、

それでも海へ飛び込んでいく長男。


鳥肌を立て、

口をガクガクさせながら満面の笑みで


「全然寒くねぇ!」


と叫ぶ。


こういった男子の大ウソは、

女子には永遠に理解できない。




そんな長男を横目に、

次男と、特別参加の旦那が、

のんびりおにぎりを食べていたら、

旦那の食べかけのおにぎりを

トンビが奪っていった。


普段からのらりくらりした人間だなと思っていたけど、

まさか手に持った食べかけのおにぎりを

よそ見している隙にあんなデカイ鳥に奪われるなんて。



「気付いたらおにぎりが手から消えていた」


と、えらく感動している。



人間ていう動物は、

ただ脳が進化しただけで、

こんなにも感覚の鈍い生き物なのだろうか。

狙われてる気配とか、迫りくる危機感とかってもんを

そんなにも感じないものなんだろうか。

それとも、

私がとりあえずは永遠のパートナーとして選んだ、

この男だけがそうなのだろうか。



日頃から常々、友人達に

我が夫の鈍さやウスノロ加減を訴えてきたが、

有難い事に、

また一つ、表現のしやすいエピソードが生まれた。




けど、その後、

大空を気持ちよさそうに旋回するトンビを眺めながら


「さっきのおにぎり、もち米だけど大丈夫かな・・・」


と心配そうに呟いた。


っていうエピソードは、

株が上がりそうだから誰にも言わない。













年に数回ある、アパートの水槽掃除。

これにより、毎回午前中が断水になる。


ここに住んで7年目。

これは本当に苦痛だ。


住宅の水槽がキレイになるのは構わんが、

こう度々断水されては、


「この村では、お水が届かなくなる事は度々あります。

だからこうやってお水を溜めておくんです。ええ、とても困ります。」


って旅番組で答えている、秘境に住むアフリカ人に

共感を覚えるくらいだ。



何日か前から、

断水の告知が突然アパートの壁に赤い字で張り出される。


・・・またもこの日が来たか・・・。


と顔を歪める。



今はまだいいが、

赤子を育てている時は本当に大変だった。


いつウンコをちびり、

いつゲロを吐くか予測のつかない赤子相手に、

水道から水が出ない程困ることはない。

雑巾も手も洗えないじゃないか。


この私だって、

午前中の3時間トイレにも行けない。

行けない時ほど人っていう生き物は便意をもよおすもんだ。


かと言って、

赤子抱えてどこかに避難するのもまた大事だし。

断水の間、お水を必要としないように

ドキドキしながらやり過ごすしかないのだ。


前日から風呂に水など溜めてはみるが、

風呂に明日の断水用に水を溜めていることに、

うっすらとした恐怖感が芽生える。

明日、地球に大事が起きるような、そんな錯覚に陥る。




もう本当にいい加減にしてほしい。

管理が行き届き過ぎじゃないのか、このアパートは。



そんなこんなで、

私は、断水の間外出することにした。


今朝は息子を保育園に送ってから

朝7時から開いているホームセンターへ行った。

気付けば思わぬいろいろなものを買っていた。


10時になって、次は古着屋へ。

気付けば思わぬいろいろなものを買っていた。




オイこらっ!!!不動産屋めっ!!!

いらん無駄遣いしちゃったじゃないか!!!




断水の日はどうやったっていいことは一つもない。
















昨日、雨の中、

長男の友達6人が

突然ドドドーッと我が家にやってきた。


「ねえねえ! 家で遊んでいい?!」



ダメにきまっとるやないか。

こんな狭いアパートに、

お前ら何人で来とんねん!


おそらく、この人数の多さに

どこの家にも断られたのだろう。



いやはや、うかつにも

まだ対処法を考えていなかった。



梅雨に突入したこの時期、

こいつらは『公園』というパラダイスを失うのだった。


そして私たち大人も、

「子どもは元気に外で遊びよ!」

という最強のセリフを失うのだ。



このまま突きかえすのもしのびない。


しかし受け入れる勇気もない。




ただ有難い事に、

次男の保育園へお迎えの時刻が迫っていた。


それを理由に今回は丁重にお断りしたが、

明日からの対処法に悩む。



それにしたって6人って・・・。



もっと少数でこんかい!



そうだ。


「あんたたち、3チーム位に分かれたら、受け入れ先がおのおのきっと見つかるよ」

と、アドバイスしてやろうか。


うちだって、

二人くらいなら受け入れる気になれるし、

大人数より、より良い待遇でおもてなしされる可能性だってある。



今度来たら、

そう助言してやろう。



そうしよう。