中指に大きな血豆ができた。
昨日、ベランダへの窓を開ける時に
思いっきり挟んだら、
みるみる血が滲んで来て、
数時間後には小豆くらいの大きさの
赤黒い血豆になった。
っていうかこれはまさに小豆。
まだできたてホヤホヤだから、
何かするごとに
この血豆が目の端に入り、
「あ、なんか付いた!」
って、
しょう油とかチョコが付いちゃった!みたいに
指をこすり、
「・・・そっか血豆だ」
って気付く。
こするとちょっと鈍痛がして、
気分が下がる。
潰さない方がいいらしいから、
潰れないように気を付けるけど
つい忘れて、
何か触れた時にまた軽い鈍痛がして、
気分が下がる。
指を挟んだドジな自分を思い出して
気分が下がる。
事故ってのは、
悪意もないのに起きる。
数秒前まで全く予想もしてないから、
すっごい驚くし、ショックだし、
痛みが伴うこともあるし、
その後の処置も厄介だし、
諸々含めて、
この上なく気分が下がる。
でもきっと
誰も悪くない。
だから、不意に悪い事がふりかかってくると、
”神様のイタズラ”
とかいって、
とりあえず
自分にはどうにもならないモノのせいにしたり
”きっと何か意味があるのよ”
ってポジティブに変換したりして
何も悪いことしてないのに不運の降りかかった自分を
なんとか納得させようとしてみる。
それでもやっぱり
気分は下がらなくとも
上がらない。
血豆くらいならいいけど、
立ち直れないくらい不運が降りかかるのが怖い。
どんなにボランティアに貢献しても、
美しい心で過ごしていても、
やっぱり不運は降りかかるんだろうなあ。
そんな理不尽にも思える不運を時々浴びながら
生きて行くのはなんだかなァ。
長生きすればするほど、
そうやって自分を誤魔化していかなきゃならない。
”長生きすることは良い事だ”
みたいに世間では考えられているけど、
長生きする事って
そんなに良い事なのかな。
長生きしたら
そんなに幸せなのかな。
「そのお年でお元気ですねぇ!すごいわ!」
って褒められて
ちょと嬉しいってことくらいしか
メリットがない気がする。
みんなに気を遣われて、
時には邪魔もの扱いされて、
「あれはなかなか死なないわよ」
とか陰で言われたりするのを
聴こえないふりしてる老人も多いんじゃないかな。
そんな長生きは、
悲し過ぎるし、辛すぎる。
けど、
健康に気を遣うのは、
元気で生きていたいからって気持ちだから
最近分かり始めた。
中途半端に病気でも
生きて行かなくてはならない。
税金払って
保険料払って
住む家を確保し続けて
そんで生きてるからお腹もすくし
なんか食べなきゃならない。
だから元気に働かなきゃいけない。
働かなくてもいいとしても、
すーっと具合悪くてベッドで寝ているだけの人生も嫌だし。
生きることの大変さって、
死ぬまで生きなきゃいけないってことかもしれない。
見えないゴールに向かい続けるのは、
結構しんどい。
だから死ぬまで
この血豆のようなサプライズが
私に刺激を与えてくれているのか?
よく考えたら、
この血豆がぽろっと取れたりしたとき、
私はちょっと嬉しいかもしれない。
そんでちょっとその血豆を
爪で挟んだりしてながら弄んで、
楽しむかもしれない。
血豆ができてなかったら、
そんな喜びもなかったかも。
ってことは、このくらいの不運なら、
ま、いいか。