「変わること」って大変だわ
新しい学年が始まり、新たに加わった学部を含めて順調に滑り出せたようでホッとしている。とは言うものの、何とかならないかというイラダツこともあり、前例踏襲のままで実は何事もないように順調なように見えるだけなのかもしれない。
新しい学部の宣伝のための取り組みにイラダチの一例をあげることができる。新学部の宣伝に一定の予算を計上してあるが、具体的な取り組みの計画が前もってきちんと決まっていて使い道も確定しているわけではない。これは、家計の予算から国の予算レベルまで同様で、将来の具体的な計画の前に概算で予算は計上される。新学部のための催しは、昨年度は外注で大手の広告会社にお願いした。数千万のお金が必要であった。効果はあったように希望的観測に基づいて評価しがちだが、その広告効果は厳密には検証できない。大手企画会社とは別な計画を実施しての比較検討が出来ないためである。時間を巻き戻せないのだから仕方がない。昨年の広告会社のポスターは話題になったのは事実であり、社内の年間コンペで上位に入ったというが、どこまで学生募集に効果があったかの検討は出来ない(実際、コピーの文章は新鮮と担当者は評価したが、あの程度のものは担当者で考えつくべきだという声もないわけではなかった)。
毎年のように広告企画会社を儲けさせるのも癪なので、低予算で考えようという雰囲気が醸し出されていたので、自分たちで計画してほしいとアイディアの例をあげ希望を指示したら、そのアイディアを実施することになってしまった。落語家を招いての落語とコミュニケーションがらみのトークショウという、学内での催しである。それでも準備することはいっぱいあり、担当者らは思いつくことは試みてはくれた。内容は充実しており、参加者の満足度は高いと思えたが、120人ほどの集客で期待した300人規模とはならなかった(400人ぐらい集めねばという指示であったので小声で報告することになった)。
予算は少なく済んだが、なぜ集客に問題を残したのかを考えてみた。外注してこの種の催しをするのに比べて事務職員も教員たちも、自我関与が弱かったように思える。今迄、自分たちが計画や準備に関わらずに済んでいたことに新しい仕事(負荷)が加わるのだから、能動的に自分の課題に取り込んでという風にはいかなかったのであろう。前年を踏襲して外注すれば、自分らの負荷は少なく、結果への責任も感じずに済むわけである。コストを安くできたところで物理的報酬があるわけでもないのだから、当然の人間心理ということで説明がつく。当日は催しの時間帯に重なって学科ごとのイベントが計画されていたのは承知していたので、それらは適宜縮小して催しへの参加をと学部長にはお願いしてはいたが、それぞれ以前から準備してあった計画を変えるというわけにはいかなかったことも、集客での見込みの違いでもあった。以前より準備したことを変更するといろいろとその後の計画に支障がでて、新たな負荷が掛かるのであろう。小回りを効かせて、臨機応変にという訳にはいかないことなのかもしれない。
大学祭には、例年どおりにかなりの予算が組まれている。学生団体が計画することにはなっているが、学生の諸活動支援の部署がガイダンスしているのが実態で、4-50年前の大学でのように、学生団体に資金を与えて自主的運営に任せるというようにはなっていない(世間にはそういう大学もあろうが)。3組ほどの無名に近いレベル芸人を呼ぶだけで 大手の芸能プロダクションに数百万のお金を持って行かれているようなので、集客できる新しい工夫をしてはどうかと(たとえば、ストリートミュージシャンには10~30人くらいのファンが付いているだろうから、それらを10組ほど呼べば100万で済むのではないか)指示と間違われないように囁いたりするのだが、今年も昨年同様になりそうである。
「変わること」、「変えること」には多大なエネルギーが必要で、それをさけるために前例踏襲ということになるのだろう。人間とはそういう特性を持つということかも知れない。しかし、敢えて変化に挑まねばじりじりと低落していく可能性の方が高いと思うのだが。
このようなイラダチをブログに書いて発散しているうちはよいが、そのうち前頭葉の抑制機能が効かなくなり、直接口にするようになり、周りに嫌われる前に引退せねばと自分に言い聞かせている。
このように,「変わること」には多大のエネルギーがいるのに、消費税は来年4月に10%にしますと「断言」したことを覆したことに何の反省も、国民に許しを乞うこともせず、平然と「新しい判断をした」と「変われる」アベという人は人間離れして、平均的な心理特性を持たない人なのだろう。
国会での質疑を見ると、口頭試問であれば、「論理的にモノを考えるようにと意見を付け、質問への回答になっていないので不可」の成績となるケースが多すぎるように思え、イラダチは自分の勤め先だけに留まらなくなる。参議院選挙は近いのです。
新しい学部の宣伝のための取り組みにイラダチの一例をあげることができる。新学部の宣伝に一定の予算を計上してあるが、具体的な取り組みの計画が前もってきちんと決まっていて使い道も確定しているわけではない。これは、家計の予算から国の予算レベルまで同様で、将来の具体的な計画の前に概算で予算は計上される。新学部のための催しは、昨年度は外注で大手の広告会社にお願いした。数千万のお金が必要であった。効果はあったように希望的観測に基づいて評価しがちだが、その広告効果は厳密には検証できない。大手企画会社とは別な計画を実施しての比較検討が出来ないためである。時間を巻き戻せないのだから仕方がない。昨年の広告会社のポスターは話題になったのは事実であり、社内の年間コンペで上位に入ったというが、どこまで学生募集に効果があったかの検討は出来ない(実際、コピーの文章は新鮮と担当者は評価したが、あの程度のものは担当者で考えつくべきだという声もないわけではなかった)。
毎年のように広告企画会社を儲けさせるのも癪なので、低予算で考えようという雰囲気が醸し出されていたので、自分たちで計画してほしいとアイディアの例をあげ希望を指示したら、そのアイディアを実施することになってしまった。落語家を招いての落語とコミュニケーションがらみのトークショウという、学内での催しである。それでも準備することはいっぱいあり、担当者らは思いつくことは試みてはくれた。内容は充実しており、参加者の満足度は高いと思えたが、120人ほどの集客で期待した300人規模とはならなかった(400人ぐらい集めねばという指示であったので小声で報告することになった)。
予算は少なく済んだが、なぜ集客に問題を残したのかを考えてみた。外注してこの種の催しをするのに比べて事務職員も教員たちも、自我関与が弱かったように思える。今迄、自分たちが計画や準備に関わらずに済んでいたことに新しい仕事(負荷)が加わるのだから、能動的に自分の課題に取り込んでという風にはいかなかったのであろう。前年を踏襲して外注すれば、自分らの負荷は少なく、結果への責任も感じずに済むわけである。コストを安くできたところで物理的報酬があるわけでもないのだから、当然の人間心理ということで説明がつく。当日は催しの時間帯に重なって学科ごとのイベントが計画されていたのは承知していたので、それらは適宜縮小して催しへの参加をと学部長にはお願いしてはいたが、それぞれ以前から準備してあった計画を変えるというわけにはいかなかったことも、集客での見込みの違いでもあった。以前より準備したことを変更するといろいろとその後の計画に支障がでて、新たな負荷が掛かるのであろう。小回りを効かせて、臨機応変にという訳にはいかないことなのかもしれない。
大学祭には、例年どおりにかなりの予算が組まれている。学生団体が計画することにはなっているが、学生の諸活動支援の部署がガイダンスしているのが実態で、4-50年前の大学でのように、学生団体に資金を与えて自主的運営に任せるというようにはなっていない(世間にはそういう大学もあろうが)。3組ほどの無名に近いレベル芸人を呼ぶだけで 大手の芸能プロダクションに数百万のお金を持って行かれているようなので、集客できる新しい工夫をしてはどうかと(たとえば、ストリートミュージシャンには10~30人くらいのファンが付いているだろうから、それらを10組ほど呼べば100万で済むのではないか)指示と間違われないように囁いたりするのだが、今年も昨年同様になりそうである。
「変わること」、「変えること」には多大なエネルギーが必要で、それをさけるために前例踏襲ということになるのだろう。人間とはそういう特性を持つということかも知れない。しかし、敢えて変化に挑まねばじりじりと低落していく可能性の方が高いと思うのだが。
このようなイラダチをブログに書いて発散しているうちはよいが、そのうち前頭葉の抑制機能が効かなくなり、直接口にするようになり、周りに嫌われる前に引退せねばと自分に言い聞かせている。
このように,「変わること」には多大のエネルギーがいるのに、消費税は来年4月に10%にしますと「断言」したことを覆したことに何の反省も、国民に許しを乞うこともせず、平然と「新しい判断をした」と「変われる」アベという人は人間離れして、平均的な心理特性を持たない人なのだろう。
国会での質疑を見ると、口頭試問であれば、「論理的にモノを考えるようにと意見を付け、質問への回答になっていないので不可」の成績となるケースが多すぎるように思え、イラダチは自分の勤め先だけに留まらなくなる。参議院選挙は近いのです。
「しんどいなあ」
黄金週間を、年休を挟むことで12日も休んだことで、心身ともにすっかり仕事を辞めた老人になってしまったようである。5日間ほどは少し書き物の校正などをしたぐらいで、あまり動かず、食べてときに散歩し、ときにテレビをみて過ごした。時間は特別に何かしなくても過ぎて行くものであることを体感していた。
動きたくない気持ちのようなものがうつうつと溜まり出したのだが、「Life is not finding yourself but life is to creating yourself (人生は自分探しをすることではなく、自分自身を創り上げることだ)」といったアイルランドの作家のことを思い出した(うろ覚えなので怪しいのだけど)。これは身体が動くうちに記憶をたくさん作れという意味だろうと自己流に思い直して、息子夫婦とドライブに出かけた。おかげで、著名な銘酒「久保田」と「八海山」と「水芭蕉」の醸造元を訪問し、利き酒を楽しむ時間が持てた。
新潟県の南魚沼郡にある醸造所が売り出している前2つの銘酒は全国的に有名で,酒飲みは誰もが知っている(はず)ので、自慢できるネタ(記憶)が増やせた。
僕は「出羽桜」、「ばくれん」、「楯の川」、「くどき上手」など山形の酒をフルーティで美味いと、頼まれもしないのに周囲に宣伝している。洗脳され山形の酒をケースで爆買いしている人もいるので、山形県から褒められてもよい(小原庄助さんのように、酒で身上をつぶすことはないクラスのお金持ちだし、その人も美味いと思ったからに違いないのだ)。
今回訪れた場所では利き酒の味にそれほど感動しなかったのだが、購入して帰ったものを自宅で飲んでみると、美味いと思わず叫びたくなることはないのに、いつの間にか飲み進んでしまっている。「空気のような味わいの酒」が新潟の酒だと決め付けることにした。
休み明けには台湾へ出張した。休み明けということもあって、台南の成功大学への出張はなかなか疲労を伴うものであった。昼に大阪を出て、直行便で台南空港をへて4時半頃にホテルに入り2時間後に宴会。翌日は朝から1日会議で夜は7時から宴会。翌朝は準備されていた遠足に時間の都合で参加できずに、キャンパスを散歩したのち新幹線で台北に出て、関空に21時半頃到着というスケジュールであった。帰路は電車の事故、乗客の喧嘩騒ぎなどで遅れて24時前に帰宅という塩梅であった。疲れたためか、参加すると言わなければと後悔の念が環状線の動かない電車の中では浮かびかけたが、動かないと記憶は作れないのだ、と自分に言い聞かせたことである。
成功大学への訪問は3度目である。キャンパスの中庭にある、大学のシンボル、ガジュマルの大樹は、昭和天皇が皇太子の時代に植樹したものであることを教えてもらった。生命保険のテレビコマーシャルで見た、大きく四方に枝を広げ野原に鎮座する大樹に似ていると以前の訪問で感じたことを思いだした。今回再訪してガジュマルの大樹に植樹の由来のダグがついたので、この先の記憶検索は容易になるはずである。
大学中庭のこのガジュマルの大樹を見るだけでも、台湾に行く人は台南まで足を運ぶ値打ちがある。美味く表現できないが見事な枝振りの大木で、おもわずオーと声が出るはずである。ただし、5月は台南ではもう夏の気候なので、4月までに時期がお勧めである。
帰国の翌日は同窓会地方総会にノーベル賞研究者と知人が来るので梅田にでかけた。講演はそれなりに面白かった。若くしてノーベル賞をもらうとこの先大変だろうという思いも湧いたが、もたらされる巨額の研究資金の使い道への構想が語られ、研究者としてのモノが違うのかもしれないと思った。
昨年夏、テルアビヴ空港の待合室に忘れた夏用の黒い帽子(ちょうど空港を標的にしたミサイルでの空襲のために3時間ほど待たされ、やっとゲートに入ることができて機内で座るときに気付いたのだが、迷惑を考えて断念したのだ)の代わりを帰路、大丸で買うことができた。面倒でも梅田に出て来てよかった、やはり面倒がらずに動かねばと自分に言い聞かせたことである。
休みのせいで老人のメンタリティを獲得してしまったためかもしれないが、「面倒だなあ」
「しんどうなあ」という内なる声に逆らって、Creating myselfの道はまだ当分続けねば、と自らを鼓舞しようとしているのであります。
ここ迄書いて、イスラエルに行ったのは一昨年だったと気づいた。実は加齢にともない記憶が失われていくから、次々記憶を創作し続けて行くべきなのかもしれません。
動きたくない気持ちのようなものがうつうつと溜まり出したのだが、「Life is not finding yourself but life is to creating yourself (人生は自分探しをすることではなく、自分自身を創り上げることだ)」といったアイルランドの作家のことを思い出した(うろ覚えなので怪しいのだけど)。これは身体が動くうちに記憶をたくさん作れという意味だろうと自己流に思い直して、息子夫婦とドライブに出かけた。おかげで、著名な銘酒「久保田」と「八海山」と「水芭蕉」の醸造元を訪問し、利き酒を楽しむ時間が持てた。
新潟県の南魚沼郡にある醸造所が売り出している前2つの銘酒は全国的に有名で,酒飲みは誰もが知っている(はず)ので、自慢できるネタ(記憶)が増やせた。
僕は「出羽桜」、「ばくれん」、「楯の川」、「くどき上手」など山形の酒をフルーティで美味いと、頼まれもしないのに周囲に宣伝している。洗脳され山形の酒をケースで爆買いしている人もいるので、山形県から褒められてもよい(小原庄助さんのように、酒で身上をつぶすことはないクラスのお金持ちだし、その人も美味いと思ったからに違いないのだ)。
今回訪れた場所では利き酒の味にそれほど感動しなかったのだが、購入して帰ったものを自宅で飲んでみると、美味いと思わず叫びたくなることはないのに、いつの間にか飲み進んでしまっている。「空気のような味わいの酒」が新潟の酒だと決め付けることにした。
休み明けには台湾へ出張した。休み明けということもあって、台南の成功大学への出張はなかなか疲労を伴うものであった。昼に大阪を出て、直行便で台南空港をへて4時半頃にホテルに入り2時間後に宴会。翌日は朝から1日会議で夜は7時から宴会。翌朝は準備されていた遠足に時間の都合で参加できずに、キャンパスを散歩したのち新幹線で台北に出て、関空に21時半頃到着というスケジュールであった。帰路は電車の事故、乗客の喧嘩騒ぎなどで遅れて24時前に帰宅という塩梅であった。疲れたためか、参加すると言わなければと後悔の念が環状線の動かない電車の中では浮かびかけたが、動かないと記憶は作れないのだ、と自分に言い聞かせたことである。
成功大学への訪問は3度目である。キャンパスの中庭にある、大学のシンボル、ガジュマルの大樹は、昭和天皇が皇太子の時代に植樹したものであることを教えてもらった。生命保険のテレビコマーシャルで見た、大きく四方に枝を広げ野原に鎮座する大樹に似ていると以前の訪問で感じたことを思いだした。今回再訪してガジュマルの大樹に植樹の由来のダグがついたので、この先の記憶検索は容易になるはずである。
大学中庭のこのガジュマルの大樹を見るだけでも、台湾に行く人は台南まで足を運ぶ値打ちがある。美味く表現できないが見事な枝振りの大木で、おもわずオーと声が出るはずである。ただし、5月は台南ではもう夏の気候なので、4月までに時期がお勧めである。
帰国の翌日は同窓会地方総会にノーベル賞研究者と知人が来るので梅田にでかけた。講演はそれなりに面白かった。若くしてノーベル賞をもらうとこの先大変だろうという思いも湧いたが、もたらされる巨額の研究資金の使い道への構想が語られ、研究者としてのモノが違うのかもしれないと思った。
昨年夏、テルアビヴ空港の待合室に忘れた夏用の黒い帽子(ちょうど空港を標的にしたミサイルでの空襲のために3時間ほど待たされ、やっとゲートに入ることができて機内で座るときに気付いたのだが、迷惑を考えて断念したのだ)の代わりを帰路、大丸で買うことができた。面倒でも梅田に出て来てよかった、やはり面倒がらずに動かねばと自分に言い聞かせたことである。
休みのせいで老人のメンタリティを獲得してしまったためかもしれないが、「面倒だなあ」
「しんどうなあ」という内なる声に逆らって、Creating myselfの道はまだ当分続けねば、と自らを鼓舞しようとしているのであります。
ここ迄書いて、イスラエルに行ったのは一昨年だったと気づいた。実は加齢にともない記憶が失われていくから、次々記憶を創作し続けて行くべきなのかもしれません。
発達課題と黄金週間
4月は入学式、教員研修、幹部合宿など盛りだくさんの行事があったので、時間の進み方は遅い感じがした。3月末日まで入学辞退が可能なので(それまでは授業料を返さなくてはならないのです)、最終の確定入学者数が気になっていた。7名ほどの辞退はあったものの、なんとか定員を充足できた。中小の私立大学では半数が定員を割っているので、定員未充足組に今年も入らずに済んだので、安堵したことである。28年度入試は学部を改組、増設して110名の定員増に改組したので心配であり、ホッとしたことである。およそ1.5億円の増収(教員を増加しているのを考慮しても)が4年間ということになるので、この調子を持続できれば、生き残れるかもしれない。
最近はすぐこのような計算が頭をよぎるようになり、中小企業の管理職見たい、と内言が浮かび上がるので、我ながら面白くはない(増収になるといって、特別に報酬がもたらされる一般企業とはシステムが違うので、何もしなくても良いのだが)。
どうも、僕はある状況に置かれると、頑張ってしまう習性が芽を出すようである。何度も反対や、反発に遭遇しても、突っ走って改組に取り組んできた3年間なのだが、なぜ頑張ってしまうのかと訝しく思うことも少なくない。もっとも、この習性は根っからの金持ちで、優雅に育つ場合には発揮されないのであり、自分はそうではないことが理由ではないかとも思う。
「売り家と唐様で書く、3代目」という人間の習性は昔から、知られたことではある。周辺の事情には無頓着で、自分の趣味や関心事に集中できるのは、本当に育ちの良い人の持つ習性かもしれない。我が大学の教員の育ちも良い人が多いのかしら、などと考えることは止めておく。
そんなことを考えつつ4月に入ったので、黄金週間は働かないことにした。連休の合間の5月2日は毎週行う執行部会議を休会、5月6日は年休をとることにして10日間の休みとした。このような長い休日は思い返しても初めてである。
仕事を離れて如何に過ごすかは、実は間近に迫っている僕の発達課題なのである。今年も4月の終わり頃になると、大学に勤めていた友人たちから退職の連絡が幾人かから届いた。最近は私学でも70歳までの雇用は少なくなっているので、その年齢にも届いたというわけである。近々、「もう、用済みです」という年齢になるのは必定であり、長い10日間をその練習にと考えて、現在実行中である。
読書をすることは、安易に思いつきはするが、これまでもやっていることで格別新しい試みではない。読書も1時間も連続しては持たないようになってしまっていることに気づく。最近は、視力の衰えもあるので、これから先読書で時間を過ごすということも容易ではないかもしれない(白内障の手術をすれば、まだまだいける、という声も聞こえるが)。連休中に読もうと衝動的に取り寄せた「やる気の分子生物学」という類の洋書は7000円もしたのに、寄せ集めの論文集であることがわかり、一気に意欲が萎えてしまった。僕の学生時代に流行った、マグーン先生の上行性毛様体賦活系のシステムを、ノルアドレナリンを主とした神経伝達物質の流れで再評価する内容のようである。どうも暇になっても読書三昧でという目論見は棚上げになりそうである。
料理という試みもしている。一昨日は芹の新鮮なのが1束120円と安かったので、粥を作った。自分の才能を確信できた味であった。サトウのご飯で作ったので、簡単である。お好み焼きを前日作ったので、余った桜えびとヒラタケのかけらがお粥の中身で、お世辞かもしれないが、家内からの評価も高かった。数少ない例だが、料理は才能がありそうで、これは使える。
運動も計画にできるはずで、朝と夕方と1時間ほど散歩をしている。まだ、膝に痛みが生じることはないので、ありがたい。
テレビを見ることにも時間を配分しているが、面白くはない。ドラマも、野球中継にも集中力を持続できない。チャンネル・サーフィンをして、電源を切る、の繰り返しである。番組を作成する側の問題もあるかもしれないが、多分に自分の集中力の低下(興味関心時の減少、身体機能の低下が原因だろう)、嘘臭さへの猜疑心の蓄積、スマホゲームの推奨ばかりの安直なコマーシャル、などの理由で持続してテレビを見続けることができないことに改めて気づいた。テレビを見て時間を過ごす方策は向かないようである。ただ、スマホゲームのように、目まぐるしく変化させ、視力の消耗を要しない、囲碁将棋などを学ぶことは選択肢にあるかも知れないと気づいたことである。
以上のように、仕事を離れてどう過ごすかの発達課題の処方箋はまだ明確には浮かんでこない。一世代前であれば、仕事を離れる年齢の人間の仕事は孫の世話であり、一緒に過ごすことで日常生活でのしつけや遊び方など、幼児教育への直接・間接的な関わりであったと思うのだが、今日ではそのようなことは困難となってしまっている。家族全員が協力して働かねばならなかった時代から産業構造が変化したことが、今日の「会社の都合で用無し」にされる高齢者に、暇になった時間をどう過ごすのかという発達課題をもたらしたわけで、誰かを恨むことも難しいが、物質的な豊かさを希求したことの産物で、豊かさを享受した手前、受け入れるしかない。
長い休日は、近々取り組まねばならない発達課題の困難さを確認するだけの時間になりそうである。
最近はすぐこのような計算が頭をよぎるようになり、中小企業の管理職見たい、と内言が浮かび上がるので、我ながら面白くはない(増収になるといって、特別に報酬がもたらされる一般企業とはシステムが違うので、何もしなくても良いのだが)。
どうも、僕はある状況に置かれると、頑張ってしまう習性が芽を出すようである。何度も反対や、反発に遭遇しても、突っ走って改組に取り組んできた3年間なのだが、なぜ頑張ってしまうのかと訝しく思うことも少なくない。もっとも、この習性は根っからの金持ちで、優雅に育つ場合には発揮されないのであり、自分はそうではないことが理由ではないかとも思う。
「売り家と唐様で書く、3代目」という人間の習性は昔から、知られたことではある。周辺の事情には無頓着で、自分の趣味や関心事に集中できるのは、本当に育ちの良い人の持つ習性かもしれない。我が大学の教員の育ちも良い人が多いのかしら、などと考えることは止めておく。
そんなことを考えつつ4月に入ったので、黄金週間は働かないことにした。連休の合間の5月2日は毎週行う執行部会議を休会、5月6日は年休をとることにして10日間の休みとした。このような長い休日は思い返しても初めてである。
仕事を離れて如何に過ごすかは、実は間近に迫っている僕の発達課題なのである。今年も4月の終わり頃になると、大学に勤めていた友人たちから退職の連絡が幾人かから届いた。最近は私学でも70歳までの雇用は少なくなっているので、その年齢にも届いたというわけである。近々、「もう、用済みです」という年齢になるのは必定であり、長い10日間をその練習にと考えて、現在実行中である。
読書をすることは、安易に思いつきはするが、これまでもやっていることで格別新しい試みではない。読書も1時間も連続しては持たないようになってしまっていることに気づく。最近は、視力の衰えもあるので、これから先読書で時間を過ごすということも容易ではないかもしれない(白内障の手術をすれば、まだまだいける、という声も聞こえるが)。連休中に読もうと衝動的に取り寄せた「やる気の分子生物学」という類の洋書は7000円もしたのに、寄せ集めの論文集であることがわかり、一気に意欲が萎えてしまった。僕の学生時代に流行った、マグーン先生の上行性毛様体賦活系のシステムを、ノルアドレナリンを主とした神経伝達物質の流れで再評価する内容のようである。どうも暇になっても読書三昧でという目論見は棚上げになりそうである。
料理という試みもしている。一昨日は芹の新鮮なのが1束120円と安かったので、粥を作った。自分の才能を確信できた味であった。サトウのご飯で作ったので、簡単である。お好み焼きを前日作ったので、余った桜えびとヒラタケのかけらがお粥の中身で、お世辞かもしれないが、家内からの評価も高かった。数少ない例だが、料理は才能がありそうで、これは使える。
運動も計画にできるはずで、朝と夕方と1時間ほど散歩をしている。まだ、膝に痛みが生じることはないので、ありがたい。
テレビを見ることにも時間を配分しているが、面白くはない。ドラマも、野球中継にも集中力を持続できない。チャンネル・サーフィンをして、電源を切る、の繰り返しである。番組を作成する側の問題もあるかもしれないが、多分に自分の集中力の低下(興味関心時の減少、身体機能の低下が原因だろう)、嘘臭さへの猜疑心の蓄積、スマホゲームの推奨ばかりの安直なコマーシャル、などの理由で持続してテレビを見続けることができないことに改めて気づいた。テレビを見て時間を過ごす方策は向かないようである。ただ、スマホゲームのように、目まぐるしく変化させ、視力の消耗を要しない、囲碁将棋などを学ぶことは選択肢にあるかも知れないと気づいたことである。
以上のように、仕事を離れてどう過ごすかの発達課題の処方箋はまだ明確には浮かんでこない。一世代前であれば、仕事を離れる年齢の人間の仕事は孫の世話であり、一緒に過ごすことで日常生活でのしつけや遊び方など、幼児教育への直接・間接的な関わりであったと思うのだが、今日ではそのようなことは困難となってしまっている。家族全員が協力して働かねばならなかった時代から産業構造が変化したことが、今日の「会社の都合で用無し」にされる高齢者に、暇になった時間をどう過ごすのかという発達課題をもたらしたわけで、誰かを恨むことも難しいが、物質的な豊かさを希求したことの産物で、豊かさを享受した手前、受け入れるしかない。
長い休日は、近々取り組まねばならない発達課題の困難さを確認するだけの時間になりそうである。
しなやかだった人たちを偲ぶ
先回、「しなやかでしたたかな」な人であれと卒業式辞で述べることを書いた。その後で3名の友人の訃報に接することとなった。卒業式の朝、英国の友人Jim Robinsonの死を奥さんが知らせてきた。式辞を読んで、彼こそ「しなやかでしたたかな」な人であったと思うことしきりである。
この一月ほどの間に訃報が届いた後藤容子さん、岩崎純子さん、Jimの3人は私の「しなやかな」の定義にそっくり当てはまる人であった。そのうち私の記憶も怪しくなるはずなので、今の内に3名のことを記録しておこう。電子媒体での記録は消えないのでその点うれしい。ただ、認知機能に障害がで始めれば、果たして読んで懐かしく思えるかは不明である(情動の鈍化は最後とは思うけど)。
後藤容子さんは大学での2年後輩で、和歌山大学をへて甲南女子大で臨床心理学の教授を務めた人である。賀状が届かないなと訝しんでいたところ、妹さんから1月に癌でなくなったという手紙をいただいた。後輩の訃報は悲しい。「しなやか」という語にぴったりの容貌で、「あの色白の細い、綺麗な人」という表現を彼女が話題になるときにされるのが常であった。本人は「3人姉妹の真ん中で私が一番見かけも性格のも悪い」と言っていたが、神戸育ちの都会的な上品な感じを保ちながら、いつもニコニコ恥ずかしげにゆっくり話すのであった。大学紛争の頃であり、政治の話をよくした。後に偶然同じホテルに泊まっていることが分かり、内線電話で2時間あまり長電話した記憶がある。彼女の縁談についてであったと覚えている。卒業後、私がいた「中神経心理クリニック」に紹介したが、数ヶ月勤務したのち甲南女子大に助手として務めるようになった。大野晋一先生が移籍されたことに伴ってのことである。その後、甲南女子大に移籍した先輩の先生から、「彼女はなかなか言うことをきかん。退職するよう先輩の君から言ってくれ」と数回言われた覚えがある(もちろん、彼女には伝えはしなかったが)。芯が強く教授とぶつかることがあったのかも知れないが、私との間でそんなことが話題になることはなかった。彼女は助手をしながら博士課程に進んで博士号を取った。学会や同窓会などでたまに会うと、「ハッタさん、東京へ日帰り出張をしたらダメですよ」と決まって諭してくれるのであった。神戸商船大の学長であったお父さんが出張先で亡くなられたことでの示唆であったと思う。この教えは守れていない。そのうち、後悔するかも知れない。
岩崎純子さんは大教大で一緒に助手をした人で、同い年であったが彼女が先任助手であった。卒業生であったので教室の事情に詳しくずいぶん助けてもらった。いつも笑顏で話す人で僕の当番でも教室会議に必要な巨大なヤカンに代わりにお茶を沸かすなど手際よく働く人であった(薄暗い、倉庫の一角に机を並べて、16人がお茶を飲みつつ紫煙の漂う中で、長時間の教室会議は行われていた)。テニスも彼女に教えてもらい昼休みは学生を交えて汗を流したこと思い出す。着任2年目に保健管理センターができることになり、教室主任は僕に移籍するように言ってきた。ラテラリティの実験が面白くなり始めていた私は断ることにした。当然、教授ともめた。私は臨床心理学の教員として公募採用されたので、教授の言い分はおかしくないのだが、「講師に昇任できる」、「このあと5年は昇進の機会はないよ」というセリフに反発し、言葉を荒げてのやりとりがあった。私が渋るので、新規採用することは可能であったのだが、岩崎さんが保健管理センターに移ることとなった。発達心理学を専攻していた彼女が私の身代わりになった訳である。しかし、その後も以前と変わらず笑顔で私に接してくれる人であった。岩崎さんは最終的には臨床心理学を専門とする教授になったが、不本意ではなかったかという気持ちを拭えずに来た。いつか、確かめたいと思っていたが叶わないままとなった。私が実験心理学できちんと仕事をするというモチベーションの一つであることを記しておく。
Jimは錯視など視知覚の研究で日本でも知られた人で、東大の大山正先生など多くの友人がいる。私の留学先の教室のメンバーで、専門は違うのに本当によくしていただいた。私の先生は早逝されたのだが、その代わりとでもいうように、1977年から今日まで親戚の叔父さんのように親切にしてもらった。何度彼の家に泊まったか知れない(彼も私の家に2度滞在した)。
彼の家は、私たちが外国の家をイメージする、その典型的なもので(現実はもちろん異なるのだが)、数多くの部屋、暖炉、広い食卓、趣味の部屋(楽器演奏用)、リンゴの木が何本も育つ広い芝の庭、温室があるので、教室員の中では一番大きな家であった。クリスマス・パーティはいつも彼の家で行われていた。
Jimから学んだことは数え切れない。私は英国かぶれで、ウンチクめいたことを傾けることがある。ウイスキーの飲み方、選び方、地ビールの探し方、などなど、たいていは彼からの受け売りである。彼はいつも背筋を伸ばして、ゆっくり、穏やかに話す人で、ジェントルマンのプロトタイプと言えよう。今まで、多くの外国人に出会ってきたが、彼のような穏やかに優しげに立ち振る舞いする人はほとんどいない。
記憶は次々とよみがえるが、彼の人となりを明示する代表的なエピソードを記す。1977年9月、前日に引っ越したHeath Park傍の借家から夜中に汽車に乗り、家族を迎えにヒースロー空港に行った。疲れている家内と2歳半、2ヶ月の息子たちと昼頃にCardiffの駅に降り立ったところ、Jimの奥さんLizが出迎えてくれていた。もちろん頼んでいない。Jimが配慮してくれたのである。新しい家に我々を送り届けるとLizは「今夜はBlack outだから」と一箱のろうそくとマッチ手渡して帰って行ったのである。Black outが停電という意味であることを知らなかった我々は、この配慮のおかげで、ロウソクの明かりの下で赤ん坊のかぶれ始めているお尻を洗うことができ、安堵した夜のことを鮮明に覚えている。Jimはこのように見知らぬ外国人(当時、私は初めてきた日本人研究者であった)にも、想像力を働かせて心配りをする人であった。後に、何人もの外国人研究者が我が家に来た。私は彼らに倣い対応することをした。対人関係の有り様を、Way of Lifeを彼から教えてもらったのである。
Lizから連絡があり、病気だというので、3年前に彼をちょっと見舞った。元気そうであったが記憶に障害が見られ、Lizは、「タケシが来るのは今日?と毎日確認するの、たいていのことは覚えられないのに」ということであった。検索が危うくなっているJimの長期記憶に私の名前が残っていることが嬉しく、涙腺が怪しかったが、いつものように庭で一緒にビールを飲みブランチを食べた。土産にジンベを持参した。「ジンベはJIM-BEIという人が考案した、あなたの親戚かも」などといい加減なことを言ったのを思い出す。気に入ったようで、さっそく着て写真を撮った。それがJimと一緒に写っている最後のものとなった。
7月にロンドンに行く予定をしているので、Lizに逢いに行かねばなるまい。鼻が痛くならないように上等のティシュをたくさん持ち込んで、そして思い切り泣こうと心に決めている。今夜は最高のウイスキーとJimに教わったピート臭の強いアエラのモルト「ラガブーリン」を、ビールをチェーサーに、感謝を込めて献杯することにしよう。
Rest in Peace!
この一月ほどの間に訃報が届いた後藤容子さん、岩崎純子さん、Jimの3人は私の「しなやかな」の定義にそっくり当てはまる人であった。そのうち私の記憶も怪しくなるはずなので、今の内に3名のことを記録しておこう。電子媒体での記録は消えないのでその点うれしい。ただ、認知機能に障害がで始めれば、果たして読んで懐かしく思えるかは不明である(情動の鈍化は最後とは思うけど)。
後藤容子さんは大学での2年後輩で、和歌山大学をへて甲南女子大で臨床心理学の教授を務めた人である。賀状が届かないなと訝しんでいたところ、妹さんから1月に癌でなくなったという手紙をいただいた。後輩の訃報は悲しい。「しなやか」という語にぴったりの容貌で、「あの色白の細い、綺麗な人」という表現を彼女が話題になるときにされるのが常であった。本人は「3人姉妹の真ん中で私が一番見かけも性格のも悪い」と言っていたが、神戸育ちの都会的な上品な感じを保ちながら、いつもニコニコ恥ずかしげにゆっくり話すのであった。大学紛争の頃であり、政治の話をよくした。後に偶然同じホテルに泊まっていることが分かり、内線電話で2時間あまり長電話した記憶がある。彼女の縁談についてであったと覚えている。卒業後、私がいた「中神経心理クリニック」に紹介したが、数ヶ月勤務したのち甲南女子大に助手として務めるようになった。大野晋一先生が移籍されたことに伴ってのことである。その後、甲南女子大に移籍した先輩の先生から、「彼女はなかなか言うことをきかん。退職するよう先輩の君から言ってくれ」と数回言われた覚えがある(もちろん、彼女には伝えはしなかったが)。芯が強く教授とぶつかることがあったのかも知れないが、私との間でそんなことが話題になることはなかった。彼女は助手をしながら博士課程に進んで博士号を取った。学会や同窓会などでたまに会うと、「ハッタさん、東京へ日帰り出張をしたらダメですよ」と決まって諭してくれるのであった。神戸商船大の学長であったお父さんが出張先で亡くなられたことでの示唆であったと思う。この教えは守れていない。そのうち、後悔するかも知れない。
岩崎純子さんは大教大で一緒に助手をした人で、同い年であったが彼女が先任助手であった。卒業生であったので教室の事情に詳しくずいぶん助けてもらった。いつも笑顏で話す人で僕の当番でも教室会議に必要な巨大なヤカンに代わりにお茶を沸かすなど手際よく働く人であった(薄暗い、倉庫の一角に机を並べて、16人がお茶を飲みつつ紫煙の漂う中で、長時間の教室会議は行われていた)。テニスも彼女に教えてもらい昼休みは学生を交えて汗を流したこと思い出す。着任2年目に保健管理センターができることになり、教室主任は僕に移籍するように言ってきた。ラテラリティの実験が面白くなり始めていた私は断ることにした。当然、教授ともめた。私は臨床心理学の教員として公募採用されたので、教授の言い分はおかしくないのだが、「講師に昇任できる」、「このあと5年は昇進の機会はないよ」というセリフに反発し、言葉を荒げてのやりとりがあった。私が渋るので、新規採用することは可能であったのだが、岩崎さんが保健管理センターに移ることとなった。発達心理学を専攻していた彼女が私の身代わりになった訳である。しかし、その後も以前と変わらず笑顔で私に接してくれる人であった。岩崎さんは最終的には臨床心理学を専門とする教授になったが、不本意ではなかったかという気持ちを拭えずに来た。いつか、確かめたいと思っていたが叶わないままとなった。私が実験心理学できちんと仕事をするというモチベーションの一つであることを記しておく。
Jimは錯視など視知覚の研究で日本でも知られた人で、東大の大山正先生など多くの友人がいる。私の留学先の教室のメンバーで、専門は違うのに本当によくしていただいた。私の先生は早逝されたのだが、その代わりとでもいうように、1977年から今日まで親戚の叔父さんのように親切にしてもらった。何度彼の家に泊まったか知れない(彼も私の家に2度滞在した)。
彼の家は、私たちが外国の家をイメージする、その典型的なもので(現実はもちろん異なるのだが)、数多くの部屋、暖炉、広い食卓、趣味の部屋(楽器演奏用)、リンゴの木が何本も育つ広い芝の庭、温室があるので、教室員の中では一番大きな家であった。クリスマス・パーティはいつも彼の家で行われていた。
Jimから学んだことは数え切れない。私は英国かぶれで、ウンチクめいたことを傾けることがある。ウイスキーの飲み方、選び方、地ビールの探し方、などなど、たいていは彼からの受け売りである。彼はいつも背筋を伸ばして、ゆっくり、穏やかに話す人で、ジェントルマンのプロトタイプと言えよう。今まで、多くの外国人に出会ってきたが、彼のような穏やかに優しげに立ち振る舞いする人はほとんどいない。
記憶は次々とよみがえるが、彼の人となりを明示する代表的なエピソードを記す。1977年9月、前日に引っ越したHeath Park傍の借家から夜中に汽車に乗り、家族を迎えにヒースロー空港に行った。疲れている家内と2歳半、2ヶ月の息子たちと昼頃にCardiffの駅に降り立ったところ、Jimの奥さんLizが出迎えてくれていた。もちろん頼んでいない。Jimが配慮してくれたのである。新しい家に我々を送り届けるとLizは「今夜はBlack outだから」と一箱のろうそくとマッチ手渡して帰って行ったのである。Black outが停電という意味であることを知らなかった我々は、この配慮のおかげで、ロウソクの明かりの下で赤ん坊のかぶれ始めているお尻を洗うことができ、安堵した夜のことを鮮明に覚えている。Jimはこのように見知らぬ外国人(当時、私は初めてきた日本人研究者であった)にも、想像力を働かせて心配りをする人であった。後に、何人もの外国人研究者が我が家に来た。私は彼らに倣い対応することをした。対人関係の有り様を、Way of Lifeを彼から教えてもらったのである。
Lizから連絡があり、病気だというので、3年前に彼をちょっと見舞った。元気そうであったが記憶に障害が見られ、Lizは、「タケシが来るのは今日?と毎日確認するの、たいていのことは覚えられないのに」ということであった。検索が危うくなっているJimの長期記憶に私の名前が残っていることが嬉しく、涙腺が怪しかったが、いつものように庭で一緒にビールを飲みブランチを食べた。土産にジンベを持参した。「ジンベはJIM-BEIという人が考案した、あなたの親戚かも」などといい加減なことを言ったのを思い出す。気に入ったようで、さっそく着て写真を撮った。それがJimと一緒に写っている最後のものとなった。
7月にロンドンに行く予定をしているので、Lizに逢いに行かねばなるまい。鼻が痛くならないように上等のティシュをたくさん持ち込んで、そして思い切り泣こうと心に決めている。今夜は最高のウイスキーとJimに教わったピート臭の強いアエラのモルト「ラガブーリン」を、ビールをチェーサーに、感謝を込めて献杯することにしよう。
Rest in Peace!
送る言葉
今年も卒業式辞を準備せねばならない時期になった。まだ、早いのではないかという方もおられるとは思うが、気が早いという僕の性格によるものではなく、手話の通訳のために3週間以上前に式辞を準備して欲しいという依頼が理由である。大学によってはHPに掲載してあり、参考にといくつか読んで見たことがあるが、それを拝借するわけにも行かない。自分の言葉を上手く伝えるのが一番なことは分かっている。昨年と同じものを使うわけにも行かず、ここ4週間ほどは頭の片隅にworking memoryとしてこびりついていた。寝る前に気になり出すと睡眠に差し障るので、早く準備をとは考えていたのが完成した。
昨年度のオープンキャンパスでの挨拶で「しなやかに、したたかに生き抜く人材を育て社会に送り出す」ことを発言した。その後の反応は、「しなやかに、したたかに」という表現に対する、positive、negative織り交ぜた反応があったように感じている。そのうちにどこかできちんと「しなやかに、したたかに」と言う単語に込める意味を伝えねばと思っていたので、卒業生を送る言葉にした。数日前に、51歳の人が心臓動脈解離で運転中に死亡し、大きな交通事故を起こしたニュースを知ると、そのうちにでは遅すぎることにもなりかねない。僕の先生も同じくらいの年齢のときに腹部動脈解離で死にかけたことを思い出した。病院に付き添いで泊まったときに、生存率5%である文献を自分で調べて落ち込んでいたのを励ました記憶がよみがえる。幸いにも、その人はその後30年以上経っても元気である。僕が5%の生存率でも個々の人間にとっては50%の確率であると伝えたのを覚えている。
今年の式辞は次のようなものとなった。どのように評価されるのかよりも、手話でこのような込み入った表現を伝達できるのだろうか、難しすぎたかも知れないと心配である。
【さて、今日卒業・修了する皆さんは所定の学業を終えて、社会に出ようとしています。その皆さんに、「しなやかに、したたかに生きよ」と申し上げたいと思います。
「しなやかに」という語は、上品で、たおやかで、穏やかで、優しい、弾力に富んでいることを意味する言葉で、人間を相手に仕事をする上では極めて大切な要素です。「しなやかさ」を備えている人とは具体的にどのような人かというと,日常行動のマナーを守り、喜怒哀楽の感情をただちに表に出さず、落ち着いていて、いつもニコニコ微笑んでいる、そんな人が私には、思い浮かびます。また、様々な問題を、相手のわがままな思いも受け止めて、ともに悩み考え、その時々の状況にも合わせながら解決に努めようとする、そんな人が思い浮かびます。皆さんは、社会に出て、人間を相手に、それも健康で元気な人から、身体的・精神的にハンディキャップを持つ人まで、様々な人を相手に仕事をすることになります。その人たちにいつでも「しなやかに」対応することは簡単なことではありません。「しなやか」に様々な事態に対応するためには確固とした専門知識に裏付けられた、自らに対する自信がなくてはならないからです。
また,「したたかに」という語には、強い、しっかりしている、くじけない、容易に屈しないと言う意味が含まれています。自分が選んだ、社会で生きていく仕事を簡単には投げ出さないで欲しいと思います。困難に巡りあったときは、問題を客観的に見つめ、冷静に分析し、それに対応できる人であって欲しいと思います。解決に繋がる糸口は、自分だけでは見つけられないかもしれませんが、そんなときも先輩や家族、仲間に相談することで、出口の明かりが見えてくることもあるでしょう。仕事を簡単には投げ出さず諦めないで下さい。
私は人間の脳の働きを研究してきました。脳には右脳と左脳がありますが,そろばん名人やピアニストなどのエキスパートの脳を調べてわかったことがあります。それは、長い期間一つのことに取り組みつづけると、片方の脳が担ってきた役割を左右の脳が共同して担い始め、並外れた能力を示すということです。私たちの脳は持続して物事に取り組むと、そのうち自動的に最適解(ベスト・ソルューション)を見いだす力を持っているのです。つまり、仕事を簡単には投げ出さず諦めずに続けていると適切な解決法が見つかるという仕組みが、私たちの脳には備わっているということができます。一方で、私たちの脳はエネルギーを使いすぎないように、物事に飽きやすいという特性も同時に持っています。自分でしっかりと意図しないと、物事を続けることは易しいことではありません。「したたか」であることは簡単なことではないのです。
「しなやかで、したたかな」人になるためには何が求められるのでしょう。私は、自らに自信を持てるように日頃から心がけていることではないかと思います。自らに自信があれば、自分自身の確固とした倫理観や価値観に従い、世の中の刹那的な享楽につながる風潮に流されることなく、生命を次の世代につなぐという社会での大切な役割を果たそうと努力するでしょう。つまり、人間を相手にする仕事を選び、「しなやかで、したたかな」人になるには、自らに自信が持てるように努めなければなりません。本当の優しさ、他者への思いやりは、自分に自信のある人から生まれると考えるからです。そして、自分に自信をもち「しなやかで、したたかに」生きるためには、常に学び続ける姿勢を将来にわたり忘れないようにせねばなりません。受け身ではなく、自らからすすんで学び知識や技能を向上させる志向性を持ち続けてくれるよう望みます。】
古来、稀といわれる年齢まで生きてきた僕の若者への贈る率直な言葉であります。
昨年度のオープンキャンパスでの挨拶で「しなやかに、したたかに生き抜く人材を育て社会に送り出す」ことを発言した。その後の反応は、「しなやかに、したたかに」という表現に対する、positive、negative織り交ぜた反応があったように感じている。そのうちにどこかできちんと「しなやかに、したたかに」と言う単語に込める意味を伝えねばと思っていたので、卒業生を送る言葉にした。数日前に、51歳の人が心臓動脈解離で運転中に死亡し、大きな交通事故を起こしたニュースを知ると、そのうちにでは遅すぎることにもなりかねない。僕の先生も同じくらいの年齢のときに腹部動脈解離で死にかけたことを思い出した。病院に付き添いで泊まったときに、生存率5%である文献を自分で調べて落ち込んでいたのを励ました記憶がよみがえる。幸いにも、その人はその後30年以上経っても元気である。僕が5%の生存率でも個々の人間にとっては50%の確率であると伝えたのを覚えている。
今年の式辞は次のようなものとなった。どのように評価されるのかよりも、手話でこのような込み入った表現を伝達できるのだろうか、難しすぎたかも知れないと心配である。
【さて、今日卒業・修了する皆さんは所定の学業を終えて、社会に出ようとしています。その皆さんに、「しなやかに、したたかに生きよ」と申し上げたいと思います。
「しなやかに」という語は、上品で、たおやかで、穏やかで、優しい、弾力に富んでいることを意味する言葉で、人間を相手に仕事をする上では極めて大切な要素です。「しなやかさ」を備えている人とは具体的にどのような人かというと,日常行動のマナーを守り、喜怒哀楽の感情をただちに表に出さず、落ち着いていて、いつもニコニコ微笑んでいる、そんな人が私には、思い浮かびます。また、様々な問題を、相手のわがままな思いも受け止めて、ともに悩み考え、その時々の状況にも合わせながら解決に努めようとする、そんな人が思い浮かびます。皆さんは、社会に出て、人間を相手に、それも健康で元気な人から、身体的・精神的にハンディキャップを持つ人まで、様々な人を相手に仕事をすることになります。その人たちにいつでも「しなやかに」対応することは簡単なことではありません。「しなやか」に様々な事態に対応するためには確固とした専門知識に裏付けられた、自らに対する自信がなくてはならないからです。
また,「したたかに」という語には、強い、しっかりしている、くじけない、容易に屈しないと言う意味が含まれています。自分が選んだ、社会で生きていく仕事を簡単には投げ出さないで欲しいと思います。困難に巡りあったときは、問題を客観的に見つめ、冷静に分析し、それに対応できる人であって欲しいと思います。解決に繋がる糸口は、自分だけでは見つけられないかもしれませんが、そんなときも先輩や家族、仲間に相談することで、出口の明かりが見えてくることもあるでしょう。仕事を簡単には投げ出さず諦めないで下さい。
私は人間の脳の働きを研究してきました。脳には右脳と左脳がありますが,そろばん名人やピアニストなどのエキスパートの脳を調べてわかったことがあります。それは、長い期間一つのことに取り組みつづけると、片方の脳が担ってきた役割を左右の脳が共同して担い始め、並外れた能力を示すということです。私たちの脳は持続して物事に取り組むと、そのうち自動的に最適解(ベスト・ソルューション)を見いだす力を持っているのです。つまり、仕事を簡単には投げ出さず諦めずに続けていると適切な解決法が見つかるという仕組みが、私たちの脳には備わっているということができます。一方で、私たちの脳はエネルギーを使いすぎないように、物事に飽きやすいという特性も同時に持っています。自分でしっかりと意図しないと、物事を続けることは易しいことではありません。「したたか」であることは簡単なことではないのです。
「しなやかで、したたかな」人になるためには何が求められるのでしょう。私は、自らに自信を持てるように日頃から心がけていることではないかと思います。自らに自信があれば、自分自身の確固とした倫理観や価値観に従い、世の中の刹那的な享楽につながる風潮に流されることなく、生命を次の世代につなぐという社会での大切な役割を果たそうと努力するでしょう。つまり、人間を相手にする仕事を選び、「しなやかで、したたかな」人になるには、自らに自信が持てるように努めなければなりません。本当の優しさ、他者への思いやりは、自分に自信のある人から生まれると考えるからです。そして、自分に自信をもち「しなやかで、したたかに」生きるためには、常に学び続ける姿勢を将来にわたり忘れないようにせねばなりません。受け身ではなく、自らからすすんで学び知識や技能を向上させる志向性を持ち続けてくれるよう望みます。】
古来、稀といわれる年齢まで生きてきた僕の若者への贈る率直な言葉であります。
正月休み中に読んだ本から
年末は時間が急速に流れる印象を強く感じたが、1月は時間の流れが遅いなと感じている。まだ2月までに何日かあるのが妙なくらいに思える。忙しくこなさねばならない事柄が年末には多くあったのに比べ、年を越すと何かと仕事はあるがルーチン的なものが多いことが原因なのかも知れない。まことに心的な時間知覚は不思議なものである。
正月は昨年春に次男家族が東北に戻ったために、3年前と同じ孫のいない大人だけの静かなものであった。思い立って、家内の実家のある徳島に墓参に出かけた。行きは中国道での大渋滞に遭遇したので、帰路は別ルートを採用したところ予想外にスイスイと車は流れ、2時半頃に茨木インターを降りることになった。未だ早いので万博跡に新開店のアウトレットに行こうということになった。これが間違いであった。途中の道路は大渋滞、新しい道路が出来ていてナビは対応できずで、ぐるぐると周辺を回って駐車場に入るのに1時間以上かかってしまった。ようやくたどり着いたが大混雑で人混みに酔うという体験を久しぶりにすることになった。いわゆるブランド店は少なく、靴でも買うかと探したが西武百貨店にも入っている安売り店があるのみであった(いくつもの有名店は西武に入っている)。ほとんどの人は買い物をしている様子もなく、ただ大勢の家族連れや若者が回遊しているのであった。家内と僕もその流れの一員で、とくに店を覗くことにも集中することなく長い時間歩き回っているだけであった。
新婚の頃に鳳や和泉府中にダイエーが開店すると、買うものも金もないのにただ娯楽として見物に出かけていたことを思い出した。あの頃は欲しいものはたくさんあったはずだが、買うことを想定せずに見るだけのために出かけていた。アウトレットでの光景は一種のデジャブを見るように思えた。ダイエーはもはや今はない。僕も風呂なし、くみ取り便所の長屋住まいから水洗トイレの家に住むようになった。欲しいものは買えるようにはなったが欲しいものはないというように、急激な変容をもたらした時間が長く経ったことを想うのであった。過ぎし日の心的な時間経過は極めて速く、短いなあと振り返っていた。
長男夫妻と待ち合わせるまでの2時間あまりを人混みの中で右往左往して、休むベンチを確保できずに、やっと寒い建物の外に確保した席でビールを飲んで時間を過ごすしかなかった。人混みで長い時間居たためであろう、翌日から風邪を引いてしまった(そこに行った4人とも順次風邪を引いた)。ここ数年風邪とは無縁であったのに、油断せずに暮らさないとそれほど免疫力がある身体でもないことを思い知らされたことである。
表題に話を移そう。休み中に2冊の本を読んだ。お勧めしたい。「経済の終焉の時代」と「日本財政、転換の指針」で、共に井手栄策著である。アマゾンで間違ってクリックボタンを押したので2冊になったが似た内容の本で、詳しいのは前者。珍しくに一気に読めたのは、最近の自分の中にあるもやもやした思いを整理してくれる内容であったためである。
資本の自由気ままな動きを財政政策としてどのようにコントロールするのが良いのかを資料を駆使して説得させる内容で、「経済を飼いならす方途をさぐる気鋭の論客の渾身の一冊」と帯に書いてあるとおり、情緒的な表現を混じえた自己陶酔的記述も見受けられるが、説得的であった。要はカネ儲けを追求する人(集団)を奔放にさせずにカネを入手できない側の人間集団にどのように配分するべきかの方策が述べられている。当然のことながらアベノミックスには反対の立場である。格差の是正をどのように政策に組み込めば、政府を信用し将来への不安に怯えることがない社会(現在では一部の北欧諸国がそのような社会を構築している)。日本ほど政治家や政府を国民が信用しない社会は他にないという調査結果が示されているが、それではどのようにすれば日本が変われるのかを提案している。一言で言えば、と書き続けるのは止そう。簡単に物事を捉え反射的に動くことはいけないという著者の意見に同感なので、自分で読んで下さい。
格差が広がりゆく社会では人間は安直に攻撃対象(大抵は弱者)を想定し、獲るべきものはない負のスパイラル「タゲッティズム」に入り込むのを廃し、ユニバーサルにものを考えるべきであるという指摘は、頷けるもので「福祉科学」が目指す方向ではないかと教えられた。
「福祉社会」とはすべての人が幸福である社会のことで、ユニバーサリズムを追求することを目指さねば、この言葉を冠している我が大学の存立基盤はなくなることになる。福祉の学部は全国的に近年人気がなく、モノづくり、グローバル化を標榜する学部に人気があるが、新しいモノを作り出せばそのせいでモノが売れなくなる側の人もいる、日本人が発展途上の国に押しかけていけば、押しのけられて困る人達も存在しているのが物の道理である。とすれば、人の世話をしたい若者を育てる大学で働く方が罪は少ないのではなかろうか、などと考えている。一寸、我田引水すぎるかな?
月末に締め切りに終われるかのように強迫的に書くのは止めねばと思いつつ、やってしまいました。
正月は昨年春に次男家族が東北に戻ったために、3年前と同じ孫のいない大人だけの静かなものであった。思い立って、家内の実家のある徳島に墓参に出かけた。行きは中国道での大渋滞に遭遇したので、帰路は別ルートを採用したところ予想外にスイスイと車は流れ、2時半頃に茨木インターを降りることになった。未だ早いので万博跡に新開店のアウトレットに行こうということになった。これが間違いであった。途中の道路は大渋滞、新しい道路が出来ていてナビは対応できずで、ぐるぐると周辺を回って駐車場に入るのに1時間以上かかってしまった。ようやくたどり着いたが大混雑で人混みに酔うという体験を久しぶりにすることになった。いわゆるブランド店は少なく、靴でも買うかと探したが西武百貨店にも入っている安売り店があるのみであった(いくつもの有名店は西武に入っている)。ほとんどの人は買い物をしている様子もなく、ただ大勢の家族連れや若者が回遊しているのであった。家内と僕もその流れの一員で、とくに店を覗くことにも集中することなく長い時間歩き回っているだけであった。
新婚の頃に鳳や和泉府中にダイエーが開店すると、買うものも金もないのにただ娯楽として見物に出かけていたことを思い出した。あの頃は欲しいものはたくさんあったはずだが、買うことを想定せずに見るだけのために出かけていた。アウトレットでの光景は一種のデジャブを見るように思えた。ダイエーはもはや今はない。僕も風呂なし、くみ取り便所の長屋住まいから水洗トイレの家に住むようになった。欲しいものは買えるようにはなったが欲しいものはないというように、急激な変容をもたらした時間が長く経ったことを想うのであった。過ぎし日の心的な時間経過は極めて速く、短いなあと振り返っていた。
長男夫妻と待ち合わせるまでの2時間あまりを人混みの中で右往左往して、休むベンチを確保できずに、やっと寒い建物の外に確保した席でビールを飲んで時間を過ごすしかなかった。人混みで長い時間居たためであろう、翌日から風邪を引いてしまった(そこに行った4人とも順次風邪を引いた)。ここ数年風邪とは無縁であったのに、油断せずに暮らさないとそれほど免疫力がある身体でもないことを思い知らされたことである。
表題に話を移そう。休み中に2冊の本を読んだ。お勧めしたい。「経済の終焉の時代」と「日本財政、転換の指針」で、共に井手栄策著である。アマゾンで間違ってクリックボタンを押したので2冊になったが似た内容の本で、詳しいのは前者。珍しくに一気に読めたのは、最近の自分の中にあるもやもやした思いを整理してくれる内容であったためである。
資本の自由気ままな動きを財政政策としてどのようにコントロールするのが良いのかを資料を駆使して説得させる内容で、「経済を飼いならす方途をさぐる気鋭の論客の渾身の一冊」と帯に書いてあるとおり、情緒的な表現を混じえた自己陶酔的記述も見受けられるが、説得的であった。要はカネ儲けを追求する人(集団)を奔放にさせずにカネを入手できない側の人間集団にどのように配分するべきかの方策が述べられている。当然のことながらアベノミックスには反対の立場である。格差の是正をどのように政策に組み込めば、政府を信用し将来への不安に怯えることがない社会(現在では一部の北欧諸国がそのような社会を構築している)。日本ほど政治家や政府を国民が信用しない社会は他にないという調査結果が示されているが、それではどのようにすれば日本が変われるのかを提案している。一言で言えば、と書き続けるのは止そう。簡単に物事を捉え反射的に動くことはいけないという著者の意見に同感なので、自分で読んで下さい。
格差が広がりゆく社会では人間は安直に攻撃対象(大抵は弱者)を想定し、獲るべきものはない負のスパイラル「タゲッティズム」に入り込むのを廃し、ユニバーサルにものを考えるべきであるという指摘は、頷けるもので「福祉科学」が目指す方向ではないかと教えられた。
「福祉社会」とはすべての人が幸福である社会のことで、ユニバーサリズムを追求することを目指さねば、この言葉を冠している我が大学の存立基盤はなくなることになる。福祉の学部は全国的に近年人気がなく、モノづくり、グローバル化を標榜する学部に人気があるが、新しいモノを作り出せばそのせいでモノが売れなくなる側の人もいる、日本人が発展途上の国に押しかけていけば、押しのけられて困る人達も存在しているのが物の道理である。とすれば、人の世話をしたい若者を育てる大学で働く方が罪は少ないのではなかろうか、などと考えている。一寸、我田引水すぎるかな?
月末に締め切りに終われるかのように強迫的に書くのは止めねばと思いつつ、やってしまいました。
年の瀬に(12/23)
今年を振り返ると、春先から教育学部の設置、心理科学部の届け出での設置の事務作業が12月10日に教職課程の認定の知らせを受けるまで続き、瞬く間に時間が過ぎた印象が強い。加えて、7年ぶりの大学の認証評価があり大忙しの一年で、事務方の貢献への感謝は筆舌に尽くしがたい(ちょっと大げさかも知れないが、僕が金庫番ならボーナス100万!というところ)。新学部設置はスケジュール的には最短であり学生募集への影響は少なくて済んだが、当初想定していた教員数が4人増となってしまったので、諸手を挙げて喜ぶというわけには行かない(許認可権者の裁量の大きさを味わったことである)。思い通りには行かないことを味わう一年であったが、只今読書中の菊池寛の合戦記の記載に、武田信玄は7割勝てるところを5割くらいに留めるべし、と考える人であったとある。強欲はいけないと考えよう(キンドルでは菊池寛など印税期限が過ぎた作家の本はただ同然で購入できるのですよ)。
強欲の単語で先日見たTVのドキュメンタリー番組(ファシズムについての番組で、ヒットラーに焦点を当てた作品)を思い出した。僕が疑問に思っていた事情が判明したからである。彼の台頭は第一次大戦後のひどい経済状態のドイツで、公共事業を導入し失業率を劇的に回復させることで国民の支持を得たぐらいは知っているが、国家財政が破綻しているのにどうしてそのことが可能になったのか、疑問に思っていた(夜も寝られないほどの疑問ではなかったけど)。実は、そのことを可能にしたのはアメリカ資本であったのだ。フォード、デュポン、モービルなどが、失業が多くて安い賃金のドイツに子会社を作り、資本を投下したために可能となったということであった。ヒットラーに勲章をもらうフォード自身の画像などをみると、投下した資本をダメにしないためにぎりぎりまでアメリカは中立を保ちヨーロッパでのナチスによる侵略を見過ごした理由が理解できたのである。
フォードが作った軍用車両、デュポンが関わった毒ガス、モービルが生産したガソリンなどで戦争が行われたことを知った。第2次大戦後にアメリカが繁栄したのはナチズムに手を貸したためであったと言っても良いのではないかしら、と思う。ノルマンディー作戦以降の戦いでアメリカ人も殺されたわけで、投下した資本で利益を上げるためには何でもしてしまう魔力を再確認した番組であった。「豊かさのために経済状態を改善せねば」という政治家、経済人の強欲さにはくれぐれも注意せねばならない。ほどほどの豊かさで良いとせねばなるまい。
このコラムでも言及したが、5月に落花生を植えた。ネット情報に基づいて葉が枯れかけたのを待ち、先日収穫した。わずか4株を引き抜く作業なので収穫とは大げさであるが、生の落花生を塩ゆでしてビールのアテにすることを期待し、生唾を飲み込みつつの作業なので自分にとっては過大表示ではない。簡単に引き抜け、一株目は沢山の落花生が根についていて、これは大収穫と思った。しかし、残りの3株は0個と0個、10個であった。一株だけが予想通りで、あとは何故か失敗。合計45個の落花生が取れたということで、望み通りには行かないものであるという人生の処世訓を家庭菜園の作業は教えてくれるのであります。収穫の時期が遅かったせいなのか落花生自体はまるまる育ち市販のものの3倍大で、味は美味ではありましたが、ビールのほろ苦さが余計に強く感じられたことでありました。
年々歳々、暦が終わる頃になると、冥土への一里塚の間隔が短くなっていくように思えるが、「知足安分」というどこかの禅寺の手水鉢で目にした文字の意味が分かる年なってきたのかも、と感じる年の瀬であります。
強欲の単語で先日見たTVのドキュメンタリー番組(ファシズムについての番組で、ヒットラーに焦点を当てた作品)を思い出した。僕が疑問に思っていた事情が判明したからである。彼の台頭は第一次大戦後のひどい経済状態のドイツで、公共事業を導入し失業率を劇的に回復させることで国民の支持を得たぐらいは知っているが、国家財政が破綻しているのにどうしてそのことが可能になったのか、疑問に思っていた(夜も寝られないほどの疑問ではなかったけど)。実は、そのことを可能にしたのはアメリカ資本であったのだ。フォード、デュポン、モービルなどが、失業が多くて安い賃金のドイツに子会社を作り、資本を投下したために可能となったということであった。ヒットラーに勲章をもらうフォード自身の画像などをみると、投下した資本をダメにしないためにぎりぎりまでアメリカは中立を保ちヨーロッパでのナチスによる侵略を見過ごした理由が理解できたのである。
フォードが作った軍用車両、デュポンが関わった毒ガス、モービルが生産したガソリンなどで戦争が行われたことを知った。第2次大戦後にアメリカが繁栄したのはナチズムに手を貸したためであったと言っても良いのではないかしら、と思う。ノルマンディー作戦以降の戦いでアメリカ人も殺されたわけで、投下した資本で利益を上げるためには何でもしてしまう魔力を再確認した番組であった。「豊かさのために経済状態を改善せねば」という政治家、経済人の強欲さにはくれぐれも注意せねばならない。ほどほどの豊かさで良いとせねばなるまい。
このコラムでも言及したが、5月に落花生を植えた。ネット情報に基づいて葉が枯れかけたのを待ち、先日収穫した。わずか4株を引き抜く作業なので収穫とは大げさであるが、生の落花生を塩ゆでしてビールのアテにすることを期待し、生唾を飲み込みつつの作業なので自分にとっては過大表示ではない。簡単に引き抜け、一株目は沢山の落花生が根についていて、これは大収穫と思った。しかし、残りの3株は0個と0個、10個であった。一株だけが予想通りで、あとは何故か失敗。合計45個の落花生が取れたということで、望み通りには行かないものであるという人生の処世訓を家庭菜園の作業は教えてくれるのであります。収穫の時期が遅かったせいなのか落花生自体はまるまる育ち市販のものの3倍大で、味は美味ではありましたが、ビールのほろ苦さが余計に強く感じられたことでありました。
年々歳々、暦が終わる頃になると、冥土への一里塚の間隔が短くなっていくように思えるが、「知足安分」というどこかの禅寺の手水鉢で目にした文字の意味が分かる年なってきたのかも、と感じる年の瀬であります。
忙中の閑に思ったこと
気づけば11月もあと2日で終わる。休祝日が多かったせいか、異常に早く時間が流れたように思う。何をしていたのかをカレンダーで確認すると、11回あるはずの土日と旗日は4日のみ予定が空白なだけで、後は何やかやと出勤していたことがわかる。忙しくて時間が早く過ぎ去ったとういうことだけなのかも知れない。
今日も土曜日であるが入試で出勤している。最初に試験監督に「宜しく」の挨拶をするのが仕事である。どうせ家にゴロゴロしていてもテレビ番組のサーフィンをしているだけかも知れず、挨拶後の時間は自分で自由に使えるので、面倒だけども、「まあ、いいか!」と思うようにしている。
先週は原稿料をいただける執筆依頼が2件続いてあり(それ以外の挨拶文の依頼は、毎月1-2編必ずあるが、職務に関連しているので稿料は頂けない)、調べ物をした。名誉教授の特権ということで、名大の図書館の外部利用アドレスを許可してもらっている。ちなみに名誉教授はいくらもらえるのと聞かれたことがあるので披露しておくと、図書館利用権、車での無料入構権、大学からのニュースの配信ぐらいが得られるものの全てである。名誉教授の集まりへの案内は届くが、飲み食いは会費を徴収される(らしい)。
調べていたのは最近のきき手文献で、ネット上で図書館に入って検索し印刷できる。便利なことである。取り込んだ文献のpdfは画面上で拡大して読めるので、老人には誠にありがたい(もっとも、以前のように何時間も読む根気も視力もないが)。
たまたま、目につき読んでみたのは、アメリカモンタナ州の教職大学院での博士論文を基にした論文である。きき手は、片手で行う動作を集めた10-20項目の質問票での回答で判断するのが一般的で、どのような動作にするかは検査の開発者で異なる。何種類も検査は存在するが最も古くから、最も多くの国で使用されているのがエディンバラきき手検査(EHI)である。1971年に公刊された論文で、僕はこれの真似をして同じ手続きで日本人用の検査を1977年に作成している。文化による違いが項目選択に影響したためである。例えば、「文字を書く手」は僕の検査項目にはないが、エディンバラきき手検査にはある。日本人での左手書字は、当時は極めて少なく、きき手の判別には適しなかったためである。
僕が目にした2012年の論文は専門誌Lateralityに掲載されているので、しっかりした科学的研究と見なせるのだが、その内容に驚いてしまった。EHIを使用したら、教示がきちんと理解されなかったので、きき手係数が計算できなったというのである。この研究者は自閉症ときき手との関係を調べており、低学歴者を含む432名の母集団できき手の調査をしている。大卒レベル16.1%、高卒以上大卒未満63.6%、高卒以下と学齢不明20.4%が対象者で、白人78%、アフリカ系18%、残りがスペイン系とアメリカ現住民系である。ちなみにこの母集団がその地域の現状に最も近いという(以外と大卒が少ないように思うが、地域の特性なのかも知れない)。その結果、教示通りに回答したのは47.3%であったという。同時に行った自閉症についての検査は教示通りが88.2%であったということから、EHIは教示が難しいので半分が理解できなかったというわけである。ちなみにこの母集団の結果からは、左きき3.9%、右きき52%、両手きき44%であった。教育水準が教示通りに回答したかの説明要因で一番大きいとしている。たしかに、EHI作成での対象者は大学生1,128名で、作者自身も指摘しているように、「highly atypical as regards intelligence and cultural levels」である。
EHIの作成者であるオールドフィールドが生きていたら何とするだろう。大学の先生が学生向けに書いた質問紙検査の教示が十分に理解できない成人が大勢いることなど、想定だにしなかったであろう。
日本の高等教育は戦後しばらくして急速に米国のそれをモデルに展開されているが、簡単な質問への回答方法の文章を半分の成人が理解できないという結果を生み出すのであれば、決して手本にすべきシステムではない(と大きな声で訴えたくなる衝動にかられるのだけど)。
人間は相手も自分と同じような人間であることを想定してコミュニケーションを取るのだが、それは思い込みにすぎないのかも知れない。このことを常に念頭に置いておかないと学生たちとのコミュニケーションは成り立たないという示唆を、忙中に閑を見つけて読んだ論文から得たのでありました。すぐ師走なのですヨ。
今日も土曜日であるが入試で出勤している。最初に試験監督に「宜しく」の挨拶をするのが仕事である。どうせ家にゴロゴロしていてもテレビ番組のサーフィンをしているだけかも知れず、挨拶後の時間は自分で自由に使えるので、面倒だけども、「まあ、いいか!」と思うようにしている。
先週は原稿料をいただける執筆依頼が2件続いてあり(それ以外の挨拶文の依頼は、毎月1-2編必ずあるが、職務に関連しているので稿料は頂けない)、調べ物をした。名誉教授の特権ということで、名大の図書館の外部利用アドレスを許可してもらっている。ちなみに名誉教授はいくらもらえるのと聞かれたことがあるので披露しておくと、図書館利用権、車での無料入構権、大学からのニュースの配信ぐらいが得られるものの全てである。名誉教授の集まりへの案内は届くが、飲み食いは会費を徴収される(らしい)。
調べていたのは最近のきき手文献で、ネット上で図書館に入って検索し印刷できる。便利なことである。取り込んだ文献のpdfは画面上で拡大して読めるので、老人には誠にありがたい(もっとも、以前のように何時間も読む根気も視力もないが)。
たまたま、目につき読んでみたのは、アメリカモンタナ州の教職大学院での博士論文を基にした論文である。きき手は、片手で行う動作を集めた10-20項目の質問票での回答で判断するのが一般的で、どのような動作にするかは検査の開発者で異なる。何種類も検査は存在するが最も古くから、最も多くの国で使用されているのがエディンバラきき手検査(EHI)である。1971年に公刊された論文で、僕はこれの真似をして同じ手続きで日本人用の検査を1977年に作成している。文化による違いが項目選択に影響したためである。例えば、「文字を書く手」は僕の検査項目にはないが、エディンバラきき手検査にはある。日本人での左手書字は、当時は極めて少なく、きき手の判別には適しなかったためである。
僕が目にした2012年の論文は専門誌Lateralityに掲載されているので、しっかりした科学的研究と見なせるのだが、その内容に驚いてしまった。EHIを使用したら、教示がきちんと理解されなかったので、きき手係数が計算できなったというのである。この研究者は自閉症ときき手との関係を調べており、低学歴者を含む432名の母集団できき手の調査をしている。大卒レベル16.1%、高卒以上大卒未満63.6%、高卒以下と学齢不明20.4%が対象者で、白人78%、アフリカ系18%、残りがスペイン系とアメリカ現住民系である。ちなみにこの母集団がその地域の現状に最も近いという(以外と大卒が少ないように思うが、地域の特性なのかも知れない)。その結果、教示通りに回答したのは47.3%であったという。同時に行った自閉症についての検査は教示通りが88.2%であったということから、EHIは教示が難しいので半分が理解できなかったというわけである。ちなみにこの母集団の結果からは、左きき3.9%、右きき52%、両手きき44%であった。教育水準が教示通りに回答したかの説明要因で一番大きいとしている。たしかに、EHI作成での対象者は大学生1,128名で、作者自身も指摘しているように、「highly atypical as regards intelligence and cultural levels」である。
EHIの作成者であるオールドフィールドが生きていたら何とするだろう。大学の先生が学生向けに書いた質問紙検査の教示が十分に理解できない成人が大勢いることなど、想定だにしなかったであろう。
日本の高等教育は戦後しばらくして急速に米国のそれをモデルに展開されているが、簡単な質問への回答方法の文章を半分の成人が理解できないという結果を生み出すのであれば、決して手本にすべきシステムではない(と大きな声で訴えたくなる衝動にかられるのだけど)。
人間は相手も自分と同じような人間であることを想定してコミュニケーションを取るのだが、それは思い込みにすぎないのかも知れない。このことを常に念頭に置いておかないと学生たちとのコミュニケーションは成り立たないという示唆を、忙中に閑を見つけて読んだ論文から得たのでありました。すぐ師走なのですヨ。
「朝の散歩は大切かも」
この時期になると稲を刈ったあとの独特な匂いが朝の散歩道に漂うのが常で、朝の冷気に匂いの粒子が漂う中を歩くのは気分が良い。晴れる日が多く過ごしやすい気温で、心地よい時期ということもある。稲草を刈ったあとの青臭い匂いが僕は好きである。小学生の頃に稲刈りの手伝いをして、暮れなずむ田んぼに漂っていたこの独特の匂いは、おとな達の満足げな表情や振る舞いもあって、子ども心を晴れやかにしたことを思い出すからかも知れない。
湖北では田んぼの畦に育てた榛(ハン)の木を支柱にして、孟宗竹を横組みに3メートルほどの高さのハサ(と呼んだと思うのだが)を組む。刈り取った稲束を天日干しにするのである。ハシゴに登っているおとなに子どもは稲束を掘り投げるのであった。受け取りやすい位置に投げるのは簡単ではないが、他者間との共応作業なので、おとなの仕事に加われている感覚、家族での一体感、を体験できたのである。機械化された昨今では味わうことのない経験を僕たちの世代(田舎育ちに限定だが)はしていたことになる。
今年は例年に比べてこの独特の匂いの快感を味わうことが少なかった気がする。散歩ルートの水田は半分ほどが作付けされていない。したがって稲刈りはされないので匂いの源がないのである。近くに高速道路のインターチェンジができることもあって田んぼで作業する気持ちが起きないほどの保証金が集まったのかもしれない。急に大金が入ると堕落が始まるのは世の習いですよと教えたくなるが持ち主と知り合いでもない。では、僕に貸してあげるので稲作をと言われても困る。
今月初めに匂い機能の低下は高次脳機能との相関が高いという論文を投稿したばかりである。自分の前頭葉機能に低下が顕在したために稲刈り後の匂いを従前よりも強く検知できないという仮説も否定はできないが、かくて、朝の散歩の快適度はさがることになる。
新聞社が主催する「これからの学校教育を担う教員の在り方について」というフォーラムに研修日を潰して参加した。文科省の課長や内閣審議官、中教審の委員が講演したのだが、参加者が20名程度と小規模で途中で抜けられずに最後まで聞く羽目になった。参加者のほとんどが教育学部を持つ大学の中堅どころの事務職員であったせいか、講演者はかなり率直な話しぶりであった。名刺交換して学部設置認可のお礼でも言わねばと考えていたが、講演を聞いてモチベーションが下がり実行はしなかった。大人気ないとは考えたが、途中で質問して話の根底をぶち壊す僕の得意技を実行することの抑制はできた(この種の発言をいくつかの学会でやらかし、根に持たれているらしいことの記憶はある。境界条件を複合的な観点から設定しないで、自分たちの認知図式で議論しているときに、水を差す発言や質問を僕がしたために、盛り上がりが瞬時に憔悴してしまうことがあったのだ)。
その日の某氏の講演で、「少子化で子どもが減る。これからは子どもに今までの何倍もの能力を持つようにしないと日本はダメになる」とあった。この主張は、将来も外国人を受け入れないという現状を継続することを境界条件にしなければ成立しない。学校教育ですべての子どもが無限に能力を獲得できるという条件でのみ可能だが、そんな事実は存在しない。人間の能力は正規分布し、優れる子どももいるがそうでない子どもも同じ数存在する。このことは心理学者でなくても自明であろう。「グローバル化を進め、国際的に優れる日本の学校教育システムを発展途上国に輸出すべき」と某氏はいうのだが、最低でも現地語ができる教員スタッフを準備しなければ、システムの輸出などあり得ない。
グローバル化はヤイヤイ言わなくてもすでに進んでおり、高校野球でも陸上競技でも20年ぐらい前から実現している証拠を最近は見せられている。グローバル化を題目のように唱える連中は、日本人が英語を自在に操り、外国に出かけて稼ぐ一方向を声高に唱えるが、日本で英語が不自由なく使える状況となれば外国から大勢が流入することを想定していないように思える。優れた能力の持ち主がもっと大きな母集団でも存在するので、英語で何でもできるグローバル化した日本では、優れた外国人に有利な職場を奪われることは必然であろう。1億人でトップ10の能力の人間が10億人の母集団では100人いるためである。習得が難しいとされる言語を使う国に生まれてよかったと考えるのは僕だけかな?
「だいたい教員は真面目だが視野が狭くフレキシブルに考え対応できないのが問題」と指摘する講師に「あんたもな!」と(内言で)叫んだことである。
10月の最終週は認証評価の実地調査があり、附属研究所のフォーラムがありと、早朝からの出勤が重なり、次回こそは自分の憂さを晴らすだけのブログにしないでおこうという企図は儚くも潰えた。早朝の散歩の時間が取れなかったのが理由なのでしょうか。
湖北では田んぼの畦に育てた榛(ハン)の木を支柱にして、孟宗竹を横組みに3メートルほどの高さのハサ(と呼んだと思うのだが)を組む。刈り取った稲束を天日干しにするのである。ハシゴに登っているおとなに子どもは稲束を掘り投げるのであった。受け取りやすい位置に投げるのは簡単ではないが、他者間との共応作業なので、おとなの仕事に加われている感覚、家族での一体感、を体験できたのである。機械化された昨今では味わうことのない経験を僕たちの世代(田舎育ちに限定だが)はしていたことになる。
今年は例年に比べてこの独特の匂いの快感を味わうことが少なかった気がする。散歩ルートの水田は半分ほどが作付けされていない。したがって稲刈りはされないので匂いの源がないのである。近くに高速道路のインターチェンジができることもあって田んぼで作業する気持ちが起きないほどの保証金が集まったのかもしれない。急に大金が入ると堕落が始まるのは世の習いですよと教えたくなるが持ち主と知り合いでもない。では、僕に貸してあげるので稲作をと言われても困る。
今月初めに匂い機能の低下は高次脳機能との相関が高いという論文を投稿したばかりである。自分の前頭葉機能に低下が顕在したために稲刈り後の匂いを従前よりも強く検知できないという仮説も否定はできないが、かくて、朝の散歩の快適度はさがることになる。
新聞社が主催する「これからの学校教育を担う教員の在り方について」というフォーラムに研修日を潰して参加した。文科省の課長や内閣審議官、中教審の委員が講演したのだが、参加者が20名程度と小規模で途中で抜けられずに最後まで聞く羽目になった。参加者のほとんどが教育学部を持つ大学の中堅どころの事務職員であったせいか、講演者はかなり率直な話しぶりであった。名刺交換して学部設置認可のお礼でも言わねばと考えていたが、講演を聞いてモチベーションが下がり実行はしなかった。大人気ないとは考えたが、途中で質問して話の根底をぶち壊す僕の得意技を実行することの抑制はできた(この種の発言をいくつかの学会でやらかし、根に持たれているらしいことの記憶はある。境界条件を複合的な観点から設定しないで、自分たちの認知図式で議論しているときに、水を差す発言や質問を僕がしたために、盛り上がりが瞬時に憔悴してしまうことがあったのだ)。
その日の某氏の講演で、「少子化で子どもが減る。これからは子どもに今までの何倍もの能力を持つようにしないと日本はダメになる」とあった。この主張は、将来も外国人を受け入れないという現状を継続することを境界条件にしなければ成立しない。学校教育ですべての子どもが無限に能力を獲得できるという条件でのみ可能だが、そんな事実は存在しない。人間の能力は正規分布し、優れる子どももいるがそうでない子どもも同じ数存在する。このことは心理学者でなくても自明であろう。「グローバル化を進め、国際的に優れる日本の学校教育システムを発展途上国に輸出すべき」と某氏はいうのだが、最低でも現地語ができる教員スタッフを準備しなければ、システムの輸出などあり得ない。
グローバル化はヤイヤイ言わなくてもすでに進んでおり、高校野球でも陸上競技でも20年ぐらい前から実現している証拠を最近は見せられている。グローバル化を題目のように唱える連中は、日本人が英語を自在に操り、外国に出かけて稼ぐ一方向を声高に唱えるが、日本で英語が不自由なく使える状況となれば外国から大勢が流入することを想定していないように思える。優れた能力の持ち主がもっと大きな母集団でも存在するので、英語で何でもできるグローバル化した日本では、優れた外国人に有利な職場を奪われることは必然であろう。1億人でトップ10の能力の人間が10億人の母集団では100人いるためである。習得が難しいとされる言語を使う国に生まれてよかったと考えるのは僕だけかな?
「だいたい教員は真面目だが視野が狭くフレキシブルに考え対応できないのが問題」と指摘する講師に「あんたもな!」と(内言で)叫んだことである。
10月の最終週は認証評価の実地調査があり、附属研究所のフォーラムがありと、早朝からの出勤が重なり、次回こそは自分の憂さを晴らすだけのブログにしないでおこうという企図は儚くも潰えた。早朝の散歩の時間が取れなかったのが理由なのでしょうか。
燃え尽き症候群?
約2年半前から構想し進めてきた、教育学部の設置が8月末認可された。しかし、一段落というわけには行かない。学部を設置して可という部分と教員免許を出して良いというのは別の話になっているためである。いわゆる課程認定というもので、想定以上に大変である。教員免許の課程認定は履修について規制が厳しく、シラバスが適切か、シラバスに対応する研究業績を持つ教員で担当を申請しているかを、思った以上に厳密にチェックされた(もう教育学部は必要ないということのメッセージなのかもしれない)。課程認定の許可を議論する委員会は担当事務官のチェックが通らないと開いてもらえない。最初に提出した申請書について補正を求められるのである。都合3度の補正でやっと事務官レベルでのOKが出た(学部の設置の補正は1回限り)。夏期休業最終日(8月19日)に旅先で第1回目の補正指摘を受け取ってからの3週間は、事務官からの業績が不十分、対応する業績がないという指摘への対案を、3-4日間で準備し書類を作り直すことの繰り返しであった。すべて兼任講師で対応すればよかったのだが、「そんな分野での業績をもつ人などいるのか?」「現在免許が出ている大学で、対応する業績がある教員がいるのかね」と思うことしきりであった。事務職員が本当によくやってくれたのと教育大時代に培ったネットワークでなんとか対応できた。事務官レベルでOKがでたのは9月11日であった(最終的な審査判定結果は12月頃になるが、それでも最短の期間で対応できた)。入試広報に迷惑をかけずに済んで力が抜けた感じがした。
学部設置や課程認定の許認可は国に代わって教員免許を出すということなので、厳格なことに異論を挟むことはできないが、その基準を厳守し続けることを大学に求めればと思ったりした。最初はしっかりしていた教育内容や教員資質が、設置後4年を過ぎればそれぞれの大学に委ねられるという今までのやり方では、日本の大学の質向上は無理であろう。今回の学部設置や課程認定での基準を5年ごとに実施するシステムを作れば(時間と手間は膨大だろうが、金には換えられないはず)、日本の高等教育のレベルは格段に上がることだろう。医療系の学科新設がブームの様な昨今では、設置の審査に通る教員は、完成年度では別の大学に移り、その穴を(本来ならば資格審査で通らない)誰かで埋めるという仕組みを見聞きする。卒業生の質は二の次にされるわけで、恐ろしい未来状況ではある。もっとも、厳格な教員審査やカリキュラムの審査を5年ごとにやるとなると、大部分の現職教員は入れ替えの対象になる可能性がある。国公私立大学すべて、立ち行かなくなる可能性があるので、妄想の類でしかないが、大学の数が多すぎという指摘には特効薬となろう。
今回の設置で改めて感じたのは、教員は着実に継続的に研究業績を積んでおかないと、万が一僕の妄想が具現化するようなことがあれば大変ということである。大学の管理運営や教育についての業績は考慮されないのが現状なので、念のため。
さて、9月は入会しているいくつかの学会が開かれる時期で、頭を切り替えて、研究者に戻ってあちこちに出かけねばならないのだが、今年はじっとしていた。2年にわたる懸案事項に目途が付いてのバーンアウトなのかもしれないと思ったことである。
札幌で9月10日からあった神経心理学会は「名誉会員は参加費も前日の懇親会も無料ですから」とわざわざ連絡をもらったのだが断念した。先月に八雲に行ったこともあり、日程調整をすれば可能ではあったが欠席してしまった。
9月22日から心理学会が名古屋であったが発表の申し込みを失念してしまったこともあり、欠席してしまった。海外に出かけていることを除くと未発表ははじめてのことで自分でもショックであった。発表申し込みの締め切りが、学部設置の事務作業が最も煩雑で忙しい時期であったので失念したのである。管理運営にリソースを過剰に配分したことによるのかもしれないが、現役の研究者であることを拠り所としているので、がっくりきた。連名の発表も複数あったがその日は大学に出ねばならない行事があり結局行くことを止めた。結局、4連休を含めた6日間は自宅に籠ることとなった。身体はだるく、この休みに論文を書くことや科研の申請書の下書きをせねばと思いながらも、しばらくパソコンに向かいテレビのチャンネルサーフィンをしたりして過ごした。山形の美酒を大量に買い込んでいたのだが飲む気にもならず、バーンアウトに伴ううつ症状のかも知れないと自己診断していた。もっとも、連日5—6時間はパソコンには向かっていたし、寝すぎではないかと思うほどとよく寝たし、泳ぎにも行ったので、重症ではない。
連休明けには、申請書の下書きを分担者に送りつけチェックを依頼し、3月末の2つの学部設置申請の時期に身を粉にして頑張ってくれた旧職員に遅まきながらお礼の一席を設けることもできた。気持ちの上での引っ掛かりは一つ取れた。ただ、補正申請は短時間で対応する必要があること、我々が業績等の判断をして無理かも知れないと思うケースがOKであったり、その逆もあったりで、補正申請の要員として履歴や業績を知り合いに送ってもらってプールしていたこのことの罪悪感もある。無理なお願いを急かしてした知人で使わなかった人へのお詫びの手紙をかくこともせねばならないので、教職課程認定のお墨付きをもらうまで気持ちは快晴とはいかない。
連休明けからは土日も出勤で9月が終わる。「労働とは自由を売ることである」という定義を実感しているが、気分転換をせねばと9月の最終週の末は年休を取り鋭気を養う予定である。オープンキャンパスでは「しなやかに、したたかに人生を送る人に育てる」と公言しているので、自分でもそのようにマネジメントせねばいけないのだと、年休を取った次第。10月は大学認証評価の訪問審査への対応を含めて行事が一杯なので、燃え尽きるのを、しばらく延期せねばならない。島井哲志さんから新刊「幸福の構造:有斐閣」をいただき読み始めたら、GDPが増えると国民の幸福感は減少するというデータを知った。我が家のGDPは幸福感が減少するほど増えてきてはいないので、燃え尽きて不幸という状況には未だないレベルのGDPだなあ、と思ったことである。
学部設置や課程認定の許認可は国に代わって教員免許を出すということなので、厳格なことに異論を挟むことはできないが、その基準を厳守し続けることを大学に求めればと思ったりした。最初はしっかりしていた教育内容や教員資質が、設置後4年を過ぎればそれぞれの大学に委ねられるという今までのやり方では、日本の大学の質向上は無理であろう。今回の学部設置や課程認定での基準を5年ごとに実施するシステムを作れば(時間と手間は膨大だろうが、金には換えられないはず)、日本の高等教育のレベルは格段に上がることだろう。医療系の学科新設がブームの様な昨今では、設置の審査に通る教員は、完成年度では別の大学に移り、その穴を(本来ならば資格審査で通らない)誰かで埋めるという仕組みを見聞きする。卒業生の質は二の次にされるわけで、恐ろしい未来状況ではある。もっとも、厳格な教員審査やカリキュラムの審査を5年ごとにやるとなると、大部分の現職教員は入れ替えの対象になる可能性がある。国公私立大学すべて、立ち行かなくなる可能性があるので、妄想の類でしかないが、大学の数が多すぎという指摘には特効薬となろう。
今回の設置で改めて感じたのは、教員は着実に継続的に研究業績を積んでおかないと、万が一僕の妄想が具現化するようなことがあれば大変ということである。大学の管理運営や教育についての業績は考慮されないのが現状なので、念のため。
さて、9月は入会しているいくつかの学会が開かれる時期で、頭を切り替えて、研究者に戻ってあちこちに出かけねばならないのだが、今年はじっとしていた。2年にわたる懸案事項に目途が付いてのバーンアウトなのかもしれないと思ったことである。
札幌で9月10日からあった神経心理学会は「名誉会員は参加費も前日の懇親会も無料ですから」とわざわざ連絡をもらったのだが断念した。先月に八雲に行ったこともあり、日程調整をすれば可能ではあったが欠席してしまった。
9月22日から心理学会が名古屋であったが発表の申し込みを失念してしまったこともあり、欠席してしまった。海外に出かけていることを除くと未発表ははじめてのことで自分でもショックであった。発表申し込みの締め切りが、学部設置の事務作業が最も煩雑で忙しい時期であったので失念したのである。管理運営にリソースを過剰に配分したことによるのかもしれないが、現役の研究者であることを拠り所としているので、がっくりきた。連名の発表も複数あったがその日は大学に出ねばならない行事があり結局行くことを止めた。結局、4連休を含めた6日間は自宅に籠ることとなった。身体はだるく、この休みに論文を書くことや科研の申請書の下書きをせねばと思いながらも、しばらくパソコンに向かいテレビのチャンネルサーフィンをしたりして過ごした。山形の美酒を大量に買い込んでいたのだが飲む気にもならず、バーンアウトに伴ううつ症状のかも知れないと自己診断していた。もっとも、連日5—6時間はパソコンには向かっていたし、寝すぎではないかと思うほどとよく寝たし、泳ぎにも行ったので、重症ではない。
連休明けには、申請書の下書きを分担者に送りつけチェックを依頼し、3月末の2つの学部設置申請の時期に身を粉にして頑張ってくれた旧職員に遅まきながらお礼の一席を設けることもできた。気持ちの上での引っ掛かりは一つ取れた。ただ、補正申請は短時間で対応する必要があること、我々が業績等の判断をして無理かも知れないと思うケースがOKであったり、その逆もあったりで、補正申請の要員として履歴や業績を知り合いに送ってもらってプールしていたこのことの罪悪感もある。無理なお願いを急かしてした知人で使わなかった人へのお詫びの手紙をかくこともせねばならないので、教職課程認定のお墨付きをもらうまで気持ちは快晴とはいかない。
連休明けからは土日も出勤で9月が終わる。「労働とは自由を売ることである」という定義を実感しているが、気分転換をせねばと9月の最終週の末は年休を取り鋭気を養う予定である。オープンキャンパスでは「しなやかに、したたかに人生を送る人に育てる」と公言しているので、自分でもそのようにマネジメントせねばいけないのだと、年休を取った次第。10月は大学認証評価の訪問審査への対応を含めて行事が一杯なので、燃え尽きるのを、しばらく延期せねばならない。島井哲志さんから新刊「幸福の構造:有斐閣」をいただき読み始めたら、GDPが増えると国民の幸福感は減少するというデータを知った。我が家のGDPは幸福感が減少するほど増えてきてはいないので、燃え尽きて不幸という状況には未だないレベルのGDPだなあ、と思ったことである。