「朝の散歩は大切かも」  | はったブログ

「朝の散歩は大切かも」 

 この時期になると稲を刈ったあとの独特な匂いが朝の散歩道に漂うのが常で、朝の冷気に匂いの粒子が漂う中を歩くのは気分が良い。晴れる日が多く過ごしやすい気温で、心地よい時期ということもある。稲草を刈ったあとの青臭い匂いが僕は好きである。小学生の頃に稲刈りの手伝いをして、暮れなずむ田んぼに漂っていたこの独特の匂いは、おとな達の満足げな表情や振る舞いもあって、子ども心を晴れやかにしたことを思い出すからかも知れない。
 湖北では田んぼの畦に育てた榛(ハン)の木を支柱にして、孟宗竹を横組みに3メートルほどの高さのハサ(と呼んだと思うのだが)を組む。刈り取った稲束を天日干しにするのである。ハシゴに登っているおとなに子どもは稲束を掘り投げるのであった。受け取りやすい位置に投げるのは簡単ではないが、他者間との共応作業なので、おとなの仕事に加われている感覚、家族での一体感、を体験できたのである。機械化された昨今では味わうことのない経験を僕たちの世代(田舎育ちに限定だが)はしていたことになる。

 今年は例年に比べてこの独特の匂いの快感を味わうことが少なかった気がする。散歩ルートの水田は半分ほどが作付けされていない。したがって稲刈りはされないので匂いの源がないのである。近くに高速道路のインターチェンジができることもあって田んぼで作業する気持ちが起きないほどの保証金が集まったのかもしれない。急に大金が入ると堕落が始まるのは世の習いですよと教えたくなるが持ち主と知り合いでもない。では、僕に貸してあげるので稲作をと言われても困る。
 今月初めに匂い機能の低下は高次脳機能との相関が高いという論文を投稿したばかりである。自分の前頭葉機能に低下が顕在したために稲刈り後の匂いを従前よりも強く検知できないという仮説も否定はできないが、かくて、朝の散歩の快適度はさがることになる。

 新聞社が主催する「これからの学校教育を担う教員の在り方について」というフォーラムに研修日を潰して参加した。文科省の課長や内閣審議官、中教審の委員が講演したのだが、参加者が20名程度と小規模で途中で抜けられずに最後まで聞く羽目になった。参加者のほとんどが教育学部を持つ大学の中堅どころの事務職員であったせいか、講演者はかなり率直な話しぶりであった。名刺交換して学部設置認可のお礼でも言わねばと考えていたが、講演を聞いてモチベーションが下がり実行はしなかった。大人気ないとは考えたが、途中で質問して話の根底をぶち壊す僕の得意技を実行することの抑制はできた(この種の発言をいくつかの学会でやらかし、根に持たれているらしいことの記憶はある。境界条件を複合的な観点から設定しないで、自分たちの認知図式で議論しているときに、水を差す発言や質問を僕がしたために、盛り上がりが瞬時に憔悴してしまうことがあったのだ)。
 その日の某氏の講演で、「少子化で子どもが減る。これからは子どもに今までの何倍もの能力を持つようにしないと日本はダメになる」とあった。この主張は、将来も外国人を受け入れないという現状を継続することを境界条件にしなければ成立しない。学校教育ですべての子どもが無限に能力を獲得できるという条件でのみ可能だが、そんな事実は存在しない。人間の能力は正規分布し、優れる子どももいるがそうでない子どもも同じ数存在する。このことは心理学者でなくても自明であろう。「グローバル化を進め、国際的に優れる日本の学校教育システムを発展途上国に輸出すべき」と某氏はいうのだが、最低でも現地語ができる教員スタッフを準備しなければ、システムの輸出などあり得ない。
 グローバル化はヤイヤイ言わなくてもすでに進んでおり、高校野球でも陸上競技でも20年ぐらい前から実現している証拠を最近は見せられている。グローバル化を題目のように唱える連中は、日本人が英語を自在に操り、外国に出かけて稼ぐ一方向を声高に唱えるが、日本で英語が不自由なく使える状況となれば外国から大勢が流入することを想定していないように思える。優れた能力の持ち主がもっと大きな母集団でも存在するので、英語で何でもできるグローバル化した日本では、優れた外国人に有利な職場を奪われることは必然であろう。1億人でトップ10の能力の人間が10億人の母集団では100人いるためである。習得が難しいとされる言語を使う国に生まれてよかったと考えるのは僕だけかな?
「だいたい教員は真面目だが視野が狭くフレキシブルに考え対応できないのが問題」と指摘する講師に「あんたもな!」と(内言で)叫んだことである。

 10月の最終週は認証評価の実地調査があり、附属研究所のフォーラムがありと、早朝からの出勤が重なり、次回こそは自分の憂さを晴らすだけのブログにしないでおこうという企図は儚くも潰えた。早朝の散歩の時間が取れなかったのが理由なのでしょうか。