月末が近づくと
月末が近づくと、ブログを書かねばと、半ば強迫的な感情が押し寄せる。習慣化していることを止めるのは結構エネルギーがいる。数年前に月末に記事をアップしなかったときは、体の具合が悪い説、死亡説まで流れたので、止めるときは予告が必要だとは思っている。去年の7月には何をしていたかをブログから確認できるのは書き続けることのメリットと考えるので、今しばらくは書いていこうと思っているが、気持ちの上のことでこの先何があるかはわからない。
過去の記事を探したりすると、そんなこともあったかとか、心的な時間経過の歪みに気づくので、消えない電子データでのブログは記憶検索にはメリットがある。「記憶にない」、「報告があったかどうか認識していない」などの戯言を言う輩に電子データの様式で記録を書くことを勧める。いや、一定以上の高額の税金を食んでいる連中には義務化させる必要があると言いたい。彼らには「虚言をいうことはなりませぬ」、「卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ」という、連中が好きなはずの「武士道」の精神に基づく道徳再教育も必須であろう。日本には「恥の文化」であったはずである、などと面白くないことが近頃は多すぎるのではなかろうか。
昨年の7月の記事を見直して見ると、ロンドンに出かけていた。その前年はイスラエルというように、7月はいつも国際神経心理学会に出ていたが今年は南アフリカということなので参加は見送った。遠すぎるし、向こうは冬なので衣類も嵩張るだろうし、治安も心配というのが理由である。要は、参加して得られるbenefitと、遠い・面倒だというcostの比を計算して参加すべしという域値を下回ったということである。
このような、BCR(benefit/cost ratio)の加齢による影響を見る研究が生まれ始めているらしい。題名だけで購入した本を読んで知ったことである。この書籍からは動機付けの仕組みを神経科学から取り組む欧州の若い研究者の存在を知った。動機付けという古くからの心理学のテーマは、社会心理学や産業心理学の研究者が扱うもので、認知心理学の分野の研究者は覗かないのが一般的であったのだが、領域横断タイプの研究が増えているようである。
若者はbenefitが小さくても行動に移すが、高齢者は腰を上げないということで、それには、コルチゾール分泌、糖代謝、ドーパニン分泌や、それらに関係が深い血圧などを分析するのがよいという(流し読みで、原典に当たっているわけではないので、言い方は断定的には程遠い)。言い方を自分流に変えれば、imitative(やって見るか)であるかは、cost(面倒くさい)とbenefit(得になる)評価が決めるという、常識的なことを言っているように思える。自分の心臓血管にステントが入って、血流量が増えたせいか、cost価(疲労感や面倒臭さ)が最近減っているように思うので(こういう考えはヒューリスティックであり、科学的ではないけど)、Be imitativeと発言している手前、今まで蓄積している縦断研究データベースで、中高年の血圧と認知の関連を調べてみようかと考えている。
7月はどこの大学でもopen campus真っ盛りの時期であり、私の所属する大学でも、7月中の土日に3回実施する。多すぎると思わないわけではないが、「回数を減らして受験生が減るかも」という心配から(18歳人口が減り、類似の大学が増える一方の中で、open campusに高校生が単調増加することは考えにくいが)、入試広報の事務方は減らす方向に積極的ではない。月曜の会議で参加者人数の推移が報告され、一喜一憂している毎日である。
昨年あたりから大学のopen campusをTVで宣伝する量が増えたように思う(後方の事務方も近隣の大学での幾つかの例をあげて増えているという)。地方局であればTVコマーシャルの単価は安いのだが、大阪では信じられないくらい高いので、安易に採用するわけにはいかない。TVコマーシャルがopen campusへの集客に有効かは俄かには判断できないことで、BCR(benefit/cost ratio)は高くないようにも思う。「TVコマーシャルを打つ大学は、以外と学生が集まっていないので,すがっているのです」という認知的不協和を起こさない情報を信じることにしたい。
振り返れば、考えることが研究者というよりは、大企業の攻勢にたじろぎながらあがいている中小企業の親父みたいになっている。自分は何のやっているだろうかという疑念が浮かんでくるが、簡単に自分だけ逃げ出すわけにもいかないしと、日曜のopen campusの合間に自問している7月末なのであります。
心配事
壊れているわけではなかったが、トイレの便器を新しくした。20年を過ぎているので、これから収入が減る時期が待っているのに今後の改装は厄介である、友達の家で改装した最近の便器は掃除がほぼ不要、というのが家内の主張である。その家の旦那は座って小をするので汚さないと、日頃から嫌味っぽく言われることもあり、反対するわけにはいかない。
便器の交換と床材の張り替えだけなので帰宅して見ると新しくなっていた。センサーで近づくと便座が上がり、勝手に水が流れ、離れると便座が降りる便利なものである。僕の手続き記憶がまだ更新されないので、夜中に寝ぼけ眼でトイレに入ると、突然便座が上がり、ギョッとする日がまだ続いている。私の手続き記憶が更新されてしまい、どこか別のトイレでも便座を上げることや水を流すことをしなくなると迷惑をかけるのではないかと心配である。
便利になることは、脳の機能活性を不要とするようにしていることと同義であり、喜んでいて良いものかは定かでない。
手続き記憶の改変と脳機能との関係では心配なことがある。幼児にスマホを与えて良いものかと寄稿を頼まれたので少し調べた。ゲーム依存症の研究は多く見つかるが、乳幼児での研究はまだ探せていない。一定期間頻繁にスマホを見せる幼児群と見せない統制群を設けて脳機能を比較するという実験計画は容易に思いつくが、スマホ群での悪影響を予見してということになると、最近とみに厳しくなる倫理審査でハネられそうで、研究の少なさは仕方がないことでもある。推論するしかない。スマホ依存の成人の脳画像は大多数でそうでない人に比べて、脳血流が全体的に少なく、特に前頭葉では両者の差異が際立っているとか、白質神経繊維の減少が見られ、薬物中毒の人と同じように、意思決定や情動コントロール、行動抑制に関係する部位の解剖学的変化が見られるそうである(Neuroscience & Behavioral Review, 2017, Vol.75, Pp. 313-330)。
一般に、ヒトの運動野は可塑性が高く、練習すれば運動機能は上達する。スマホ依存気味の学生の指先の運動の精緻さと敏捷さなどには目を見張るものがある。ただ、この運動機能は訓練を増すにつれて領域特殊性が高まり、近似の手指運動動作に般化はしないので羨ましいわけではない(スマホでの入力が早く正確であっても、キーボードが早く打てるとか文字が綺麗に書けるようになることはない)。
話を幼児に戻そう。スマホ画面の強い光量や色彩、過剰な対象物の動きの検知は、これまでの人類が経験しなかった発達プロセスでの刺激である。ヒトの眼や脳は入力刺激を処理するための最適なやり方を自動的に見つけ出そうとする特性を持つので、これから成長・発達していく幼児の脳には過重な負担であろう。ただでさえ習得しなければならない脳機能が沢山あるのに、新たにいままでのヒトの脳が持つ遺伝情報に未経験の課題を課するは問題であろう。それらの過大な負担に適応した脳が、欲望や欲求の自制力に関係する前頭葉前部機能の劣化や言葉の獲得(聴く、話す)に関わる前頭葉下部機能が劣る可能性は大であろう。言語関連領域の狭くなった、一方で指運動関連狭域の拡大したヒトの脳へと進化(?)していく可能性が考えられ、心配なことである。
先週の日曜日に大学の同窓会総会が心斎橋のホテルで行われ、250名ほどの参加があった。20周年ということで特別な会場で開催されたのである。特に連絡をしていなかったが、元ゼミ生が5-6名参加してくれた(昔の教え子に会えるのは回想記憶を促し、脳機能を高める。教師の特権である)。全員30歳ということであったが僕の目からは学生の頃とあまり変わらないように見えた。卒業研究では手を焼いたが、彼女らの心根は優しいのである。
半数が既婚者で、新宮や岡山など遠くからの参加もいて、「先生ちっとも変わらんわ」とべんちゃらを言う。「先生と理事長とどっちが年上?先生の方が若いわ!」と真顔でいう元ゼミ生もあり苦笑せざるを得なかった。この年齢推定力が未婚の原因かもしれない、心配である。
初夏の心模様
ゴールデンウィークは、先月入院したこともあり休息をせねばと、焦りに似た気持ちがあった。そこで、有休をとって9連休とし、ゆっくり休むことができた。時間は穏やかに流れるように感じられた。4月末は、昼神温泉の近くにあるバブル期に作ったに違いない大きなホテルのパック旅行が安かったので、南木曽温泉に遊んだ。周囲の環境とは場違いの感じがする(今は使われていないような)結婚式場があるホテルで、作りは古いが、部屋は広く、お湯はなめらかで優しく、値段の割にとても良かった。ちょうど満開の花桃が湯船から眺められる露天風呂は期待以上に豪華で、休息に来ている気分を満足させるものであった。翌朝早く、マイクロバスで昼神温泉の川沿いにある花桃並木の満開の模様を見せてくれる往復1時間ほどのサービスもあった。ただ、客は高齢者がほとんどで(我々も例外ではないが)、温泉宿の華やかさには乏しく、温泉の質は良く風呂は気に入ったが、大きな図体の建物を維持していくのは容易ではないのではと、いらぬことを考えたりした。
そのあとは北信州にも足を伸ばし、桃花の名所や、満開の八重桜が4キロあまり続く並木などを愛でることができた。今年は桜の開花が遅かったので、その恩恵を楽しめた(久しく桜などをわざわざ見にいくことはなかったので、春の自然の様を満喫できたというものである)。
子どもの日には東京に引っ越した男の孫の初節句のお祝いに出かけた。連休中の東京駅や築地では、今までの人生でも経験したことのない混雑と、4歳になった孫娘の遊び相手に結構体力を消耗した。お爺ちゃんと呼ばれてプリキュアの塗り絵に色々と指示されている自分は、ひょっとしたら急死していた可能性もあったかも知れないと考えると、このような時間を持てている幸運を考えたことであった。
連休はハレの気分で過ごせたが、日常生活に戻ると面白くないことが次々と起きて、今もその渦中にある。要はお金のことで、入学志望者を増やすために使う施策についての意見集約についてである。
近年、私立大学は生き残りをかけて必死である。関関同立や近大などの大規模校でも、それまで扱わなかった学問分野(看護、福祉、栄養)に新学部を作り学生数を増やす(収入を増やす)ことに余念がない。元々は専門学校が対応していた分野で、短大や弱小私大に任せて、住み分けができていたものを強者が横取りする形でなり振り構わなくなっている。私立大学も教育産業なので、高等教育を国が責任を持ってやらない日本では、資本主義の下では仕方がないというしかない(欧州の多くの国では大学は国立である)。専門学校で対応していた分野は資格取得が主な目的となっており、卒業要件の124単位の大半は実習を含む必修科目で占めており、大学で対応するようになっても幅広い教養を身につけることは至難のことである(中教審などで指摘する、問題解決力、グローバルに活躍する人間を、今の日本の大学教育システムで育てられるのは、2−3割の能力の高い若者に限られる、と僕は直感で推論している。この種の愚痴を言っても、大半を占める能力に乏しい若者に大学教育をせよと、私大に頼んだ覚えはない。やりたいというから認可したのであって、嫌なら閉鎖したら、と反論されるだけだろうけど)。
弱小私大は、専門学校で対応していた分野を新設した大手大学に学力の比較的マシな層の学生を奪われ、実績を上げるのが難しくなるのは当然のことで、無理をしてでも(学費免除や半額などの奨学金を出してでも)、良い学生を集めねばならなくなる。授業料はあげる社会情勢ではないとなると、奨学金を気前よく出してというわけにもいかない。それでも資格試験に受かるレベルの学生はできるだけ多く欲しい。どのくらいまで奨学金を出しても財政上対応可能かは大学側と理事者側で難しい議論になってしまうわけなのだ。僕は大学の人間でもあり、学園の理事でもあるので、厄介な立場となり、本音の感情は制御せねばならなくなる。気持ちはハレというわけにはいかない。
このような、感情の発散を抑制する(中間管理職的立場の)僕のような高齢者は、前頭葉機能が枯渇していく(Expressive suppression depletes executive functioning in older adulthood)というタイトルの論文を近着の雑誌に見つけた。僕のことかもしれないので、このタイプの研究、つまり感情と認知機能との関係を今年の夏に調べてみるか、と考えている(タイミングよく雑誌が届き、パラパラとめくり出した、この偶然は何かの計らいであろう)。
このように、研究のアイデアを描いている作業は、僕のストレス・マネジメントの一つなのかもしれないと思ったりする。そんなわけで、創立記念日の振り替え休日があって3連休であり、早速作業にかかり始めた。ところがその矢先、iMACが立上らなくたってしまった。リンゴマークの後、青い画面が動かない。青い画面に時々ギアマークが稼働中であるらしいことを示すのだが、3時間放置しても、次にいかない状態なのである。Macbook airも手元にあるので、作業ができないことはないが、画面が大きいのに慣れてしまっているので、捗らない。自分で調べつつ回復をトライしてみたが、現時点ではいうことを聞かない。もう7年ほど使用している古いiMACなので、ハーディスクが壊れた可能性がある。ストレスフルなことである。
斯く左様に、五月晴れが続く初夏の天気に相応して、心持ちも…というわけにはいかないのであります。
自慢しよう
年齢を重ねるにしたがって、自尊心をキープすることは年々難しくなる。5ヶ月の男の孫とそういう事態は無理だと思うけど、一般的に孫のキャッチボールの相手ぐらいは軽いものだと試みてみると、悲惨な結果に終わることは珍しくない。身体能力の急激な低下を思い知らされて凹むことになる。
6-7年前,ゼミの学生に軟式野球部の学生がいて、運動場の片隅でキャッチボールをしているのを見つけた。俺にもやらせろと、グラブとボールを貸してもらい、学生に凄いですねと言わせるべく、20メートルほどの距離でのキャッチボールを試みたが、学生の頃のホップするような投球にはもちろん及ぶべくもなく、相手に届くのが精一杯であった。学生は(届くと思っていなかったようで、)一応は凄いですねと言ってはくれたが、野球部で強肩の遊撃手であった頃の記憶イメージとはかけ離れ、肩は痛むし、記憶イメージと現実とのギャップに愕然とした記憶がある(それ以来キャッチボールはしないことにした)。
このような、身体能力が最盛期の記憶イメージを引きずってケガをするのが30代後半の男の常で、子どもの運動会でも良く目にしたし、今でも幼稚園の運動会を見学していると、父兄参加の種目で次々と転倒する父親の姿を時々目にする。きっと帰宅後は凹んでいることだろう。
したがって、加齢に伴って自尊心をキープするには身体機能から知的機能へと上手に推移させていかねばならない。しかし、そうは言っても自慢できることは減る一方で、斯く左様に老人はひがみっぽくなっていくのである。
有り難いことにここ2週間ほどの間に自慢のネタができた。忘れるといけないので書いておく。3月29日に「クールジャパン」キャンペーンの旗振り役 「クール」じゃない!?経産省 自画自賛に内外から「?」の見出しで、経産省の海外向け宣伝冊子をやり玉に挙げる毎日新聞にコメントが掲載された(ことを知り合いから連絡があった)。ここ数年来目メディアで取り上げられることが急増している「日本人は凄いんだ!」路線を受けた経産省の事業への批判記事である。記事では、以下のように記載している。
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日本の良さを知ってもらうこと自体はプラスだろうが、問題は冊子の内容である。その一つが「日本の独自性」の例として挙げられている「日本人独特の脳構造」。いわく、外国人は虫の声を雑音と同じように右脳で聞くのに対し、日本語話者は言語と同様に左脳で聞く--という説だ。
これについて、神経心理学者の八田武志・関西福祉科学大学長は「根拠とされる実験自体が、科学的妥当性がない方法で行われたもので、再現性がなかった。そんな現象はない、というのが学界のコンセンサスです」と語る。「『左脳・右脳神話』の誤解を解く」(化学同人)の著者でもある八田さんは「言語環境、自然環境によって虫の声の感じ方に違いが生じることは考えられるとしても、日本人と外国人で右脳・左脳の働きがひっくり返るようなことはあり得ない」と言うのだ。
こうした専門家の指摘も踏まえて、「官庁が『日本スゴイ』を言いたいがゆえに踏み込んでしまった。『日本文化』なるものを国が規定することで、実際の日本の文化を変容させかねない危うさがある。政権の『歴史認識』の宣伝ともリンクしていると感じています。
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これは、1970年代の角田忠信氏の「日本人の脳」で記載されたエセ科学理論を今でも信じている役人がいることに驚くとともに、毎日新聞記者は僕の本を読んでいたということにも感心した。取材時に記者は、経産省に抗議することをけしかける気配があり、それで、本が少しでも売れるかもと思わないでもなかったが、病み上がりなので止めておくことにした(読者でまだこの本を手にしていない方はアマゾンにて入手可能です)。メディアにコメントを求められることは時々あるが、近年はほとんどがきき手の話題で、著書は出してはいるが、自分のメインの研究テーマではない(と思っている)。1980年代の自分が真剣に取り組んでいた左右脳研究が脚光を浴びる(ちょっと過大表示かな)というのは嬉しいし、自慢である。
先週末に、文科省科学研究費補助金(科研費)の結果発表があった。基盤研究(B)は採択された(A,B,Cの順で金額が少なくなり、採択率は増える。萌芽研究にも申請したが連絡がないので落ちたと思っていたが、7月に結果発表がずれたという)。何よりも紐付きではなく、研究者集団による審査で選ばれたのは、研究の内容が先進性を担保できていることの証拠だと、都合良く考えると嬉しい。3年間は研究が続けられる。70歳過ぎて科研費の申請は断念して若い人に機会を譲るべきという声を聞かないでもないが、研究能力低下と年齢はそれほど単純には相関しないことを示さねばと思っている。
と言う具合に心臓の具合が改善して気分も高揚し、年度末の卒業式、入学式を始めとする諸行事も終えることができました(大学HPに全文を掲載するようにしてありますので、関心のある向きは探して下さい)。新年度を迎え、管理職としても研究者としてもがんばらねばなりませんと気持ちを新たにしています。
筋金入りになりました
心配して下さった読者の皆様、有り難うございました。3泊4日の入院で右冠動脈の狭窄部位にステントを挿入する手術は成功裏に終わりました。これまで通りに生活して良いと執刀医から伝達され、安堵しています。
入院の10日ほど前からひどい下痢に悩まされ、入院前日にはほぼ収まっていたとはいえ、手術台で便意を催すようなことがあってはと心配していましたが、大丈夫でした(不安による交感神経緊張によるかも知れませんが、意識上ではそれほど不安は感じてはいませんでした)。
11時半開始の予定が2時間近く遅れ、紙製の手術衣(脱ぐときは破ればよいので便利)、紙パンツ、P-カップを付けられたまま待っているだけの時間は何とも不快なものでした。P-カップは始めて見聞きするもので、これまでのような尿道カテーテルの代わりをするものです。Pの尖端に排水口を付け、畜尿バックに尿をためるもので、快適ではありませんが痛みなどは無くて済みます(結果的にこのバックに尿を出すことはありませんでした)。最初の患者さんの血管に問題が多く、ステントを入れる場所の確定に手間取ったということでした。僕の場合は、執刀医からは1.5時間、看護師からは3-4時間かかると言われていましたが、実際は1時間で済みました。思ったより血管が柔らかく、手術がやりやすかったようです(ちょっと自慢)。75%の狭窄部位に3センチほどのステント(これは人名だそうな)が入れられ、狭窄は0%になりました(3倍ほど血の巡りが良くなるのかな?)。2時半頃に自室に戻ってからが大変でした。右腕には点滴、左手首には手首の止血バンドをつけて、ベッドに安静にしていなければなりませんでした。トイレも溲瓶でという状況で、肉体的には痛みがないのに、白い壁の無機質な部屋でただ仰臥している約20時間は苦痛でした。感覚遮断実験での洗脳研究を連想しました。全くものを考えられないのです。このような状態では洗脳は可能かも知れないと思ったことです。何も考えられない状態でも時間は経過していく不思議な体験でした。手術の翌日の昼頃にやっと両手が自由になりました。下痢は止まり、便通は普通に戻りましたので、神経性の下痢であった可能性は否定しませんが、そうだとすると無意識のなせるわざというしかなく、人間の心理の複雑さを実体験しました。4日目の午前中に無事退院し、気のせいか身体が軽くなったようにも思いました。以上が3泊4日の体験でした。その中で次のような感想を持ったのでメモしておきます。
第一の感想は、確実に肉体は消耗しつつあること、自分の命もなくなることが絵空事ではなく、身近に感じたことです。第2は、心臓手術の技術的進歩です。僕の処置は内科で行われたのですが、細い血管に管を入れたり、圧を掛けて膨らませたり、金属製の蛇篭のようなステントを特定した部位に留置する作業が、モニターを見ながら手早く行われたのには瞠目するしかありません。良い時代に生きているのだと思ったことです。3番目は、今さらながら運がよいという思いを強くしたことです。ステントの太さを決めるために血管に圧を掛けて膨らませるのですが、そのとき左側の心臓の位置ではなく喉の下部に息苦しさを感じました。この水を飲みたくなるような感覚は以前にも時々経験しており、あれは心虚血の症状だったかの知れないと思いました。そうだとすると、今回の検査を後回しにしていたら、虚血性心不全で急死していた可能性が考えられます。命拾いをしたのかも知れないと思ったことです。また、何もしなくて、じっと仰臥しているだけでも時間は確実に過ぎていくことを体感したことです。
今回の3泊4日の体験を経て、自分のための時間を増やさねばという思いが7割近くを占めていた術前から、その思いは3割ほどに減少しました。自分の持って生まれた運の良さへの有り難さと、迅速な治療処置を配慮してもらったことを振り返ると、もうしばらくは自分のことは二の次にしても良いかも知れないと考えるようになりました。
血流が増えたせいか元気になったように思えるので、「他者に目を向ける若者の優しい心根を挫かせてはならない」それが教職員の使命だ!と教職員に自信を持って言える筋金入りの男にならねばなりません。
入院の顛末
先回の記事に、狭心症の疑いで入院検査と書いたのに驚いたと心配していただいた方が何人か居られたので、治療のためのステント手術を受けることが決まった段階で、実はまだ途中なのだが(記事を書いている本人を知らない読者には、関心事ではないと思いますが)、備忘録としてその後の顛末を書いておこう。
心臓のCT撮影の結果、狭窄部位があるというので心臓カテーテル検査(造影剤を入れて血管の中から調べる検査)を22日から2泊入院して受けた。細いチューブを手首の動脈から心臓に入れる検査である。検査後の止血に時間を要するために入院となるらしい。手首の血管からチューブを入れる検査を体験した人からはそれほど大変ではないと聞いており、気楽に入院した。もっとも、「手首から入りますかその年齢の血管では太ももからになりかも知れませんよ、剃毛されますよ」と脅かす者もいて気楽さは7割程度というのが正直なところであった。
実は、入院そのものは不安であった。入院するのは高校2年の秋に虫垂炎で10日入院を経験して以来で、初体験に等しい(理由は知らないが、昔は虫垂炎の罹患者がずいぶん多かった)。この入院中に期末試験があった。このときの数学の試験は難しく、クラスの大半が赤点(59点以下)であった。中間試験と期末試験の成績を平均してそれで赤点だと追試験を受けねばならない。病欠などで試験を受けていない場合は中間試験の6割の点という決まりであった。中間試験の成績がそこそこだったのか、平均点が6割を超え追試験を受けずに済んだので級友に羨ましがられたことや(見事にチョークで円を描くのが自慢の)数学の教師がサカナを取り逃がしたかのように残念がったことを覚えている。また、友人が見舞いに来てくれ、あんまり笑わすので傷跡が裂けはせぬかと本気で心配したことも思い出す(何がそんなに面白かったのかは思い出せない)。
水曜日の昼前に入院手続きをして、新築の病室(病棟科長も担当看護師の一人も教え子であり、見栄を張って個室でよかったと安堵)に入ると、小さなベッドと2脚の椅子、シャワーとトイレ、大きな洗面台があり(仕事をすべくいろいろ持参していたが)、ビジネスホテルのような机はなく、テレビと冷蔵庫などが一体になった家具がある部屋であった。前日からの鼻炎か風邪か判断がつきかねる鼻水、咳症状がひどくて、持参した10編ほどの論文と読みかけのLateralityの本は結局開かずじまいで、ときにキンドルで吉川英治の「新平家物語」を読むくらいでベッドに転がって、ただただ時間が過ぎるのを待つという3日間であった。
翌日、朝6時から夜8時までは生理食塩水の点滴を右手に入れられ、不自由なことであった。予定より半時間ほど遅れて12時前から車いすで送られ検査室に入り造影剤を入れての検査が始まった。左手首からのチューブの挿入であった。皮膚に貼り付ける部分麻酔ということもあってほとんど痛みもなく検査は30分ほどで終了した。胃カメラの方が辛いというのが感想である。夕方担当医と上司の副病院長からCTで予測したとおりに狭窄があり、ステント挿入がベストですと説明され、次回の予約をしたという次第で、検査は予想以上に簡単であった。この術後は今までと同じように泳いだり散歩したりの生活ができるということである。ただ、入院中は鼻水と咳もあり夜はよく眠れずじまいであった。水曜日の会議と木曜日の東京への日帰り出張をキャンセルして休息が取れたはずなのだが、狭いところに閉じこもっていたせいか、金曜日の昼前に退院し自宅に戻っても以外と疲労感は残った。昼ご飯を食べていると病院からシャワー室に育毛剤を忘れていますよと電話がかかってきた。入院時にあったもので、僕のではない。
「あの患者さんは、あの頭の状態でも未練たらしく育毛剤を使うんだね」と詰め所でナースの話題になっていたかも知れない。「去るものは追わず、来るものは拒まない」をモットーにしてきたので、断り無く去っていく頭髪のために育毛剤を買ったことはない。蓄積していったコレステロールや石灰化を拒まなかったので、今回の狭心症騒ぎになったとも言えるので、このモットーは見直した方が良いのかも知れない。
土曜には朝から出勤し、高校の卒業式への参列と午後からの学科ホームカミングデーへの顔出しと2カゴの決済印を押す仕事があった。まことに、「労働とは時間の自由と身体を売ることである」という定義が脳裏を掠めたことである。普通の生活に戻ったというわけである。
心配下さった皆様、患者である本人が言うのも変ですが、3週後のステント挿入術も今回と基本的には変わらないと思うので、ご安心下さい。
今年は厄年?
新しい年が何事もなく明けて、上天気の正月3ヶ日であった。長男夫婦と温泉もどき(安かったので予約してもらった。温泉に入ることは可能ではあったが、いわゆる温泉旅館ではなかった)に出かけて、始めて釣り堀で生け簀のサカナを釣ったりして出だしは良い、今年も良い年になりそうと安心していた。しかし、正月の中頃から、一気に、普段見聞きすることがない病名を沢山知ることとなり、てんやわんやとなった。
まず、生まれて2月目の孫がRSウイルスに感染し、入院することになった(生まれたばかりでも感染する風邪のようなものだが、鼻水や痰で窒息死するケースがあり、赤ちゃんの突然死の原因に多いとのこと)。早期に気づいて大事にはならなかったが6日ほど入院した。当然母子入院であり、次男はともかく忙しいらしく、幼稚園児の孫娘の世話が必要となり、家内が急遽仙台に向かった。2月前の出産時の手伝いの経験から、土日家内だけでの対応はしんどいと言うことで、金曜日の午後から日曜の朝まで僕も手伝いに駆けつけた。僕までが来ることはない(逢いたいために来るだけだろう)と皆は疑い気味であったが、後で感謝された。というのは、退院の翌日幼稚園での発表会があり、しばらく母子分離状態であった孫娘は発表会にはママに来て欲しいと金曜日の昼頃にはごねたらしい。そこで、家内と二人で2ヶ月の赤ちゃんの世話を5時間ほどする羽目になった。機嫌の良い子どもで搾乳を入れたほ乳瓶を武器に大過なく世話をすることができた。二人がかりで6回もおしめを替えた。昔と違い紙おしめで便利になっているのに感心した。自分の子どもの世話も良くしたつもりであったが、布おしめの時代に自分の子どものおしめを変えた記憶が乏しい。都合良く記憶を歪めているのかも知れない。
続いてはリバプールにいる友人に頼み事をしたのだが、家族は大わらわであることが分かり、放念するようにメールした。娘が試験期間中に調子を崩して肝炎で入院し、同居の60歳のJacquieは感染症で大腿骨から膝にかけて激痛がするというPoly Myelitisと診断された(糖尿病もある)と大事になっていた。三つ目は大学教授をしている僕の初期の教え子から久しぶりのメールがあり、進行性の難病と診断されたということであった。定年まで勤められそうもない神経内科系の病気であることが調べると判明した。病名から医学辞典で調べると、パーキンソン病に似た症状を呈氏、進行するのだが治療法はない、予後は悪いとあった。見舞いに行こうかと訪ねてあるが、考えるという返事である。子どもはほぼ独り立ちしたけれども、彼の無念さを思うとやりきれない気持ちである。僕の落ち込みもひどく、大学が行ったホテルでの催し物のシンポジウムと懇親会には、挨拶だけをすまして、体調不良と言い訳して早退した。1日に何度かは彼のことを考えてしまい気分は晴れないままである。
斯く左様に、周囲では次々と普段見聞きしない病名を聞くことが重なってしまった。併せて、自分の心臓も調子が悪そうなので、昨日検査のために病院を訪れた。2年前からときに左胸に違和感(キューという感じ)がすることがあのだが、それが仙台滞在中に起こり、狭心症の疑いと次男に言われて念のため受診をしたのである。造影剤を入れて心臓CTを撮影した(造影剤が体内の血管に入っていくときは強い酒を一気飲みしたときの感じに似て、悪い感じではなかった)。結果は1週間後に聞くことになっている。次男は血管に石灰化が見られるはずというが、僕の自己診断では一過性の虚血が疲労が蓄積していたときに起きたのか、あるいは大胸筋の筋肉痛(孫を抱くための腕の筋力増加のためにラバーでのストレッチをすることがある)ではないかと思いたい。
いずれにしても診察を受けることにしたのだから、後はまな板の鯉で、専門家の指示に従うしかないが、確実に老人の身体になってきており、死というものが遙か彼方の絵空事ではないことを了解せざるを得ない。
何とも厄年めいた年明けであるが、身体器官の老化を身近に考えねばならないことに気づかされた。何はともあれ、晩節を汚さないようにせねばと心したことであります。
喪中葉書から思う。
19枚。今日までに届いた喪中はがきの数である。近年はほぼ似たような数の喪中葉書が届く。ほとんどは高齢の家族の死亡の連絡であるが、自分と同年齢の知人の死亡報告もゼロではない。自分の年齢が冥土に近づいていることに気づかされる。数日前に届いた友人のクリスマスレターに「I am conscious that time is creeping on, and several friends and/or former colleagues have passed away during this year」と、同じ思いが記載してあった。
年末に届いた喪中葉書のなかで、何と言って良いのか適切な形容詞が見つからないのだが、気持ちを揺さぶられたのは山家健二君の奥さんからの喪中葉書である。奥さんとは面識はないので何か添え書きがあるというものではない、活字だけのものである。
健ちゃんは小学校と中学校の同級生で、斜め前の家の幼なじみである。毎日、「健ちゃん、学校行こ!」と僕が玄関前で叫ぶと5分ほど待たされてから彼が現れて、一緒に登校したことを思い出す。彼には兄、姉、妹が居たように記憶している。今では死語である「疎開」してきた家族の一員であった。その前に母の友人一家が疎開していて、その一家が大阪に戻ったあとの家に入居した家族であった。健ちゃんの母親が隣の在所の出身と聞いていたが、疎開した先で20年以上も都会に戻らなかったのは、何か理由があったのだろう。父親はもと新聞記者であったと聞いた記憶があるが会った覚えはない。
60年以上も前のことなので想起できるエピソードは限られるが、中学では同じ野球部で、華奢なひょろっとした身体であるのに、ある練習試合で特大のヒットを2本打ったこともあった。口数の少ないひ弱な感じのする少年であった(当時の子どもで太った子は皆無であったが)。ずっと一緒というわけではなく、それほど仲良しということでもなく、僕は健ちゃんよりも一つ年下の従兄弟といつもつるんでいたように思う。ただ、これには今思えば理由がある。健ちゃんは他所から来た人であり、「前髪」には加われなかったので、共有する時間が少なかったことがある。「前髪」は地域の3年から6年までの男の子から成る組織で、青年団の指揮のもとで、触れ事や夜回り、お盆などでの下働きをする組織である。集会所での遊具使用や集まりに参加できるので、低学年のころは早く加わりたいと願ったものである(入会を大勢の青年団員の前で、一人でお願いするのだが、そのときの緊張を今でも明確に覚えている。トラウマである)。地域コミュニティの凝集性の高さは排他性という別の側面を持ち、並立は容易ではない。3年生の頃まで一緒が多かった健ちゃんとの間に空間が生まれ、恵まれる側に属したことの後ろめたさがそれ以降僕にあったように思う。
彼は勉強が良くでき、都会の子どもの雰囲気もあり、担任の先生からは目を掛けられているとひがんでいたように思う。健ちゃんは中学を卒業すると工業高校に進学し帝人に入社して定年退職した。年賀のやり取りは欠かさず行ってきたが、25年以上前に中学の同窓会で一度出会い、とりとめもない話をした程度で旧交を温めるとか言う付き合いはなかった。にもかかわらず、彼の訃報に気持ちを揺さぶられたのは何故だろう。たどり着いたのは、僕はどこかで彼に後ろめたさを感じつつ生きて来たのではないかということである。 相対的にすぎないが、その頃の田舎で恵まれた環境で育った僕と、きょうだいも多く大学への進学も考えられなかったと思える(高校進学も無理な場合が珍しくなかった時代であった)彼の境遇への後ろめたさである。健ちゃんが僕をどのように見ているのかを自分では気にしていたように思う。自分で言うのもおこがましいけど、僕が真面目に大学生活を送り、研究者として真摯に役割を演じてきたモチベーションの一つに彼への後ろめたさがあったのではないかと思うのである。僕の感じてきた思いの原因は言うまでもなく戦争がもたらしたもので、戦争がなければ彼の家族は疎開などの苦難を味わうこともなかった。彼の人生は幸せなものであったと信じるが、それでも、別な人生があったはずである。今になって、そう言えば、疎開した家族の子や、戦後10年ほど経った頃に戦死した父親の葬儀を経験する同級生がいたことを思い出す。先の戦争に人生を翻弄された人が身近にも多くいることを実感するのである。
健ちゃんに恥ずかしくないような生き方をせねばという意識の底にあったものが消えてしまったというのが、送られてきた喪中葉書を見てこころ穏やかでなくなった理由ではないかと思うのである。もちろん健ちゃんだけではなく、夜間大学や夜間高校で学びつつも十分な教育環境になかった、疎開してきた従兄弟の眼などを意識の底においてきたのではないかと思う。40年前の若者は、学ぶことへの飢餓感を必死に充足しようとしていた。僕は恵まれていたことを改めて再確認したことである。
健ちゃんは高卒で入社したのち夜間大学に進学したらしく、当時好きだったSさんの手紙に「山家さんは偉い」と書いてあったのに、嫉妬心を覚えたことなども思い出した。僕の方ではSさんに同級生とロードショウを見て自宅に送ったことを手紙に書いて、それが7年ほど続いた関係の破局のきっかけとなった。僕は想像力の乏しい若者であったのである。
長い間会うこともないのに賀状の遣り取りをしていたお蔭で、幼なじみの亡くなったことが分かったのだが、友人間の連絡をネットでしかしない世代の人たちは、それほど身近ではない知人の死をどのようにして知るのであろうか。知らないままで何時までも生きていると考えていくのだろうか。葉書という通信手段の行く末や如何に、とも考えたことである。
今年も残すところ10日を切った。年末に当たり、僕も友人の言うように、「I realise how lucky I am to be able to enjoy a varied life so much」に同感である。
詭弁と政治家と
詭弁とは「自説を正当化するために事実と異なる嘘の根拠を用い、論理学的に明らかに不当な論理を用い単なる印象操作で自説が正しいことを聞き手に錯覚させる発言」とアリストレレスが言っているように、古くから政治家の議論における詭弁が問題視されてきたようである。と間接的な言い回しになるのは専門家の受け売りだからである。
時折テレビの国会中継でアベと質問者との生のやり取りを見ると、「うそつけ」と突っ込みたくなることが少なくない。また、試験での答案なら×がつく質問の答えになっていない回答、それを放置したまま(時間がないためかも知れないけれど)、次の質問に移る質問者を見ると、彼らをバカにして悦にいっているのではないが、情けない気持ち、無力感に苛まれる。
長年編集に関わってきた雑誌に「人間環境学研究」があり、今月(13卷2号)掲載される論文が政治家の詭弁についての実証的研究をしているので、紹介しておきたい。京大の山田慎太郎氏らの論文である。この雑誌は著名とは言えないが、J-STAGEというデータベースで誰でも検索すれば読める。公的なデータベースで日本の様々な研究雑誌を無料でダウンロードできる。内容は、大阪都構想を推進せんとする候補者(A氏)と反対するB氏の選挙期間中のTwitter内容を分析したもので、詭弁とする内容をタイプ別に分析したものである。詭弁には「根拠のない噂をでっち上げる:幻法水煙」、「%で言えば的確な情報になるのに、敢えて件数だけを提示して誤解に誘導する:総数詐術」など、17タイプがあることを知って「嘘にもいろんな種類があるものだ」とびっくりした。論文では定量的分析が丁寧に行われている(詭弁のタイプの定義を知るだけでも面白いと思いますよ)。詭弁文章率(総文字数に対する詭弁文章文字数の比)と詭弁濃度(100文字当たりの詭弁出現回数)が定量分析の中身で、簡単に言えば、発言の中にどれだけ頻繁に詭弁が含まれるかを物差しにした結果、詭弁文章率はA氏が48%、B氏は2.6%であったという。詭弁濃度はA氏が0.64(回/100文字)、B氏は0.06(回/100文字)あった。圧倒的にA氏の発言は詭弁が多いことが明らかである。A氏って誰かは言うまでもなかろう。
政治家を志すものには、詭弁を弄することが必須の能力と思えるのはトランプ現象でも裏付けられることであるが、ギリシャ・ローマの時代から、政治家の詭弁に翻弄される危険が指摘されているにもかかわらず、一向に変わらないのは何故なのだろうか?分かりやすい言い回し、センセーショナルな表現、断定的な調子、などが偽の情報を伝達させる役割に寄与しているのかも知れないと直観的に考えたりするが、詭弁であることの判断がどうして人間にできないのだろうかは、心理学の重要なテーマであることをこの年齢になって気づく。30年若ければ、取り組むのにと、山田論文を査読して考えたのでありました。若い人でこの種の研究をして欲しいと思いました。応援しますよ。
仙台に住む次男夫婦のところに子どもが生まれ、顔を見に月初めに出かけて3日ほど4歳近い孫娘の相手をしてきた。生後9日目の男の子は元気で食欲旺盛で安堵した。こんなに小さいのかというのが実感。3日間「汚れを知らない」幼稚園児の相手をしていると、詭弁を弄する大人に騙されないように育って欲しいと願うことしきりである。「疲れを知らない」幼児の相手は身体的には大変である。土曜日は幼稚園に送り迎えして初めての学芸会を見学し、翌日にはアンパンマンミュージアムに連れて行ったが、その帰路は、15キロほどの重さになった孫娘をだっこして帰ることとなった。筋肉痛、腰痛、肩こりなど、フィジカルには老化した自分自身を思い知った。もっとも、メンタルには幸福な時間を味わい、早朝の飛行機で午後の会議に間に合うように大学に到着した。もちろん、へろへろ状態でありましたけど。
Do it now!
今月の初めに使用中のUSBが壊れた。少しだけ朝に家で作業をして、大学に戻って続きをやるべくPCに差し込むと「初期化する?」しか表示されない。2年ほど前にも似たようなことがあって、そのときはNTTに居たことがあるという職員の家人に助けてもらい、一部を復活させてCDに焼いてもらったことがあった。そのときは、念のためと戻ってきたUSBを普段使っていないPCに差し込むと問題なくすべてのファイルが読めるようになったので、今回も別のPCで試せばファイルは読めるだろうと高をくくっていたが、自分が持っている新旧5台のMac, Windows PCを取り混ぜてトライしてみても、画面にはあざ笑うかのように「初期化する?」しか表示されない。
情報センターの専門家に依頼して、半日見てもらったがUSBには何の痕跡もないということであった。中身はすべて思い出せないが、少なくとも夏休みを跨いでの2月半に研究協力者の手を煩わさないようにと、13年間の住民健診データから左ききを選択して高次脳機能に関連する項目を集めたデータベースが何種類かと、自分でやった統計分析の結果、修正依頼のコメントへの対応関連英文、いくつかの挨拶原稿などが含まれている。4000人規模のデータから左ききを選び出し、記憶、注意などのいくつもの検査項目の得点表から関係するものを取り出してデータベースを作る作業は大変で、目は霞む、肩は凝る、背中は軋むといった具合に老体を駆使してであったので、がっくりしてしまった(元データは消えたが最終版の統計解析用のデータは別な所に分析依頼のために送ってあったので、すべての苦労が水泡というわけではないが)。
時々バックアップをすることはしていたので、7月26日までのファイルは保存できているが、夏休みの作業結果は全て消えてしまったのである。USBが壊れる前日にそろそろバックアップしなければと帰り際に思ったのだが「明日にでも」と考えてしまったのである。「思ったときに直ぐせんから」と反省したが手遅れである。USBの回復は業者に頼めることは承知しているが、我が情報センターの専門家の力量から考えて回復の望みは少ないだろうし、何より個人情報データなので外部に出すわけにもいかないと、諦めることにした。PCを初期から使ってきたので、磁気テープ、フロッピーディスクなど、時代毎のそれぞれの媒体で記録がなくなる「やっちまった」経験はいくつかあるが、USBになってから壊れることはないと思い込んでいたフシがある。読者の皆さん、USBは壊れることがありますよ、と伝えておこう。「Do it now!」の教訓が身にしみ、「明日ありと思う心の徒桜、夜半に嵐の吹かぬものかわ」という誰のものか思い出せない一首が脳裏に浮かんだのであります。
10月は以外と天候が定まらず、またここでは書けない不祥事に関係する雑事が重なって、何時になく多忙で菜園の準備が遅くなっていた。スーパーの出店で野菜の苗を売っていて買おうかどうか迷ったが、「次回でよかろう」と先延ばしにすることにした。孫の初めての幼稚園運動会のために4日ほど仙台に出かけ、翌週の日曜にスーパーに行くと野菜の苗はもう終わりましたということであった。別のガーデニングの店に車を走らせたが、野菜の苗は置いていなかった。諦めきれず3日ほど置いて時間が取れたので3軒目に行ってもなく、4軒目で最後に売れ残っている、枯れそうなひょろひょろの苗をやっと入手した。スティックブロッコリーとネギ苗を探していたが存在せず、種類が一本ずつ違うブロッコリー苗を4本と菊菜を植えることが出来た(その後順調に育ちつつあり、毎朝バッタの駆除に余念がない)。自らの「次回でよかろう」が招いたための東奔西走である。と言うように、反省の多い神無月でありました。「Do it now!」の標語をどこか部屋に掲げるかな。