中国紀行文(15)― 8月7日(金曜)
今日は、 吉林省琿春市にタクシーで出かけた。 琿春市の概要を説明する。 琿春市は中国の東北辺境、吉林省東南部の図們江(豆満江)下流地区に位置し、中国・北朝鮮・ロシア三ヶ国の国境が交錯するところであり、 地理的には東北地方の中心にある。 琿春の東南はロシア浜海辺彊区と接しており、 国境線の長さは246km。 現在は琿春通商口と琿春鉄道通商口はロシアと通じている。 琿春西南は図們江を挟んで北朝鮮の咸鏡北道と向き合っており、国境線の長さは130.5kmである。 そのうち、圏河通商口と沙坨子通商口からは北朝鮮と貨客が通じている。 圏河通商口の向い側は北朝鮮の羅津-先鋒自由経済貿易区である。 琿春南部の防川から図們江に沿って約15km下ると、日本海にたどり着く。 図們江は長白山の東側から発し、 長さは516km、 中国・北朝鮮・ロシアを繋いでおり、中国から陸路にて日本海へ入る唯一の水上通路である。 この通路を通って、歴史的に琿春は一時期、中原地帯が日本・ロシアなどの東北アジアの国家と親善交流する通路となり、国境貿易が非常に盛んになった。 この特殊な地理的位置により、琿春は外向的経済の卓越した強みを持つこととなっただけでなく、 国際文化交流の重要な基地となった。
以上が琿春市の概要であるが、 タクシーから北朝鮮の領土を初めて目にしたとき、 一抹の感慨があり、 じっと見入った。 拉致被害者のこと、 諸々。 国境に流れている川も印象的だった。 簡単に歩いて渡れる浅瀬が続いているように思えた。 上記概要説明の中にもあるように、 ロシア、 日本海、 北朝鮮、 中国が一同に見渡せるというのも壮観であった。 掲載の写真を参照願いたく。 写真の中の橋の左側がロシア、 橋を渡った右側が北朝鮮、 橋のずうっと向こうが日本海、 写真を撮っている側が中国という位置関係。 遠くを見るため、 有料で双眼鏡を借りることもできた。 ひとしきり四方を眺めた後、 中国人パートナーの大学の同期生・琿春市医院院長に会うため、 琿春市内に引き返した。 院長室を訪ねたときは、 会議中だったので、 少し待った。 程なく会議が終わったので、 院長室に入ると、 笑顔で迎えられた。 院長としての風格を備えていた。 雑談している中で、 近くで虎が出て牛を襲った新聞記事が出ていたという話題が出、 秘書にその記事を探させ、 その新聞記事を頂いた。 歓談の後、 夕食に招待された。 院長の秘書も元軍人ということで格好よくスマートで、 トイレに私が立ったときは、 離れた外で待っていると言う心配りには感動した。 色々な話題を話し合った。 すっかり打ち解けて友達になった。 院長は周恩来の風格を持っていた。 話の内容で、 みんなに信頼されていることがわかった。 今後医療関係で付き合いが始まる予感がした。 気持ちのいい夕食の後、 タクシーで延吉市内に戻り、 昨夜と同じ銭湯で疲れを取り、 明日の長白山行きに備えた。
ー - - つづく
中国紀行文(14)― 8月6日(木曜)
彼の父親に出迎えて頂いた。 80歳は越えておられるのに、 結構元気そうだった。 体型が息子とほぼ同じであることが微笑ましく、 ある意味ではユーモラスであった。 親子はこんなにも似るものかと。 この方は、 老人ホームに入っておられたが、 まだやることがあるということで、 老人ホームを出てある教室を開かれていた。 この教室というのは彼のライフワークに相当するものである。 後に重要なことをこの方から学ぶこととなる。 宿泊先に荷物を置き、 中国人パートナーの大学の同期生の病院長に会うため、 郊外にタクシーで出かけた。 あいにく病院長は外出中だったので、 同じく外科部長をしている同期生と会った。 彼らは医学部出身のエリート達だった。 久し振りということで夕食をご馳走になった。 彼らは韓国語で話しているので、 内容はわからなかったが、 同期生ということで楽しく旧交を温めているようだった。 夕食を終え、 友達を後にし、 また延吉市内に戻って行った。 一旦彼の父親の家に戻ってから、 1日の疲れを癒すため、 銭湯に出かけた。 ここは「風呂」「垢すり」「マッサージ」が揃っており、 「垢すり」は男達が真っ裸で、 6人位一緒に垢すりをしていた。 慣れていないため、 異様な光景だった。 内容はなかなか気持ちが良かった。 次は個室で女性によるマッサージ、 私はタイ式ではなく、 韓国式を選んだ。 韓国式のほうがソフトなマッサージだからだ。 旅先で強すぎて腰が痛くなるのを恐れていた。 それでも少し痛いと、 「軽く(qing)、 軽く(qing)」と中国語で牽制していた。 マッサージャーの彼女は笑って、 どこから来たのか等、 中国語で話しかけてきた。 結構楽しいやり取りをしていた。 後でわかったのだが、 この地域は中国でもマッサージの上手さはNO.1とのことだった。 最後の方は気持ち良くなって眠り込んでいた。 すっかり癒されて、 帰宅しぐっすり眠ることができた。
― - - つづく
中国紀行文(13)― 8月6日(木曜)
朝早く起床し、 満州国時代に日本が建造したホテル周辺を散策した。 大きな門からの長いアプローチを気に入っていたのだが、 改めて見る朝陽を浴びた松林や庭園は事の外風情があり、 歴史の中で生き続けている自然の力強さも感じるひとときであった。 ジョギングしている中年夫婦にも出会った。 いつもの太極拳と気功もやりたかったが、 何故かその余裕がなかった。 ただただ素晴らしい佇まいに心を奪われていた。 今日は吉林省延辺朝鮮族自治州延吉市に向かい、 高速バスで移動することになっていた。 残り惜しいホテルを後にし、 タクシーに乗ってバスターミナルへと向った。 途中お城を眺めることができ、 ビデオカメラにも収めた。 ここでお城に遭遇するのは、 本当に不思議な心持ちだった。 しかも今、 中国地方政府に使用されている。 中国と日本の歴史的関係を垣間見ることとなった。 バスで長春市内を抜け、 高速道路に出るまでに約1時間近くかかった。 中国は如何に広大かがわかる。 高速道路に出てからも延々と森やトウキビ畑を左右に見ながら進んで行った。 本当に豊かな自然が残されている。 これが実感である。 中国の広大な自然を見ながら、 日本の農業のことを思った。 日本も自給自足率を上げ、 農業を再生していく必要があると。 今度の新政権に期待したいものだ。 約7時間後に延吉市に着いた。 これからしばらく中国人パートナーの父親の家にお世話になることとなる。 タクシーを拾い、 その家に向った。
― - - つづく


