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中国紀行文(18)― 8月9日(日曜)

早朝起床し、 朝風呂に行った。 一部工事中の所があったが、 ちゃんと機能していた。 これも中国ならではのことだろう。 日本では、 工事中の部分がある中では営業はできない。 法律的に。 また、 ユニークな機能も付いていた。 相当強い水流が壁側から出て来る仕組み。 爽快感があった。 この施設を後にし、 外に出ると、 歩道上に朝市が展開されていた。 色々な果物、 野菜、 魚、 肉等等が一杯あり、 活気を呈していた。 少し路地を入ったところで朝食を摂り、 延吉市全体が見渡せる高台のある公園に向った。 この吉林省延吉市は中国中央政府要人を数多く生み出している。 近い将来展開する我々のプロジェクトに貢献頂く方々もその中に含まれている。 その一部の方に今回の旅行でお会いした。 この延吉市創建に貢献した人物の記念塔がある場所にも行った。 そこで中国人パートナーの母親と職場を同じにしていた婦人の石碑(昨年までは生存されていた)に出会うことにもなった。 重要人物の婦人ということで、 石碑まで出来ていたのだ。 彼は感慨深げにその石碑を眺めていた。 早朝、 色々な意味あるものに触れることができた。 北京に旅立つ準備のため、 彼の父親の家に戻り、 身支度を始めた。 すると、 彼の父親が最後に私と話をしたいと言って来られた。 お別れの挨拶とお礼を言おうと思っていたところなので、 喜んでその申し出に応じた。 自分の生い立ちを語り始められた。 その歴史の中には、 戦争、 文化大革命等のことも当然含まれ、 大きな影響を受けられていた。 基本的には、 医療関係者で、 中国医師会の会長も務められていた。 アメリカで教鞭を執られたこともある人物であった。 この方と話している中で、 私が24歳のとき出会った東洋医学の重鎮とイメージを重ねて見ていた。 何という巡り合わせ、 人は一本の綱でつながっているという思いを強くした。 住所とお名前をお聞きし、 今後交流していくことを誓い合った。 最後にこのような結びになるとは思いも寄らなかった。 もし、 この語らいがなかったら、 一人の老人との出会いで終わっていただろう。
お世話になった所を後にし、 北京に出発するためタクシーでバスターミナルに向かった。 北京行きのバスを確認し、 昼食を摂るべく、 近くのホテルに入った。 実はこのホテルには私の故郷の名前がついているのである。 恐らく満州国時代に同じ故郷の誰かがこのホテルを作っていたのであろう。 個室に入り、 食事を摂ったのだが、 それがまた凄かった。 私の舌にぴったり合い、 とても美味しかった。 料理法も代々受け継がれているようだった。 この昼食も心に深く残ることとなった。 中国人パートナーには、 深く感謝し、 握手をし別れ、 寝台のある長距離バスに乗り込んだ。 (吉林省延吉市から北京までの距離: 1,200キロ(注)大阪から北海道の北見までの距離)


― - - つづく


中国紀行文(17)― 8月8日(土曜)夜

長白山から帰宅の後、 最後の夜ということで、 中国人パートナーの案内でレクレーションセンターに行った。 つまり、 銭湯あり、 歌謡ライブあり、 食事ありの娯楽施設。 ところが歌謡ライブの音量が高過ぎて、 耳にガンガン来て癒されるどころか、 疲れることがわかった。 這う這うの態で別の処に逃げ出した。 そこはセレブ用の施設で落ち着く雰囲気であった。 風呂に浸かり、 個室でマッサージを受けた。 この地域は一様にマッサージがうまい。 今夜はここで一泊することにした。 長白山での出来事を反芻しながら、 深い眠りに落ちた。


― - - つづく

中国紀行文(16)― 8月8日(土曜)

本日がいよいよ今回の中国旅行のクライマックスである。 早朝に起床し、 タクシーで吉林省延吉市のバスターミナルに向った。 大型バスに次々と観光客が集まって来た。 午前6時30分頃の出発で、 長白山に向った。 最後の目的地ということで、 期待感で胸は一杯になっていた。 道中も食い入るように景色を眺めた。 どんどん高地に上がって行く感じであった。 豊かな自然の中を突き進んで行く中で、 橋に差し掛かり、 下に渓流下りをしている光景を目にした。 素晴らしいと心の中で独り言ちた。 また、 別荘のようなログハウスも見えて来た。 美しい風景の中を延々と進んで行き、 この道中は奥の院・長白山に通じるロングアプローチといった風情であった。 所要時間は5時間を越えるため、 当初どんどん山頂に向っていると思っていたが、 実は長白山自体は遠方に位置しているということがわかった。 しかし、 私にとってこの道中は遠方への移動ではなく、 やはり奥の院に通じるアプローチであった。 そして、 ようやく長白山の門に辿り着いた。 ここで昼食を摂り、 門を潜って別の大型バスに乗り換えることになった。 ここからはショートアプローチで登山口に着いた。 登山のチケット売り場で大事件が勃発した。 ポイントのみ書く。 問題は、 1)長白山への観光が急増したため、 「登山のチケット売り場」でのスムーズな対応システムができていなかった。 2)中国人のマナー教育が不十分。 例えば、 上海の地下鉄乗車の際と同じ問題が起きた。 つまり、 列をなして、 整然と順番を待つことができない。 3)問題の発生内容: 順番待ちが乱れ、 人が殺到し、 血を見る乱闘が始まり、 チケット売り場のガラス窓が壊され、 チケット販売がストップした。 詳細は不明だが、 この時点でチケット販売完全ストップ、 中国人パートナーは購入を終えていたが、 私のチケットはまだだった。 状況がわからないまま、 私は前へ進み続けた。 勿論、 チケット販売が完全ストップしているのもわからないまま。 その前進方法は異様である。 一応スムーズに登山者が並べるよう、 スチールのバーで仕切ってあるのだが、 身体ひとつ潜れるようなそのバーをひとつひとつ軟体人間のようになって潜り抜けていくのである。 しかし、 私はチケットを購入していないため、 全てのスチールのバーを潜り終わったとしても登山はできないのである。 大きなリュックサックを背負い、 途中で引っかかりながら狭いスチールのバー潜りを繰り返していたとき、 ある女性から声がかかった。 「私はもう登山を断念するため、 このチケットを買いませんか。」と。 この女性はチケットは購入しているものの、 このスチールのバー潜りが余りにも厳しいため、 登山を断念したのである。 私にとっては、 この誘いは「神の声」であった。 このチケットが偽物ではないことを確認し、 購入した。 優に1時間以上、 このスチールのバー潜りを繰り返し、 通り抜けることができた。 このスチールのバー潜りの中でも温かい人間的なことを感じる局面もあった。 このスチールのバーにリュックサックがひっかかり、 身動きができないとき、 手を貸して助けてくれる人がいた。 本当に喧騒の中のドラマであった。 いよいよ登山できるようになっても、 今度はジープに乗り込む必要があった。 この乗車はまあまあスムーズに出来た。 いよいよ山を登り始めた。 結構急斜面である。 しばらく登ると、 乗車客の中で安堵の会話が始まった。 私の目の前に北京から来ている中学2年生の女の子がおり、 教科は何が好きか等雑談をした。 お互い打ち解けて、 私の名刺を渡す等して、 他の中学生仲間も我々の話しに参画し、 和気藹々と楽しく頂上に向って行った。 頂上は絶景であった。 詳しくは、 掲載写真を参照願いたい。 湖の写真の中で向こう側に見える白い道のようになっている処は北朝鮮側である。 いつまでもそこに留まっていたくなるような自然の新鮮な気が満ち満ちていた。 最後に私の観光バスグループでも3分の1は登山できていなかったことを付記しておく必要がある。 また、 その登山ができていなかったグループから旅行会社を責める批難轟々の声が挙がらなかったことも。 


― - - つづく



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