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中国紀行文(12)― 8月5日(水曜)

当初列車での吉林省長春市行きを考えていたが、 満席でチケットが入手できないため、 飛行機に切り替えることにした。 長春市は現在、 省内の政治、経済、文化の中心地となっており、 四季の違いが顕著であり、また穏やかで過ごしやすい気候から「北国春城」の異称を持っている。 歴史的には、 1932年から1945年までは日本満州国の首都とされ新京と呼ばれていた。 市内には当時の建築物が多く残っている。 その中でも、 現在吉林省政府が入っているお城は日本が満州国時代に建造したもので圧巻。 掲載写真を参照願いたい。 私が宿泊したホテルも当時日本が建造したもので、 広い庭も造られていた。 また、 私が泊まった部屋は、 文化大革命時の悪事の咎で江青に対し死刑宣告を下した裁判長夫妻が宿泊された処でもあった。 今回の旅は、 国作りを考える目的も含まれており、 周恩来の活動拠点訪問といい、 また、 長春での歴史的なホテル宿泊といい、 大きな歴史の流れの中にいることを感じた。 将来映画制作も考えているのだが、 ここ長春市内には長春第一自動車製造工場と長春映画製作所が所在し、中国における自動車工業と映画製作の拠点となっている。 実際に映画製作プロデューサーにも会い、 情報交換を行った。 このプロデューサーの紹介で、 中国中央政府トップにつながる人物にも会い、 貴重な医療情報を入手した。 夜には日本料理のバイキングにも行き、 刺身を心ゆくまで食した。 吉林省での素晴らしい旅の始まりを予感する一日であった。


― - - つづく



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中国紀行文(11)― 8月3日(月曜)→ 8月4日(火曜)

チベットのラサ行きを断念して、 午後の飛行機便で北京に移動した。 チベットのラサ行きのチケットはキャンセルできることを確認して。 北京には私も会いたい友はいた。 妻の少女時代からの親友で、 アラブ首長国連邦共和国で数年仕事をし、 現地で知り合った男性と結婚し、 上海から北京に移動していた。 妻と一緒の写真を掲載する。 右が彼女で、 左が妻である。 更に、 上海で私の絵のモデルとなった彼女の娘さんの写真も掲載する。 結構みんな美形である。 今回の写真もあるが掲載は控えることにする。 旧友に会った趣で楽しいひとときを過ごした。 彼女の夫の父親は作家協会に属するプロの作家ということもわかった。 何故か私は彼らの前で、 宇宙の成り立ちから、 これからの地球をどういう方向に持っていくべきか等という話を朗々と捲くし立てていた。 彼の父が作家ということもあり、 このような話題が受け入れられると安心していたのだろう。 とても楽しく、 有意義なひとときであった。 もうひとつ新しい出会いもあった。 江西省でのプロジェクトメンバーの一人である。 オリンピック会場・鳥の巣近くのホテルに宿泊していたので、 彼らと一緒に有名な「鳥の巣」にも行ってみた。 鳥の巣の広大さには圧倒された。 北京にしばらく滞在する予定だったが、 予定変更で、 明後日は吉林省に旅立つことになった。 ここには素晴らしい出会いが待っていた。
○8月3日の夜、 彼らと一緒に有名な「鳥の巣」に行った。
○8月4日の夜、 私の知人(妻の旧友夫婦)と会食した。 昼間は、 ビジネスパートナーと会食した。


― - - つづく



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中国紀行文(10)― 8月3日(月曜)

チベットのラサに向うべく、 朝早くホテルを出発した。 空港のカウンターで搭乗券の発行手続きを始めると、 待ったがかかった。 日本人はラサへの入国許可証がいると言う。 中国人のパートナーは既に搭乗券の発行が終わっていた。 空港警察に相談に行ったが、 彼らの管轄外の事項なのでどうすることもできない。 なんとかならないのかと頑張ってみたが、 何の手も打つことが出来なかった。 ただ、 重慶市内の公安局(日本の警察本部に相当)に行けば方法が見つかるかも知れないという情報は入手できた。 しかし、 中国人のパートナーの搭乗券は既に発行され、 荷物も飛行機に入ろうとしていた。 そこで、 彼が次のような提案をしてきた。 まず、 空港カウンターで入国許可証のことに気づかないような職員を探し、 うまく搭乗券を発行し、 税関の所でも、 その入国許可証に気づかないような職員を探し出し、 何とか切り抜けようと。 私は相当このアイデアには抵抗があったが、 彼の提案に従い、 成り行きをみることとした。 第一関門の搭乗券発行は成功した。 次は、 税関である。 若い女性職員を選び、 手続きを開始した。 そのポイントは無事パスしたが、 パスポートを見せ、 手荷物検査をするところで、 入国許可証がないではないかということになり、 私をパスさせた女性職員が叱られた。 結局、 ラサへの出発は不可能となった。 さあどうする。 二人の荷物は飛行機に積み込まれようとしている。 非常事態である。 というより、 無謀な試みをしたせいである。 空港カウンターで荷物を元に戻せるか聞くしかなかった。 職員は慌しく電話で確認し、 何とか荷物を引き取ることができるということになった。 このとき、 中国の対応に感謝し、 日本ではまず、 荷物はそのまま行くしか方法はなかっただろうなと思った。 中国人のパートナーの荷物は飛行機に乗るべく既に準備されていた可能性がある。 手続き完了後相当時間が経っていたため。 でも、 戻って来た。 奇跡と思える状況である。 中国側の管理の正確さと柔軟な対応に深謝した。 しかし、 これで問題が解決した訳ではない。 荷物を無事引き取ってから、 重慶市内にある公安局に出かけた。 物々しいところであった。 そこの職員はここでは分からない、 四川省の本部・成都市(飛行機で1時間位の所)に行けば分かると思うとの事。 そこで大きな旅行会社で外国人のチベット行きについて尋ねることにした。 ここで真相がわかった。 現在中国政府とチベットは関係が悪いため、 外国人は入国許可証が必要であり、 その手続きには1週間を要すると。 その旅行会社には同じような外国人が来ていた。 しかし、 後日、 ラサ行きは断念していたほうが良かったことがわかることとなる。


― - - つづく