中国紀行文(6)― 7月31日(金曜)
世界遺産「黄山」、 この経験はこれからの私の人生に大きな意味を持ってくるだろう。 まずは、 家族、 友達と一緒にもう一度尋ねてみたい。 水墨画を描いてみたい。 黄山に篭って、 黄山の絵を描き続けている画家がいると聞くが、 その人の気持ちがわかるような気がする。 中国紀行文(5)に掲載の写真をご覧頂き、 読者自身の感性で想像願いたい。 美しい風景を満喫して下山し、 試飲後美味しいお茶を購入して、 次の目的地に向った。 しかも、 東京から愛知県の距離250キロも離れた処にある世界遺産廬山(江西省九江市)へタクシーで。 当然江西省九江市に着いた頃は相当暗くなっていた。 運転手も初めての処なので、 宿泊できるホテルの様子がよくわからない。 道中にある家でこの先にホテルがあるかどうか確認し、 進んでいった。 しかし、 行けども行けどもホテルらしきものはなく、 民家もほとんどない。 霧に覆われて視界もよくない。 しかも、 勾配も急になり、 段々心細くなってくる。 本当にこの上にホテルがあるのとぼやき始めた。 後になって分かったことだが、 廬山を取り巻く山道を登っていたのである。 時間もかかるはず、 急な勾配も当たり前だったのである。 とにかくホテルがあることを信じて、 ただただ登って行った。 麓を出発してから、 1時間強 でやっと宿泊のホテルに辿り着いた。 このホテルは廬山では最高に素晴らしい処ということが翌朝わかった。
― - - つづく
雑感(紀行文一服して)
最近の出来事につき、 紀行文を一時終止して書くこととする。
人間の一生。 自然に終わるのが一番いいが、 本人の意思により終わることもある。 しかし、 自分を育ててくれた両親とか、 兄弟とか、 友達とかのことを思うと、 罪深いような気もする。 あるとき、 その人との電話の中で、 何かを暗示するようなメッセ-ジがあった。 不思議な質問をするなと思っていた。 でもそのときは、 不思議な - - - で終わっていた。 今思うと、 それがひとつのメッセージだったような気がする。 とても優しく、 兄弟思いで、 留学までして、 前途洋々であったことに間違いはない。 それがどうして。 誰もわからない。 しかし、 それも人生なのである。 今の時期に何故と思うが、 それは一つの流れであったのだろう。 私には色々なメッセージを残してくれた。 私に信頼を置いてくれていた。 別れを告げる前に私に電話をくれたことに嬉しく思う。 今後はその人の 生き様を心に留め、 ある分野で精一杯生きていきたく思う。 天の君に都度報告していきたい。 両親から貰った遺伝子コードの数(64 X 2 =128)まで生き、 君の望んでいた世界を実現させていきたい。
中国紀行文(5)― 7月31日(金曜)
楽しいタクシーでのドライブの後(2時間弱)、 観光バスに乗り換え、 黄山に向った。 道中、 中国ならではのことが起こった。 というのは、 道路のカーブにさしかかったとき、 突然バスが停車し、 運転手が車から降りた。 そのとき事故が起きたと思った。 すると、 バスの後ろ側で大きな蛇を棒で叩いていた。 運転手が個人的に蛇を取っていたのである。 食用にするために。 結構美味しいとのこと。 蛇を捕獲後、 平然と運転を開始した。 ユーモラスな出来事であった。 しばらくして登山口に到着した。 ここからいよいよ登山である。 徒歩登山は相当時間がかかるため、 途中までケーブルカーで行くことにした。 これから、 黄山の物語が始まる。 まず、 空中散歩といった感じで黄山の美しさに触れた。 その美しさはここに添付の写真と「世界遺産黄山でのスナップ写真」のブログに掲載のものを参照願いたく。 一見は百聞にしかずということで。 この美しさとは関係ない人生も垣間見た。 それは生活物資の運び屋さんである。 150kgもの袋を登山口から頂上に住む人々の為に一本の竹の棒で運ぶのである。 ベテランと思われる人から青年までいた。 多分彼らは黄山の美しさを享受する余裕はないだろう。 只、 もくもくと物資を運んでいる。 そこにひとつの哲学があり、 この運び屋の職業を選んでいたとしたら、 それはそれで凄い人生である。 この美しさは家族にも友人にも、 皆んなに見て欲しいと
思った。
― - - つづく










