お宝映画・番組私的見聞録 -239ページ目

五人の突撃兵

久々に映画に戻ろう。この時期はCSでも戦争映画が多くなる。個人的には戦争物はあまり見ないのだが、まあ何本か興味の湧いたものを見てみた。その一つが「五人の突撃兵」(61年)である。大映5大スターの共演というおうな触れ込みに興味を抱いたのである。まあ勝新や雷蔵は出ていないが、当時いずれも二十代の若手スターである本郷功次郎、川口浩、川崎敬三、藤巻潤、大辻伺郎の五人が「コンバット」でもよくある橋を爆破するという任務を受けて、犠牲者を出しながらも爆破を成功させるというお話である。この中では年長っぽく見える本郷が少尉役でリーダーなのだが、実は一番若かったりする。本郷は38年生まれ、川口と藤巻は36年生まれ、大辻は35年生まれ、川崎は33年生まれである。他の四人と違い大辻は主役映画はなかったが、脇役としては売れっ子であった。大映スターといえば田宮二郎も、本郷の回想シーン、彼の兄という役どころでちょこっと出ている。彼が人気者になるのは、この直後に公開された「悪名」あたりからである。そういうこともあってか、この作品での扱いは小さい。他の出演者は山村聡、大坂志郎、安部徹の「東京物語」トリオが目を引く(安部徹はチョイ役だったけれども)。ちなみに女優はほとんど出てこない。藤巻の回想シーンに登場する弓恵子くらいである。

ところで、大映が71年に解散した後は悲劇的な運命を歩んだ人が多い気がする。以前にも書いたとおり大辻、田宮は自殺、川口も早逝し、順調そうだった川崎も「アフタヌーンショー」のヤラセ事件で消えてしまった(別に川崎が悪いわけではないが)。藤巻も「ザ・ガードマン」以降は今いちパッとしない感がある。本郷も「特捜最前線」以降はほとんど見かけないし。もっとも70歳前後になって活躍し続けている人なんて、そうそういないけれども。


独占!女の60分

前項はあっという間に終わった番組を取り上げたので、今回は長く続いた番組ということで「独占!女の60分」(75年~92年)を。正直、この番組が92年まで続いていたとは知らなかった。自分はせいぜい80年前後くらいまでしか見ていなかったような気がするが、若い人にも結構わかる番組ということになるのだろう。内容は深夜番組っぽいのに、真っ昼間に放送されていた出演者はすべて女性という番組だ。何といっても強烈なのはその司会陣で、水の江滝子、丹下キヨ子、宮城千賀子のまさしく三婆。アッタカーと呼ばれるレポーター陣(初期)は泉アキ、一谷伸江、キャシー中島が一番印象に深い。他にも松原愛、岩城徳栄、清水クーコ、シェリーなどがいたようだ。

どんなレポートがあったかとかは、あえてここでは触れないが(覚えてないし)、出演者のその後を調べてみた。司会陣ではまず丹下キヨ子が83年頃に糖尿病で降板しているが、それより先に宮城千賀子が96年に73歳で、丹下は98年に78歳で、それぞれ亡くなっている。水の江は自分の甥である三浦和義の事件(ロス疑惑)に関連して、芸能界を引退してまったようだ。90歳を超えてなお健在らしい。アッタカー陣では、宮城、丹下に先駆けて清水国明のカミさんとしても知られた清水クーコが91年に38歳の若さで他界している。前述のとおり、岩井友見に司会が交代してからの番組後期は見ていないのだが、後期アッタカーの一人である五味保恵という人も92年に35歳の若さで亡くなっているそうだ。そしてもう一人、ピーコの愛称で知られた岩城徳栄だが、確か新聞で亡くなったというような記事を目にした気がするのだが、ネット上には確定的な記事はなかった。いくつかのBBSで亡くなっているという書き込みはあるのだが、真相やいかに。とにかく亡くなった方々に合掌。


3分勝負15ラウンド

いつの時代にも低俗番組のレッテルをはられた番組は存在した。あの「8時だよ!全員集合」だって、PTAあたりからはずっとそう言われ続けていた。そういった番組の代表的存在であったのが「3分勝負15ラウンド」である。代表的と書いたが覚えている人は少ないかも。確か3ヶ月程度で打ち切りになったと記憶している。しかもやっていた時期が正確にわからない。自分は毎週普通に見ていたことから考えて小学生ではなかったと思うので、おそらく76年前後であったと思われる。ドラマと違ってこいういったバラエティ物は、意外と調べるのが難しかったりするのだ。

さて内容だが、出演は愛川欽也、藤村俊二、せんだみつおの三人がメインで他にもいたかもしれないが、それは記憶にない。タイトルどおり3分のコーナー15個で構成されるはずであったが、15Rまでやったことはなかったような気がする。もっとも印象深いコーナーといえば、やはり「女蟻地獄」だろう。なんとなく想像は付くと思うが、蟻地獄上の滑りやすい透明板をミニスカのねーちゃんたちが商品目指してよじ登るというコーナーである。抗議が殺到し、番組が打ち切られる大きな要因となっている。他にもシャワーシーンや着替えシーンを単純に覗き目線で送る「のぞき」のコーナー、エロくないものでは月光仮面やウルトラマンなど昔のヒローの年を取った現在の姿を送る「あのヒーローは今」というようなお笑いのコーナーもあった。

結構楽しみにしていただけに、あっという間に終わったときは非常に残念に思ったものである。90年代の深夜辺りにやれば、もっと続いた…かもしれない。

キンキン・ケロンパの歌謡曲

前項で愛川欽也、うつみ宮土理夫妻の名前が出たので、「シャボン玉こんにちは」をまず思いだしたのだが、これより前に二人がコンビを組んでいた番組を発見した。それが「キンキン・ケロンパの歌謡曲」(72年~74年)である。私はおそらく、この番組は見たことがない。放映されていたのが東京12チャンネル(現テレビ東京)なので、当時系列局のなかったわが故郷では放映されていなかった可能性だ高い(されていたらすいません)。どうやら、キンキン・ケロンパの二人とゲスト歌手が、スタジオの複調整室見たいなところで、トークを繰り広げ、歌っている映像はビデオで流す、といったような番組らしい。聞いているだけで低予算なのがよくわかる。そしてこのコンビは前述の「シャボン玉こんにちは」へと継承されていき、78年ついに二人は入籍する。ちなみに愛川が前夫人との離婚が成立した翌日のことであったそうだ。

うつみは「ロンパールーム」、愛川はアニメの声優(「マッハGOGOGO」「いなかっぺ大将」「スーパースリー」など)や「おはよう子供ショー」のロバくん(の中の人)、といった子供番組からスタートし、いつの間にか大人の番組の人へシフトしていった感がある。

ちなみに、うつみは公称43年生まれとしているが、実際は愛川と1つしか違わない35年生まれということである。ということはもう70歳ということになるのだなあ。

ベスト30歌謡曲

この辺で、歌番組にも目を向けてみようと思う。まず最初に思い浮かぶのは「紅白歌のベストテン」だが、あえて「ベスト30歌謡曲」(73年~76年)を取り上げてみる。といっても、当時はそれほど歌番組を真剣には見ていなかったこともあり、この番組についても断片的な記憶しかない。ベスト30ってくらいだから、ランキング30位から紹介されていったと思うが、まあ1時間番組なので当然、全曲歌われるわけではなく、都合のいい歌手が登場していたのだろう。ランキングが何を基準に作られていたかはわからないが。司会は男女コンビで、男は最初、愛川欽也だったのは覚えているが、頻繁に変わっていたようである。男性は愛川の他は、森田健作、井上順などで、女性は五十嵐淳子、児島美ゆき、風吹ジュン、研ナオコ、うつみ宮土理などが歴任したらしい。コマーシャルでコンビを組む愛川と研、後に夫婦となる愛川とうつみというコンビではなかったようだ。ちなみに出場歌手は西城秀樹、野口五郎、布施明、森進一、アグネス・チャン、天地真理、浅田美代子、南沙織、山口百恵、チェリッシュ、チューリップなど今も活躍している輩も多い。この時代の歌手はしぶといのである。

特ダネ登場

今もなお、手を変え品を変えながらも続く、全国の奇人変人、ビックリ人間大集合的な番組のルーツともいえるのが「東芝ファミリーホール・特ダネ登場」(70年~79年)である。最近でいえば、この番組の流れを汲む「投稿!特ホウ王国」などはレポーターが現地へ飛び、紹介する形式だったが、この「特ダネ登場」は会館やホールでの公開形式なので、その「特ダネさん」が、ガウンを着て登場した。そして「この方は、どんな人でしょう?」といきなりクイズが始まる。司会は当時の売れっ子司会者・押坂忍だが、最近はほとんどテレビで見かけることもない。解答者は長門裕之・南田洋子夫妻を初めとして、山本直純、金田正一、芳村真理、木原光知子などがよく登場する顔ぶれであった。後、坂本スミ子とか山東昭子、萩本欽一もよく出ていたような気がする。まあ、どんな「特ダネさん」が出ていたかは、ほとんど覚えていないが、毎週あった「珍名さん」のコーナーはよく覚えている。味噌、醤油、顔、耳、口というような珍姓・奇姓の人や、有名人と同姓同名の人とか、普通はまず読めない難読姓の人とかインパクトのある名前の人が沢山登場した。ではここで問題、次の姓は何と読むでしょう。九、十、一二、二十八、五六、七五三、百千。

しかし、この番組9年も続いたという印象はなかった。子供も頃は楽しみにしていたが、放映時間帯も変わり(21時から19時半へと変わった)、途中から見なくなったからかも。ちなみにこの番組の前番組は日本テレビでは「コント55号の兵隊さん物語」であった。

さて問題の答えは順に、いちじく、つなし、つまびら、つちや、ふのぼり、しめ、おおち、と読むらしい。全部読めた人は…偉い。 

コント55号のおとぼけ人間学

前項で書いたとおり、70年代にはコント55号の番組が数多く存在していたが、その中でも一番幻の番組といえるのが「コント55号のおとぼけ人間学」(71年)ではないだろうか。人気絶頂コンビの番組にもかかわらず3回で打ち切られたというのだから、余程視聴率が低かったのであろう。この番組を見たという人はかなり貴重な体験をしたことになる。しかも覚えていたりしたら、それはもう…凄いとしかいいようがない。当然その内容など調べるのは不可能だといえる。一応わかったことといえば、71年4月の木曜の22時からフジテレビで放映されていたこと。サブタイの1つ(おそらく2回目)は「喧嘩ノススメ」で、ゲストは天地総子に「プレイガール」の桑原幸子など、といったことぐらいか。当時の22時といえば、完全に大人の時間帯だったといえ、子供はもう寝なさいといった時間だったのである。55号の人気はやはり子供に支えられていたということなのだろうか。あまり子供向けの笑いだったとは思えないのだけれども。

55号決定版!

唐突だが、70年代に数多くあったコント55号の番組で、一番見ていたのは何かと考えると「なんでそうなるの」や「裏番組をぶっ飛ばせ」を抑えて「55号決定版!」ということになろうか。なにしろ70年~75年と長期に渡り放映されていたからである。その割りにあまり話題になることはないように思う。「全員集合」と同じ公開番組で、提供はトクホン、どうやら正式タイトルを「みんなで出よう!55号決定版!」というらしいのだが、一度も聞いた記憶がない。タイトル通り素人参加のコーナーもあったらしいが、やはり印象にない。最も記憶に深いのは、やはり「赤忍者」のコントである。赤忍者を坂上二郎と後に2代目ケンちゃんとなる岡浩也が演じていた。その岡浩也もあの慶応医学部を出て、今や精神科医だそうである。そして、トランポリンなどを使った体操芸を見せる「トミ譲二とロイヤルズ」。リーダーであるトミの「怒っちゃあいけねえ、怒っちゃあいけねえよ」のギャグも記憶に残っている。しかし、この「トミ譲二とロイヤルズ」をgoogleで検索しても3件しか引っ掛からなかった。余程みんなの記憶の彼方なのか、幻のグループだったのか、確かにこの番組以外で見たことなかったし。

ところで、当時の55号の番組は前述の他にも「チータ55号」「スパルタ55号」「コント55号の兵隊さん物語」「コント55号の体当たり作戦」「コント55号のいじわる野郎」などなど聞いたこともない番組が多々存在する。調べてみたいが、かなりの困難が予想される。



赤白パネルマッチ

ここ3回ほど、割合メジャーなクイズ・ゲーム番組を取り上げてみたが、ここでマイナーなものを1つ。ロイ・ジェームス司会の「赤白パネルマッチ」(70年)である。司会とタイトル以外覚えていることがほとんどなく、見ていたという記憶のみがある程度である。番組がどのくらい続いたのか不明だが、おそらく1年程度ではなかったか。内容はどうやら神経衰弱ゲームのようなもので、わかりやすく言えば「新婚さんいらっしゃい」のペア・マッチみたいなものだったようだ。提供はグリコで、「クイズグランプリ」でいうチャンスカードである「グリコカード」が存在していた。しかし、この頃はグリコ提供の番組というのは多かったと思う。「♪グリコ、グリコ、グリコ~」で出始まるアニメ「鉄人28号」や「遊星仮面」、バラエティでは「がっちり買いまショウ」、ドラマでは先日取り上げた「アイちゃんがいく」もグリコの提供であった(そこで書き忘れていたが、「提供・江崎グリコ」のテロップが残ったままCSでは放送されたのである)。

さて、司会のロイ・ジェームスだが、当時は日本語の上手な外人さんだというようなイメージだったが、東京生まれの東京育ちなので日本語がうまいのは当然と言えば当然なのだった。その名前から英米人だと思われがちだったと思うが、父親はトルコ人。ロイ・ジェームスという芸名は二人の友人の名を合わせたものらしい。親交のあったE.H.エリックの代役で日劇の舞台にあがったのが芸能界入りのきっかけで、司会者のイメージが強いが、映画にも数本出演している。この番組が放映されていた70年に帰化している。徐々にテレビでは見かけなくなった印象があったのだが、82年に他界しているのでそれも当然なのであった。なぜか亡くなったのは最近のことだと錯覚していた。とにかく合掌。

底抜け脱線ゲーム

我々が子供の頃のバラエティ番組の基本的存在みたいだったのが「底抜け脱線ゲーム」(63年~73年)である。現在も続くタレントらによる体力ゲーム番組のはしりといえよう。当時の印象といえば、何でチーム名が「底抜けチーム」に「脱線チーム」なんて変な名前なのだろうと思っていた記憶がある。毎週のように見ていたはずだが、どんなゲームがあったとか、誰が出ていたとか見事に覚えていないのである。提供はお馴染みのロート製薬で、司会は金原二郎、ゲームには毎回しゃれたタイトルがついているとか基本的なフォーマットは当然覚えてはいるのだが。女優では山東昭子とか、お笑い系では林家三平のような当時の大御所も主演していたとかすかに記憶しているが、何故か一際はっきり覚えているのがイソノカツオではなく「海野かつを」である。とにかく頻繁に出ていたような気がする。それ誰?と思う人も多いかもしれない。私自身ここ30年くらい見かけた記憶がないし。海野かつをは元々浅草の芸人で、谷幹一、関敬六とスリーポケッツというグループをくんでいた人である。「おはよう子供ショー」ではずっと動物のぬいぐるみに入っていたらしく、子供番組を中心に活躍していたようだ。「隠密剣士」では、普通に敵の忍者の役をやっていたりもしていた。ちなみにこの人「新栄電機」という家電メーカーのCMに長い間出演していたそうだが、その新栄電機に転職して引退してしまったということだ。

この番組は一旦終了したものの、すぐに「新・底抜け脱線ゲーム」として復活したと記憶している。司会は同じ金原二郎で、サンダー杉山がレギュラーだったような。次のゲームに移る際「お次の番だよ、お次の番だよ、次のゲームはなんだろな」という唄とチンパンジーの映像が流れていたのを今突然思い出した。私の記憶が正しければであるが。