お宝映画・番組私的見聞録 -230ページ目

夕陽に向かう・夕陽の恋人

さて、黛ジュンの相手役としてデビューした森田健作だが、やはりテレビの「おれは男だ!」(71年)で人気者になったイメージが強いのだが、既に69年、70年と数本の映画で主演を務めているのである。その中の2本が「夕陽に向かう」「夕陽の恋人」(69年)である。青春ドラマといえば、夕陽に向かって「バカヤロー」と叫ぶイメージがあると思うが、やはりそのイメージは森田健作から来ているものと思われる。これらの映画のタイトルを見ても、まさにそういったシーンを予想させる。森田健作=夕陽の男という感じで、売出しているのだ。どちらの映画も主人公森田は工場で労働にいそしむ青年だが、ある日恋人となる女性と知り合うというパターンは一緒である。「夕陽に向かう」の恋人役は珠めぐみで、彼女は何だかんだあって、鳥取砂丘で自殺を図ろうするのだが、寸でのところで森田が救う。二人のバックには大きな夕陽が沈んでいくというラスト。「夕陽の恋人」の恋人役は尾崎奈々で、こちらは事故に遭い、病院のベットで森田に見守られながら息を引き取る。屋上に駆け上がった森田は夕陽に向かって慟哭するというラスト。「バカヤロー」と叫んだのかどうかは不明だが、70年代青春ドラマの原点がここには見えるような気がする。他の出演者だが、「夕陽に向かう」の方は、田中邦衛、河内桃子、小松方正、太田博之、根岸一正などで、「夕陽の恋人」は、岡田英次、久保菜穂子、森次浩司(森田の兄役)、そして黛ジュンが本人役で登場するようだ。

天使の誘惑

前項で話題に出したので「天使の誘惑」(68年)についても触れておこうと思う。前項でも書いたとおり「天使の誘惑」と言えば黛ジュンの大ヒット曲だ。調べてみると、黛ジュンは68年から69年にかけて10本くらいの映画に出演しており、当時の人気が伺われる。しかし主演はこの「天使の誘惑」と「夕月」の2本だけのようで、後は当時の映画には付き物という感じの夜の酒場で唄う歌手のようなプロモーション的出演が多いようである。当時の黛ジュンは男子のように髪が短く、それだけでも私の範疇からはずれており(要するにロングヘアー好きなのだ)、あまり興味の湧かない存在であった気がする(歌は好きだったが)。さて本編だが、あらすじを読んだ限りでは(毎度のことなから未見である)、これは黛ジュン扮するヒロインが次々と男と出会い、次々と別れていくという、大ざっぱに言えばそういう映画である。勿論、彼女が色情狂のように描かれているわけではない。偶然出会い、好意を抱くけれども結ばれるには至らないというパターンを繰り返すのである。まずは石坂浩二、そして石立鉄男、次いで田中邦衛と次第に二枚目度はダウンしていき、最後は芦野宏。芦野宏って誰だ?と思い調べると、どうやらシャンソン歌手の芦野宏だと思われる。55年から64年にかけて10年連続で、紅白歌合戦に出場するという結構な経歴を持つ人で、当時は40歳であった。ちなみに映画出演は、これ1本だけのようである。まあ出会っているだけで、当然肉体関係まで行ったりしていないようだが、短期間にこれだけ出会いがあれば、たいしたものである。

夕月

中山千夏からたどって行くと「天使の誘惑」「夕月」という2本の映画にたどり着いた。これは2本とも当時の人気歌手である黛ジュンの主演映画であり、中山は両方ともその友人という役柄のようである。黛ジュンが演技しているところなど映画、テレビ含めて見た記憶はないが、当時は人気物とあらば映画に出演することはよくあった。「天使の誘惑」は同名の大ヒット曲があるので、すくに黛ジュン関係の映画だと見当がつくが、「夕月」(69年)はその地味なタイトルを聞いただけでは想像もつきにくい。鶴が恩返しするような映画かななどと思ってしまう(それは夕鶴)。簡単に言えば純愛映画で、黛ジュンの相手役として一般公募のオーディションで選出されたのが鈴木栄治こと森田健作である。森田健作というのはこの映画での役名であり、それをそのまま芸名にしたのか、先に芸名を決めてから、それを役名にしたのかは不明だが、いずれにしろこの地味なタイトルの映画から森田健作は誕生したのである。他の出演者は田中邦衛、山口崇、佐藤友美、小沢栄太郎などである。

クレオパトラ

中山千夏は人気だった当時でも、映画においては主演というのはなかったようである。しかし声優としてなら何本かある。映画化された「ひょっこりひょうたん島」に「じゃりん子チエ」、そして「クレオパトラ」(70年)である。これは手塚治虫が監督(山本瑛一と共同)を務めたアニメーション映画だが、大人向けのエロティックな作品であり、まともに見た記憶はない。キャラクターデザインも手塚ではなく「仙人部落」や「ヒゲとボイン」で有名な漫画家・小島功が担当している。手塚キャラより色っぽいとの判断かもしれないが微妙なところである。主題歌は由紀さおり、挿入歌「ゲリラの歌」は小室等率いる六文銭が担当している。声の出演は、クレオパトラは前述の通り中山千夏で、シーザーがハナ肇、アントニウスがなべおさみ、他にも吉村実子、塚本信夫、柳家つばめなど本職の声優といえる人は野沢那智くらいであろうか。おまけに「連想ゲーム」の男性キャプテンだった漫画家・加藤芳郎や、「ハレンチ学園」の予告に登場する教育評論家・カバゴンこと阿部進も出演している。この二人のキャラは本人に似せてあり、阿部進の役名はカバゴニスという。今ならR15指定くらい受けるのであろうか。俗に言う「萌え」絵ではないので、そういうのが好きな人には受けないと思われる。

現代っ子

個人的にはほとんど見たことはないのだが、中山千夏は元々は子役として活躍していた。その子役時代のヒット作の一つに「現代っ子」(63年)がある。原作はあの倉本聡でもちろん脚本も担当しており、テレビドラマとして1年続いたが、同年に映画化もされている。主役は三人の兄妹で、鈴木やすし、市川好郎、そして中山千夏が演じている。中山は当時15歳で、市川も同じ15歳。吉永小百合主演の名作「キューポラのある街」などの名演技で有名な子役であった。しかし名子役大成せずの言葉通り伸び悩んだ。というよりこの人の場合、成長するに従いどんどん凶悪犯顔になっていたという感じだ。実際、自分は市川好郎は悪役(殺人犯とかチンピラ)でしか見たことがなく、名子役だったことを後で知り驚いたものである。市川は93年に45歳の若さで亡くなっているが、蔵忠芳(アっちゃん)、金子光伸(ジャイアントロボ)、飯塚仁樹(バロム1)など名子役といわれた人達は軒並み若くして亡くなっている。さて、鈴木やすしも実は子役からスタートしている。53年日本テレビの開局番組である「背番号16」で川上哲治の少年時代を演じたのが鈴木である。成長してからはやはり「不良番長」シリーズなどの出演が印象に深いが、60年代は歌手や司会としての活躍が目立っていた。鈴木と中山は大成した子役といえるだろう。

ちなみに映画版の他の出演者は松原智恵子、桂小金治、小沢栄太郎、安川実(ミッキー安川)などで、水の江滝子、渥美清がノンクレジットで出ているらしい。鈴木やすしは高校生の頃、渥美の付き人をしていたことがあるという。

二人でひとり

久々に映画の話題でもしよう。青島幸男が監督、制作、脚本、出演と一人で何役もこなしている映画が「二人でひとり」(70年)である。青島は当時38歳、すでに参議院議員である。青島のことだから、かなり低予算な作品ではと予想できるが、まあその通りであった。まず出演者、青島以外は三木のり平、コント55号の二人、佐藤英夫、そして中山千夏、これで全員である。舞台はあるマンションの一室(セット)のみで、最初から最後まで外に出ることはない。舞台演劇でも成り立つような構成である。

話の内容だが、三木のり平と青島幸男親子とのり平の愛人である中山千夏は奇妙な同居生活を送っていたが、青島と千夏も肉体関係を結んでしまい奇妙な三角関係へと発展してというようなもの。中山千夏も後に参議院議員となるが、参議院同士の濡れ場が見れるのはこの作品だけであろう。中山も当時は22歳、ロングヘアーのセクシー美女であった。チナチストと言われるファンも大勢いたのである。コント55号はお得意ともいえる乱入者だが、別々に登場し、二人が絡むのはラストの方だけである。そういえば、以前取り上げた萩本欽一が監督など一人何役も務めた映画「俺は眠たかった!」の公開はこの半年後で、青島も出演している。まあ前述の通り低予算な作品だが出ている顔ぶれは面白いので、一見の価値はある。

珍豪ムチャ兵衛

「丸出だめ夫」「ロボタン」とくれば、もう一つ森田拳次の作品をというわけで「珍豪ムチャ兵衛」(71年)である。かなりマイナーな作品であり、自分も見た記憶はないが、このアニメが名前を残しているポイントが一つだけある。事実上最後のモノクロアニメという点だ。70年代に入ると、ほぼすべての番組はカラー化されており、そんな時に突如放映されたモノクロ作品だったのだ。これには事情があり、68年に制作されていたのだが、既にカラー化の波が押し寄せており、3年間オクラ入りすることになってしまったのである(「ウメ星デンカ」とか「どろろ」とか69年にもモノクロアニメはあったのだけれども)。で初放映も月~金の帯でされたという、まあひどい扱いの作品だったのだ。まあ当時我が家はまだ白黒テレビだったので関係なかったのだけれども。声の出演はバカボンのパパでお馴染みの雨森雅司、初代オバQの曽我町子、おしおきだべ~の滝口順平などである。

特に書くことなくなったので、作者の森田拳次について触れておく。当時快調にヒット作を飛ばしていた森田だが、68年の突如渡米する。一コマ漫画家への転身を考えており、その修行のためであった。そんなこともあり、これ以降の少年漫画家としての森田の作品は単行本化されていないのではないだろうか。71年に帰国したが、すぐに転身したわけではなく、少年キングに「さむらいカポネ」(73年)「3の3の3」(74年)などを連載している。(渡米中だった70年には少年ジャンプに「ほらふき一代」という作品を連載している。ちなみに本宮ひろ志の作品は「大ぼら一代」である。)一緒に連載されていた作品の顔ぶれを見ると読んだことがあるかもしれないのだが、全く印象にない。その後作品を目にすることもなく、もう消えてしまった漫画家とばかり思っていたのだが、ちゃんと一コマ漫画家として活躍していたのである。私が知らないだけであった。05年には日本漫画家協会賞で大賞を受賞しており、りっぱに現役なのであった。(この時同時受賞したのが吾妻ひでおの「失踪日記」である。)一コマ漫画の単行本も出ているようだが、まだ目にしたことはない。まあ結果的に転身は成功したと言っていいのだろう。

ロボタン(旧作)

前項の「丸出だめ夫」が放映されたのと同じ66年に、やはり森田拳次原作であるアニメが放映されている。それが「ロボタン」である。とはいっても、企画は広告代理店である大広によるもので、森田はマンガ連載とキャラデザイン原案という形での参加である。ゆえにロボタンはボロットを可愛くしたような感じである。内容はさておき、そのキャストやスタッフに意外な人が多いのに驚く。まず主役のロボタン役に俳優の神戸瓢介。58年に日活でデビューし、テレビの方は「バックナンバー999」や「銭形平次」などに出演していた。特に銭形平次には長期間出ていたようだが、あまり印象にない(ほとんど見ていないので当然だが)。個人的には必殺シリーズに悪役で登場していたのが記憶に残っているくらいである。ちなみに「かんべ」ではなく「こうべ」と読むようだ。アニメへの出演はおそらくこれ一作ではないかと思われる。カンちゃん役の三井洋子は当時人気のDJだったという。キーコ役の中森孝子と二人で「はたらくおじさんの歌」を歌っている。そしてお馴染み財津一郎。「ピュンピュン丸」の歌とかアニメとのかかわりも多いような印象だが、実際はほとんどない。脚本の方に目をむけると、共に作詞家として活躍することになるたかたかし、そして阿久悠の名が見える。阿久悠は現在小説家として活躍しているが脚本の話はあまり聞いたことがない。「月光仮面」などでお馴染みの宣弘社の企画部出身で、その課長だった伊上勝は脚本を書きまくっていたので、阿久悠が書いていても不思議はないのだけれども。未確認だがアニメ脚本はこの作品くらいではないだろうか。そして主題歌を歌うのは古今亭志ん朝だったりと、あまりアニメとは縁のなさそうな人たちがかかわっていた作品だったのである。

ちなみに「ロボタン」は86年に再アニメ化、「丸出だめ夫」も91年にアニメ化されている。正直言って不思議に思ったものである。

丸出だめ夫

当時の人気マンガをアニメではなく、実写化して成功したものとして「丸出だめ夫」(66年)があげられる。これは東映の作品で、東映動画も既にテレビアニメの制作をスタートさせていたが、実写の方がやりやすいと判断したのだろうか。原作は森田拳次が少年マガジンに連載させていたものだが、どちらかといえばマンガの方を見ていた記憶がある。一番の違いはボロットがしゃべるかしゃべらないかというところだろう。原作のほうは書き文字を掲げて表現していた。さて、だめ夫といえば穂積ぺぺだが、下条アトムのように本名ではない(当然だが)。小山正幸という普通の名前で、ペペはカタカナではなく平仮名なのだそうだ。海外のアニメに出てきたペペというキャラに似ていたところから付けられたらしいが、確か大人になってから一時期漢字の名前(忘れたけど)にしていたと記憶している。大人になってペペはないだろうということなのだろうが、あまりペペの印象が強過ぎて結局元に戻している。父親のはげ照を演じたのは十朱久雄で、十朱幸代の父である。結構厳しくて怖い人だったとペペは語っていた。ボロットはプラスチック製で今見てもよく出来ていたと思う。声を演じていたのは辻村真人らしいが、ショッカーの怪人などどちらかといえば悪人声の人である。森山周一郎を悪人にした感じの声とでもいうのだろうか、という印象なので辻村の声には聞こえないのだが。中に入っていたのは150cmぐらいの小柄な人だったとペペは証言している。辻村はかなり小柄だったはずだが、ひょっとして中に入っていたのが辻村真人ではと勝手に予想してみる。

ちなみにこのドラマは東映お得意の1話のみ現存しているドラマの一つである。実際には保管されているのかもしれないが、放送に耐えうる状態にはないのだろう。同じ東映作品で同時代の「悪魔くん」や「河童の三平」あたりは全話存在しているのだが、この差はどこからくるのだろう(特に全話見たいわけではない)。その第1話のゲストは由利徹、原田清人、悠木千帆(後の樹木希林)などである。どの回かは不明だが、コント55号やトニー谷などもゲスト出演しているようである。

ドルフィン王子

「ドルフィン王子」というとわかりにくいかもしれないが、簡単にいえば「海底少年マリン」の原型となった作品であり、65年に3話だけ放映されている。何故3話だけかといえば、制作側がカラーアニメが初めてでその試験的制作ということだったようである。海外売りが視野に入れられていたので、この「ドルフィン王子」はパイロットフィルムとして使われたようである。ということで、実際にこの作品を見た人はあまりいないのではないだろうか。見た目はマリンそのままのようだが、キャラクターの名はドルフィン王子だ。さてここから「海底少年マリン」が制作されるのだが、子供の頃おそらく再放送を普通に見ていたが、かなりの紆余曲折を得ていた作品だったとは正直知らなかった。まず66年にTBSで「がんばれ!マリンキッド」のタイトルで放送されるのだが、全78話中のうち13話のみ放送されている。今では考えられないが、どうやら既に全話の制作を終えていたようでなのである。当時はこういう形式もあったらしい。それから3年、69年になって御なじみの「海底少年マリン」とタイトルを変え、フジテレビで放映がスタートする。しかしここでも放送は36話までで、しかも4話分は「マリンキッド」ととして放映されたものであった。つまりこの時点で「がんばれ!マリンキッド」という作品は改題されたため、この世から消えてしまったのである(中身は残っているけれども)。OPもマリン役の小原乃梨子「ゴーゴーマリン」ではなく、ボーカルショップの「がんばれ!マリンキッドの歌」というものだったようだが、これは見たことも聞いたこともない。さて、ここまででまだ未放送の話が33話ほどあったのだが、それが陽の目を見たのは71年に入ってからである。今度は日本テレビで、月~金の帯で再放送として放送されたが、33話分は初の放送だったのである。放送局を三つも変え五年がかりで、やっと全話放送されていたとは知らなかった。昨年だったかCSで放映され、二十年ぶりくらいに見ることができた。よく知らないがパチンコの機種にもなっているそうで、苦労して放送したかいがあったよなあなどと思ったりするのである。