二人でひとり
久々に映画の話題でもしよう。青島幸男が監督、制作、脚本、出演と一人で何役もこなしている映画が「二人でひとり」(70年)である。青島は当時38歳、すでに参議院議員である。青島のことだから、かなり低予算な作品ではと予想できるが、まあその通りであった。まず出演者、青島以外は三木のり平、コント55号の二人、佐藤英夫、そして中山千夏、これで全員である。舞台はあるマンションの一室(セット)のみで、最初から最後まで外に出ることはない。舞台演劇でも成り立つような構成である。
話の内容だが、三木のり平と青島幸男親子とのり平の愛人である中山千夏は奇妙な同居生活を送っていたが、青島と千夏も肉体関係を結んでしまい奇妙な三角関係へと発展してというようなもの。中山千夏も後に参議院議員となるが、参議院同士の濡れ場が見れるのはこの作品だけであろう。中山も当時は22歳、ロングヘアーのセクシー美女であった。チナチストと言われるファンも大勢いたのである。コント55号はお得意ともいえる乱入者だが、別々に登場し、二人が絡むのはラストの方だけである。そういえば、以前取り上げた萩本欽一が監督など一人何役も務めた映画「俺は眠たかった!」の公開はこの半年後で、青島も出演している。まあ前述の通り低予算な作品だが出ている顔ぶれは面白いので、一見の価値はある。
珍豪ムチャ兵衛
「丸出だめ夫」「ロボタン」とくれば、もう一つ森田拳次の作品をというわけで「珍豪ムチャ兵衛」(71年)である。かなりマイナーな作品であり、自分も見た記憶はないが、このアニメが名前を残しているポイントが一つだけある。事実上最後のモノクロアニメという点だ。70年代に入ると、ほぼすべての番組はカラー化されており、そんな時に突如放映されたモノクロ作品だったのだ。これには事情があり、68年に制作されていたのだが、既にカラー化の波が押し寄せており、3年間オクラ入りすることになってしまったのである(「ウメ星デンカ」とか「どろろ」とか69年にもモノクロアニメはあったのだけれども)。で初放映も月~金の帯でされたという、まあひどい扱いの作品だったのだ。まあ当時我が家はまだ白黒テレビだったので関係なかったのだけれども。声の出演はバカボンのパパでお馴染みの雨森雅司、初代オバQの曽我町子、おしおきだべ~の滝口順平などである。
特に書くことなくなったので、作者の森田拳次について触れておく。当時快調にヒット作を飛ばしていた森田だが、68年の突如渡米する。一コマ漫画家への転身を考えており、その修行のためであった。そんなこともあり、これ以降の少年漫画家としての森田の作品は単行本化されていないのではないだろうか。71年に帰国したが、すぐに転身したわけではなく、少年キングに「さむらいカポネ」(73年)「3の3の3」(74年)などを連載している。(渡米中だった70年には少年ジャンプに「ほらふき一代」という作品を連載している。ちなみに本宮ひろ志の作品は「大ぼら一代」である。)一緒に連載されていた作品の顔ぶれを見ると読んだことがあるかもしれないのだが、全く印象にない。その後作品を目にすることもなく、もう消えてしまった漫画家とばかり思っていたのだが、ちゃんと一コマ漫画家として活躍していたのである。私が知らないだけであった。05年には日本漫画家協会賞で大賞を受賞しており、りっぱに現役なのであった。(この時同時受賞したのが吾妻ひでおの「失踪日記」である。)一コマ漫画の単行本も出ているようだが、まだ目にしたことはない。まあ結果的に転身は成功したと言っていいのだろう。
ロボタン(旧作)
前項の「丸出だめ夫」が放映されたのと同じ66年に、やはり森田拳次原作であるアニメが放映されている。それが「ロボタン」である。とはいっても、企画は広告代理店である大広によるもので、森田はマンガ連載とキャラデザイン原案という形での参加である。ゆえにロボタンはボロットを可愛くしたような感じである。内容はさておき、そのキャストやスタッフに意外な人が多いのに驚く。まず主役のロボタン役に俳優の神戸瓢介。58年に日活でデビューし、テレビの方は「バックナンバー999」や「銭形平次」などに出演していた。特に銭形平次には長期間出ていたようだが、あまり印象にない(ほとんど見ていないので当然だが)。個人的には必殺シリーズに悪役で登場していたのが記憶に残っているくらいである。ちなみに「かんべ」ではなく「こうべ」と読むようだ。アニメへの出演はおそらくこれ一作ではないかと思われる。カンちゃん役の三井洋子は当時人気のDJだったという。キーコ役の中森孝子と二人で「はたらくおじさんの歌」を歌っている。そしてお馴染み財津一郎。「ピュンピュン丸」の歌とかアニメとのかかわりも多いような印象だが、実際はほとんどない。脚本の方に目をむけると、共に作詞家として活躍することになるたかたかし、そして阿久悠の名が見える。阿久悠は現在小説家として活躍しているが脚本の話はあまり聞いたことがない。「月光仮面」などでお馴染みの宣弘社の企画部出身で、その課長だった伊上勝は脚本を書きまくっていたので、阿久悠が書いていても不思議はないのだけれども。未確認だがアニメ脚本はこの作品くらいではないだろうか。そして主題歌を歌うのは古今亭志ん朝だったりと、あまりアニメとは縁のなさそうな人たちがかかわっていた作品だったのである。
ちなみに「ロボタン」は86年に再アニメ化、「丸出だめ夫」も91年にアニメ化されている。正直言って不思議に思ったものである。
丸出だめ夫
当時の人気マンガをアニメではなく、実写化して成功したものとして「丸出だめ夫」(66年)があげられる。これは東映の作品で、東映動画も既にテレビアニメの制作をスタートさせていたが、実写の方がやりやすいと判断したのだろうか。原作は森田拳次が少年マガジンに連載させていたものだが、どちらかといえばマンガの方を見ていた記憶がある。一番の違いはボロットがしゃべるかしゃべらないかというところだろう。原作のほうは書き文字を掲げて表現していた。さて、だめ夫といえば穂積ぺぺだが、下条アトムのように本名ではない(当然だが)。小山正幸という普通の名前で、ペペはカタカナではなく平仮名なのだそうだ。海外のアニメに出てきたペペというキャラに似ていたところから付けられたらしいが、確か大人になってから一時期漢字の名前(忘れたけど)にしていたと記憶している。大人になってペペはないだろうということなのだろうが、あまりペペの印象が強過ぎて結局元に戻している。父親のはげ照を演じたのは十朱久雄で、十朱幸代の父である。結構厳しくて怖い人だったとペペは語っていた。ボロットはプラスチック製で今見てもよく出来ていたと思う。声を演じていたのは辻村真人らしいが、ショッカーの怪人などどちらかといえば悪人声の人である。森山周一郎を悪人にした感じの声とでもいうのだろうか、という印象なので辻村の声には聞こえないのだが。中に入っていたのは150cmぐらいの小柄な人だったとペペは証言している。辻村はかなり小柄だったはずだが、ひょっとして中に入っていたのが辻村真人ではと勝手に予想してみる。
ちなみにこのドラマは東映お得意の1話のみ現存しているドラマの一つである。実際には保管されているのかもしれないが、放送に耐えうる状態にはないのだろう。同じ東映作品で同時代の「悪魔くん」や「河童の三平」あたりは全話存在しているのだが、この差はどこからくるのだろう(特に全話見たいわけではない)。その第1話のゲストは由利徹、原田清人、悠木千帆(後の樹木希林)などである。どの回かは不明だが、コント55号やトニー谷などもゲスト出演しているようである。
ドルフィン王子
「ドルフィン王子」というとわかりにくいかもしれないが、簡単にいえば「海底少年マリン」の原型となった作品であり、65年に3話だけ放映されている。何故3話だけかといえば、制作側がカラーアニメが初めてでその試験的制作ということだったようである。海外売りが視野に入れられていたので、この「ドルフィン王子」はパイロットフィルムとして使われたようである。ということで、実際にこの作品を見た人はあまりいないのではないだろうか。見た目はマリンそのままのようだが、キャラクターの名はドルフィン王子だ。さてここから「海底少年マリン」が制作されるのだが、子供の頃おそらく再放送を普通に見ていたが、かなりの紆余曲折を得ていた作品だったとは正直知らなかった。まず66年にTBSで「がんばれ!マリンキッド」のタイトルで放送されるのだが、全78話中のうち13話のみ放送されている。今では考えられないが、どうやら既に全話の制作を終えていたようでなのである。当時はこういう形式もあったらしい。それから3年、69年になって御なじみの「海底少年マリン」とタイトルを変え、フジテレビで放映がスタートする。しかしここでも放送は36話までで、しかも4話分は「マリンキッド」ととして放映されたものであった。つまりこの時点で「がんばれ!マリンキッド」という作品は改題されたため、この世から消えてしまったのである(中身は残っているけれども)。OPもマリン役の小原乃梨子「ゴーゴーマリン」ではなく、ボーカルショップの「がんばれ!マリンキッドの歌」というものだったようだが、これは見たことも聞いたこともない。さて、ここまででまだ未放送の話が33話ほどあったのだが、それが陽の目を見たのは71年に入ってからである。今度は日本テレビで、月~金の帯で再放送として放送されたが、33話分は初の放送だったのである。放送局を三つも変え五年がかりで、やっと全話放送されていたとは知らなかった。昨年だったかCSで放映され、二十年ぶりくらいに見ることができた。よく知らないがパチンコの機種にもなっているそうで、苦労して放送したかいがあったよなあなどと思ったりするのである。
ファイトだ!ピュー太
先月から取り上げているアニメについてまた数本触れてみたい。今回は「ファイトだ!ピュー太」(68年)である。当時のアニメは再放送も多く、娯楽もテレビくらいしかなかった(我が家の場合)こともあり、たいていの作品は見ていたような気がするのだが、この「ファイトだ!ピュー太」に関しては記憶が曖昧である。ほとんど再放送もされなかったようなので、記憶がないのかもしれないし、実際に見たことがなかったかもしれない。 それはさておき、OP集などに収録されている映像を見ると当時としては、かなり出来の良いアニメに見える(本編もそうとは限らないが)。原作はムロタニツネ象で、元々こういったギャグ系の人なのだが、世間的には「地獄くん」の作者としての認知度の方が高いかもしれない。本家の「悪魔くん」や「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるとどっちが怖いかといえば文句なしに「地獄くん」の方がこわい。「人形地獄」とか「地獄太郎」なんて作品もあったりする。ムロタニツネ象という字面も何か怪奇マンガっぽい。漫画は少年サンデーに連載されていたが、こちらでのタイトルは「ドクターツルリ」で、ピュー太の敵役がタイトルになっていた。
ほとんど再放送されなかったのは、やはり制作した放送動画制作(会社の名前である)がこの作品で解散してしまったということもあったと思われる。この会社が制作したのは、やはりムロタニ作品である「かみなり坊やピッカリ・ビー」(67年)との2本だけである。声の出演はピュー太に伊藤牧子、他はムッシュメラメラの関敬六、イヤミの小林恭治、ケンケンの神山卓三、サザエさんの加藤みどりなどである。全然知らなかったが、この作品、05年にDVD-BOXが発売されている。忘れられているよう忘れられていなかったということであろうか。
ごめんねママ
手塚治虫の原作で、前項の「ふしぎな少年」と同じ61年にドラマ化されたのが「ごめんねママ」である。原作は同年からマンガ誌ではなく「主婦の友」に連載されていたものである。私は特に手塚通でもないので、原作を読んだことはないし、このドラマについてもほとんど詳細は不明である。唯一わかっているのが主演が三ツ矢歌子、菅佐原英一であるということぐらいだ。三ツ矢歌子については、このブログにも何度か登場している新東宝の看板女優だった一人である。菅原ではなく菅佐原は50年代に松竹の主演俳優だった一人であるが、今いち個性にかけていたようで次第に脇にまわるようになり、当時はフリーになっていた役者である。しかしこの「ごめんねママ」を含めて数本で消えていったようだ。というわけで菅佐原英一を映像で見たことは今のところ一度も無いと思う。唯一ともいえるテレビ出演ドラマがすっかり忘れられた作品となってしまっているとは、菅佐原英一よくよく運のない役者である。
ふしぎな少年
もう一つ手塚治虫原作に実写ドラマということで「ふしぎな少年」(61年)を取り上げてみる。NHKで帯ドラマとして放送されていたようだが、実際に見たことはない(生まれてなかったし)。この番組に関する知識としては「時間よとまれ!」と主人公が言うと時間が止まってしまうというくらいしか知らない。原作も読んだことはない。映像的には、単にストップモーションをかけたのか、出演者がその時の状態のままで動かなかったのかは不明である(後者のような気がする)。主演は当時14歳の太田博之だが、子役時代の太田を見た記憶はあまりない。「必殺仕掛人」や「おしどり右京捕物車」「長崎犯科帳」など個人的に好きな時代劇にレギュラーで出演しており、線の細いハンサムな青年であった。60年代終盤は歌手活動を行っていたようだが、70年代にはそちらに見切りをつけ俳優に専念するようになっている。しかし76年には引退し、小銭寿司チェーンの経営者に転身している。他の出演者は椎名勝巳、日下武史、青柳三枝子、小山源喜、そしてジュディ・オングなどである。そういえば太田とジュディは「おしどり右京捕物車」でも共演していた。
ところでこの番組の演出を担当していたのは、当時NHKのディレクターだった辻真先である。今は小説家としてのイメージが強いが、やはり我々世代には「鉄腕アトム」を初めとして「エイトマン」や「ゲゲゲの鬼太郎」「サザエさん」などあらゆるアニメの脚本家としての印象が強い。アニメなら辻真先、特撮なら伊上勝の名を覚えた子供は結構いると思う。
鉄腕アトム(実写版)
以前鉄人28号の実写版というのを取り上げたのだが、手塚治虫の話題が出ているところでこちらも取り上げることにしよう。「鉄腕アトム・実写版」(59年)である。鉄人の実写版はソフト化もされ、それを見る限りその出来の悪さに驚いたもので、1クールで終了したのも頷けた。しかしアトムの方はソフト化もされておらず(と思う、されていたらすいません)、直接見たことがない。せいぜい「テレビ探偵団」あたりの紹介でチラッと見たことがある程度である。それを見る限りやはり思わず失笑してしまうような出来に見えたが番組は1年以上続いたのだから、人気はあったのであろう。ところで、放映期間は1年3ヶ月ということもあり、全65回となっているサイトが多いが、テレビドラマデータベースでは53話となっている。どちらが正しいのだろうか。それはさておき、当初アトムは原作どおりにハダカスタイルの気ぐるみであったが、途中からジャンパー、マフラーを着たスタイルに変わった。それはもう暑かったであろうことは容易に想像できる。そのアトムを演じたのは瀬川正人という劇団に在籍していた少年だが、他に出演作は見当たらない。これのみで引退したのだろうか。お茶の水博士は田中明夫→森野五郎、田鷲警部は「海のトリトン」でポセイドンの声を演じた北川国彦、ランプは松山浩二、四部垣は後にピラニア軍団となる根岸一正が演じていた。
ところでこの番組はフジテレビの開局番組である。お馴染みのアニメの放映は63年の元旦からである。実はアトムは57年にも冒険漫画人形劇として放映されている。途中から紙人形劇になったそうである。よくわからんが紙芝居でやっていたのを、紙人形にして動かしたということであろうか。
サンダーマスク
最近このブログで取り上げた話題は封印作品であったり、前項では手塚治虫の作品であったりするので、それをあわせて今回は「サンダーマスク」(72年)ということにする。かなりマイナーな特撮作品でありながら、現在見ることができないという点で有名な作品でもある。原作は手塚治虫ということになっているが、正確にはテレビ企画が先行しており、手塚はそれを元にマンガを書いたという手塚にしては珍しい形の作品のようだ。実際テレビのOPには手塚の名前はクレジットされていないらしい。らしいとうのは本放送以来この作品を見た記憶がないからである。これも「封印作品の謎2」に取り上げられており、詳細はそちらを見てもらえばよいと思うが、簡単にいえば制作したひろみプロと創通エージェンシー(当時は東洋エージェンシー)の権利関係がクリアされないため放映できないということのようだ。フィルム自体は今や「ガンダム」で有名になった創通エージェンシーの元に保管されている可能性が高そうだが、ひろみプロとの軋轢は深そうで陽の目を見ることは当分難しそうである。
さて主演の菅原一高は、これ以外に目だった出演作はなさそうだが、「特捜最前線」にはよくゲストで出ていたようである。さすがは<特撮>最前線などと言われる番組なだけのことはある。他の出演者は井野口一美、加地健太郎、滝波錦司、冨田浩太郎といった、あまり知られていないだろう役者が多い。主題歌は歌う若木ヒロシは、「はじめ人間ギャートルズ」のED(やつらの足音のバラード)を歌うちのはじめと同一人物だが、聞きくらべてもわかりづらい。登場怪獣では2話に登場するタイヤーマを何故かよく覚えている。名前の通りタイヤに手足のついている怪獣だ。他にはある意味有名なシンナーマンや鉄人28号ならぬ鉄人13号、そしてハカイダーなる怪獣もいる。同じ72年の「人造人間キカイダー」に登場するのとどちらが早かったかといえば、「サンダーマスク」のほうが早かったりする。しかしその姿を思い出すことはできない。ていうか知っている人はどれくらいいるだろうか。