1951、52年の映画世界社賞
前回で「映画ファン」ネタは終了と思っていたが、もうちょっとだけ続けさせてもらいたい。
同誌では、「映画世界社賞」というのを51年から発表し、賞状とリリーフを授与していたのである。
部門は作品賞、監督賞、男優主演賞、女優主演賞、特別賞、アメリカ映画賞(黒白映画、色彩映画)、その他の外国映画賞(黒白映画、色彩映画)がある。主演男優(女優)賞ではなく男優(女優)主演賞とか、白黒ではなく黒白とか、色彩はもちろんカラーのことだが、時代を感じさせる言い方である。
まあ誰が審査していたか詳細は不明だが、橘社長はもちろん、編集部長だった淀川長治や嘱託だった小森和子なんかも参加していたのだろう。
昭和26年度(51年)の映画世界社賞は次のとおりである。
作品賞:「めし」、監督賞:木下恵介
男優主演賞:なし、女優主演賞:原節子
特別賞:富士フィルム(色彩映画の製作協力に対して)、松竹株式会社(「カルメン故郷に帰る」の製作に対して)、佐分利信(「ああ青春」「風雪二十年」の監督、主演者に対して)、黒澤明(「羅生門」の演出に対して)
アメリカ映画賞:黒白映画「イヴの総て」、色彩映画:なし
その他の外国映画賞:黒白映画「悪魔の美しさ」、色彩映画「黒水仙」
ちなみに「めし」の監督は成瀬巳喜男で、主演は上原謙、原節子である。受賞したのは何故か原節子だけだ。本作では予定されていた伊豆肇の代わりに大映所属だった小林桂樹(そういえば二人は似ていると思う)が出演。これをきっかけに小林は東宝に移籍した。
昭和27年度(52年)の映画世界社賞は次のとおり。
作品賞:「生きる」、監督賞:渋谷実
男優主演賞:なし、女優主演賞:田中絹代
特別賞:近代映画協会(「原爆の子」の企画製作に対して)、木村功(「山びこ学校」「真空地帯」の演技に対して)、三好栄子
アメリカ映画賞:黒白映画「チャップリンの殺人狂時代」、色彩映画「巴里のアメリカ人」
その他の外国映画賞:「天井桟敷の人々」
外国映画特別賞:「河」
「生きる」はもちろん、監督黒澤明、主演志村喬だが監督賞や男優主演賞は与えられなかった。田中絹代は52年だと「西鶴一代女」「おかあさん」などの主演があった。渋谷実はこの年は「本日休診」「現代人」で毎日映画コンクール監督賞も受賞している。
木村功はこれが受賞した唯一の演技賞だったとか。三好栄子は当時58歳のベテラン女優であったが、この年は上記の「生きる」や「おかあさん」、「カルメン純情す」など多くの作品で助演していた。
同誌では、「映画世界社賞」というのを51年から発表し、賞状とリリーフを授与していたのである。
部門は作品賞、監督賞、男優主演賞、女優主演賞、特別賞、アメリカ映画賞(黒白映画、色彩映画)、その他の外国映画賞(黒白映画、色彩映画)がある。主演男優(女優)賞ではなく男優(女優)主演賞とか、白黒ではなく黒白とか、色彩はもちろんカラーのことだが、時代を感じさせる言い方である。
まあ誰が審査していたか詳細は不明だが、橘社長はもちろん、編集部長だった淀川長治や嘱託だった小森和子なんかも参加していたのだろう。
昭和26年度(51年)の映画世界社賞は次のとおりである。
作品賞:「めし」、監督賞:木下恵介
男優主演賞:なし、女優主演賞:原節子
特別賞:富士フィルム(色彩映画の製作協力に対して)、松竹株式会社(「カルメン故郷に帰る」の製作に対して)、佐分利信(「ああ青春」「風雪二十年」の監督、主演者に対して)、黒澤明(「羅生門」の演出に対して)
アメリカ映画賞:黒白映画「イヴの総て」、色彩映画:なし
その他の外国映画賞:黒白映画「悪魔の美しさ」、色彩映画「黒水仙」
ちなみに「めし」の監督は成瀬巳喜男で、主演は上原謙、原節子である。受賞したのは何故か原節子だけだ。本作では予定されていた伊豆肇の代わりに大映所属だった小林桂樹(そういえば二人は似ていると思う)が出演。これをきっかけに小林は東宝に移籍した。
昭和27年度(52年)の映画世界社賞は次のとおり。
作品賞:「生きる」、監督賞:渋谷実
男優主演賞:なし、女優主演賞:田中絹代
特別賞:近代映画協会(「原爆の子」の企画製作に対して)、木村功(「山びこ学校」「真空地帯」の演技に対して)、三好栄子
アメリカ映画賞:黒白映画「チャップリンの殺人狂時代」、色彩映画「巴里のアメリカ人」
その他の外国映画賞:「天井桟敷の人々」
外国映画特別賞:「河」
「生きる」はもちろん、監督黒澤明、主演志村喬だが監督賞や男優主演賞は与えられなかった。田中絹代は52年だと「西鶴一代女」「おかあさん」などの主演があった。渋谷実はこの年は「本日休診」「現代人」で毎日映画コンクール監督賞も受賞している。
木村功はこれが受賞した唯一の演技賞だったとか。三好栄子は当時58歳のベテラン女優であったが、この年は上記の「生きる」や「おかあさん」、「カルメン純情す」など多くの作品で助演していた。
映画ファン休刊
今年に入ってから、雑誌「映画ファン」の話題、それも1955年~1958年あたりに集中しているのだが、もちろんそれには事情がある。この雑誌59年をもって休刊となってしまったからである。
それも、渡部保子はもちろん編集部員自体、休刊になることを知らなかったのだという。そんなわけで、最終号となった59年8月号には、読者に対してのお別れの言葉もお詫びの言葉も一切書かれていないという。
どうやら、映画世界社の社長である橘弘一郎が独断で決めたらしい。その正式な理由については渡部も聞いていないらしい。
彼女が改めて、最後の二冊を読み返したところ、橘社長による「私の発言」という文章が載っており、『最近、日本映画界で話題になったある映画を勧められてみたのですが、あまりにドギツク不潔な内容を赤裸々に描写したもので、あってはならない作品だと私は思うのです。映画観客にコビすぎる意識がこういう映画を作ってしまうのです」というような内容を書いていたのである。
こういうことから彼女の推測では、読者にコビすぎる雑誌になっていくのが堪えられなくなったのであろう、ゆえに休刊に道を選んだのだろうということである。
実際に当時の「映画ファン」も人気スタアありきの雑誌と化していたことは否めない。特に錦之助、裕次郎、橋蔵、ひばりの四人を乗せないと雑誌が売れないということもあり、彼らは必ずと言っていいほど取り上げられていたのである。
「映画ファン」でカメラマンをやっていた早田雄二は、本名を橘雄二郎(こっちが芸名みたいだ)といい、つまり橘社長の実弟でだったのである。
その早田の話では、ひばりの映画がたくさん出て、ひばりを使わないと本が売れない時でも、兄貴(社長)は「媚びなくてもいいんだ。ひばりは歌から入って純粋な映画人じゃないから、人気があるからといって飛びつくな」と言っていたという。つまり、社長は「商売人」ではなかったのである。
映画世界社という会社は、渡部保子が入社した53年の時点で、既に創立30年を迎えていた老舗の会社で、日本の映画界では重きをおかれる存在だったという。ゆえに橘社長も戦前から日本の映画界では名の知れた名士であったようだ。
こうして「映画ファン」はあっけなく休刊してしまったのだが、80年前後にも「映画ファン(ロゴはeiga fan)」という雑誌は存在した。
詳しい資料も情報もないが、ネット上で見つけた表紙写真では、79年のをみると「エイリアン」だったり「スーパーマン」だったりとか名前どおり映画を取り上げる雑誌だったようだが、80年代に入ると表紙が中森明菜、柏原よしえ、早見優、三田寛子など当時のアイドルが飾るようになり、中身も水着グラビアとか完全にアイドル雑誌と化していたようである。
自分も買ったことはなかったと思うが、見たことはあったように思う。まあ「GORO」あたりと似たような雑誌ではなかったか、という印象がある。かつての「映画ファン」とは、九分九厘関係はないと思われる。
それも、渡部保子はもちろん編集部員自体、休刊になることを知らなかったのだという。そんなわけで、最終号となった59年8月号には、読者に対してのお別れの言葉もお詫びの言葉も一切書かれていないという。
どうやら、映画世界社の社長である橘弘一郎が独断で決めたらしい。その正式な理由については渡部も聞いていないらしい。
彼女が改めて、最後の二冊を読み返したところ、橘社長による「私の発言」という文章が載っており、『最近、日本映画界で話題になったある映画を勧められてみたのですが、あまりにドギツク不潔な内容を赤裸々に描写したもので、あってはならない作品だと私は思うのです。映画観客にコビすぎる意識がこういう映画を作ってしまうのです」というような内容を書いていたのである。
こういうことから彼女の推測では、読者にコビすぎる雑誌になっていくのが堪えられなくなったのであろう、ゆえに休刊に道を選んだのだろうということである。
実際に当時の「映画ファン」も人気スタアありきの雑誌と化していたことは否めない。特に錦之助、裕次郎、橋蔵、ひばりの四人を乗せないと雑誌が売れないということもあり、彼らは必ずと言っていいほど取り上げられていたのである。
「映画ファン」でカメラマンをやっていた早田雄二は、本名を橘雄二郎(こっちが芸名みたいだ)といい、つまり橘社長の実弟でだったのである。
その早田の話では、ひばりの映画がたくさん出て、ひばりを使わないと本が売れない時でも、兄貴(社長)は「媚びなくてもいいんだ。ひばりは歌から入って純粋な映画人じゃないから、人気があるからといって飛びつくな」と言っていたという。つまり、社長は「商売人」ではなかったのである。
映画世界社という会社は、渡部保子が入社した53年の時点で、既に創立30年を迎えていた老舗の会社で、日本の映画界では重きをおかれる存在だったという。ゆえに橘社長も戦前から日本の映画界では名の知れた名士であったようだ。
こうして「映画ファン」はあっけなく休刊してしまったのだが、80年前後にも「映画ファン(ロゴはeiga fan)」という雑誌は存在した。
詳しい資料も情報もないが、ネット上で見つけた表紙写真では、79年のをみると「エイリアン」だったり「スーパーマン」だったりとか名前どおり映画を取り上げる雑誌だったようだが、80年代に入ると表紙が中森明菜、柏原よしえ、早見優、三田寛子など当時のアイドルが飾るようになり、中身も水着グラビアとか完全にアイドル雑誌と化していたようである。
自分も買ったことはなかったと思うが、見たことはあったように思う。まあ「GORO」あたりと似たような雑誌ではなかったか、という印象がある。かつての「映画ファン」とは、九分九厘関係はないと思われる。
1958年、噂のカップルたち
50年以上前にも芸能記者というのは存在したわけで、「映画ファン」58年11月号には「これが本当の話!」という記者三人による匿名座談会、つまり芸能界ウラ話が掲載されている。
ある雑誌に出ているロマンスの噂話について、「①川口浩と野添ひとみ、②石原裕次郎と北原三枝、③長門裕之と南田洋子の三組の仲は?」というのがあった。
「①は仲はいいようだけど、川口はまだまだ結婚なんかしないよ」「②だって噂は有名だけど、裕次郎はまだ一人の女性にしばられるのは嫌だろうし」「③も噂はよく耳にするけど、三組とも結婚まではどうかな」というのが記者たちの見解だったようだ。特に、川口や裕次郎はすぐに家庭に治まるタイプには見えなかったこともある。
しかし、結果はご存知のとおり三組とも結婚することになる。健在なのは北原だけだが、どちらかが死ぬまで別れることもなく夫婦であり続けたのである。
では問題、一番最初に結婚したのはどのカップル?
正解は①である。といっても結婚した時期はほぼ一緒だったりするのだ。
60年4月に川口浩(当時23歳)、野添ひとみ(当時23歳)が。
60年12月に石原裕次郎(当時25歳)、北原三枝(当時27歳)が。
61年3月に長門裕之(当時27歳)、南田洋子(当時28歳)というように、60年度の一年で三組とも結婚したのであった。
もう一組、60年4月に結婚しているのが、江原真二郎(当時23歳)、中原ひとみ(当時23歳)ペアである。川口・野添ペアと同い年で、嫁さんはWひとみである。同じ60年4月だが、どっちが先かまではわからなかったが、違う日ではあるようだ。
江原・中原の出会いは前々回だかに書いたが、今井正監督の「米」(57年)という作品においてである。東映ニューフェース1期生だった中原に対し、江原は大部屋からの大抜擢だった。二人は兄妹役で、江原の恋人役は中村雅子が起用されたが、実はその役には渡部保子が起用される可能性があったという。
渡部保子とは、当時「映画ファン」の編集部員で、現在は映画評論家、最近のネタ元である「映画ファン スタアの時代」という本の著者でもある。
彼女が本書で明かした話によると、東映のマキノ光雄専務(長門・津川兄弟の叔父)から「ぜひ女優になれ」と薦められたのだという。それが「米」の江原の相手役だったのである。結局、逃げ廻るように断ったというが、彼女自身当時は中々の器量だったということなのだろう。
ある雑誌に出ているロマンスの噂話について、「①川口浩と野添ひとみ、②石原裕次郎と北原三枝、③長門裕之と南田洋子の三組の仲は?」というのがあった。
「①は仲はいいようだけど、川口はまだまだ結婚なんかしないよ」「②だって噂は有名だけど、裕次郎はまだ一人の女性にしばられるのは嫌だろうし」「③も噂はよく耳にするけど、三組とも結婚まではどうかな」というのが記者たちの見解だったようだ。特に、川口や裕次郎はすぐに家庭に治まるタイプには見えなかったこともある。
しかし、結果はご存知のとおり三組とも結婚することになる。健在なのは北原だけだが、どちらかが死ぬまで別れることもなく夫婦であり続けたのである。
では問題、一番最初に結婚したのはどのカップル?
正解は①である。といっても結婚した時期はほぼ一緒だったりするのだ。
60年4月に川口浩(当時23歳)、野添ひとみ(当時23歳)が。
60年12月に石原裕次郎(当時25歳)、北原三枝(当時27歳)が。
61年3月に長門裕之(当時27歳)、南田洋子(当時28歳)というように、60年度の一年で三組とも結婚したのであった。
もう一組、60年4月に結婚しているのが、江原真二郎(当時23歳)、中原ひとみ(当時23歳)ペアである。川口・野添ペアと同い年で、嫁さんはWひとみである。同じ60年4月だが、どっちが先かまではわからなかったが、違う日ではあるようだ。
江原・中原の出会いは前々回だかに書いたが、今井正監督の「米」(57年)という作品においてである。東映ニューフェース1期生だった中原に対し、江原は大部屋からの大抜擢だった。二人は兄妹役で、江原の恋人役は中村雅子が起用されたが、実はその役には渡部保子が起用される可能性があったという。
渡部保子とは、当時「映画ファン」の編集部員で、現在は映画評論家、最近のネタ元である「映画ファン スタアの時代」という本の著者でもある。
彼女が本書で明かした話によると、東映のマキノ光雄専務(長門・津川兄弟の叔父)から「ぜひ女優になれ」と薦められたのだという。それが「米」の江原の相手役だったのである。結局、逃げ廻るように断ったというが、彼女自身当時は中々の器量だったということなのだろう。
1958年の人気スタアベスト10
以前55年~57年までの「人気スタアベスト10」を、お届けしたが今回は58年度の「人気スタアベスト10」である。まあ、正確なタイトルは"「映画ファン」世論調査「あなたのごひいきスタア」”だったりするが。
今回は男優女優が分かれて発表されており、男優は「映画ファン」58年12月号に掲載された。括弧内は前年度の順位である。
1位:中村錦之助(2)、2位:石原裕次郎(3)、3位:大川橋蔵(1)、4位:市川雷蔵(5)、5位:東千代之介(8)、6位:里見浩太郎(-)、7位:高田浩吉(11)、8位:鶴田浩二(10)、9位:長谷川一夫(7)、10位:川口浩(-)、次点:佐田啓二(9)。
錦之助が1位に帰り咲き、橋蔵は3位にランクダウンした。新顔は里見浩太郎と川口浩だけ。全体的には時代劇役者が強いようである。
女優部門は何故か59年2月号にて発表になっている。
1位:美空ひばり(1)、2位:山本富士子(3)、3位:若尾文子(2)、4位:浅丘ルリ子(6)、5位:岡田茉莉子(4)、6位:有馬稲子(5)、7位:北原三枝(-)、8位:丘さとみ(8)、9位:桜町弘子(-)、10位:大川恵子(-)、次点:司葉子(11)。
1~6位は多少の順位の変動はあったが顔ぶれは変わっていない。裕次郎人気もあってか、相手役の北原三枝もランクイン。8~10位には東映時代劇のお姫様女優が仲良く並んだ。
今回新ランクインした里見浩太郎、桜町弘子、大川恵子は揃って東映ニューフェースの3期生である。
大川恵子は当時の大川博社長から「大川」の名を芸名に与えられたくらいだから期待の大きさがわかる。しかし62年には結婚し引退してしまった。
桜町弘子はデビュー時は松原千浪と言う芸名であったが、まもなく改名した。この人もさほど活動期間は長くなかったと思いきや、03年まで出演記録があったりする。自分は見た記憶がないだけで、女優活動はずっと続けていたようである。
しかし、50年以上経過しているとはいえ、上記の男優で健在なのは里見浩太郎だた一人。対して女優は美空ひばり以外は全員健在(のはず)なのである。しかも、佐田と雷蔵は30代、裕次郎、橋蔵、川口は50代、錦之助と鶴田は60代と、ほとんどが早逝である。これは偶然であろうか?
今回は男優女優が分かれて発表されており、男優は「映画ファン」58年12月号に掲載された。括弧内は前年度の順位である。
1位:中村錦之助(2)、2位:石原裕次郎(3)、3位:大川橋蔵(1)、4位:市川雷蔵(5)、5位:東千代之介(8)、6位:里見浩太郎(-)、7位:高田浩吉(11)、8位:鶴田浩二(10)、9位:長谷川一夫(7)、10位:川口浩(-)、次点:佐田啓二(9)。
錦之助が1位に帰り咲き、橋蔵は3位にランクダウンした。新顔は里見浩太郎と川口浩だけ。全体的には時代劇役者が強いようである。
女優部門は何故か59年2月号にて発表になっている。
1位:美空ひばり(1)、2位:山本富士子(3)、3位:若尾文子(2)、4位:浅丘ルリ子(6)、5位:岡田茉莉子(4)、6位:有馬稲子(5)、7位:北原三枝(-)、8位:丘さとみ(8)、9位:桜町弘子(-)、10位:大川恵子(-)、次点:司葉子(11)。
1~6位は多少の順位の変動はあったが顔ぶれは変わっていない。裕次郎人気もあってか、相手役の北原三枝もランクイン。8~10位には東映時代劇のお姫様女優が仲良く並んだ。
今回新ランクインした里見浩太郎、桜町弘子、大川恵子は揃って東映ニューフェースの3期生である。
大川恵子は当時の大川博社長から「大川」の名を芸名に与えられたくらいだから期待の大きさがわかる。しかし62年には結婚し引退してしまった。
桜町弘子はデビュー時は松原千浪と言う芸名であったが、まもなく改名した。この人もさほど活動期間は長くなかったと思いきや、03年まで出演記録があったりする。自分は見た記憶がないだけで、女優活動はずっと続けていたようである。
しかし、50年以上経過しているとはいえ、上記の男優で健在なのは里見浩太郎だた一人。対して女優は美空ひばり以外は全員健在(のはず)なのである。しかも、佐田と雷蔵は30代、裕次郎、橋蔵、川口は50代、錦之助と鶴田は60代と、ほとんどが早逝である。これは偶然であろうか?
映画監督推薦のスタアたち
さて、今回も「映画ファン」の話題なのだが、57年11月号の企画で「日本映画界に新風を送りこむ、次の世代をになう希望のスタア」という新人の特集があり、その新人たちを起用した監督が推薦の弁を書くとういうものがある。
中原早苗(日活)を斎藤武市監督が推薦。57年11月に斎藤監督で中原も出演している「峠」という作品が公開されている。この頃、中原を好んで使っていたのは中平康監督である。おそらく、取材時にたまたまその役者を使っていた、というケースも何件かあるようだ。
川崎敬三(大映)を吉村公三郎監督が推薦。「地上」(57年)という作品の撮影時期だったと思われる。ちなみに主演は川口浩、野添ひとみ。「夜の蝶」(57年)などでも吉村は川崎を起用している。
伊藤弘子(松竹)を木下恵介監督が推薦。伊藤は映画出演自体が少なく、この頃撮影された「喜びも悲しみも幾歳月」(57年)が映画初出演だった。続けて「風前の灯」(57年)にも起用されている。木下は新人を好んで起用し、何作かは続けて使う傾向があったようである。
桜町弘子(東映)を松田定次監督が推薦。57年9月に「ゆうれい船前編」が公開されている。主演は中村錦之助で、大河内傳次郎、大友柳太郎、月形龍之介など中々のメンバーが出演している。東映のお姫様女優の一人として活躍する桜町だが、今回のお姫様役は長谷川裕見子であった。
北沢典子(新東宝)を加戸野五郎監督が推薦。この時期に撮影されたのが「若君漫遊記」シリーズの2作目。「続若君漫遊記・金比羅利生剣」(57年)である。この撮影中に前田通子の裾まくり拒否事件が起こったのである。
大塚国夫(東宝)を稲垣浩監督が推薦。大塚周夫ではない国夫である。俳優座養成所の5期生で、稲垣が監督の「囚人船」(56年)の新人募集に合格してデビューしている。舞台活動が中心のため、映画出演本数は少ない役者である。
牧真介(日活)を吉村廉監督が推薦。この時期に撮影されたのは「青春の冒険」(57年)である。日活ニューフェース1期生で、54年にはデビューしているので、もう新人という感じでもない。同期の宍戸錠とは、この年本人も出演した「背番号16川上哲治物語」で牧が川上、宍戸が吉原役でバッテリーを演じた。
ニューフェース1期生では、おそらく一番順調だったが59年に家族の事業を手伝うことを理由に一度引退している。牧真史の名で61年に復帰し、6本しかない大宝配給作品のうち2本に主演しているが、それを最後に姿を消している。
中原早苗(日活)を斎藤武市監督が推薦。57年11月に斎藤監督で中原も出演している「峠」という作品が公開されている。この頃、中原を好んで使っていたのは中平康監督である。おそらく、取材時にたまたまその役者を使っていた、というケースも何件かあるようだ。
川崎敬三(大映)を吉村公三郎監督が推薦。「地上」(57年)という作品の撮影時期だったと思われる。ちなみに主演は川口浩、野添ひとみ。「夜の蝶」(57年)などでも吉村は川崎を起用している。
伊藤弘子(松竹)を木下恵介監督が推薦。伊藤は映画出演自体が少なく、この頃撮影された「喜びも悲しみも幾歳月」(57年)が映画初出演だった。続けて「風前の灯」(57年)にも起用されている。木下は新人を好んで起用し、何作かは続けて使う傾向があったようである。
桜町弘子(東映)を松田定次監督が推薦。57年9月に「ゆうれい船前編」が公開されている。主演は中村錦之助で、大河内傳次郎、大友柳太郎、月形龍之介など中々のメンバーが出演している。東映のお姫様女優の一人として活躍する桜町だが、今回のお姫様役は長谷川裕見子であった。
北沢典子(新東宝)を加戸野五郎監督が推薦。この時期に撮影されたのが「若君漫遊記」シリーズの2作目。「続若君漫遊記・金比羅利生剣」(57年)である。この撮影中に前田通子の裾まくり拒否事件が起こったのである。
大塚国夫(東宝)を稲垣浩監督が推薦。大塚周夫ではない国夫である。俳優座養成所の5期生で、稲垣が監督の「囚人船」(56年)の新人募集に合格してデビューしている。舞台活動が中心のため、映画出演本数は少ない役者である。
牧真介(日活)を吉村廉監督が推薦。この時期に撮影されたのは「青春の冒険」(57年)である。日活ニューフェース1期生で、54年にはデビューしているので、もう新人という感じでもない。同期の宍戸錠とは、この年本人も出演した「背番号16川上哲治物語」で牧が川上、宍戸が吉原役でバッテリーを演じた。
ニューフェース1期生では、おそらく一番順調だったが59年に家族の事業を手伝うことを理由に一度引退している。牧真史の名で61年に復帰し、6本しかない大宝配給作品のうち2本に主演しているが、それを最後に姿を消している。
1958年期待の新スタア
58年の「映画ファン」1月号に載っているのが「10代スタア座談会」である。以前紹介したこの半年前、つまり57年6月号のときの同企画のメンバーは浅丘ルリ子、津川雅彦、桑野みゆき、有田紀子、鹿島信哉、北大路欣也であったが、今回は北大路(東映)、桑野(松竹)は引き続き登場で、他は北沢典子(新東宝)、笹るみ子(東宝)、松平直子(大映)、田中晋二(松竹)という顔ぶれだ。
北沢典子は新東宝第4期スターレットで、同期に三ツ矢歌子、原知佐子、万里昌代などがいた。このときは19歳だったが、3月には20歳になるところであった。新東宝では時代劇で活躍したが、61年に東映に移籍し、ここでも時代劇で活躍した。62年に大洋ホエールズの近藤昭仁と結婚したが、女優活動は続けていたようだ。
さて、次からの3人は知らないという人も多いかも。
笹るみ子は、57年にスカウトされて「青い山脈」でデビューしたばかりのときである。役柄は49年の「青い山脈」では、若山セツ子が演じた笹井和子という役。笹るみ子という芸名はここから来ているのではと思われる。
社長シリーズやお姐ちゃんシリーズなどに出演したが、62年にテレビ部に移動。66年に引退して、翌67年に結婚したようである。ちなみに相手はなべおさみである。笹はクレージーキャッツ映画への出演はなかったようだが(なべはハナ肇の付き人をしていた)、同じ東宝だし会う機会もあったのだろう。
大映の松平直子については、ほとんどわからない。検索して出てくるのは同姓同名のペトロ&カプリシャスの3代目ボーカルである。おそらく別人だと思われる。出演記録も57年とこの58年しかないので、早々と引退してしまった可能性が高い。
役柄も「透明人間と蝿男」(57年)で殺される役とか、期待されているとは思えないようなものもあった。
田中晋二だが、個人的には知らず、一般的にもあまり知られていないと思うのだが、キネマ旬報の「日本映画俳優全集」にも載っているし、10年以上は俳優を続けていた人物なのである。
子役として52年にデビュー。同年の「母のない子と子のない母と」では主役の少年を演じた。55年には日活の「七つボタン」に出演し、長門裕之と共演、そして「野菊の如き君なりき」では前述の有田紀子の相手役、つまり政夫役に抜擢された。これをきっかけに松竹と専属契約し、木下恵介の次作である「夕焼け雲」(56年)にも主役で起用されたのである。つまり、当時は既に主演作もある松竹期待の星だったことは確かなのである。
その後も木下作品では重要な役柄で出演していたが、他作品では精彩を欠き、65年に松竹を退社した。その後、テレビの方で数本のゲスト出演があったが、やがて姿を消してしまった。記録上の最後は林与一主演の「昔三九郎」(68年)である。
北沢典子は新東宝第4期スターレットで、同期に三ツ矢歌子、原知佐子、万里昌代などがいた。このときは19歳だったが、3月には20歳になるところであった。新東宝では時代劇で活躍したが、61年に東映に移籍し、ここでも時代劇で活躍した。62年に大洋ホエールズの近藤昭仁と結婚したが、女優活動は続けていたようだ。
さて、次からの3人は知らないという人も多いかも。
笹るみ子は、57年にスカウトされて「青い山脈」でデビューしたばかりのときである。役柄は49年の「青い山脈」では、若山セツ子が演じた笹井和子という役。笹るみ子という芸名はここから来ているのではと思われる。
社長シリーズやお姐ちゃんシリーズなどに出演したが、62年にテレビ部に移動。66年に引退して、翌67年に結婚したようである。ちなみに相手はなべおさみである。笹はクレージーキャッツ映画への出演はなかったようだが(なべはハナ肇の付き人をしていた)、同じ東宝だし会う機会もあったのだろう。
大映の松平直子については、ほとんどわからない。検索して出てくるのは同姓同名のペトロ&カプリシャスの3代目ボーカルである。おそらく別人だと思われる。出演記録も57年とこの58年しかないので、早々と引退してしまった可能性が高い。
役柄も「透明人間と蝿男」(57年)で殺される役とか、期待されているとは思えないようなものもあった。
田中晋二だが、個人的には知らず、一般的にもあまり知られていないと思うのだが、キネマ旬報の「日本映画俳優全集」にも載っているし、10年以上は俳優を続けていた人物なのである。
子役として52年にデビュー。同年の「母のない子と子のない母と」では主役の少年を演じた。55年には日活の「七つボタン」に出演し、長門裕之と共演、そして「野菊の如き君なりき」では前述の有田紀子の相手役、つまり政夫役に抜擢された。これをきっかけに松竹と専属契約し、木下恵介の次作である「夕焼け雲」(56年)にも主役で起用されたのである。つまり、当時は既に主演作もある松竹期待の星だったことは確かなのである。
その後も木下作品では重要な役柄で出演していたが、他作品では精彩を欠き、65年に松竹を退社した。その後、テレビの方で数本のゲスト出演があったが、やがて姿を消してしまった。記録上の最後は林与一主演の「昔三九郎」(68年)である。
1957年の有名人家族特集 その2
前回の続きである。映画ファン57年の5月号に載った「有名人家族」の特集である。
月形哲之介と父である月形龍之介。これは父は有名だが、息子の方は…というパターン。名前で親子とわかるが、時代劇ファンでなければ知らない存在かもしれない。
龍之介は二枚目とはいえないが、女性関係は派手なものがあった。旧制中学時代に女学生との恋愛問題で中退したり、駆け落ち同然で京都に来て映画俳優を目指し、マキノプロダクションに入社してマキノ輝子(智子=長門裕之、津川雅彦の母)と不倫したりと、中々のモテっぷりだった。
哲之介は父とは対照的に頬がふくらんでおり(宍戸錠と同様の手術を受けたらしい)、それほど大きな役を演じることもなかった。
千秋実と父の佐々木孝丸。実はこの関係は知らなかったのだが、本当の親子ではない。佐々木の娘婿が千秋実なのである。千秋の本名が佐々木ということは婿養子だったわけだ。
この二人はさほど年齢差がないイメージがあったが、実は19歳離れている。ともに北海道の生まれで、前述の月形龍之介も少年時代を北海道で過ごしている。道民でないと分かりにくいと思うが、千秋は現在の上砂川町、月形は岩見沢市(近くに月形という町がある)という共に空知地方で育ったのである。
船越英二と兄の三島謙。弟は有名だと思うが、年齢が1つ上の兄の方は正直な名前を聞いたことがあるくらいである。元々本名の船越栄太郎で活動していたが、54年に日活に入社し、三島謙と改名した。ほぼ同年代に三島耕がおり、彼も54年に日活に入っている。
久保明と弟の久保賢。弟の方は当時はまだ中学生の子役であり、62年に日活と契約したときに山内賢と改名した。ちなみに「山内」が本名である。
中村雅子と姉の望月優子。この関係も知らなかったが、異父姉だそうである。この57年に公開されキネマ旬報ベストテンの1位に選ばれた今井正監督の「米」に親子役で出演しているが、実際は姉妹だったわけである。この時の父親役が加藤嘉なのだが、中村はその加藤と翌年には結婚することになる。ちなみに22歳差である。
映画では主演の江原真二郎と恋仲なのが中村だが、実際には妹役の中原ひとみと結婚することになった。
加藤嘉も若い頃から、爺さんぽいイメージだが、中々のプレーボーイでこれが4度目の結婚である。ちなみに前妻は山田五十鈴であった。
月形哲之介と父である月形龍之介。これは父は有名だが、息子の方は…というパターン。名前で親子とわかるが、時代劇ファンでなければ知らない存在かもしれない。
龍之介は二枚目とはいえないが、女性関係は派手なものがあった。旧制中学時代に女学生との恋愛問題で中退したり、駆け落ち同然で京都に来て映画俳優を目指し、マキノプロダクションに入社してマキノ輝子(智子=長門裕之、津川雅彦の母)と不倫したりと、中々のモテっぷりだった。
哲之介は父とは対照的に頬がふくらんでおり(宍戸錠と同様の手術を受けたらしい)、それほど大きな役を演じることもなかった。
千秋実と父の佐々木孝丸。実はこの関係は知らなかったのだが、本当の親子ではない。佐々木の娘婿が千秋実なのである。千秋の本名が佐々木ということは婿養子だったわけだ。
この二人はさほど年齢差がないイメージがあったが、実は19歳離れている。ともに北海道の生まれで、前述の月形龍之介も少年時代を北海道で過ごしている。道民でないと分かりにくいと思うが、千秋は現在の上砂川町、月形は岩見沢市(近くに月形という町がある)という共に空知地方で育ったのである。
船越英二と兄の三島謙。弟は有名だと思うが、年齢が1つ上の兄の方は正直な名前を聞いたことがあるくらいである。元々本名の船越栄太郎で活動していたが、54年に日活に入社し、三島謙と改名した。ほぼ同年代に三島耕がおり、彼も54年に日活に入っている。
久保明と弟の久保賢。弟の方は当時はまだ中学生の子役であり、62年に日活と契約したときに山内賢と改名した。ちなみに「山内」が本名である。
中村雅子と姉の望月優子。この関係も知らなかったが、異父姉だそうである。この57年に公開されキネマ旬報ベストテンの1位に選ばれた今井正監督の「米」に親子役で出演しているが、実際は姉妹だったわけである。この時の父親役が加藤嘉なのだが、中村はその加藤と翌年には結婚することになる。ちなみに22歳差である。
映画では主演の江原真二郎と恋仲なのが中村だが、実際には妹役の中原ひとみと結婚することになった。
加藤嘉も若い頃から、爺さんぽいイメージだが、中々のプレーボーイでこれが4度目の結婚である。ちなみに前妻は山田五十鈴であった。
1957年の有名人家族特集
前回、佐田啓二の結婚の話題を少し取り上げたが、その記事のあった「映画ファン」57年5月号には、「父と子」「母と子」「兄と弟」という有名人家族の特集グラビアが掲載されていた。
もちろん、今でもお馴染みにの家族も多く掲載されている。
まずは、若山富三郎と父である長唄の杵屋勝東治。当時は既に弟の勝新太郎もデビューしているのだが、何故か父の勝東治の方であった。勝新の人気が上昇するのは、60年あたりからなのでそのせいかもしれない。
その繋がりというわけではないだろうが、中村玉緒と父の中村鴈治郎。この親子は説明不要だろう。
水谷良重と母の水谷八重子。今は娘が二代目水谷八重子となっている。
朝丘雪路と父の日本画家・伊東深水。雪路と大川橋蔵を結婚させようとしたのは、伊東深水である。
片山明彦と父の島耕二監督。島耕二も元々は二枚目俳優であった。やはり、監督島耕二、主演片山明彦の「風の又三郎」(40年)が重い浮かぶ。片山は昨年88歳で亡くなったが俳優としては70年代の前半まで活動していたようである。
宇治みさ子と父・田中春男の俳優父娘。田中は脇役俳優ではあるが「次郎長三国志」シリーズの法印大五郎というはまり役がある。宇治みさ子は新東宝の時代劇部門で主演としても活躍した。父は92年、娘は12年に偶然にもともに79歳で亡くなっている。
高千穂ひづると父のプロ野球審判・二出川延明。これは意外と知られている関係かもしれない。二出川は「俺がルールブックだ」の名言で知られる。高千穂は後に「月光仮面」大瀬康一と結婚、二出川の懇願で二人とも引退し、起業した二出川の事業を二人で継いでいる。
光丘ひろみと父の潮万太郎。光丘ひろみではピンとこないと思うが、弓恵子の当時の芸名である。弟の柴田昌宏、柴田侊彦も俳優として活動している。
杉義一と父の杉狂児。杉狂児は戦前のスターで「うちの女房にゃ髭がある」などの歌でも知られる。しかし、息子の義一はよくわからんという人はいるかも。東映の専属役者で脇役ちょい役が多いが、薄い頭とぎょろ目で目立つ存在である。名は知らなくても顔を見たことがある人は多いはずだ。とにかく50~60年代の東映作品には映画、テレビを問わずかなりの頻度で顔を出している。
弟の次男・裕之や四男・幸彦も役者になり、前述の島耕二が監督した「次郎物語」(41年)では、主人公の次郎を前半は幸彦、後半は裕之が演じたりしている。兄弟全員が俳優業を70年代には廃業したようである。
もちろん、今でもお馴染みにの家族も多く掲載されている。
まずは、若山富三郎と父である長唄の杵屋勝東治。当時は既に弟の勝新太郎もデビューしているのだが、何故か父の勝東治の方であった。勝新の人気が上昇するのは、60年あたりからなのでそのせいかもしれない。
その繋がりというわけではないだろうが、中村玉緒と父の中村鴈治郎。この親子は説明不要だろう。
水谷良重と母の水谷八重子。今は娘が二代目水谷八重子となっている。
朝丘雪路と父の日本画家・伊東深水。雪路と大川橋蔵を結婚させようとしたのは、伊東深水である。
片山明彦と父の島耕二監督。島耕二も元々は二枚目俳優であった。やはり、監督島耕二、主演片山明彦の「風の又三郎」(40年)が重い浮かぶ。片山は昨年88歳で亡くなったが俳優としては70年代の前半まで活動していたようである。
宇治みさ子と父・田中春男の俳優父娘。田中は脇役俳優ではあるが「次郎長三国志」シリーズの法印大五郎というはまり役がある。宇治みさ子は新東宝の時代劇部門で主演としても活躍した。父は92年、娘は12年に偶然にもともに79歳で亡くなっている。
高千穂ひづると父のプロ野球審判・二出川延明。これは意外と知られている関係かもしれない。二出川は「俺がルールブックだ」の名言で知られる。高千穂は後に「月光仮面」大瀬康一と結婚、二出川の懇願で二人とも引退し、起業した二出川の事業を二人で継いでいる。
光丘ひろみと父の潮万太郎。光丘ひろみではピンとこないと思うが、弓恵子の当時の芸名である。弟の柴田昌宏、柴田侊彦も俳優として活動している。
杉義一と父の杉狂児。杉狂児は戦前のスターで「うちの女房にゃ髭がある」などの歌でも知られる。しかし、息子の義一はよくわからんという人はいるかも。東映の専属役者で脇役ちょい役が多いが、薄い頭とぎょろ目で目立つ存在である。名は知らなくても顔を見たことがある人は多いはずだ。とにかく50~60年代の東映作品には映画、テレビを問わずかなりの頻度で顔を出している。
弟の次男・裕之や四男・幸彦も役者になり、前述の島耕二が監督した「次郎物語」(41年)では、主人公の次郎を前半は幸彦、後半は裕之が演じたりしている。兄弟全員が俳優業を70年代には廃業したようである。
1958年の親友ツーショット その2
前回の続きで、スタア同士の親友2ショット写真である。前回は割合、想像できる組み合わせだったが、今回は個人的に意外に感じるペアだったりする。
まずは、佐田啓二と須賀不二男。永遠の二枚目スタア佐田と悪役イメージの強い須賀ということで、今でこそ意外に感じてしまうが、当時は共に松竹に所属。小津作品などで共演もある(須賀はほとんど端役だが)。
年齢は須賀の方が8歳ほど上だが、松竹入りは佐田の方が6年ほど早い。須賀は基本脇役で、スタアとはいえない立場だったと思うが、こういう企画に出てくるのだから、実際に仲は良かったのであろうと推察する。
悪役イメージの須賀だが、戦前は古川緑波の一座に所属するなど、軽演劇の舞台を踏んでいたりしたのである。
ちなみに佐田啓二は、この企画の前年である57年に結婚。相手は大船撮影所前のレストランの看板娘だった杉戸益子。この縁談は木下恵介、小津安二郎の両監督が双方の親代わりとなって進められ、媒酌人も両監督が引き受けたのである。ちなみに両監督とも独身であった。
続いて、嵯峨三智子と伊吹友木子。嵯峨は晩年のトラブルメーカー的なイメージから親しい女優などいたのかなと思ってしまう。伊吹友木子は宝塚歌劇団出身で、同期には高島忠夫夫人としても知られる寿美花代、大瀬康一夫人として知られる高千穂ひづるなどがいた。
ともに松竹に移ってきたのが56年頃で、共演も結構あり親しくなったと考えられる。この頃新東宝から松竹に移った小笠原弘によれば、当時の嵯峨は松竹に来てさほど経っていないのに、すでに女帝状態だったという。後に宝塚から来た福田公子や鳳八千代などは嵯峨にいびられて辞めていったという。
伊吹友木子はそのネームバリューは低いと思われるが。女優活動は長く続けており、最近もNHKの連続テレビ小説「カーネーション」(11~12年)に出演したりしている。
さて、高倉健の当時の「親友」といえば、東映ニューフェース1期先輩で同じ明大出身の山本麟一か、ニューフェース同期でやはり同じ明大出身の今井健二あたりを想像してしまうが、ここで健さんと2ショットになったのは立花良文である。
「誰?」というツッコミが一斉に入りそうだが、立花は東映ニューフェースの3期生で、同期には里見浩太郎、大村文武、桜町弘子などがいた。健さんとは「森と湖のまつり」「空中サーカス嵐を呼ぶ猛獣」(いずれも58年)などで共演している。
しかし、60年代に入るか入らないかのうちに姿を消してしまったようである。ゆえにそのプロフィールなどは不明である。おそらく当時でも無名に近い存在だったと思われるので、ある意味大抜擢?だったわけである。
まずは、佐田啓二と須賀不二男。永遠の二枚目スタア佐田と悪役イメージの強い須賀ということで、今でこそ意外に感じてしまうが、当時は共に松竹に所属。小津作品などで共演もある(須賀はほとんど端役だが)。
年齢は須賀の方が8歳ほど上だが、松竹入りは佐田の方が6年ほど早い。須賀は基本脇役で、スタアとはいえない立場だったと思うが、こういう企画に出てくるのだから、実際に仲は良かったのであろうと推察する。
悪役イメージの須賀だが、戦前は古川緑波の一座に所属するなど、軽演劇の舞台を踏んでいたりしたのである。
ちなみに佐田啓二は、この企画の前年である57年に結婚。相手は大船撮影所前のレストランの看板娘だった杉戸益子。この縁談は木下恵介、小津安二郎の両監督が双方の親代わりとなって進められ、媒酌人も両監督が引き受けたのである。ちなみに両監督とも独身であった。
続いて、嵯峨三智子と伊吹友木子。嵯峨は晩年のトラブルメーカー的なイメージから親しい女優などいたのかなと思ってしまう。伊吹友木子は宝塚歌劇団出身で、同期には高島忠夫夫人としても知られる寿美花代、大瀬康一夫人として知られる高千穂ひづるなどがいた。
ともに松竹に移ってきたのが56年頃で、共演も結構あり親しくなったと考えられる。この頃新東宝から松竹に移った小笠原弘によれば、当時の嵯峨は松竹に来てさほど経っていないのに、すでに女帝状態だったという。後に宝塚から来た福田公子や鳳八千代などは嵯峨にいびられて辞めていったという。
伊吹友木子はそのネームバリューは低いと思われるが。女優活動は長く続けており、最近もNHKの連続テレビ小説「カーネーション」(11~12年)に出演したりしている。
さて、高倉健の当時の「親友」といえば、東映ニューフェース1期先輩で同じ明大出身の山本麟一か、ニューフェース同期でやはり同じ明大出身の今井健二あたりを想像してしまうが、ここで健さんと2ショットになったのは立花良文である。
「誰?」というツッコミが一斉に入りそうだが、立花は東映ニューフェースの3期生で、同期には里見浩太郎、大村文武、桜町弘子などがいた。健さんとは「森と湖のまつり」「空中サーカス嵐を呼ぶ猛獣」(いずれも58年)などで共演している。
しかし、60年代に入るか入らないかのうちに姿を消してしまったようである。ゆえにそのプロフィールなどは不明である。おそらく当時でも無名に近い存在だったと思われるので、ある意味大抜擢?だったわけである。
1958年の親友ツーショット
58年の「映画ファン」10月号には、「美しき友情に結ばれて」という特集がある。要するにスタア同士の親友2ショットが掲載されているのである。本当に仲が良いかどうかは別として、まあ納得のいく組み合わせもいくつかある。
まずは、宇津井健と天知茂。共に31年生まれで、天知は51年に新東宝にスターレット1期生として入社。宇津井は俳優座養成所から54年に入社している。スタアになったのは、後からデビューした宇津井の方が早かったが、天知もこの時期にはようやくスタアの座についたという感じであった。
ご存知のとおり、二人とも新東宝末期まで在籍し、61年に新東宝が倒産すると共に大映に移籍することになる。宇津井主演の「ザ・ガードマン」に天知がゲスト出演したこともあった。
続いて、菅原謙二と高松英郎。当時は共に大映のスタアである。菅原が3つ年長だが、大映入社時期はあまり変わらない。菅原は俳優座養成所の1期生、高松は大映ニューフェースの5期生だ。
高松はそのデビュー作「怒れ三平」(53年)で、菅原の鞄を強奪する犯人の役を演じている。また「春雪の門」(53年)でも、高松は菅原の色敵役を演じるなど、菅原とは縁のある役が多い。
60年代に入ると、共に大映を去りテレビに転じている。菅原は「七人の刑事」が有名だが、実は高松も城西署の鷹山刑事という役で準レギュラーだったのである。
加東大介と小林桂樹。親友というには、年が離れすぎている(加東が12歳上)。まあ、これはど離れているイメージではないけれども。この二人といえば、やはり「社長シリーズ」であり、加東と小林は名コンビとうたわれていた。
共に東宝のイメージが強いが、加東は51年、小林は52年に東宝と契約しており、それ以前は共に大映に在籍していた。
浦路洋子と環三千世。共に誰?という人ともいるかもしれないが、浦路は大映、環は東宝(宝塚映画)で活躍した女優である。この二人は共に宝塚歌劇団の41期生である。デビュー作も同じ「女の学校」(55年)で、二作目の「唄祭りけんか道中」(56年)でも共演している。「女の学校」には、やはり同期の扇千景も出演しているが、扇は一足早くデビューしている。公演中に衣装がセリに巻き込まれて死亡した香月弘美も同期であった。
浦路も環も主役ではなく、本数的には結構出ているのだが、共に60年代前半には引退してしまったようである。ちなみに環は73年に40歳の若さで亡くなっている。
以上、意外性のない組み合わせを紹介したが、意外な組み合わせも幾つかある。それは次回に続く。
まずは、宇津井健と天知茂。共に31年生まれで、天知は51年に新東宝にスターレット1期生として入社。宇津井は俳優座養成所から54年に入社している。スタアになったのは、後からデビューした宇津井の方が早かったが、天知もこの時期にはようやくスタアの座についたという感じであった。
ご存知のとおり、二人とも新東宝末期まで在籍し、61年に新東宝が倒産すると共に大映に移籍することになる。宇津井主演の「ザ・ガードマン」に天知がゲスト出演したこともあった。
続いて、菅原謙二と高松英郎。当時は共に大映のスタアである。菅原が3つ年長だが、大映入社時期はあまり変わらない。菅原は俳優座養成所の1期生、高松は大映ニューフェースの5期生だ。
高松はそのデビュー作「怒れ三平」(53年)で、菅原の鞄を強奪する犯人の役を演じている。また「春雪の門」(53年)でも、高松は菅原の色敵役を演じるなど、菅原とは縁のある役が多い。
60年代に入ると、共に大映を去りテレビに転じている。菅原は「七人の刑事」が有名だが、実は高松も城西署の鷹山刑事という役で準レギュラーだったのである。
加東大介と小林桂樹。親友というには、年が離れすぎている(加東が12歳上)。まあ、これはど離れているイメージではないけれども。この二人といえば、やはり「社長シリーズ」であり、加東と小林は名コンビとうたわれていた。
共に東宝のイメージが強いが、加東は51年、小林は52年に東宝と契約しており、それ以前は共に大映に在籍していた。
浦路洋子と環三千世。共に誰?という人ともいるかもしれないが、浦路は大映、環は東宝(宝塚映画)で活躍した女優である。この二人は共に宝塚歌劇団の41期生である。デビュー作も同じ「女の学校」(55年)で、二作目の「唄祭りけんか道中」(56年)でも共演している。「女の学校」には、やはり同期の扇千景も出演しているが、扇は一足早くデビューしている。公演中に衣装がセリに巻き込まれて死亡した香月弘美も同期であった。
浦路も環も主役ではなく、本数的には結構出ているのだが、共に60年代前半には引退してしまったようである。ちなみに環は73年に40歳の若さで亡くなっている。
以上、意外性のない組み合わせを紹介したが、意外な組み合わせも幾つかある。それは次回に続く。